長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『ラビング 愛という名前のふたり』

2024-11-07 | 映画レビュー(ら)

 1958年、バージニア州に暮らすリチャード・ラビングは長年の恋人ミルドレッドから妊娠を告げられ、結婚を申し込む。しかし、当時の州法では白人と黒人による異人種間の結婚は禁止されていた。2人はワシントンで式を挙げた後、極秘裏にバージニア州での新婚生活を始める…。

 ジェフ・ニコルズが2016年に手掛けた『ラビング』は、BLMやMe tooに代表される2010年代後半アイデンティティポリティクスの時代を先駆け、気鋭の先見性を証明している。だがニコルズの声はずっとひそやかだ。ただ愛し合う者と連れ添いたいと願うラビング夫妻の慎ましやかな人間性を捉え、彼らの目線を通じて時の公民権運動に併合されていく時代の転換点を描き出している。不器用ながら実直なリチャードに扮したジョエル・エドガートンは好調続きのフィルモグラフィでもとりわけ目を引く好演。時代に翻弄され、やがて大地に根を下ろすかのような逞しさを獲得するミルドレッド役ルース・ネッガはアカデミー主演女優賞にノミネートされた。

 然るべき語りの速度、偏見と実直が混在するアメリカのランドスケープ、抑制された名演を揃える『ラビング』は名匠の仕事とも言うべき堂々たる仕上がりである。しかし、ニコルズの才能がさらなる結実を見るのは『ザ・バイクライダーズ』まで7年を待つことになる。


『ラビング 愛という名前のふたり』16・英、米
監督 ジェフ・ニコルズ
出演 ジョエル・エドガートン、ルース・ネッガ、マートン・ソーカス、ニック・クロール
 
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『落下の解剖学』

2024-02-23 | 映画レビュー(ら)
※このレビューは物語の結末に触れています
 人里離れた山荘で起きた夫の転落死。容疑者は作家でもある妻。唯一の目撃者は視覚に障害を持つ11歳の息子。果たして事件の真相は?2023年のカンヌ映画祭で最高賞パルムドールに輝き、アカデミー賞では作品賞はじめ主要5部門にノミネートされているジュスティーヌ・トリエ監督の『落下の解剖学』は、シンプルな筋立てから始まる正統派ミステリーだ。トリエの揺るぎなく厳格なまでの筆致は往年の名匠を思わせ、まさにフランス映画の真髄とも言うべき仕上がりである。妻による殺人か、はたまた事故かと探る152分間の法廷劇は、やがて外界からは見えない夫婦の力学を解き明かしていく。ブラッドリー・クーパーの『マエストロ』同様、夫婦関係における“暗黙の了解”を解剖したスリラーとも受け取れるが、それはトリエと偉大なるドイツ女優ザンドラ・ヒュラーが織りなす本作の皮下細胞にも達していない。

 多くの優れたミステリー同様、本作もまた冒頭部にヒントが散りばめられている。映画は主人公サンドラ(演じるヒュラーと同名である)がインタビューを受けている場面から始まる。彼女は父親との確執や息子の事故など、実体験を元にした小説で注目を浴びた気鋭の小説家なのだ。サンドラは「作家は実体験から書くべき?」との問いに「実体験は面白い物語を生む」と答える。インタビューは続く「物語を作る前に実際の経験が必要だと?どこが事実で架空の境目か読者は知りたくなる。そう思わせたいの?」。この問いにサンドラが答える姿は映画には映らない。

 『落下の解剖学』を注意深く切り開いていくと、実にいくつものパーツが存在しないことに気付かされるはずだ。巻頭のインタビューを50セントの“PIMP”を大音量で流すことで妨害する夫は、生きている姿で映画に登場する事はない。裁判のハイライトである音声記録から浮かび上がるのは、断片化された事実を元に私たちが想像した産物であり、そして子役ミロ・マシャド・グラネールが素晴らしいモノローグで再現する在りし日の父の姿もまた、サンドラの“証言”という物語から派生した残像である。現代を舞台にした法廷ミステリーでありながらソーシャルメディアが完全に排除された作劇は無論、脚本を手掛けたトリエと夫アルチュール・アラリによる意図的なものだろう。せいぜい140字あまりという切り取られた情報を、現代に生きる私たちはあたかも事実として内在化してきた。冒頭のインタビューの答えは、映画のずっと後で引用されている。「私はわざと曖昧に書く。フィクションが現実を破壊できるように」。

 近年、あらゆる創作行為、創作物に政治的な正しさが求められてきたが、時に創作とは内なる何かを傷つけ、殺した先に生まれ得るものであり、全ての創作は人種、性別、国籍など様々な属性に起因し、そして曖昧でもある。トリエとヒュラーは徹底したコントロールによって主人公を善人にも悪人にも見せず、しかし時折、サンドラは作家としてのエゴイスティックな自負をのぞかせ、どこか自分の創り上げた虚構に浸っているようにも見える。彼女を弁護する旧友ヴァンサンに扮したスワン・アルローの知的なハンサムぶりが違和感となるのも、意図的な配役によるものだろう。

 サンドラは言う「もっと見返りがあると思っていた」。果たして彼女は夫を殺したのか?わからない。だが同じく小説家を目指していた夫が生活に追われ、創作的完遂力でサンドラに叶わなかったことからも、彼は“破壊”されてしまったのかもしれない。母の言う物語を信じた息子も、自分を置いて父が自ら命を断ったのだと思い込み続けることだろう。物語る者であるサンドラはそんな咎を背負い続けるのだ。


『落下の解剖学』23・仏
監督 ジュスティーヌ・トリエ
出演 ザンドラ・ヒュラー、スワン・アルロー、ミロ・マシャド・グラネール
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『ラスト・リペア・ショップ』

2024-01-31 | 映画レビュー(ら)
 今年のアカデミー賞でドキュメンタリー賞候補のリストに目をやると、批評家賞で善戦した有力作が軒並み落選していることに驚く。そんな大番狂わせの中、短編ドキュメンタリー賞にノミネートされた『ラスト・リペア・ショップ』は受賞の最有力かもしれない。舞台はハリウッドのお膝元LA。小中高学校から送られてきた楽器を無償修理する職人たちが主人公だ。人には歴史がある。音楽や楽器との出会いを紐解けば、ある者は性的マイノリティであり、ある者は移民だ。ランニングタイム40分の本作は自ずとアメリカの成り立ち、かつてあった寛大さを浮かび上がらせる。一心不乱に楽器と向き合う子どもたちと織りなす合奏に、ブラスバンド出身の僕は胸熱くならずにはいられなかった。


『ラスト・リペア・ショップ』23・米
監督 ベン・プラウドフット、クリス・パワーズ
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『ライ・レーン』

2024-01-29 | 映画レビュー(ら)

 フレッシュでキュートな映画を求めているならイギリスからやってきた82分の小品『ライ・レーン』がうってつけだ。互いに失恋を経験したばかりの若者ヤズとドレがひょんなことからめぐり逢い、やがて恋におちていく。レイン・アレン・ミラー監督はお決まりのプロットに細部までコーディネートされた極彩色のプロダクションデザインを配し、出会いと恋の高揚を描き出す。古くは『アメリ』や劇中でも言及されるウェス・アンダーソン映画を想わせる箱庭感だが、ロンドンでもジャマイカ系が多く暮らすコミュニティのロケーションが主人公のみならず、本作の重要なアイデンティティである(劇中、同地域を描いた『スモール・アックス』の監督スティーヴ・マックイーンの名前も挙がる)。何より本作のオリジナリティを高めているのが、まるでヨルゴス・ランティモス映画のような奇妙なアングルのカメラだ(撮影監督はオラン・コラーディ)。

 英国インデペンデント映画賞では16部門にノミネート。英国アカデミー賞でも2部門で候補に挙がった。覚えておくべき新星の登場である。


『ライ・レーン』23・米
監督 レイン・アレン・ミラー
出演 ビビアン・オパラ、デビッド・ジョンソン
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『ラ・メゾン 小説家と娼婦』

2024-01-02 | 映画レビュー(ら)
 2年にも渡りベルリンの高級娼館で娼婦として潜入取材したエマ・ベッケルの小説“La Maison”は、フランスで賛否両論を巻き起こし、ベストセラーになったそうだが、アニッサ・ボンヌフォン監督はその魅力を掬い上げているとは言い難い。

 主人公エマは2冊の小説を上梓したものの、未だ駆け出しの作家。妹を頼ってベルリンを訪れた彼女は、興味本位で娼館での潜入取材を始める。当初は人間の欲望をテーマに構想していたが、それぞれに事情を抱え、自身の肉体の自由を行使する娼婦たちの姿にやがてエマは心打たれていく。映画としても2010年代後半からのアイデンティティポリティクスにおいても目新しさはなく、こんなことを2年もかけなければ理解できないヒロインの小説家としての不見識に目眩がする(エマの成長と気付き、娼婦仲間たちの素顔に焦点が当てられるべきと思うが、そもそも原作にもその視座はないのかもしれない)。

 娼婦という言葉の扇情性と、エロチックなフランス映画が未だ神通力を持ち、本国とタイムラグなく輸入される本邦の市場に閉口するばかりである。


『ラ・メゾン 小説家と娼婦』22・仏、ベルギー
監督 アニッサ・ボンヌフォン
出演 アナ・ジラルド、オーレ・アッティカ、ロッシ・デ・パルマ
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