長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『ザ・クラウン シーズン5』(寄稿しました)

2022-11-27 | 海外ドラマ(く)

 リアルサウンドにNetflixのTVシリーズ『ザ・クラウン』シーズン5のレビューを寄稿しました。女王自らが“アナス・ホリビリス=恐ろしい年”と語った1990年代を舞台とする今シーズンは観客の忍耐を必要とするシーズンなのか?ショーランナーであるピーター・モーガンの出世作『クィーン』から占うファイナルシーズン予想、また今年の重要作『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』や『キャシアン・アンドー』との関連についても触れています。御一読ください。


その他、記事中の各作品のレビューはこちらからどうぞ
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『クォーリー』

2021-03-05 | 海外ドラマ(く)

  この仕上がりで1シーズン打ち切りとは実に惜しい。テレビ黄金期“PeakTV”の現在、指摘されているのが年間300とも400とも言われている製作本数を批評家はおろか、視聴者も追い切れていないことだ。その結果、本作のようなスター不在の地味で、しかし骨太なハードボイルドの良作が見過ごされてしまうのである。ショーランナーのマイケル・D・フラーが本作の後、2020年のNetflix作品『ロック&キー』まで新作を撮れていないことからも、PeakTVが視聴者にとって供給過多とも言える豊作である一方、クリエイターには生き馬の目を抜くような時代であることがわかる。

 マックス・アラン・コリンズの小説『クォーリー』シリーズを原作にした本作は、ベトナム戦争に揺れる1972年が舞台だ。2度の兵役を終えた主人公マックが妻の待つメンフィス空港に降り立つところから物語は始まる。しかし彼を待っていたのは苛烈な反戦デモだった。マックにはベトナムでの大量虐殺への関与が疑われていたのだ。
 平穏なアメリカの生活に戻ろうとするも、マックは戦地で負ったPTSDに苦しめられ、虐殺の報道が再就職を妨げる。そんな折、彼の前に“ブローカー”と名乗る謎の男が現れる。彼はマックのスキルを見込み、多額の報酬で殺しの仕事を持ちかけてきた。ブローカーは言う「おまえは石切り場(=Quarry)のような男だ」。

 これまで『LOST』『Dr.ハウス』など数多くの人気作に参加し、『ゲーム・オブ・スローンズ』のスピンオフ『House of the Dragon』への参加も決まっている職人監督グレッグ・ヤイタネスが全8話を担当している。70年代アメリカ映画を彷彿とさせるオールドスタイルの演出が何とも心地良く、当時を思わせるくすんだ色調の映像、ドライなバイオレンス描写、ここぞという所で魅せる大胆な長回しアクションに身を乗り出してしまった。何より安易なクリフハンガーではなく、人間心理に注目したミニマルな演出で視聴者を引き付け、『ブレイキング・バッド』『ベター・コール・ソウル』のヴィンス・ギリガンに招聘されてもおかしくないレベルである。映画監督のTVドラマ進出により隆盛を極めたPeakTVだが、人気作家の影にはヤイタネスのような職人監督がおり、彼らあっての市場なのだ。

 主要キャストの顔触れも馴染みが薄く、まるで掘り出し物の昔の映画を見つけたような既視感があっていい。主人公マック役は『ボクらを見る目』の看守役で名演を披露していたローガン・マーシャル・グリーン。暴力にまみれた男の怒りと哀しみ、挫折を体現する彼の瞬発力はパワフルで、この性格俳優がいかに見過ごされてきたのかわかる。
 また彼の相棒役には『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』『マインドハンター』でチャールズ・マンソンを演じた“マンソン専門俳優”デイモン・ヘリマンが扮しており、ベトナム帰還兵の殺し屋で、マザコン(しかも母親役が『ハンドメイズ・テイル』のアン・ダウド)という強烈なキャラクターを怪演だ。その根底にはゲイゆえに社会から排除された姿があり、何ともやるせないのである。

 主人公たちのこの寄る辺のなさこそ、ベトナム戦争という過ちに苦しみ、内省化していったアメリカの空気である。人はひとたび罪を犯し、深い傷を負えばかつての自分には戻れなくなってしまう。そんな人生の過酷さと弱者への目線、そして男の弱さを描いた味わい深い1作だ。何度も言うようだが、打ち切られたのが実に惜しい。


『クォーリー』16・米
監督 グレッグ・ヤイタネス
出演 ローガン・マーシャル・グリーン、ジョディ・バルフォー、デイモン・ヘリマン、ピーター・ミュラン、ビル・アーウィン

 
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『グッド・プレイス』

2021-01-29 | 海外ドラマ(く)

 エレノアはふと目を覚ますと待合室のような場所にいた。蝶ネクタイのイケオジ(テッド・ダンソン)に名を呼ばれ、オフィスに入ると告げられる。「Good Placeへようこそ」え、死んだってこと??

 ところがエレノアにはGood Place=天国にいる理由がさっぱり思いつかない。彼女は考えうる限り、これまで(しょーもない)酷いことばかりをしてきた人生だからだ。程なくして、グッド・プレイスでは地面が割れ、シュリンプが宙を舞う怪事が続発する。Bad Place行きの魂がいることで世界のバランスが崩れ始めたのだ。エレノアは何とかグッド・プレイスに居続けるべく、哲学者チディの講義を受け、良い人間に変わろうとするのだが…。

 『グッド・プレイス』はこれまで何度も作られてきた“天国コメディ”だが、それらと一線を画すのは「善行とは何か?」という問いかけに始まる哲学的主題を散りばめていることだ。シーズン1第5話、天国AIのジャネットを破壊しようとするも、見た目が人間のジャネットを殺すことは殺人では?と、ほとんど『ウエストワールド』みたいな展開をギャグとしてやっている。物語が後半に向かうにつれ、運命と自由意志という近年のTVシリーズに共通する命題も現れ、1話30分弱の放映時間にギャグとリファレンスが盛り沢山だ。

 もう1つの魅力は主要キャスト6人のアンサンブルだ。エレノア役クリステン・ベルはありとあらゆるギャグを決めるキレッキレのコメディエンヌぶりを発揮しており、近年の代表作が『アナと雪の女王』のアナ役だけというのが実に勿体ない。

 そしてエレノアに講義する哲学ナードで、命取りになるほど優柔不断(&プリケツの持ち主)なチディ(ウィリアム・ジャクソン・ハーパー)は画期的キャラクターだ。マッチョでもセクシーでもなく、超文系の黒人登場人物が物語の最重要人物というのは近年、記憶にない。かのオバマ元大統領も毎年末に公開しているフェイバリットリストで本作を挙げている。
 人気コメディシリーズ『ブルックリン・ナイン-ナイン』のマイケル・シュアが製作を務めているため、ゲスト出演陣の顔触れがかぶっているのも楽しい。中でも『ブルックリン・ナイン-ナイン』で潜入捜査のトラウマでどうかしちゃった刑事を演じるジェイソン・マンツォーカスが、ここでもトンチキなキャラを怪演。場をさらっているぞ。

 グッド・プレイスにはインド超財閥の娘タハニや、手が付けられないほどドアホのジェイソンなど、一癖も二癖もある人ばかりが住んでおり、エレノアは自身の素性を隠しながら彼らに気配りをしなくてはならない。彼女同様、ズボラな性格の僕が「天国ってめんどくさいな…」と思った矢先、大ドンデン返しが起こる。『グッド・プレイス』は全4シーズン、ほとんど別物と言っても過言ではない展開が待ち受けており、たったこれだけのシチェーションでここまで遠くに来れるのかと驚かされた。ぜひとも事前情報ナシで見ることをオススメしたい。


『グッド・プレイス』16~20・米
製作 マイケル・シュア
出演 クリステン・ベル、ウィリアム・ジャクソン・ハーパー、ジャミーラ・ジャミル、マニー・ハシント、ダーシー・カーデン、テッド・ダンソン
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『ザ・クラウン シーズン4』

2020-12-06 | 海外ドラマ(く)

 エリザベス女王の治世を描いてきたNetflixの人気TVシリーズもいよいよシーズン4に突入。今回は記憶に新しい80年代が舞台だ。

 イギリス経済の低迷と共にその存在意義を問われつつあった王室にとって、名実共に人気を支えたのがチャールズ皇太子妃のダイアナであった。今シーズンの目玉の1つはチャールズとダイアナの出会い、そして悪夢の結婚生活だ。王室にとって今なお火種とも言えるスキャンダラスな題材であり、ゴシップ的興味で前のめりになる視聴者は決して少なくはないだろう。

 1979年、チャールズの叔父であるマウントバッテン卿(タイウィン・ラニスターことチャールズ・ダンス)がIRAによる爆破テロで暗殺される。両親に冷たくあしらわれ、孤独を抱えてきたチャールズにとって唯一、心を許せた卿の死は彼に深い失意をもたらす。そんな彼を救ったのが10歳年下のダイアナだった。王室の誰もが彼女の聡明さと美しさに魅了され、2人は程なくして結婚。世紀のロイヤルウェディングはイギリスのみならず、世界中を席巻する事になる。

 細心の注意が必要であったダイアナ役に製作陣は新人のエマ・コリンを起用した。おそらく、どこからも文句の出ない完璧なキャスティングだろう。オフショットを見る限りではさほど似ていないのだが、一度あのダイアナカットで登場するや視線の送り方までそっくりである。本人よりもやや華奢で儚げな所も、同情的に描く今シーズンのコンセプトにぴったりだろう。やはり憑依したかのようにそっくりなチャールズ役ジョシュ・オコナーと並ぶと、当時を知る人は眩暈にも似た気分を覚えるのではないだろうか。

 2人の結婚生活はすぐに暗礁に乗り上げる。チャールズは人妻カミラへの恋慕を捨てきれないばかりか、2人の不倫関係は半ば公然の秘密として継続し続けたのだ。ピーター・モーガンはチャールズの優柔不断さ、人格破綻をシーズン3から痛烈に批判し続け、今シーズンではダイアナの人気に隠れてしまったチャールズが逆恨みを募らせたとまで糾弾している。カミラ役のエメラルド・フェネル(『キリング・イヴ』シーズン2でショーランナーを務めた才媛)も実にふてぶてしい存在感で、本作を見てチャールズ&カミラ夫人に嫌悪感を募らせる人は少なくないだろう。

 そう、シーズン4最大の欠点は予想されていた事とはいえ、ゴシップが先立つことだ。これまで同様、数々の資料をもとに作られていることは想像できるが、ピーター・モーガン脚本のダイナミズムは事実の中のただ1点の虚構にこそある。ほぼ密室の談義で構成されるチャールズとダイアナの確執は真偽のほどが定かではない。

 シーズン5ではダイアナ役にエリザベス・デビッキの配役が発表されている。“愚かな選択をしてしまった美女”役が続く彼女によって、悲劇の死の原因を王室に求める論調はより強まっていくのではないだろうか。

【自助・共助・公助】
 今シーズンの真の主役は王室ではない。第1話、1979年に発足する新政権の党首マーガレット・サッチャーだ。新自由主義を掲げ、構造改革を断行した彼女はその強権的手腕によって11年半にも及ぶ長期政権を運営した一方、多くの失業者を生み、イギリス政治における最大のヴィランと見なす向きも少なくない。

 演じるジリアン・アンダーソンはかつてTVドラマ『X-ファイル』のスカリー捜査官役で一世を風靡。シリーズ終了後は母国イギリスへと戻り、舞台女優として研鑽を積んだ。近年は『セックス・エデュケーション』で主人公の母親であるセックスセラピストに扮し、そのユーモアと艶は円熟の味であった。
 本作のサッチャー役は見た目の似せ方はもちろんだが、本人よりもぐっと老け込んだかのようにゆっくりと喋り、その慇懃無礼さが際立つ。かつて『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』で3度目のオスカーを制したメリル・ストリープを遥かに凌駕する怪演であり、賞レースを席巻する事になるだろう。

 シーズン第5話を見てほしい。物語は王室から一転、ロンドン郊外の団地に住むマイケル・フェネガンなる人物を主人公にする。困窮した庶民を描く筆致はさながら80年代当時のケン・ローチ映画を彷彿とさせる。フェネガンは地元の代議士に陳情へ向かうが、議員はにべもなく、サッチャーを「上司」と宣った。

「いいや、オレたち有権者が上司だろ」
「君は私に投票したのか?」
「するもんか」
「じゃあ、違うね」

 追い詰められたフェネガンは今度は女王に陳情すべく深夜、バッキンガム宮殿に忍び込む。この日の明け方、2人は警備が駆けつけるまでの数分間、語らったという。

フェネガンは言う。
「国なんて消えてなくなった。頼れると信じてものは全て首相が壊した。共同体やお互いに助け合う精神…」 「本当に俺たちを幸せにするのは働く権利、病気になる権利、弱くいる権利、人間でいる権利なのに」

 失業者は300万人を超え、公助などあるワケもなく、共助も自助もとうに崩壊して男は自尊心を失っている。この当事者しか知り得ない会話こそピーター・モーガン脚本の真骨頂であり、30年以上もの前の光景は僕たちの生活と地続きになる。
 しかしこの年、サッチャーはアルゼンチンとのフォークランド戦争に勝利、その地盤をより強固なものとした。

【Black Lives Matter】
 第8話では遠隔的に『ザ・クラウン』流の“Black Lives Matter”となっているのがユニークだ。1986年、南アフリカの人種隔離政策「アパルトヘイト」を糾弾すべく、各国の間で経済制裁が論議されるが、サッチャーは“経済”を理由に唯一、それを見送った。この人権よりも経済が優る、という論理は本邦に暮らす僕たちにも見慣れた光景だ。

 女王にとってアフリカは王位への決意を表明した所縁の地であり(回想シーンでクレア・フォイが再演)、女王はついに国政への干渉という一線を超える決意をする。だがサッチャーは全く理解の及ばない相手だった。呆気に取られたかのような顔を見せる女王役オリヴィア・コールマンもさすがの受けの芝居である。

 ピーター・モーガンは2014年の舞台『ジ・オーディエンス』でエリザベス女王と歴代首相の謁見(audience)を描いており、これが『ザ・クラウン』の雛型となった。女王と同じ1925年に生まれ、商家で育ったサッチャーは“叩き上げ”を自負し、王室はじめ権威主義を忌み嫌い、なだめすかしと恫喝で権力を維持してきた。その姿は自ずとトランプはじめ、本邦の規範なき政治を彷彿とさせる。本作におけるサッチャーとの謁見はこれまでのシーズンにはなかった“対決”なのだ。

【鉄の女の涙】

 1990年、11年間続いてきたサッチャー政権は内閣からの造反によってついに終わりを迎える。権力に固執する鉄の女の涙はおぞましく(アンダーソンは「おおぉ」と呻く)、彼女は首相特権である解散権をチラつかせて対抗する。だが、しばしば誤解されているが解散権を有しているのは首相ではなく、内閣だ。サッチャーは言う「リーダーですから。決断力と強さを見せなければ」。

だが女王は返した。
「自分の力だからって使うのが正しいとは限らない」。

 そうしてピーター・モーガンはサッチャーを“英国史上初の女性首相”というただ1点のみで評価し、シーズンの幕を下ろすのである。

 シーズン4は『ザ・クラウン』の重要なターニングポイントだ。エリザベス女王らシリーズ初期の王室メンバーはこれまでの“私(わたくし)と責務”といった葛藤を乗り越えて良くも悪くも老成した。シーズン3で名演を見せたマーガレット役ヘレナ・ボナム・カーター、フィリップ役トビアス・メンジーズ(ゲースロのエドミュア公!)のみならず、オスカー女優オリヴィア・コールマンの出番すらやや控えめで、語られるべき物語を終えたシリーズにはこれまで見せてきた華やテンションが乏しい。チャールズら子供世代もあまりに魅力に乏しく、感情移入の仕様がない。

 一方でサッチャーを通じて規範なき現代政治を批評した所に今シーズンの大きな達成があった。シーズン5ではおそらく90年代、最終シーズン6では0年代が描かれることになるだろう。『ザ・クラウン』は英国王室を通した戦後近代史の再考察であり、“近代史なくして現代史なし”と現在〈いま〉を鋭く批評するのである。コロナショックによって世界が混迷を深める今、Netflix史上最高のTVシリーズがさらなる高みに到達することを期待したい。


『ザ・クラウン シーズン4』20・米、英
製作 ピーター・モーガン
出演 オリヴィア・コールマン、トビアス・メンジーズ、ヘレナ・ボナム・カーター、ジョシュ・オコナー、ジリアン・アンダーソン、チャールズ・ダンス、エマ・コリン、エメラルド・フェネル、エリン・ドハティ
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『クイーンズ・ギャンビット』

2020-11-24 | 海外ドラマ(く)

 新型コロナウィルスによってブロックバスター映画が途絶えた2020年。演出、脚本、撮影、演技が揃った『クイーンズ・ギャンビット』はハリウッドが見過ごしてきたナラティヴの力を謳う傑作だ。1950年代アメリカの孤児院から始まる本作は、交通事故で母を失ったベス・ハーモンがチェスの天才的才能を開花させていく。『ローガン』等で知られる名脚本家であり、傑作西部劇『ゴッドレス』を監督したスコット・フランクの下、音楽カルロス・リヴェラ、撮影スティーヴン・メイズラーらスタッフが再集結した。

【反逆者アニャ・テイラー=ジョイ】

 群像劇だった『ゴッドレス』が時にその語りの“遅さ”も魅力にしようとしていたのに対し、本作はアニャ・テイラー=ジョイという絶対的主演女優によって強い推進力を得ているのが特徴だ。野性的な異貌、細長い手足とアンバランスなふくよかさ、コケティッシュな容姿からは想像のつかないハスキーボイス…まさに映画女優になるべくして持ち得た華であり、スコット・フランクはアニャの美しさを余すところなく映すことに成功している。

 何より彼女の魅力はこれまでの映画で見せてきたパンキッシュさだろう。ブレイク作となったロバート・エガース監督作『ウィッチ』では17世紀キリスト教社会へ魔女になる事で反逆し、大ヒット作『スプリット』では虐待の被害者に扮して、社会からはみ出した32人格の怪物を抱きしめた。そんな彼女が『マッドマックス/怒りのデス・ロード』前日譚でシャーリーズ・セロンの持ち役フュリオサを演じることはある意味、必然とも言えるだろう(ジョージ・ミラー、老いてますますの慧眼)。

 本作のベス・ハーモンも男性社会であるチェス界に単身挑む反逆者だ。精神を病んだ母(天才数学者であったが事が伺える)は言った。「男達は教えたがる。あなたはあなたらしくいればいい」。ひと回り以上も歳の離れた男達を次々と打ち破り、男達は成す術なく道を開け、肩を貸していく事となる。

【チェスと男たち】

 全7話、チェスシーンにおけるスコット・フランクの手練手管が素晴らしい。静寂の中、駒を進める音だけが響き渡り、プレーヤーの知性と意志力を引き出すかのようにリヴェラのピアノスコアが聞こえてくる。本作におけるチェスは対決であり、対話であり、愛の交歓だ。ベスの幼少期(素晴らしい子役Isla Johnston)が描かれる第1話で彼女にチェスを教えるのは孤児院の老用務員である。洗練されたチェスの指し手の如くムダのないビル・キャンプの名演は、最終回でついに画面不在で涙を誘う。父を知る事のないベスにとって2人の静かなチェスは疑似親子関係の構築でもあったのだ。

 1つの駒で同時に2つの駒を取れる状況を指した第5話“フォーク”ではベスの前に対称的な2人の男が現れる。1人は少女時代の彼女に破れた地区チャンピオンのベルティック。ベスの苦難に現れ、指南役を買って出るが彼女に抱く尊敬と愛情の念は盤上でも実生活でも報われない。天才と凡人、持てる者と持たざる者の決定的差を描いた名エピソードであり、近年『悪魔はいつもそこに』などで印象を残すハリー・メリングの演技が涙を誘う。

 方や全米チャンピオン・ベニーとの戦いはカメラが長回しやスプリットを多用し、ノリのいい音楽も手伝ってほとんどミュージカル映画のような楽しさだ。演じるトーマス・サングスターは『ゴッドレス』にも出演した子役出身で、歳を重ねいい味が出てきた。ロックスターのような風貌のベニーとベスの丁々発止は天才同士の幸福なケミストリーだ(NYでの多面差しは1960年代という時代設定も相まってか一瞬、フリーセックスのような淫靡さも漂う)。

 最もベスの心を動かしたのは初恋の相手とも言えるタウンズだろう。彼との対局後、ベスに初潮が訪れる。再会した2人が盤を挟む第3話も実にセクシーだった。

【勝負師の執念】

 原作はポール・ニューマン主演の61年作『ハスラー』で知られるウォルター・テヴィスによる小説だ(日本未刊行)。
『ハスラー』ではニューマン演じる天才ビリヤード師のエディが、強敵マイアミ・ファッツと25時間以上に及ぶ激戦を繰り広げ、大敗を喫する。土壇場でアルコールに溺れたエディの弱さがファッツの精神力に屈したのだ。失意の底でエディは謎めいた女性サラと出会う。素性も明らかではなく、アルコールに溺れた彼女との共生関係はさらにエディを深みへと引きずり込んでいく。

 『クイーンズ・ギャンビット』のベスも勝負と自己破壊衝動に憑りつかれている。幾度となく彼女の前に立ちはだかるソ連チャンピオンのボルゴフは言う「彼女は孤児だ。我々と同じで、負ける選択肢がない」。幼少時代、孤児院で強要されてきた精神安定剤がベスに天才的ひらめきを与え、天井にチェス盤を幻視させた。勝利にかける執念は心身を蝕み、彼女を圧倒するボルゴフはさながら超えるべき内なる悪魔だ。

 『ハスラー』との大きな違いはエディの自己破壊衝動に男性特有のナルシズムが潜んでいたのに対し、ベスの勝利への執着は清々しいほどに純粋である事だろう。ベスにとってのサラとなるのは全国を共に行脚する養母だ。子供を身籠ることもできず、夫にも捨てられた彼女はアルコールに溺れる。第3話、初めて敗戦したベスと人生に敗北した養母との間に芽生える連帯を見逃してはならない。養母を演じるのは『ある女流作家の罪と罰』『幸せへのまわり道』を監督した才媛マリエル・ヘラーだ。  

【エンドゲーム】

 “クイーンズ・ギャンビット”はじめ、各話タイトルはチェスの定石を冠しており、最終回のタイトルはずばり「エンドゲーム(終盤)」。チェスにおける終盤とは王手を狙う将棋のそれとは意味が異なり、ポーン(歩)が敵陣に到達して任意の駒へと昇格する“プロモーション”を目指す。そして最強の駒クイーンへのプロモーションが“定石”なのだ。

 『クイーンズ・ギャンビット』はベスが自己破壊を乗り越え、女王になるまでのビルドゥングス・ロマンであり、アニャ・テイラー=ジョイのスターへのプロモーションである。映画だけ見ていては俳優のベストアクトを見逃す時代になって久しいが、コロナショックによってTVドラマがスターを生む風潮はさらに強まっていくだろう。アニャ・テイラー=ジョイ、揺るぎない代表作の誕生だ。


『クイーンズ・ギャンビット』20・米
監督 スコット・フランク
出演 アニャ・テイラー=ジョイ、マリヘル・ヘラー、ビル・キャンプ、トーマス・サングスター、ハリー・メリング、マルチン・ドロチンスキ
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