マルタ日記

感謝な出来事。聖書からのみことば。
思いのまま吹く風と共にきらきら輝くキリストの花嫁の日々

聖神中央教会

2005-04-07 | 日々の出来事
くらくらした。
教会、牧師といってるし。何よりも子供たちの被害が悲しい。彼女たちは肉体的にも精神的にも霊的にも、実際に性的暴力が行われた時と親が訴えた時、そして逮捕されても否定しており、教団の牧師たちがその問題の牧師を擁護していることで、3度も4度も傷ついているのだ。
新興宗教かとも思うが、普通の教会でも、どんな宗教でも団体でも、どこでもそのような人が現れるならば起こりうることだ。
実際、私が以前にいた教会は、私たちの次の牧師がカルト化した。

新興宗教など初めからカルトである場合があるが、そのカルト度を測るチェックリストが次のとおり。

それぞれの項目で(1)は比較的軽い症状、(2)は中間、(3)はカルト色が強いということになる。

1.権威主義の面
(1)強権的になっている。
(2)多くの規則を作って。信者を束縛している。
(3)牧師批判は神への反逆とみなされる。
   カルトにおける「従順の論理」は簡単です。「教祖は神の代弁者だから、教祖に逆らうことは、神に従うことだ。また、教祖に逆らうなら、それは神に逆らうことになる。」ということ。その結果人間崇拝になり、「牧師に従う者は救われるが、不従順な者はのろわれる」とか、「反抗の霊につかれている」とか言われるのだ。

2.排他性の面
(1)他の教会との交わりがゆるされない。
(2)情報コントロールが行われている(秘密の部分がある)。
(3)教会を去った者に汚名を着せる。
   教会に来なくなった者を「サタン」と呼んだり「地獄に落ちる」「悪霊に支配される」という脅しをかける。ものみの塔でもあることだ。
 
3.教育の面
(1)自分の考えを正当化するような説教になっている。
(2)律法主義的傾向が強い。
(3)福音に付属品がついている。
  聖書のみでなく、「個人的な預言」「新しい啓示」「霊的体験」が強調され、さらにそれらが聖書より重んじられる。

以上、「教会がカルト化するとき」ウイリアム・ウッド著から。

 *(注意)*今回の牧師はまさしく全て3つの面において(3)の問題がある。これは間違いなく初めからカルトか、カルト化した教会だ。


教会に関わる者として、今回のことは悲しい。でも終わりの時代にはにせ教師、にせ牧師が現れると聖書にはある。
惑わされることなく、真実を見分ける目を養うことが大切だ。

実際、知り合いの娘さんが何年か前、京都のその教会の礼拝に出席したことがあって、でも説教が呪いや裁きのメッセージばかりでおかしいと1回で行くのをやめたらしい。その時、クリスチャンの情報誌でその教会について調べたが、何ものっていなかったので、キリスト教とはみとめられていないと認識したと言う話が今日入ってきた。

本当は宗教のカルト認定制度なんて確立すればいいのにと思ったこともある。
でも、そうすれば、その認定制度そのものの権威がひとりあるきするのだろう。
なかなかうまくいかない問題だ。
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おそれいりました

2005-04-07 | 日々の出来事
今年の私の目標は「ていねいに生きる」
で、今年は家事ごよみなるものを買って、
家事もがんばろうとはりきっていた。

4月になって、4月の家事のすべきこととして、
「歯ブラシを新しいものに変えましょう」とあった。

さっそく歯ブラシを買ってきて、子供たちを呼び集めて、偉そうに、
「新しい歯ブラシに変えないとダメよ。」
私ったら、なんて気のつくお母さんなの*(酔払い)*なんて自己陶酔しながら。

子供たちは新しい歯ブラシを手に、ぐずぐずしている。
そして、子供たちが言った。
「僕たち歯ブラシ変えたばっかりだけど」

うちの子供たちは、私がしなくても、ちゃんと自分たちで変えていたのだった~*(青ざめ)*

うれしいやら、がっくしくるやら。
お母さんとしては複雑なのだ。

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