期待するなと言う方が無理だろう。監督は『ビッグ・リトル・ライズ』がエミー賞を席巻したジャン・マルク・ヴァレ、原作・脚本は『ゴーン・ガール』のギリアン・フリン、製作は『ゲット・アウト』のジェイソン・ブラムと気鋭クリエイターが集結した。連続少女殺人事件を追うミステリードラマだが当然、既存のジャンルに収まらない怖ろしい作品だ。
新聞記者のカミールは故郷で相次ぐ少女惨殺事件を取材すべく数年ぶりの帰郷を果たす。アメリカ南西部の田舎街、大人たちは未だ学生時代のヒエラルキーにあり、仕事もせずに酒を煽る。地元の伝承を基にした祭りは女性蔑視も甚だしい内容だ。カミールの実家は工場を営む地元の名士だが、母親は所謂"毒親”である。『トゥルー・ディテクティブ』や『ツイン・ピークス』を思わせる舞台設定だが、ドラマの主眼は殺人事件の解明にはない。
【人間心理の奥底へ】
カミールがこの地獄のような田舎を出たのはいくつか理由があった。愛する妹の突然の死、そして…。ドラマは殺人事件よりも彼女の心の闇に迫る。なぜ、うだるような蒸し暑さの南西部でいつも長袖を着ているのか。なぜ酒に溺れてしまったのか。弱さと心の渇きを晒したエイミー・アダムスは新境地だ。『アメリカン・ハッスル』『メッセージ』に続き、彼女の代表作となるだろう(少女時代を演じるのは『IT』の紅一点ソフィア・リリス。そっくり!)。
ヴァレは前作『ビッグ・リトル・ライズ』の手法をさらに発展させ、カミールの孤立を触感的に描出していく。瞬くようなフラッシュバックがトラウマをあぶり出し、耳を塞ぐipodが彼女を自閉させる。既存の楽曲で心情を表現し、ストーリーを語る手法はマーティン・スコセッシが『グッドフェローズ』で発明して以後、クエンティン・タランティーノはじめ多くの監督によって開発されてきたがヴァレのそれはより内省的だ。毎話オープニング曲を変えるほどの膨大な選曲は本作の見どころの1つである。
【「Great America Again」の虚飾】
2017年〜2018年は機能不全の親子関係を描いた作品が相次いだ。映画は『モリーズ・ゲーム』『ボストンストロング』『アイ、トーニャ』etc.、ドラマは『マニアック』『オザークへようこそ』…そして"トドメ”のように現れたのがアリ・アスター監督『ヘレディタリー』と本作だ。
両作に共通するのがアメリカ郊外に大きな家を持つ中産階級という背景と、無関心(無力)で権威を持たない父親、子供に呪詛の言葉を投げかける母親という理想からかけ離れた両親の肖像だ(さらに言えば「妹」「ドールハウス」というキーワードも一致している)。
しばしばアメリカは”理想の家族像”を標榜してきたが、それに疑問を呈してきたのもまたアメリカ映画であり、『普通の人々』『アメリカン・ビューティー』『エデンより彼方に』等が時代の折に触れて度々、再考を成してきた。「アメリカを再び偉大な国にする」と嘯く大統領が現れた今、先達に続いて本作や『ヘレディタリー』は家族の絆が逃れ得ない呪いではないのかと疑問を投げかける。2010年代のアメリカにおける家族像を描いた意味でも今年を代表するドラマとして記憶されるべきだろう。最終回はエンドロールまでお見逃しなく。"厭ミス”に相応しいゾッとする結末が待ち受けているぞ。
『シャープ・オブジェクツ』18・米
監督 ジャン・マルク・ヴァレ
出演 エイミー・アダムス、パトリシア・クラークソン、クリス・メッシーナ、マット・クレイヴン、エリザベス・パーキンス、エリザベス・スカンレン、ソフィア・リリス
パク・チャヌクが初めて手掛けたTVシリーズ『リトル・ドラマー・ガール』は、どうにも借り物感の強い仕上がりだった。原作はジョン・ル・カレ。売れない舞台女優がモサドにリクルートされ、テロリストの愛人として潜入する…所々にチャヌクらしい美意識が見受けられたものの、トレードマークとも言える偏執性はほとんどなく、雇われ仕事に見えてしまった(ブレイク前のフローレンス・ピューが主演を務めている意味では一見の価値はあるのだが)。
聞けばチャヌク自身は“スパイもの”というジャンルが大好きで、最近のインタビューでも好んで見ているのがAppleTV+の『窓際のスパイ』だという。落ちこぼれスパイチームのサスペンスコメディとチャヌクの親和性は不明だが、なるほど、彼がこのジャンルを好む理由はよくわかる。『復讐者に憐れみを』から始まる“復讐3部作”、『お嬢さん』『別れる決心』、それに『リトル・ドラマー・ガール』も含め彼の作品では常に主人公が二律背反に引き裂かれる。復讐とモラル、本心と嘘、欲望と理性…他者を欺き、内なる葛藤を抱え続けるスパイものは最もチャヌクらしい題材でもあるのだ。
HBOとA24がタッグを組み、パク・チャヌクがヴィエトタンウェンの原作小説を翻案した『シンパサイザー』は、ようやく彼の作家性がTVシリーズに結実した傑作である。“大尉”と呼ばれる主人公(素晴らしいホア・シュアンデ)の回想によって進む本作の舞台は1975年。サイゴン陥落によってベトナム戦争は共産主義陣営の支援する北側の勝利に終わる。大尉は北ベトナムに生まれながら南ベトナムの特殊警察に従事する潜入スパイであり、さらにはCIAと内通して共産主義打倒の尖兵となった二重スパイでもあるのだ。初めにこの設定を理解できなければ、前半3話を終える辺りまでろくろくついていけなくなるが、めくるめくパク・チャヌク演出に身を任せるだけでも構わない。キャリア史上最大のバジェットを手にしたチャヌクの手腕は流麗そのもの。なおかつ第1話で見せたサイゴン陥落のスペクタクルはこれまでにない大作演出であり、巨匠の貫禄である。第4話では『シュガー』が好評を博したばかりのフェルナンド・メイレレスが登板、チャヌク組常連チョ・ヨンウクのスコアを介して合流していることも見逃せない。また終盤3話のマーク・ミュンデンがチャヌクのケレンを見事にフォローする好投ぶりで、シリーズ全体の均整を生んでいることにも刮目させられた。
チャヌクに触発されたのは監督陣だけではない。本作のエグゼクティブプロデューサーを務めるロバート・ダウニー・Jrは、おそらく『オッペンハイマー』でのオスカーに続き本作でエミー賞を獲得するだろう。なんと主要な白人キャストを全て1人で演じているのだ。CIAスパイ、大学教授、政治家、映画化監督、そして…チャヌクの演出意図に強く触発されたか、まさに性格俳優の面目躍如。大尉を囲んでダウニーJrが4人も揃い踏みする場面はいささか賑やかし感はあるものの、父シニアを彷彿とさせる破天荒監督に専念した第4話はベストアクトの1つと言っていいだろう。アジア人蔑視の邪悪な白人を果たしてどれほど自覚的に演じていたのか、興味は尽きない。
チャヌク自身もまたヴィエトタンウェンの原作小説に強くインスパイアされたのだろう。友情と使命、国家と理念の狭間で苦悩する大尉の姿は西洋列強によって蹂躙された近代アジア史そのものであり、チャヌクは南北に引き裂かれたベトナムの歴史に強いシンパシーを抱いたのではないか。名状し難い余韻を残す終幕は、そんな時代の荒波に引き裂かれ、彷徨う者たちへ捧げられた鎮魂なのである。
『シンパサイザー』24・米
監督 パク・チャヌク、マーク・ミュンデン、フェルナンド・メイレレス
出演 ホア・シュアンデ、ロバート・ダウニー・Jr、サンドラ・オー
サミュエル・L・ジャクソン、ベン・メンデルソーンら常連組に加え、オリヴィア・コールマン、キングスレー・ベン・アディル、そして我らがカリーシことエミリア・クラークがMCUに合流。監督は傑作現代西部劇『すべてが変わった日』のトーマス・ベズーチャという顔ぶれに、MCUに愛想を尽かしていた筆者は一縷の望みを抱いた。だが蓋を開けてみればベズーチャは撮影開始前早々に降板(危険な企画を避ける才覚あってこその寡作なのだろう)。度重なる再撮影に製作費はなんと2億ドルを超え、『シークレット・インベージョン』はこの類の例外になく大失敗に終わった。
『キャプテン・マーベル』で初登場したスクラル人。自在に姿を変える“シェイプシフター”である彼らは住むべき星を失い、現在に至るまで地球に残り続けてきたことが明かされる。新天地を約束したニック・フューリーのもと秘密工作に従事してきた彼らだが、人類に使役し続ける指導者タロスに若手グラヴィクが造反。世界各国の首脳にすり替わり、第3次世界大戦を引き起こそうとテロを起こし始める。
トカゲのようなスクラル人のデザイン(90年代を舞台にした『キャプテン・マーベル』でこそ成立したチープさ)に懐かしや往年のTVシリーズ『V』が頭をよぎり、『Mr.ROBOT』のショーランナー、カイル・ブラッドストリートの脚本は何やら公民権運動、パレスチナ問題、ウクライナ紛争、イラン・コントラ事件などをモチーフにしているようにも見えるが、登場人物が神妙な面持ちで話すばかりの本作はほとんど何も描いていないと言っても過言ではなく、監督アリ・セリムもそんなブラッドストリートの脚本を只々撮るばかりだ。アクションシーンは何とも締まりがなく、豪華俳優陣はその才能を少しも発揮していない。エミリア・クラーク演じるガイアのチート設定はMCUがカリーシを迎える三顧の礼として当然ではあるものの、現代サスペンスと相性が悪いことを改めて証明してしまっている。『あの夜、マイアミで』でマルコムXを、次作『Bob Marley: One Love』ではボブ・マーリーに扮する気鋭の演技派キングスレー・ベン・アディルには最終回でとんでもない演出が施され、ほとんど目も当てられない有様だ。こんな仕上がりで11月公開『マーベルズ』を期待して待てと言われても土台無理がある。何より不誠実なのは映画版から出演し続けているレギュラーへのあまりにもお粗末な退場方法で、いや、むしろ早々にMCUと手を切る方が彼らのキャリアにとっては良かったのかもしれない。
『シークレット・インベージョン』23・米
出演 サミュエル・L・ジャクソン、エミリア・クラーク、キングスレー・ベン・アディル、ベン・メンデルソーン、オリヴィア・コールマン、コビー・スマルダーズ
※ディズニープラスで配信中※
『シークレット・インベージョン』の惨憺たる仕上がりに「あぁ、MCUは今、底の底にいるんだなぁ」と思ったが、よくよく考えてみれば忘却の彼方にあった1年前の本作で既にMCUはドン底だったし、潔いファンはとっくに見切りをつけて「注目作だけ掻い摘んで見ればいいか」というフェーズに移行していたハズ。そんな“アメコミ映画疲れ”は万国共通の様子で、今年の全米サマーシーズンでは良作『ザ・フラッシュ』が巻き添えを食って撃沈というのはもう涙も出ない。
ブルース・バナーの従姉妹ジェニファー・ウォルターズがひょんなことからブルースの血液を浴びたことで、ハルク化。ブルースは「怒りをコントロールするんだ」とマンスプレイニングするが、いやいやそもそも女はいつも怒ってるし、怒りをコントロールしているの!とジェニファーはハルク化したまま弁護士事務所へ出社する。出だしこそユーモアが効いているが、30分コメディシリーズとしての出来の悪さを“ヌルい、軽めの作品”と開き直った『シー・ハルク:ザ・アトーニー』は巧者タチアナ・マスラニーを不出来なCGで緑まみれにし、「スーパーヒーローの名前がヴィランに商標登録されて訴えられる」なんていくらでも面白くなりそうなエピソードを少しも発展させられていない。『キャプテン・マーベル』公開時にレビュー爆弾を落としたミソジニスト集団をボコボコにしてハイ終わり!で十分良かったハズだが、原作を踏襲して第4の壁を突破する終幕には目眩すら覚えた。本作の配信と時を同じくして発覚したVFXアーティストに対する過重労働問題をパロディにしたかのような悪ふざけが繰り広げられ、批評性の欠片もないユーモアに筆者はテレビに向かって「バカじゃね?」と声が出てしまった。これを傑作揃いの2022年に「PeakTVだからな」と自ら開き直る虚しさといったら…。原作ファンからは「ダメな時のマーベルコミックの感じが出ていいる」という(肯定的?)声もあるが、タチアナ・マスラニーはこんな作品に引っ張り出されて不憫としかいいようがない。
『シー・ハルク:ザ・アトーニー』22・米
監督 カット・コイロ、アヌ・バリア
出演 タチアナ・マスラニー、ティム・ロス、ベネディクト・ウォン、ジャメーラ・ジャミル、マーク・ラファロ
※ディズニープラスで独占配信中※