※このレビューは物語の展開に触れています※
アメリカのTVシリーズが“PeakTV”と呼ばれる黄金期に突入して久しい。HBO、Netflixをはじめとしたストリーミングサービスによるオリジナルドラマ群は映画をも凌駕するクオリティで、ハリウッドが忌避するリスキーな題材に挑み続けた。それらは1話60分、1クール12話という従来のTVドラマのフォーマットを破壊し、2010年代後半からは#Me tooやBlack Lives Matterといったマイノリティの声を得て、そのナラティヴをさらに複雑化していったのである。
ジョーダン・ピール、J・J・エイブラムス、そして新鋭ミシャ・グリーンによる『ラヴクラフトカントリー』はそんな2010年代PeakTVの到達点とも言える野心作だ。タイトルにある“ラヴクラフト”とは、1920~30年代に多くの怪奇・幻想SF小説を遺した作家H・P・ラヴクラフト。彼の描いた古代の怪物や異次元の神が登場する一連の作品は「クトゥルフ神話」として体系化されており、その背景には有色人種に対する病的なまでの恐怖、差別心があったと言われている。本作はそんなラヴクラフト作品に黒人差別問題をマッシュアップした“人種差別ホラー”なのだ。
第1話冒頭にこんな場面がある。主人公アティカスがバスの中でエドガー・ライス・バローズによる『火星のプリンセス』を読んでいると、居合わせた老婦人が「その作家は差別主義者よね」と窘め、彼は慌てて「でも作品はいいんだ」と取り繕う。時代の更新と共に作家のみならず優れた芸術作品までも封印する“キャンセルカルチャー”に対し、再定義を試みようとする本作の象徴的シーンだ。
【コンテクストの集合体】
『ラヴクラフトカントリー』の最大の特徴はストーリーよりもコンテクストを優先した独自の構成だ。1960年代のアメリカ南部を舞台に、白人至上主義と古代の魔術を描いたオカルトホラーのプロットは、いわゆる“B級”のセンを敢えて狙って演出されており、製作ジョーダン・ピールが大きな影響を受けた『トワイライト・ゾーン』風のオムニバス形式で各話毎に演出もガラリと異なる。リアルな人種差別を描いたかと思いきやお化け屋敷ホラーに変わり、はたまた第4話ではインディ・ジョーンズ風のアドベンチャーになり、第7話では何と時空を超えたSFに転調する。ただ筋を追っているだけでも楽しめはするが、何より魅力なのはさり気ないセリフやカット、人物配置、演出に込められた膨大な“意味”だ。例えば、前述のバスで出くわした老婦人は白人に席を譲らなかったことから逮捕され、後のモンゴメリー・バス・ボイコット事件の発端となったローザ・パークスである。コンテクストの数々がBlack Lives Matterに揺れる現代を映し、前提知識があればあるほどさらに楽しめる、知的好奇心を喚起した作りになっているのだ。日本では配給権を持つスターチャンネルが、映画評論家町山智浩氏による全話解説をSpotifyのポッドキャストで配信中。ぜひ視聴後に併せて聞いてほしい。
【ブラックフェミニズム】
シーズン後半、『ラブクラフトカントリー』は人種差別のみならずLGBTQ、そしてフェミニズムといったあらゆるマイノリティの声を包括し、変容していく。第5話『怪事』は、黒人歌手ルビーが黒魔術師クリスティーナから与えられた謎の薬によって白人女性へと変身、憧れのデパートで働くことになる。白人になった途端、雇用待遇が変わる一方、白人になっても女であることが差別を呼ぶ。地獄のマジョリティ体験を描くこの寓意に満ちたエピソードは、『獣の棲む家』でも名演を見せたウンミ・モサクの湿度の高い存在感、そして『マッドマックス/怒りのデス・ロード』以来の当たり役となる妖艶なアビー・リーによって屈指の異色回となった。白人男性の肉体を介して人種とセクシャリティを超えていく2人の関係性に注目だ。
第6話『テグで会いましょう』は一転、なんと舞台は朝鮮戦争下の韓国に話が飛ぶ。ジェイミー・チャン演じるジアは野戦病院で看護師として働く一方、夜な夜な男を床に誘い、血祭りにあげる。彼女の正体は百人の男の命を奪うよう呪いをかけられた九尾の狐。ある日、アメリカ軍が看護師達にスパイ容疑をかけ、ジアは親友を殺されてしまう。友の命を奪ったのは従軍中のアティカスだった。両親の虐待による心身の傷をジュディ・ガーランドに象徴し、九尾の狐伝説とマッシュアップした本作はそれまでの被差別者の視点から一転、誰もが持ち得る人間の加害性について言及した超絶技巧の脚本である。
そして『ラヴクラフトカントリー』がもっともブッ飛ぶのが第7話『私はヒッポライタ』だ。次元の間に呑み込まれた1950年代の主婦ヒッポライタは、ある時は1920年代のパリでジョゼフィン・ベイカーと踊り、またある時はアマゾネス軍団の戦士となって戦い、そしてある時は宇宙に飛び立つ冒険家となる。これまでの人生を“ジョージの妻”という役割に費やしてきた彼女が、望んだ自分になることを描いたブラックフェミニズムの傑作回だ。ちなみに彼女をあらゆる次元にワープさせるスーパーアフロヘア宇宙人の役名はなんとBeyond C' est=ビヨンセ!!
【Rewind1921】
ホラー濃度で言えば、ミシャ・グリーン監督回の第8話『黒人少年ボボ』がもっとも怖かった。白人黒魔術軍団によって呪いをかけられたダイアナに、ジョーダン・ピール監督『アス』を思わせる奇怪な双子の悪霊が襲い掛かる。
このエピソード冒頭で描かれる葬儀は当時、白人に因縁をつけられた結果、凄惨なリンチによって殺されてしまったエメット・ティル少年の葬式であり、その会場で演説をしているのはマルコムXの所属するNOI(ネイション・オブ・イスラム)。この事件をボブ・ディランが歌にしており…と同時期リリースの『あの夜、マイアミで』と重なる要素も多く、2020年はあらゆる角度から黒人の近代史が再検証されたことがわかる。
その極めつけが第9話『バック・トゥ・1921』だ。1921年、白人至上主義者によってオクラホマ州タルサの黒人たちが虐殺され、長きに渡って隠蔽された“タルサ大虐殺”は、2019年にもHBO版『ウォッチメン』で描かれたアメリカ史の暗黒面だ。魔導書を取り戻すべくタイムスリップしたアティカス達は、ここで虐殺事件を追体験することになる。詩人ソニア・サンチェスの美しいリリックをBGMに、『ザ・ナイト・オブ』の名優マイケル・ケネス・ウィリアムズが実際に亡くなった人々を追悼するこの場面で『ラヴクラフトカントリー』はついにピークに到達する。
正直なところ、ショーランナーであるミシャ・グリーンの鬼気迫る構成力に、職人監督たちの力量が追い付かない場面や、肝心の本筋がそれほど面白く見えないという欠点はある。圧倒的な第9話と最終回を比べてもそれは明らかだ。文化・歴史的教養がなければ作品の半分も理解できない構成が果たして正解なのかも、評価に困るところである。
だが、製作が噂されるシーズン2で『ラヴクラフトカントリー』はさらなる10年を切り拓いてくれることだろう。トランプが去ったとはいえアメリカの負った傷は癒えず、コロナショックを経て混迷はさらに深まった。魔物たちと共に描かれるべき文脈は、まだまだ多いのだ。
『ラヴクラフトカントリー』20・米
監督 ミシャ・グリーン
出演 ジョナサン・メジャーズ、ジャニー・スモレット・ベル、コートニー・B・ヴァンス、マイケル・ケネス・ウィリアムズ、ウンミ・モサク、アビー・リー