11年前の今日、次男くんは生まれてくれた。
長男を産んでから、4年の間待ち望んでいた二人目の子供。
長男くんはそれまでは一人っ子で、溺愛していた私。
その頃、もし長男が死んでしまったら私は気がおかしくなってしまうだろうと自分で思っていたほど自覚症状のある溺愛ぶりだった。だって、二人目がなかなか与えられなかったから。夫もいない日々(仕事で)が多かったし。
祈って祈って祈って、その後に与えられた二人目が欲しいという気持ちからの開放。
開放された後に、二人目が与えられた。
すべてが必要な日々だった。
与えられても、与えられなくても、
「主は与え、主は取られる」
与えられている今をいつも感謝して生きよう。主がとられるときまで。
長男を産んでから、4年の間待ち望んでいた二人目の子供。
長男くんはそれまでは一人っ子で、溺愛していた私。
その頃、もし長男が死んでしまったら私は気がおかしくなってしまうだろうと自分で思っていたほど自覚症状のある溺愛ぶりだった。だって、二人目がなかなか与えられなかったから。夫もいない日々(仕事で)が多かったし。
祈って祈って祈って、その後に与えられた二人目が欲しいという気持ちからの開放。
開放された後に、二人目が与えられた。
すべてが必要な日々だった。
与えられても、与えられなくても、
「主は与え、主は取られる」
与えられている今をいつも感謝して生きよう。主がとられるときまで。