エリザベス女王の治世を描いてきたNetflixの人気TVシリーズもいよいよシーズン4に突入。今回は記憶に新しい80年代が舞台だ。
イギリス経済の低迷と共にその存在意義を問われつつあった王室にとって、名実共に人気を支えたのがチャールズ皇太子妃のダイアナであった。今シーズンの目玉の1つはチャールズとダイアナの出会い、そして悪夢の結婚生活だ。王室にとって今なお火種とも言えるスキャンダラスな題材であり、ゴシップ的興味で前のめりになる視聴者は決して少なくはないだろう。
1979年、チャールズの叔父であるマウントバッテン卿(タイウィン・ラニスターことチャールズ・ダンス)がIRAによる爆破テロで暗殺される。両親に冷たくあしらわれ、孤独を抱えてきたチャールズにとって唯一、心を許せた卿の死は彼に深い失意をもたらす。そんな彼を救ったのが10歳年下のダイアナだった。王室の誰もが彼女の聡明さと美しさに魅了され、2人は程なくして結婚。世紀のロイヤルウェディングはイギリスのみならず、世界中を席巻する事になる。
細心の注意が必要であったダイアナ役に製作陣は新人のエマ・コリンを起用した。おそらく、どこからも文句の出ない完璧なキャスティングだろう。オフショットを見る限りではさほど似ていないのだが、一度あのダイアナカットで登場するや視線の送り方までそっくりである。本人よりもやや華奢で儚げな所も、同情的に描く今シーズンのコンセプトにぴったりだろう。やはり憑依したかのようにそっくりなチャールズ役ジョシュ・オコナーと並ぶと、当時を知る人は眩暈にも似た気分を覚えるのではないだろうか。
2人の結婚生活はすぐに暗礁に乗り上げる。チャールズは人妻カミラへの恋慕を捨てきれないばかりか、2人の不倫関係は半ば公然の秘密として継続し続けたのだ。ピーター・モーガンはチャールズの優柔不断さ、人格破綻をシーズン3から痛烈に批判し続け、今シーズンではダイアナの人気に隠れてしまったチャールズが逆恨みを募らせたとまで糾弾している。カミラ役のエメラルド・フェネル(『キリング・イヴ』シーズン2でショーランナーを務めた才媛)も実にふてぶてしい存在感で、本作を見てチャールズ&カミラ夫人に嫌悪感を募らせる人は少なくないだろう。
そう、シーズン4最大の欠点は予想されていた事とはいえ、ゴシップが先立つことだ。これまで同様、数々の資料をもとに作られていることは想像できるが、ピーター・モーガン脚本のダイナミズムは事実の中のただ1点の虚構にこそある。ほぼ密室の談義で構成されるチャールズとダイアナの確執は真偽のほどが定かではない。
シーズン5ではダイアナ役にエリザベス・デビッキの配役が発表されている。“愚かな選択をしてしまった美女”役が続く彼女によって、悲劇の死の原因を王室に求める論調はより強まっていくのではないだろうか。
【自助・共助・公助】
今シーズンの真の主役は王室ではない。第1話、1979年に発足する新政権の党首マーガレット・サッチャーだ。新自由主義を掲げ、構造改革を断行した彼女はその強権的手腕によって11年半にも及ぶ長期政権を運営した一方、多くの失業者を生み、イギリス政治における最大のヴィランと見なす向きも少なくない。
演じるジリアン・アンダーソンはかつてTVドラマ『X-ファイル』のスカリー捜査官役で一世を風靡。シリーズ終了後は母国イギリスへと戻り、舞台女優として研鑽を積んだ。近年は『セックス・エデュケーション』で主人公の母親であるセックスセラピストに扮し、そのユーモアと艶は円熟の味であった。
本作のサッチャー役は見た目の似せ方はもちろんだが、本人よりもぐっと老け込んだかのようにゆっくりと喋り、その慇懃無礼さが際立つ。かつて『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』で3度目のオスカーを制したメリル・ストリープを遥かに凌駕する怪演であり、賞レースを席巻する事になるだろう。
シーズン第5話を見てほしい。物語は王室から一転、ロンドン郊外の団地に住むマイケル・フェネガンなる人物を主人公にする。困窮した庶民を描く筆致はさながら80年代当時のケン・ローチ映画を彷彿とさせる。フェネガンは地元の代議士に陳情へ向かうが、議員はにべもなく、サッチャーを「上司」と宣った。
「いいや、オレたち有権者が上司だろ」
「君は私に投票したのか?」
「するもんか」
「じゃあ、違うね」
追い詰められたフェネガンは今度は女王に陳情すべく深夜、バッキンガム宮殿に忍び込む。この日の明け方、2人は警備が駆けつけるまでの数分間、語らったという。
フェネガンは言う。
「国なんて消えてなくなった。頼れると信じてものは全て首相が壊した。共同体やお互いに助け合う精神…」 「本当に俺たちを幸せにするのは働く権利、病気になる権利、弱くいる権利、人間でいる権利なのに」
失業者は300万人を超え、公助などあるワケもなく、共助も自助もとうに崩壊して男は自尊心を失っている。この当事者しか知り得ない会話こそピーター・モーガン脚本の真骨頂であり、30年以上もの前の光景は僕たちの生活と地続きになる。
しかしこの年、サッチャーはアルゼンチンとのフォークランド戦争に勝利、その地盤をより強固なものとした。
【Black Lives Matter】
第8話では遠隔的に『ザ・クラウン』流の“Black Lives Matter”となっているのがユニークだ。1986年、南アフリカの人種隔離政策「アパルトヘイト」を糾弾すべく、各国の間で経済制裁が論議されるが、サッチャーは“経済”を理由に唯一、それを見送った。この人権よりも経済が優る、という論理は本邦に暮らす僕たちにも見慣れた光景だ。
女王にとってアフリカは王位への決意を表明した所縁の地であり(回想シーンでクレア・フォイが再演)、女王はついに国政への干渉という一線を超える決意をする。だがサッチャーは全く理解の及ばない相手だった。呆気に取られたかのような顔を見せる女王役オリヴィア・コールマンもさすがの受けの芝居である。
ピーター・モーガンは2014年の舞台『ジ・オーディエンス』でエリザベス女王と歴代首相の謁見(audience)を描いており、これが『ザ・クラウン』の雛型となった。女王と同じ1925年に生まれ、商家で育ったサッチャーは“叩き上げ”を自負し、王室はじめ権威主義を忌み嫌い、なだめすかしと恫喝で権力を維持してきた。その姿は自ずとトランプはじめ、本邦の規範なき政治を彷彿とさせる。本作におけるサッチャーとの謁見はこれまでのシーズンにはなかった“対決”なのだ。
【鉄の女の涙】
1990年、11年間続いてきたサッチャー政権は内閣からの造反によってついに終わりを迎える。権力に固執する鉄の女の涙はおぞましく(アンダーソンは「おおぉ」と呻く)、彼女は首相特権である解散権をチラつかせて対抗する。だが、しばしば誤解されているが解散権を有しているのは首相ではなく、内閣だ。サッチャーは言う「リーダーですから。決断力と強さを見せなければ」。
だが女王は返した。
「自分の力だからって使うのが正しいとは限らない」。
そうしてピーター・モーガンはサッチャーを“英国史上初の女性首相”というただ1点のみで評価し、シーズンの幕を下ろすのである。
シーズン4は『ザ・クラウン』の重要なターニングポイントだ。エリザベス女王らシリーズ初期の王室メンバーはこれまでの“私(わたくし)と責務”といった葛藤を乗り越えて良くも悪くも老成した。シーズン3で名演を見せたマーガレット役ヘレナ・ボナム・カーター、フィリップ役トビアス・メンジーズ(ゲースロのエドミュア公!)のみならず、オスカー女優オリヴィア・コールマンの出番すらやや控えめで、語られるべき物語を終えたシリーズにはこれまで見せてきた華やテンションが乏しい。チャールズら子供世代もあまりに魅力に乏しく、感情移入の仕様がない。
一方でサッチャーを通じて規範なき現代政治を批評した所に今シーズンの大きな達成があった。シーズン5ではおそらく90年代、最終シーズン6では0年代が描かれることになるだろう。『ザ・クラウン』は英国王室を通した戦後近代史の再考察であり、“近代史なくして現代史なし”と現在〈いま〉を鋭く批評するのである。コロナショックによって世界が混迷を深める今、Netflix史上最高のTVシリーズがさらなる高みに到達することを期待したい。
『ザ・クラウン シーズン4』20・米、英
製作 ピーター・モーガン
出演 オリヴィア・コールマン、トビアス・メンジーズ、ヘレナ・ボナム・カーター、ジョシュ・オコナー、ジリアン・アンダーソン、チャールズ・ダンス、エマ・コリン、エメラルド・フェネル、エリン・ドハティ