長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『ぼくのお日さま』

2024-09-08 | 映画レビュー(ほ)

 1996年生まれ、今年28才の奥山大史監督作『ぼくのお日さま』は愛さずにはいられない映画だ。わずか90分の上映時間中、この作品が好きで堪らなくなってしまった。小学6年生のタクヤと中学1年生のサクラの間に芽生える、まだ名前も付かない感情を描いた本作を巷にあふれるノスタルジー消費として終わらせてはいけない。2人の間に立つ唯一の大人、荒川(素晴らしい池松壮亮)を通じて人生に1度しか訪れない“ある季節”を描く本作は、観る者に深い余韻を残すのだ。

 北海道に長い長い冬がやって来た。全てが雪に閉ざされ、人はじっと春の訪れを待つしかない。屋外スポーツができなくなった子どもたちは慣れないスケート靴に履き替えると、アイスホッケーに興じる。タクヤにはどっちだって変わりないことだ。田舎の子供にとって運動が苦手なことほど苦痛はない。しかも吃音を抱える彼には、世界は決して生き易くはないのだ。

 そんなタクヤの目線の先で、氷上を舞う少女がいる。サクラは元プロフィギュアスケーターの荒川に教わっている。自らカメラを持って氷上を滑ったという奥山監督は、未だ見ぬ体験と衝動に心動かされる子供たちの躍動を撮らえ、そこには美しい光が射し込む。北海道の冬は長く、しかし陽は短い。タクヤの想いに気付いた荒川はフィギュアスケート用の靴を差し出すと、2人にペアを組むように提案する。池松の自然主義的リアリズムはこの男が長年活躍してきたフィギュアスケートの世界で心を折られ、自分のことをまるで知らない男と恋に落ち、名も無い小さな町へ辿り着いたことを伺わせる。しかし、想い合う者の数が3人になればそれは社会を形成し、こんな田舎町でアイデンティティを晒すことの困難さが露となる。残酷な現実を突きつけられた荒川は恋人(近年、いい所に必ず出てくる若葉竜也)に問われると言う。「ちゃんと恋してると思ったんだよね」。

 ノスタルジーとイノセントへの逃避は大人の生きる道なのか?子供たちには何事もなかったかのように季節は巡り、片や大人は長い冬を耐え、ただ前を向いて生きていかなくてはならない。人生における季節はあまりにも刹那の時であり、しかし永遠の一時としてフィルムに残るのである。


『ぼくのお日さま』24・日
監督 奥山大史
出演 越山敬達、中西希亜良、池松壮亮、若葉竜也
※2024年9月13日(金)全国公開
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『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』

2024-08-18 | 映画レビュー(ほ)

 「過去が現在(いま)を作る」とは歴史教師ポール・ハナムの言葉だ。慇懃でウンチクが大好きな彼はおまけに体臭もキツく、同僚からも生徒からも嫌われている。そして演じるのはポール・ジアマッティだ。こんな人物が映画の主人公になり得るのか?スーパーヒーローばかりが立ち並ぶ現在のハリウッドでは難しいかも知れないが、本作の舞台となる1970〜71年は複雑な人物を描いた映画ばかりだった。『BIRDSHIT』『ハズバンズ』『ラスト・ショー』『ダーティ・ハリー』『わらの犬』…アレクサンダー・ペイン監督は冒頭、70年当時のユニバーサルのロゴやオープニングクレジットを出し、画面にスクラッチまで付ける手の込みようだが、これは単なる懐古趣味ではない。アメリカ映画が見失いかけている人間洞察への回帰だ。

 クリスマス、全寮制の名門校では多くの生徒が家族のもとへ戻る中、様々な理由から帰省が叶わない子供たちが校内に残る。今年の監督役はハナム先生で、居残り組には犬猿の仲とも言うべき問題児アンガスの姿もある。それにベトナム戦争で息子を亡くしたばかりの料理長メアリーも一緒だ。

 安易な共感を呼ばない人物ばかりである。ハナム先生はじめ、アンガスもメアリーも複雑な人生を送ってきたが、常に人間への興味を失っておらず、憎まれ口を叩きながら他者との繋がりを求めている節がある。ジアマッティの名人級の人格造形、オスカー受賞のダヴァイン・ジョイ・ランドルフに加え、実質上の主演である新人ドミニク・セッサの軽妙かつ繊細な演技が光る。2023〜2024年は『パストライブス』『チャレンジャーズ』『ツイスターズ』と三すくみを成すことで調和する人間の姿が描かれてきたが、本作もまたその系譜に連なり、アンサンブルは2023年最高のそれである。

 2週間のホリデイを共にするうちに、ハナムはアンガスにかつての自分の姿を見出す。怒りを覚え、しかし脆い心を抱えていたあの頃だ。いかなる歴史も現在(いま)を形作っているのなら、アンガスとの対話はかつての自分との邂逅であり、ハナムもまた自身の現在を知るのである。2人は「またな」と言葉を交わして別れるが、おそらく再会することはないだろう。だが30年、40年を経てアンガスはかつての自分のような少年に出会った時、ハナム先生から得た生きる術を伝えるのだ。その時、2人は“再会”を果たすことだろう。


『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』23・米
監督 アレクサンダー・ペイン
出演 ポール・ジアマッティ、ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ、ドミニク・セッサ、キャリー・プレストン
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『ポライト・ソサエティ』

2024-08-04 | 映画レビュー(ほ)

 ニダ・マンズール監督の長編デビュー作『ポライト・ソサエティ』は、あなたがロンドンに暮らすパキスタン系ムスリムのZ世代でなくても、笑みがこぼれ、愛さずにはいられなくなる1本だ。

 リア・カーンはロンドンに暮らす10代の女の子。将来の夢はスタントウーマンになること!日々、中二病をこじらせたセリフを言い放ち、自慢のスタント技を動画撮影している。当然、両親は気乗りしない表情で、学校(女子校)でも周囲から浮きまくっている。そんな彼女の唯一の理解者が芸大に進学した姉リーナだ。ところが、リーナは学校を休学してからというもの、ふさぎ込みがち。そんなある比、母が縁談を持ち込んで…。

 女の子だってカンフー映画もおバカコメディも大好き!『ポライト・ソサエティ』はありとあらゆるポップカルチャーをごった煮した楽しさがあり、BGMにはなんと日本歌謡まで出てくる。本作が映画初主演となるプリヤ・カンサラは立ち回りも凛々しく、映画のチャームを一手に担う好演だ。MCUのTVシリーズ『ミズ・マーベル』でも活躍したベテラン女優ニムラ・ブチャが、ここでも憎々しげにヴィランを演じているのが楽しい。

 パキンスタン系の移民2世を描いた作品には近年、NetflixのTVシリーズ『私の“初めて”日記』や先述の『ミズ・マーベル』、そしてマンズールが手掛けた『絶叫パンクスレディパーツ!』などがある。祖国を離れた両親とは違い、異国で産まれた彼女たちの日常には幾つもの文化のミックスがあり、カンフー、シスターフッド、ダンス・ミュージカルまであらゆるジャンルを横断する『ポライト・ソサエティ』にはそんな彼女たちのバイタリティが反映されているのだ。筆者のような遠い島国に暮らす不惑の中年には何とも心強く、活気づけられた映画である。


『ポライト・ソサエティ』23・英
監督 ニダ・マンズール
出演 プリヤ・カンサラ、リトウ・アリヤ、アクシャイ・カンナ、ニムラ・ブチャ、セラフィーナ・ベー、エラ・ブルッコレリ、ショナ・ババエミ
※8月23日(金)新宿ピカデリー、グランドシネマサンシャイン池袋、ヒューマントラストシネマ渋谷、ほか全国公開
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『ボーはおそれている』

2024-02-13 | 映画レビュー(ほ)

 「お母さんごめんなさい、ごめんなさい!」アリ・アスター監督の『ヘレディタリー』がまさに恐怖の絶頂に達しようとする瞬間、息子は恐ろしい秘密が隠された屋根裏部屋で泣き叫ぶ。監督第3作目『ボーはおそれている』にはこれと全く同じシーンが登場する。いや、『ヘレディタリー』からの引用だけではない。母親との宿縁に疲れた主人公ボーは、まるで『ミッドサマー』のホルガ村のようなコミュニティに漂泊する。『ボーはおそれている』はアリ・アスターの集大成、グレイテストヒッツなのか?いや、彼は『ヘレディタリー』も『ミッドサマー』も家族に起きたパーソナルな出来事を基にしていると言っている。本作を見れば屋根裏部屋も、首のない死体も、母親との呪いとも言うべき関係も、アリ・アスターの具体的な体験から成るモチーフが存在することがわかるだろう。

 アスターは人生に蓄積された呪詛を映画にすることで発散してきたものとばかり思っていたが、彼が抱き続ける恐怖には一向に終わりがなく、『ボーは恐れている』でついに3時間にも膨れ上がってしまった。そんなアスターに同調できる俳優はホアキン・フェニックスをおいて他にいないだろう。大都市の片隅にある薄汚れたビルで暮らすボーは、外に出ることが怖くてこわくて堪らない。外界には世間を賑わす連続通り魔がいて、自分に追いすがる全身タトゥーの浮浪者がいて、路上では自動小銃が売られ、向こうのビルの屋上には今にも飛び降りようとする誰かがいて、道行く人はそれをスマホで撮影している。世界を恐れる男の主観から描かれた前半部は、恐怖と笑いが混在する不条理世界。デヴィッド・リンチやチャーリー・カウフマンを思わせ、緻密な音響設計も含めて、映画館の暗闇に耽溺して見るべき“スペクタクル”でもある。

 両親、兄妹との確執は3時間の上映時間中、何度も反復、増幅されていく。極めつけは母親との関係だ。生まれた瞬間から愛憎関係にあったとも言える2人。母はボーに多大な愛情を注ぐが、支配的とも言える保護はボーの精神を蝕み、それは母のメンタルヘルスに跳ね返るという悪循環に陥っている。『ヘレディタリー』の再演とも言うべき第4幕を見れば、あの映画でトニ・コレットが漏らした「あんたなんか産まなきゃ良かった」の出どころは大いに想像が付くというものだ。

 それにしてもA24はいささか寛容すぎやしないか。母親に応えることができなかったボーの罪悪感を徹底的にこき下ろす最終章は、観客にとって2時間59分の果てにある悪夢としか言いようがない。作家主義、と言うにはあまりに放任すぎるA24の製作体制は本作の興行、批評的失敗により大きく見直しを迫られ、今後はより商業主義的な映画製作も目指すと言われている。ともかく、これでアリ・アスターの呪いは晴れたのか?いいや、彼は生きている限りこの世が怖くて恐くてたまらないのだろう。その恐怖はおそらく、決して晴れることはないのだ。


『ボーはおそれている』23・米
監督 アリ・アスター
出演 ホアキン・フェニックス、スティーブン・マッキンリー・ヘンダーソン、エイミー・ライアン、ネイサン・レイン、パティ・ルボーン、パーカー・ポージー
2024年2月16日(金)より全国劇場公開
公式サイト
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『ポトフ 美食家と料理人』

2023-12-29 | 映画レビュー(ほ)

 ベトナム生まれ、フランス育ちの監督トラン・アン・ユンは1993年のデビュー作『青いパパイヤの香り』でカンヌ映画祭カメラ・ドールを受賞すると、続く第2作『シクロ』でいきなりヴェネチア映画祭金獅子賞を獲得する。ベトナムを舞台に輪タク(シクロ)運転手の少年とその美しい姉、“詩人”と呼ばれる聾唖の殺し屋(トニー・レオン!)の関係を描いた映像詩は未だ見ぬ映画言語を感じさせる衝撃作だった。第3作『夏至』を最後にベトナムを離れると、7年のブランクを経て『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』、村上春樹原作『ノルウェイの森』を発表。それから『エタニティ 永遠の花たちへ』を撮るまで再び6年の時間を要す。そして本作『ポトフ』を製作するまでさらに7年の月日が経ち、若き異才トラン・アン・ユンも60歳となった。

 『ポトフ』には7年を要した必然の豊潤さがある。巻頭シークエンスは刮目すべき20分だ。ジュリエット・ビノシュが朝摘みのキャベツを持ち帰ると、調理が始まる。いつの時代かは判然としない。石造りの広々としたキッチンには、窓から田園地方の暖かな光が射し込んでいる。この家の主ブノワ・マジメルが階下に現れると、いよいよ調理は本格化する。手際の良い彼らの工程と、調理の過程に併せて刻々と変化する食材。交わされる言葉は少なく、しかし行われるべきことは全て通じ合っている。映像による動詞と、編集による頭韻、そしてかつてパートナーでもあったビノシュ、マジメルら“人生の秋”を迎えた俳優たちによる行間に劇伴などあるわけもなく、静寂と暗闇の劇場空間でこそ成立する詩的映画芸術である(主人公の2人と対比される“初春”のようなポーリーヌ役ボニー・シャニョー・ラボワールがいい)。

 映画にプロットらしいプロットが生まれ、物語が動き出すのはなんと1時間に至る頃からだ。マジメル演じるドダンは人々に“ナポレオン”と称される美食家。ビノシュ演じるウージェニーはそんな彼と20年に渡って研鑽を積んできた料理人。2人は男女の関係でもある。彼らは志を共にする批評家と芸術家であり、調理の工程の1つ1つは幸福探求そのものだ。ゲストから離れ、互いのためだけに精魂込めた料理を食する2人のなんと美しいことか。

 本作でカンヌ映画祭監督賞を受賞したトラン・アン・ユンだが、彼は再び長きブランクに入るのか?おそらく、そうかも知れない。だが、ドダンの人生に再び光が射し込み始めるラストシーンを見れば、いずれ新たな映画を撮ることは間違いないだろう。芸術と人生の探求に終わりはないのだから。


『ポトフ 美食家と料理人』23・仏
監督 トラン・アン・ユン
出演 ブノワ・マジメル、ジュリエット・ビノシュ、ボニー・シャニョー・ラボワール
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