「全地よ。主を恐れよ。世界に住む者よ。みな、主の前におののけ。」詩篇33:8
スポルジョンの崇拝に関する言葉があまりにも美しいので記します。
崇拝は、神の臨在を求めておらず、むしろ、言葉に言い表せないほど神の臨在を意識しており、それゆえ、あたかもその波に聖なる御足が触れたのを感じた時のガリラヤ湖のように、畏敬と平安に満ちているのです。崇拝は、賛美の高さと深さ、長さと広さが極限まで充実したものです。
私は、崇拝とは星空のようなものだと思います。星空は、そのきらめきで、つねに神の栄光を物語っていながら、しかも「話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない」(詩篇19:3)からです。それは、たましいの雄弁なる沈黙であり、満ちたりすぎて、ことばで言いあらわせないほどなのです。満ちたりすぎてことばも要らないほどの完全さです。へりくだって、ちりの中にひれ伏しつつも、高尚な思いをいだいて高く舞いのぼることです。自らの虚しさに沈みつつも、神の十全さに満たされるほどに大きくされることです。いかなる目論みも持たず無心でありながら、あらゆる可能性が潜在していることです。神にあって我を失うこと、これが崇拝です。
私たちは、この神聖な務めのために、もっと多くの時間を聖別すべきです。恵みの御霊がひんぱんに私達を忘我の境地に連れて行き、神とその卓越した栄光のみを意識するようになるまで、もろもろの小さな思い煩いをすべて超越させてくださるように、私達が、もし日々祈るようになるなら、それは私達の最高の豊かさになるのです。
・・・ふぅ、長くてすみません。
でも、美しい描写がたまらなく好きです。
本当は、もっと回りくどく,いえ、いろいろ素敵な事を言っているのですが、あまりにも長くなるので割愛。
崇拝。
先日のアグローでのworhipは、本当にその境地に達する主の恵み臨在の中に入れられました。感謝。
そして、今日は「驚き仰ぎ見る」 この賛美で主を崇拝。
<驚き仰ぎ見る> I Stand in Awe of You
言葉にあらわせない おもいをこえた
主の麗しさにくらべるものはない
知恵と愛は深く はかることはできず
言葉にあらわせない 王の麗しさ
主のみ前に立ち 驚き仰ぎ見る
聖なる主 あなたを 仰ぎ見ます
(by Mark Altrogge 訳詞 Paul Bostrom)