Festina Lente

ゆっくり急いでまいります

PLフィルターを手に入れてみました

2009年04月23日 | Blog徒然草
例のPLフィルター早速試すことにしました。

桃のじゅうたんを撮るつもりで「ぶどうの丘」までやってきたのですが、既に「桃のじゅうたん」は、終わっていました・・・。残念。



そこで 一首、

見渡せば 桃もさくらもなかりけり ぶどうの丘の 春の夕暮れ(本歌とり?)

西陽で、完全に逆光。露出の補正をしたらよかったですが、そこまで思いが行き届きませんでした。フィルターを使っただけでは、こんな感じです。



これは、フィルターを使わなかった写真です。ほとんど白飛びしてます。これは悪い例です。



これも空が白飛びしてますね。フィルターを使いませんでした。



ハナミズキも背景が白飛びしています。フィルターを使うべきでした。

でも、フィルターの効果は限定的ですね。もっと露出の設定とかを工夫しないとこれよりずっと日差しの強いスペインではとてもじゃないですが全部白飛びしてしまいそうです。






コメント (6)
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雑感

2009年04月21日 | Blog徒然草
カレー事件で死刑確定ですか。
僕はテレビでしか見たことないので、本当にあの人がやったのかは全くわからない。
確かに、あの人が真犯人だったら、このような凶悪事件の真犯人を厳罰に処するのは当然です。
でも、裁判員になって、あのような事件に出会ったら僕はきっと思考停止になってしまうと思います。状況証拠しかない事件で死刑判決をだすのは勇気が要りますね。もしかしたら間違ってるかも知れないのですから。冤罪だったら誰が責任とるんでしょうか?実は真犯人は今ごろほくそ笑んでいるかも知れません。また山形の母親による幼児殺害事件が死刑でなくて今回のが死刑というのも何となく僕には違和感があります。
結論だけを見ると「ワニの裁判」とか、「盟神探湯」とかと大して変わらない印象を受けました。

本来人が人を裁くというのはとても罪深いことなのにそうしないと共同体の秩序維持が昔からできないんですね。ただ、真犯人を罰するという精度が昔に比べて幾分上がっているに過ぎないということでしょう。無辜の罪で生け贄になった人々の魂を悼ますにはおれません。キリストは神になりましたが同様に名もなく無実の罪で処刑された人々は神にも英雄にもなれずに忘却の地平線に消し去られていってしまうのです。今日はこのようなことを思い、人間は本当に悲しい存在だなあとしみじみ感じました。
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グラナダ国際音楽舞踏祭

2009年04月19日 | スペイン旅行
昨日からチケット売り出しでした。

人気の催し物は、即日SOLD OUT!!!

リンクはこちらです。

うちらは、7月1日のコンサートと7月2日のバレエのチケットをとりました(どちらも夜10時半開演!!!)

このために日程を組んだのですから、存分に楽しんでこようと思います。
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ある飲み屋に行く…

2009年04月18日 | Blog徒然草
たいした常連でもないのですが、ある店に前回行った折、ある飲み物をその材料が足りないため作ってもらえなかったんです。また今度来た時に作ってくれると約束した(と僕は思った)のに、そしてその材料もたいして高くないのに、今回行った時(それも前もって行くと言ってあったのに)に、そんな約束をしたこと自体忘れてるんですね。だからもちろん詫びの一言もなかったです。
こんなところから客は離れて行くんだろうなあと思います。たとえその店がどんなに素晴らしくてもです。あ゛~、なんかオヤジのボヤキになってるなあ…。
コメント (2)
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子曰く、「巧言令色鮮し仁」と。

2009年04月18日 | Blog徒然草
「巧言令色」の意味が難しいですね。これは、単なる「おべんちゃら」だけでなくて、もっともらしい正論なんかも入るんですね。だから、「正義」を大上段から振りかざす「物言い」もこれに入るんでしょう。明らかに「善人面」や「いい子ちゃんぶる」のも入ってます。
「鮮し仁」の「仁」というのは、「人情味」、「人としての温かみ」のことを言うんですね。

孔子様は、別のところで、こんな話もしています。「わが国では盗みを働いた父親をその息子がおかみに訴え、自分を代りに罰して欲しいと申し出る」と言って、ある国の王が自分の統治下で、「正義」が行われていること、「自己犠牲」の「仁」が行き届いているを誇って言うのに対し、「それは、全く自分の国とは違う。そこには、二つの欠点がある。一つは、自分の国では、真っ先に息子は、父親をかばうのが人の情というものである。二つ目は、自己犠牲を申し出ることには、幾ばくかの功名心がある。」と言うのです。

「巧言令色鮮し仁」というのは、だから人を思う素朴な感情が大切だといっているように僕には思えました。
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