またウォレス家が表向きは建設業を営んでいるという設定も、物件が不足し、住宅価格が高騰し続けるロンドンの実情を反映している。都心は金融業を中心とした富裕層に買い占められ、海外向けに売り出されてもいるという。虫けら同然に排除される“アイリッシュ・トラベラー”のキニーらは住宅難に喘ぐいわば格差社会の下層であり、ギャングどもは“投資家”と呼ばれる黒幕によって仁義ではなく市場原理のために争うのだ。そんな戦いに最後まで抵抗を続けるショーンが旧来的白人社会の断末魔にも見え、白人達が作ってきた“ギャングもの”に憧れる僕らはついつい肩入れしてしまうのだが、終幕には非常に現代的な結末が用意されていた。
MI5の情報分析官VSシリアルキラー。やれやれまたかと思うかもしれないが、『キリング・イヴ』は洗練された演出、脚本、巧みなキャスト陣によって超一級のサスペンス・スリラーになっている。手垢のついたジャンルもアレンジ次第でこんなに面白くなるなんて!
MI5の情報分析官イヴ・ポラストリは世界各地で起きている要人暗殺事件が1人の女殺し屋によるものと突き止める。ずば抜けた推理、捜査力を認められた彼女はMI6が主導する極秘特捜班に編入、女殺し屋の後を追う。
【ネオ・ウーマンリヴ以後のサスペンススリラー】
『キリング・イヴ』も『オーシャンズ8』や『オザークへようこそ』同様、これまで男性主導で作られてきた既存のジャンルを性別を変える事でリフレッシュした作品だ。しかも主人公イヴを演じるのは韓国系アメリカ人のサンドラ・オー。おそらく脚本にも企画書にも主人公がアジア系である言及はなかったハズだ。性別のみならず、人種のバイアスも突破した事で本作は見える景色が違っている。
もちろん、これはMe too以降のポリコレにおもねただけの窮屈な演出ではない。スパイ映画よろしく世界各国でロケーションが行われ、『ブレイキング・バッド』以後、多くのTVドラマが追随したように容赦なく死体の山が積み上げられる。ジャンルのお約束はしっかり踏襲され、娯楽性もタップリだ。
【才人フィービー・ウォーラー・ブリッジ】
そしてオーのファニーフェイスに代表されるように『キリング・イヴ』はとにかく笑えるのである。サスペンスと同量、時にそれ以上のユーモアが投入され、僕らは何度も笑った後に血しぶきを浴び、笑顔が引きつる。これは脚本も手がけたショーランナー、フィービー・ウォーラー・ブリッジの個性だろう。Amazon製作『フリーバッグ』やNetflixで配信中の『クラッシング』でも脚本、主演を務める彼女の作風は破廉恥なまでに開けっぴろげな大らかさだ。『キリング・イヴ』第5話ではこのシニカルで不謹慎なブラックユーモアが炸裂。恐怖と笑いの波状攻撃に悶絶してしまった。本作の成功を受け、ダニエル・クレイグ直々の指名で『007』最新作のリライトにも抜擢。要注目のクリエイターだ。
【殺し屋ヴィラネル登場】
賞レースでは何かとオーばかりが取り沙汰されたが実質、殺し屋ヴィラネルに扮したジョディ・カマーとのW主演である。
ヴィラネルは毎話、スタイリッシュな衣装に身を包み(コスプレ的な楽しさもある)、変幻自在。数ヶ国語を操り、あらゆる手段でターゲットを仕留める凄腕の殺し屋だ。相手の目から生気が失われる瞬間を見るのが大好きというサイコパスであり、獲物を捕らえた瞬間の薄ら笑いは見ているこちらの血の気が引くほど恐ろしい。
はじめこそ恐ろしい強敵として現れるが誰の支配も受けず、自身の快楽(殺し)のために暴れるアナーキーさは『ダークナイト』のジョーカーや『羊たちの沈黙』のレクター博士といった映画史に残るアンチヒーローに通じるものがある。彼女が殺せば殺すほど「いいぞ、もっと殺れ!」と思えてしまうのだ。近年稀に見る名悪役の誕生であり、今後多くのフォロアーを生むことになるだろう。
【それを愛と呼ぶ】
そして先達のジョーカーとバットマン、クラリスとレクターのようにイヴとヴィラネルの関係も奇妙な捻れを見せていく。最終回の脚本もウォーラー・ブリッジが担当。執着は愛憎へと変わり、憎悪と血と笑いが吹き出す。そこには想いを遂げられない者達の切なさもねっとりと同居する。人の心というのは何と不可思議なものか。複雑な余韻を残したまま、2人の対決はシーズン2へなだれ込む。
『キリング・イヴ』18・英、米
出演 サンドラ・オー、ジョディ・カマー、フィオナ・ショウ
『レディ・プレイヤー1』は80年代アイコンをふんだんにまぶした"ファミコン風”のゲーム世界が魅力的だったが(おまけにファミコンならではのクソゲー級難易度も再現していた)、こちらはPS登場以後の洋ゲー風。アバターはCGが人間へ近付き過ぎた"不気味の谷”をギリギリ歩いているような造形で感情移入しにくい。バトルシーンは第1話冒頭に少し出て来るが、ルールはほとんど描かれず、いったいどんなゲームで何がウケているのかよくわからない。
そうなると若者達がこのゲーム世界に没頭し、やがてカルト化していく展開はどうにも入り込めない。もちろん、自分の居場所を求める若者たちの彷徨がテーマなのはわかるが「何もそんなゲームの世界に…」と思ってしまうのは練達のオンラインプレーヤー達に弄ばれ、機嫌を損ねる僕が年を取り過ぎてしまったせいか。まさに“ゲームは続く”で終わる最終回にもウンザリだ。
収穫と言っていいのは主役レイラを演じるタルラ・ローズ・ハドンとの出会いか。ちょっとミア・ワシコウスカ似の色素の薄い美少女で、カーリーヘアを束ねた独特の髪型はまるで西洋絵画から抜け出てきたようなインパクトだ。意外や肉感的で芯が強く、本作は彼女の魅力で牽引していると言っていい。今後の注目株である。