度重なる公開延期を経てついに公開された007最新作にして、ダニエル・クレイグのジェームズ・ボンド引退作は僕たちの期待に応えてくれるのか?答えはイエスであり、ノーでもある。日本では半年ぶりに緊急事態宣言が解除された初日の10月1日に公開され、映画館は活気あふれる満席状態となった。コロナショックにより大作映画の公開が見送られた中、多くの人が大スクリーンで見るブロックバスター映画を待ちわびていたのだ。007というブランドはそんな人々の映画に対する欲求を満たしてくれる、まさに娯楽映画の王道だ。
当初の監督ダニー・ボイルが離脱して以後、代打として登板したキャリー・ジョージ・フクナガ監督にとって彼のフィルモグラフィーを更新するような仕上がりではないものの、キャリアを破滅に導くような事態にはかろうじて陥っていない。前作『スペクター』から引き続き登場するマドレーヌのトラウマに始まり、アストンマーチンが大活躍を繰り広げるアバンタイトルからビリー・アイリッシュの主題歌まで一連のシークエンスは百点満点だ。近年、やや実験的な印象の強かったハンス・ジマー御大も楽しげにテーマ曲をかき鳴らしてくれる。
本作最大の問題はシリーズ最長163分というランニングタイムにナラティヴとしての必然性がない事だろう。聞けば脚本は総勢6名の手が入り、フクナガ監督の言葉によれば撮影が終わってもなお執筆が続く混乱ぶりだったという。『トゥルー・ディテクティブ』4話分の長尺はダニエル・クレイグとの別れが惜しいために用意されたのではなく、脚本不在でスタートしたばかりに語るべき道筋が見つからなかった故なのだ。ユーモアも不発気味で、クレイグの指名でリライトを担当したフィービー・ウォーラー・ブリッジのセンスはわずかに感じられるばかりであり、才能が活かされているとは言い難い。アクションはフクナガ印の長回しがあるが、これと言ってエキサイトできなかった。
もちろん、見るべきところはある。ボンドガール勢の中ではキューバの新人工作員パロマ役のアナ・デ・アルマスがまたしても好投。「今日が初日なんです」と初々しさを見せながら、酒も戦闘能力もボンドを上回る大活躍で、ご丁寧に「あたし、ここまでだからね」と退場する場面では誰もが「もうちょっといてよ!」と思ったハズだ。そして歴代随一の女嫌いでもあるダニエル・クレイグ版ボンドに年貢を納めさせたレア・セドゥはヨーロッパ女優の慣例の域を出なかった前作から一転、スクリーンに愛された映画女優の華で著しい躍進ぶりを見せている。
”ヘラクレス”と名付けられた毒物に冒され、土下座まで強いられるボンドを通して007シリーズのトキシックマスキュリニティを解体しようとする試みは成功しているとは言い難いものの、ダニエル・クレイグが追い求め続けたジェームズ・ボンドの人間性というテーマは1つの結末を見たように思う。クレイグはウォーラー・ブリッジによって女性キャラクターに主体性を与え、ジェームズ・ボンドのミソジニーを解体し、彼が愛する人のために殉じる結末に意義を与えたかったのではないだろうか。
ともかく。かつて“青い目のボンドなんてボンドじゃない”とまで叩かれたクレイグの青い瞳にかけるクライマックスはシリーズを史上最高の成功に導いた彼への敬意に満ちており、15年の歴史の終幕に僕も感無量となった。ジェームズ・ボンドよ、君の瞳は青かった!
『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』21・米、英
監督 キャリー・ジョージ・フクナガ
出演 ダニエル・クレイグ、レア・セドゥ、ラミ・マレック、ラシャーナ・リンチ、レイフ・ファインズ、ベン・ウィショー、ナオミ・ハリス、ロリー・キニア、ジェフリー・ライト、アナ・デ・アルマス、クリストフ・ヴァルツ、ビリー・マグヌッセン