※このレビューは物語の展開に触れています※
当初、シーズン5がファイナルと目されていたが、2021年OA予定(コロナショックで延期は必至だろう)のシーズン6で完結する事が公式にアナウンスされた。アメリカTVドラマ史に残る傑作『ブレイキング・バッド』の前日譚としてスタートした本シリーズはオリジナルとは趣を異にしながら、大きく弧を描くようにアルバカーキ・サーガへのミッシングリンクを埋め、ついに今シーズンで『ブレイキング・バッド』へと結実する最終章の幕を開けた。
【残されたミッシングリンク】
前シーズンのラストで兄チャックの呪縛を振り切ったジミーは屋号を「ソウル・グッドマン」に改名する。これまで培ってきたコネクションを活用して犯罪者専門に業態を変えるが、綱渡りっぷりは健在だ。治安の悪い地域で携帯電話を在庫処分する傍ら、弁護費用50パーセントOFFのキャンペーンを展開。そうこうしているうちにまたカルテルからお声がかかった。今度は下っ端じゃない。サラマンカファミリーの代理頭ラロの弁護だ。
今シーズンの見所の1つがシーズン4終盤で登場したラロだろう。マイクに対する咬ませ犬かと思いきや、腕っぷしばかりのサラマンカファミリーには珍しい頭脳派。料理好きで面倒見が良く、冷徹な殺人鬼というこのシリーズならではの魅力的な悪役だ。さすがのガスも彼には手を焼き、密偵となったナチョは枕を高くして眠ることができない。『ブレイキング・バッド』シーズン2第8話、ソウルはウォルター達に銃を向けられた際「ラロがお前らを送ったのか?」と言う。ラロはガスによる暗殺指令から生き延びたのか?それともソウルの知らない所でラロは消されたのか?
そしてナチョの命運はどうなるのか?父親を救うため組から足を洗いたいと願う彼に対し、マイクは警察署内の汚職から命を絶たれた息子の姿を見出している。『ブレイキング・バッド』へのいわば“繋ぎ”に過ぎないキャラクターにこれほど肩入れしてしまうのも本シリーズならではの人物造形によるものだ。彼らの結末がシーズン6の大きな見所の1つになるだろう。
【悪への静かなる転落】
今シーズンの主役はキムだ。これまでもジミーのささやかで小さな悪の誘惑が彼女の運命を変えてきたが、それはいよいよ取り返しのつかない大きな奈落にたどり着いてしまう。ジミーにつられて戯れに窓からビール瓶を放り投げたのはまだ序の口。メサ・ヴェルデのコールセンター建設予定地を立ち退かない老人が登場し、彼女が見て見ぬふりをしてきた悪事への傾倒を言い当てる。キムはまるでそれを払拭するかのようにジミーの悪知恵を使って、万事丸く収めようと奮闘するのだ。
法を守る弁護士の立場でありながら“みんなが笑顔になるならちょっとくらいのルール逸脱は問題ない”というのがジミーのマインドであり、それが彼を三流に留めてきた原因だが、キムはこれまでの4シーズンを通して少しずつ毒されてきてしまった。『ブレイキング・バッド』でスカイラーが劇的に悪へと引きずり込まれたのに対し、『ベター・コール・ソウル』は悪への転落を静かにゆっくりと描き、万人が胸に手を当てたくなってしまうものへと昇華している。
最も頭を抱えてしまうのがジミーがそれに気付いていない事だ。第10話「俺は君にとって害悪なのか?」と自責の念に駆られながらも、脅威が去れば舌の根も乾かぬうちに「仕事をサボれ」と誘惑する。彼は自分自身の転落も、愛するキムを引きずり降ろしている事も自覚していない。
そしてキムの『ブレイキング・バッド』における不在、という悲劇の予兆はいよいよ今シーズンで顕在化する。彼女の存在がラロに知られてしまうのだ(「彼女はもうゲームに参加しちまったんだ」)。そしてシーズン4と対になるラストショットに、僕らが恐れていたことがいよいよ現実のものになりつつある事がわかる。あぁ、キムよ!
【現代アメリカ神話へ】
シーズン5はこれまで『ベター・コール・ソウル』が培ってきた“より遅く、より熱く”というナラティブが最高潮に達した傑作シーズンだ。脚本、撮影、演出、演技は円熟の極みにあり、全10話1分たりともクオリティを落とさない完全試合である。中でも第8話、9話はアルバカーキ・サーガ史上トップクラスの傑作回だろう。
アルバカーキでは事件は砂漠で起きる。かつてウォルターが「家族のために」と物語を始めたように、自らの動機と向き合ったジミーは身から出た尿を飲んで渇きを癒し、砂漠を放浪する。“世界で2番目の弁護士”と書かれた愛用のタンブラーを捨て、あのみっともない愛車を捨て、兄チャックが片時も手を離せなかった保温シートを捨て去る。ジミーの象徴であったモノが砂漠に置き去られ、物語は静かに『ブレイキング・バッド』へと連なり、最終章の幕が上がる。
マイクは言う「人は皆、選択をする。道を降りたと思っても、結局は元の道に戻る」「そして今のこの場所へとつながってたんだ。それはどうすることもできない」 。
ジミーは『ブレイキング・バッド』という定められた結末に向かって歩いているだけなのか?『ベター・コール・ソウル』という物語によって自らの運命を見つけ出すことはできないのか?奇しくも『ブレイキング・バッド』のアーロン・ポールが出演する『ウエストワールド シーズン3』が同時期に放映され、共に自由意志と決定論に繋がるポップカルチャーの横断が面白い。
そして『ベター・コール・ソウル』における運命論はコーマック・マッカーシーにも通じていく。『ノー・カントリー』や『ザ・ロード』、“国境3部作”で知られるアメリカ文学界の巨匠はメキシコと接したアメリカ辺境から人と神、死と運命の物語を描いてきた。『ノー・カントリー』の原作『血と暴力の国』には前述のマイクの台詞とそっくりな一節がある。
“人生の一瞬一瞬が曲がり角であり人はその一瞬一瞬に選択をする。どこかの時点でおまえはある選択をした。そこからここにたどり着いたんだ。”
また2013年にマッカーシーが脚本を書き下ろした『悪の法則』(リドリー・スコット監督)は『ベター・コール・ソウル』と全く同じ設定の物語だ。マイケル・ファスベンダー扮する弁護士はあるビジネスに手を出した事でメキシコ・カルテルという絶対的な死につけ狙われることになる。
キムはラロの脅威を前にして「明日は大丈夫なの?」とジミーに尋ねるが、彼は答えをはぐらかす。死を避ける方法なんてないからだ。
文学性も帯びた『ベター・コール・ソウル』は“『ブレイキング・バッド』前編”というポップカルチャーの域を超えた、現代アメリカ神話に到達しようとしている。コロナショックであらゆる楽しみを奪われた今、僕らはこの物語をよすがに生きていくのだ。
『ベター・コール・ソウル シーズン5』20・米
監督 ヴィンス・ギリガン、他
出演 ボブ・オデンカーク、レイ・シーホーン、ジョナサン・バンクス、ジャンカルロ・エスポジート、マイケル・マンド、トニー・ダルトン