長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『雪山の絆』

2024-02-05 | 映画レビュー(ゆ)

 1972年、ウルグアイの学生ラグビーチームを乗せた飛行機が遠征先のペルーへと向かう途上、アンデス山脈に激突。72日間のサバイバルの末、乗客乗員45人中16人が生還した“ウルグアイ空軍機遭難事故”再びの映画化だ。監督のJ・A・バヨナは実に10年もの歳月をかけて本作を企画。93年にはフランク・マーシャル監督が『生きてこそ』のタイトルで映画化したハリウッド版があるものの、バヨナは事実通り全編スペイン語で再現し、30年分の映画技術の進歩によって決定版とも言える仕上がりとなった。

 93年版は74年に刊行されたビアズ・ポール・リードのドキュメンタリー小説『生存者』を原作にし、イーサン・ホークが演じたナンド・バラードを中心とするアドベンチャー映画としての色合いもあった。今回のバヨナ版は2009年にパブロ・ヴィエルシによって書かれた“Snow Society”が原作。『生きてこそ』は事故から間もない時期に書かれた原作を基にした故か、描き切れていない部分に「この世には物語ることができない物語もあるのだ」と思わせる生々しさもあったが、事件から50年を経た今、バヨナは生き残った者たち、そして死んでいった者たちの精神性にこそ注目している。『生きてこそ』と共通する出来事は飛行機の窓から見つめるに留め、ここでは最後の死亡者となったヌマ・トゥルカッティの死者の目線から物語らせているのだ。

 想像を絶する極限状況に追い込まれた青年たちは、しかし不思議とこの世の地獄を嘆いたりはしない。助けを求め、決死のアンデス踏破を試みるナンドは嶺々のあまりにも美しい光景に「まるで天国のようだ」とこぼす。93年版も食人に至る経緯はあまり詳しく描かれておらず、それは今回も変わらない。彼らの決断は生と死、魂と肉体の境界を超えた精神状態が自ずと結論付けたのではないか。生者と死者、この世とあの世。暖を取るために互いに抱き合い、神よりも死する己の肉体を供する友を信じた若者たち。30年ぶりの再映画化は語り尽くされたサバイバル劇ではなく、彼らのスピリチュアルなまでの繋がりに言葉を与えようとしたのである。


『雪山の絆』23・スペイン、米、ウルグアイ、チリ
監督 J・A・バヨナ
出演 エンゾ・ボグリンシク、アグスティン・パルデッラ、マティアス・レカルト、エステバン・ベゲッツィ、フェルナンド・コンティヒアニ・ガルシア、エステバン・クワリスカ、フランシスコ・ロメロ、ラファエル・フェダーマン、バレンティノ・アロンソ
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『ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ』

2022-02-28 | 映画レビュー(ゆ)
 黒人差別に対するプロテストソング『奇妙な果実』を歌ったビリー・ホリデイと、その影響力を恐れたアメリカ政府の攻防を描く本作は、人種間対立が未だ終わる事のない現在に語り直されるべき物語だ。しかしながらリー・ダニエルズ監督は的確なストーリーテリングを見つけるには至っていない。ホリデイを語る上で欠かすことのできない暴力男や薬物、アルコールへの依存、精神疾患というモチーフはいずれも描き切れておらず、彼女の後半生を追う展開は凡百の伝記ドラマ同様、偉人の足跡を追うダイジェスト版に過ぎない。ついには木に吊るされた黒人一家を幻視するシーンで映画は露頭に迷ってしまったように見える。

 何よりリー・ダニエルズはビリー・ホリデイに扮したアンドラ・デイの偉大なパフォーマンスに応え切れていない。映画初主演にしてアカデミー主演女優賞にノミネートされたアンドラ・デイは、ホリデイの反骨精神とあまりに哀しい本質に迫り、何より歌唱シーンでは当人よりもややしゃがれた声で独自の解釈を与える事に成功している。これまで一世一代の演技を見せてきたシンガー俳優の系譜に名を連ねる名演であり、ぜひとも次の出演作を見てみたい“女優”である。

 ビリー・ホリデイと恋に落ちるFBI捜査官ジミー・フレッチャーに扮したトレバンテ・ローズがデイの相手役として全く申し分ないことも幸いした。『ムーンライト』の第3幕で主人公の青年時代を演じ、濃厚な愛の気配を漂わせた俳優だ。大人の男のアダルトな色気を持った役者であり、彼だからこそデイ演じるホリデイが惚れたのも頷ける。2人の濃密なラヴシーンは久々に体臭すら錯覚した。

 『ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ』は魅力的な題材を活かしきれていないが、アンドラ・デイとトレバンテ・ローズのケミストリーによってかろうじて見所を獲得している。映画では描かれない多くの逸話についてはぜひともインターネットを検索して、知識を補ってほしい所だ。


『ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ』21・米
監督 リー・ダニエルズ
出演 アンドラ・デイ、トレバンテ・ローズ、ギャレッド・ヘドランド、ナターシャ・リオン
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『ユダ&ブラック・メシア 裏切りの代償』

2022-01-13 | 映画レビュー(ゆ)

 第93回アカデミー賞で作品賞はじめ6部門にノミネートされ、ダニエル・カルーヤの助演男優賞と主題歌賞を受賞した本作は本国から遅れること約半年、“DVDレンタルのみ”という石器時代のようなフォーマットで日本リリースとなった。配信レンタルはそれからさらに半年後の2022年1月である。ワーナー・ブラザースの日本支社はまったくやる気がない。どうかしているとしか言いようがない。2021年は『マ・レイニーのブラックボトム』『あの夜、マイアミで』など優れた黒人映画が相次いだが、アカデミー賞で作品賞にノミネートされたのはシャカ・キング監督による本作だけだった。ブラックパンサー党指導者フレッド・ハンプトン暗殺事件を描く本作は、クラシカルなルック(マーク・アイシャムのジャズスコアが素晴らしい)と創り手の知性によって1969年当時のブラックパワーの熱気を再現することに成功している。

 物語は1966年のシカゴから始まる。車両窃盗の罪で逮捕されたウィリアムにCIAが接触する。当時、ブラックパンサー党は急進的に支持を拡大しており、中でもアメリカ政府はカリスマ的指導者フレッド・ハンプトンを警戒していた。ウィリアムは刑の恩赦のためCIAの内偵としてブラックパンサー党に潜入。徐々に信頼を築き上げ、ついにはハンプトンの警備主任にまで上り詰めるのだが…。

 本作の見どころの1つがアカデミー賞にノミネートされたラキース・スタンフィールド、ダニエル・カルーヤの共演だ。共に「助演」でノミネートされてしまったのはオスカーの歴史でそう少なくない珍事だが、実質上のW主演である。カルーヤは体重を増やし、“ナメクジに塩を売ることができる”とまで評された演説の名手であるハンプトンのフロウを完全再現。躍進著しい性格俳優が貫禄の力演だ。
 オスカーこそカルーヤに譲ったものの、ウィリアム役のラキースは(いつだって素晴らしいのだが)キャリア最高の名演である。コソ泥に過ぎなかったウィリアムが黒人としてのアイデンティティを喚起され、やがて善悪の彼岸に立たされていく内面演技は映画を見終えても忘れることはできないだろう。

 本作のサブテキストとして参照したいのが2021年に公開されたクエストラブ監督によるドキュメンタリー『サマー・オブ・ソウル』だ。1969年の夏、NYハーレムで行われた“ハーレム・カルチュラル・フェスティバル”は黒人たちによる社会変革の前夜とも言うべき瞬間だったが、その後、長らく歴史から抹殺される事となる。黒人の美しさと力を謳うニーナ・シモンのリリックが人々を鼓舞したように、ハンプトンもまた演説という言葉の力を持って対立組織をまとめ上げ、黒人たちの闘争心を目覚めさせていった。『ユダ&ブラック・メシア』はそんな彼もまた詩人である愛妻のポエムによって衝き動かされていたと描いている。黒人にとって言葉とフロウこそが闘争の武器なのだ。シャカ・キングはスパイク・リーやエヴァ・デュヴァネイとも異なる怒りと冷徹さで、69年に摘み取られたブラックパワーの熱狂を撮らえ、傑作へと昇華させている。


『ユダ&ブラック・メシア 裏切りの代償』20・米
監督 シャカ・キング
出演 ダニエル・カルーヤ、ラキース・スタンフィールド、ジェシー・プレモンス
 
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『ユーロビジョン歌合戦 ファイア・サーガ伝説』

2020-07-20 | 映画レビュー(ゆ)

 この映画を見るまで“ユーロビジョン・ソング・コンテスト”の事を知らなかった。毎年行われるヨーロッパ圏国別対抗のど自慢のようなイベントで、各国の人気歌手が参加するという。
 なるほど、これはコメディに打ってつけの題材で、主演ウィル・フェレルは脚本まで手掛ける気合の入り様だ(なぜかアイスランド代表役)。近年すっかり演技派付いていたレイチェル・マクアダムスとデュオを組み、ユーロビジョン優勝を目指すドタバタ音楽コメディになっている。

 近年のウィル・フェレルはジョン・C・ライリーとの“俺たち”シリーズもすっかりダレ気味で、『俺たちホームズ&ワトソン』に至ってはいい加減にしろよと言いたくなる作りだったが、今回は監督に15年ぶりの続編が控える傑作『ウエディング・クラッシャーズ』のデヴィッド・ドブキンを迎え、ここ数年で最も真っ当な作りになっている。幼い頃から周囲にバカにされ、伊達男の父(なんせ元007のピアース・ブロスナン。いつの間にこんな迫力あるシニアになったんだ!)には不肖の息子と疎まれてきたフェレルが、いつもの大人子供キャラで暴走しながら真実の愛に辿り着く。

 今や賞レースの常連である盟友アダム・マッケイが今回もエグゼクティブプロデューサーを務めており、リーマンショックネタからアメリカディスネタまで硬派なギャグを盛り込んでいるのも久々。それにしてもこんなド級のド田舎描写をされてアイスランドの人々が怒りそう…。

 この内容で2時間を超えるランニングタイムは長すぎるし、演技巧者のマクアダムスが歌声を吹き替えているのも残念だが、それらを圧倒するのがロシア代表役として登場するダン・スティーヴンス!アストラル界で培った(?)ダンスパフォーマンスは爆笑必至。せっかく『美女と野獣』でワールドワイドな名声を確立したのに、ご本人はどちらかというとキワモノ志向なご様子です。

 本作はNetflix配信限定映画。週末に自宅で楽しむには十分だろう。見終える頃には脳裏に歌声がこだますハズだ。ヤオヤオ、ディンドン!(ディンドン!)


『ユーロビジョン歌合戦 ファイア・サーガの伝説』20・米
監督 デヴィッド・ドブキン
出演 ウィル・フェレル、レイチェル・マクアダムス、ダン・スティーヴンス、ピアース・ブロスナン
※Netflixで独占配信※
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『ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命』

2020-04-11 | 映画レビュー(ゆ)

 『シンドラーのリスト』同様、ナチスの脅威に抗った市井の人々の物語だ。第2次大戦期のポーランドはワルシャワで300人余りのユダヤ人を動物園に匿った夫婦が描かれる。ナチスドイツの侵攻により爆撃を受けた園では多くの動物が死に、その広大な敷地は軍に徴用されてしまった。夫妻は園を養豚場に変える事でカモフラージュし、ゲットーから密かに連れ出したユダヤ人を匿っていく。

 監督は02年の『クジラの島の少女』で注目されたニュージーランドのニキ・カーロ。今年、ディズニー大作『ムーラン』の実写版が控えている女性監督だ。同時期に頭角を現した女流と言えば『モンスター』で03年のオスカー主演女優賞レースを競い合い、2017年に『ワンダーウーマン』で特大級のヒットを放ったパティ・ジェンキンス監督が思い浮かぶ。しかし、2人とも決して順風満帆と言えるキャリアではなかった。フィルモグラフィを見渡してもこの20年で数作品しか撮っておらず、いずれもが小規模プロダクションだ。カーロは歴史映画を牽引できる風格を持っており、ジェンキンス同様、その才能を伸ばさずにキャリアを潰してきたハリウッドの罪は重い。

 主演のジェシカ・チャステインはロシア系ポーランド人のアントニーナをアクセントを駆使して演じ、巧者ぶりを発揮。いつになくか細い声音で彼女の繊細さを表現している。彼女を篭絡しようとするナチス将校役にはダニエル・ブリュール。権力を笠に着たゲスなナチ野郎という役柄は『イングロリアス・バスターズ』と丸被りのタイプキャストで気の毒だが、これもドイツ出身演技派俳優の宿命だろうか。彼演じる動物学者ヘックは300年前に絶滅した牛オーロックスを復活させようとしており、第3帝国のトンデモ狂気には目がくらむ。アントニーナが牛の交配を手伝わされるシーンはほとんどレイプのように描かれており、カーロ演出の迫力にたじろいでしまった。

 ちなみに今回はNetflixのミニシリーズ『アンオーソドックス』の主演で一躍脚光を浴びたシラ・ハースが目当てで見た次第。アントニーナ夫婦がゲットーから救い出したユダヤ人少女の役で、出番は短いがハードな場面もこなして印象深い。特に静かな泣きの芝居はジェシカ・チャステインと拮抗するほどの鮮烈さであり、彼女の才能を垣間見る事ができる。本作での好演が母国イスラエル以外での知名度に繋がったのだろう。


『ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命』17・米
監督 ニキ・カーロ
出演 ジェシカ・チャステイン、ダニエル・ブリュール、ヨハン・ヘルデンベルグ、マイケル・マケルハットン、シラ・ハース
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