※このレビューは物語の結末に触れています※
【ラヴクラフトカントリー】
"地下鉄道”とは南北戦争期の19世紀アメリカで、黒人奴隷を隣国カナダへと逃亡させた秘密組織のコードネームだ。奴隷たちを匿う各中継地点を「駅」、そこを担当する協力者を「車掌」と呼び、南部から北へと奴隷たちを逃し続けたという。この様子は自らも奴隷でありながら地下鉄道で逃亡後、車掌へと転身したハリエット・タブマンの伝記映画『ハリエット』でも詳しく描かれている。
だがコルソン・ホワイトヘッドの原作による『地下鉄道』では19世紀の巨大な洞穴に本物の蒸気機関車が走る。時代考証は正確ではない。南部ジョージアの奴隷農園を脱出し、地下鉄道に乗ったコーラは第2話でサウス・カロライナに辿り着く。そこは高層ビルが立ち並び(歴史上、ありえないはずのエレベーターがある)、黒人は平等の権利を与えられ、衣食住も保証された楽園のような街だ。しかしその裏では白人達による黒人への人体実験が行われていた。これは1932年から72年まで行われた"タスキギー梅毒実験”が基になっている。黒人を梅毒に感染させ、その経過を観察する臨床実験がアメリカ公衆衛生局の主導によって行われていたのだ。
一難を逃れたコーラは、第3話でノース・カロライナに到る。『ゼム』でも描かれたキリスト教原理主義コミュニティによる差別は黒人に留まらず、その協力者である白人達にも容赦なく向けられていた。車掌マーティンに匿われた屋根裏で、コーラは黒人少女ファニー・ブリッグスと出会う。コーラが来るずっと前から隠れていた彼女には7年もの間、屋根裏に隠れ続け、後に自由を得たハリエット・ジェイコブズの姿が投影されている。『地下鉄道』は先行するHBOドラマ『ラヴクラフトカントリー』同様、黒人差別の歴史を辿るべく細部までコンテクストが張り巡らされているのだ。
【グレートスピリッツ】
全10話の監督を務めるのは『ムーンライト』『ビール・ストリートの恋人たち』を手掛けたバリー・ジェンキンス。本作は彼の持ち味である美しい詩情はもちろん、歴史劇を演出する堂々たる風格に満ちており、とりわけジャンルを横断し、苛烈な熱気を帯びる第9話は先達スパイク・リーを思わせ、黒人映画の継承者として金字塔を打ち立てている(エンドロールで流れる『This is America』の衝撃よ!)。本作は彼の新境地であり、現代アメリカ映画で最も重要な監督の1人へ上り詰めたと言っていいだろう。
ジェンキンスの演出の下、素晴らしい俳優陣が集結した。主人公コーラ役の新人スソ・ムベドゥをはじめ黒人キャストは才能に満ちた無名の役者達が並び、名の通った白人キャストがゲストとして厚みを加えている。中でも第3話でコーラを匿ったばかりに破滅する車掌マーティン役のデイモン・ヘリマンは強烈だ。善良だが多くの人々同様、差別に抗うだけの勇気を振り絞ることができない彼には『クォーリー』同様、社会からはみ出したつまはじき者の哀れさがあり、絶品である。ヘリマンをはじめ、キャストを誰一人としてノミネートしなかったエミー賞には大概にしてもらいたい。
そしてもう1人、重要な役を務めるのがコーラを追う奴隷狩りリッジウェイを演じるジョエル・エドガートンだ。既に『ザ・ギフト』『ある少年の告白』で監督業にも進出している彼が、バリー・ジェンキンス監督のもとで非常にリスキーな役を引き受けているのは注目に値する。ドラマは全10話中2話も彼演じるリッジウェイを主人公に据えて時間を割いており、黒人映画が多様化する今日、白人側からの視点を設ける事に成功している。
商家の息子として生まれたリッジウェイはこの時代に生まれた白人男性の例に漏れず差別意識を募らせ、そんな息子を見て父(ピーター・ミュラン)は言った「あらゆるものに自分の姿を投影しろ。そうすればグレートスピリッツを見つけ出せる」。言葉通りの他者への共感と内省を促す言葉であり、先住民族による精霊信仰にも思えるスピリチュアルな説教だが、後のリッジウェイは言う。先住民族を殺し、土地と財産を収奪し、奴隷を所有して富を築くアメリカの成り立ち、アメリカンドリームこそが”グレートスピリッツ”だと。
【無意識への接続〜夢幻列車】
デヴィッド・リンチが夜のハイウェイを深層心理への道のりとしたように、バリー・ジェンキンスは地下鉄道を登場人物の無意識へと接続させる。たった20分の第7話『ファニー・ブリッグス』はジェンキンスの美意識が炸裂した夢幻的エピソードだ。第3話で生死の知れなかったファニー・ブリッグスは難を逃れており、誰に聞くでもなく崩落した"駅”へと辿り着く。停車する地下鉄道で女性車掌が言った「あなたを待っていた」。
「みんなの証が書いてある本を置いてきてしまった」
ファニー・ブリッグスが言うのは地下鉄道に乗った人々の署名だ。
「放っておきなさい。ただのインクと紙よ」
この夢幻は第8話に連なっていく。コーラが地下へ降りると、そこは多くの人が行き交うセントラルステーションで、彼女は既にこの世にいないシーザーと再会する。コーラは言う「ここは天国みたい」。
『地下鉄道』は現実に北部へと脱出し、この困難な道程を後世に伝えた人々の物語であるのと同時に、地下鉄道に乗ることの出来なかった多くの人々の物語でもある。コーラという主人公を得ながらドラマには生者と死者、どちらの視点も介在しているのだ。
そして僕たちは最終回第10話で、コーラを捨てて逃亡したと言われる母の姿を幻視する。ニコラス・ブリテルの瞑想的で美しいメロディに代わって南部の虫の音が寄せては返し、僕たちは過去へと誘われる。同じ奴隷仲間の女性を愛し、彼女の死に報いようと衝動的に農園を飛び出した母はふと我に返りコーラを想う。しかし、ふいに飛び出した毒蛇によって彼女は湿地の藻屑となってしまうのだ(第1話、逃亡するコーラとシーザーが一瞬、目にした腐乱死体は母だったのだ)。コーラはそんな事を知る由もない。共に生き延びた少女の手を引く彼女には見ることのなかった母性が仄かに宿り、旅は続く。この物語に終わりはない。
『地下鉄道〜自由への旅路〜』21・米
監督 バリー・ジェンキンス
出演 スソ・ムベドゥ、ジョエル・エドガートン、ウィリアム・ジャクソン・ハーパー、デイモン・ヘリマン、ピーター・ミュラン、アーロン・ピエール、リリー・レーヴ、ウィル・ポールター、チェイス・ディロン