小包を開ける手が震えていた。
一刻も早く開きたい。
そんな時って、指先にも、手全体にも、力が入ってしまう。
「落ち着いて、落ち着いて!」
言い聞かせながら、鼻で息をすること、2・3回。
中から取り出したケースに触った。
「おぉ~、滑らか!」
手に伝わる感触に、思わず目を閉じた。
静かになでてみる。
それから、おもむろに目を開ける。
パッケージのデザインを見る。
「素敵だ。さすが龍村さんのセンスだ!」
それは、先週の金曜日、4月21日のことだった。
龍村仁監督の「ガイア・シンフォニー」のDVD―BOXが届いた日。
初回生産限定のスペシャル・パッケージ版だ。
ガイア・シンフォニーの第一番から第五番に、映像特典として「龍村仁地球交響曲への想い」と「地球交響曲第六番・予告編」が収められている全六枚のDVDが二組に分かれている。さらにシノプシスブック(出演者たちのことばの要約)がついている。
海・地球、そして漆黒の宇宙へと続く見慣れたデザインのボックスなのに、手触りの質感や印刷の肌理の濃やかさが、リーフレットなどで見る色や映像とはまったく違った新鮮な感動を喚起することに驚かされた。
龍村監督がこのガイア・シンフォニーを創造していく時間の長さを支えるイマジネーションの豊かさと、映像へのこだわり。
なんといってもメッセージを、丁寧に慈しんでつくってあるボックスの装丁を見つめながら、しっかりと伝わってくる「ガイアへの想い」を味わっていた。
すると脳のスクリーンには、これまで目にしたシーンが万華鏡を覗くように映し出される。
すると突然のように、ある情景が浮かんだ。
第二番を渋谷の映画館で見終わって、野口先生と一緒にスペイン坂を下りながら、こみ上げてきた喜びや思い出が甦る。
実は、野口先生は第三番をご覧になることはなかった。
第三番が完成した晩秋には、体調を崩されていた。
それは後から思えば、先生が死へと向かわれる坂に差し掛かった時だった。
だから殊更に、先生と一緒に見ることができた「地球交響曲・第二番」から受けた心が張り裂けんばかりの高揚が懐かしい。
喜びや感動は、そのことを語り合うことのできる人と共にあるとき、何十倍も何百倍も膨れ上がってくれるものだと思う。
共に生きるということは、そういうことなのだ。
いみじくも地球交響曲・第三番は、星野道夫の死と野口三千三の死が重なってくる映画だ。
「人は何処から来て、何処に行くのか」
この問いは、そのときから私にとって、大きな問いとなっていった。
今日も、ボックスを、なでたり眺めたりして、しばらく午後の時間を過しながら、龍村仁さんと野口先生のはじめての出会いの日を思い出していた。
ほんとうに美しいものに出遭った。
ほんとうに美しいイマジネーションに出遭った。
きっと、こうした思い出といっしょに、この宝物は地球から齎されたのに違いない。
一刻も早く開きたい。
そんな時って、指先にも、手全体にも、力が入ってしまう。
「落ち着いて、落ち着いて!」
言い聞かせながら、鼻で息をすること、2・3回。
中から取り出したケースに触った。
「おぉ~、滑らか!」
手に伝わる感触に、思わず目を閉じた。
静かになでてみる。
それから、おもむろに目を開ける。
パッケージのデザインを見る。
「素敵だ。さすが龍村さんのセンスだ!」
それは、先週の金曜日、4月21日のことだった。
龍村仁監督の「ガイア・シンフォニー」のDVD―BOXが届いた日。
初回生産限定のスペシャル・パッケージ版だ。
ガイア・シンフォニーの第一番から第五番に、映像特典として「龍村仁地球交響曲への想い」と「地球交響曲第六番・予告編」が収められている全六枚のDVDが二組に分かれている。さらにシノプシスブック(出演者たちのことばの要約)がついている。
海・地球、そして漆黒の宇宙へと続く見慣れたデザインのボックスなのに、手触りの質感や印刷の肌理の濃やかさが、リーフレットなどで見る色や映像とはまったく違った新鮮な感動を喚起することに驚かされた。
龍村監督がこのガイア・シンフォニーを創造していく時間の長さを支えるイマジネーションの豊かさと、映像へのこだわり。
なんといってもメッセージを、丁寧に慈しんでつくってあるボックスの装丁を見つめながら、しっかりと伝わってくる「ガイアへの想い」を味わっていた。
すると脳のスクリーンには、これまで目にしたシーンが万華鏡を覗くように映し出される。
すると突然のように、ある情景が浮かんだ。
第二番を渋谷の映画館で見終わって、野口先生と一緒にスペイン坂を下りながら、こみ上げてきた喜びや思い出が甦る。
実は、野口先生は第三番をご覧になることはなかった。
第三番が完成した晩秋には、体調を崩されていた。
それは後から思えば、先生が死へと向かわれる坂に差し掛かった時だった。
だから殊更に、先生と一緒に見ることができた「地球交響曲・第二番」から受けた心が張り裂けんばかりの高揚が懐かしい。
喜びや感動は、そのことを語り合うことのできる人と共にあるとき、何十倍も何百倍も膨れ上がってくれるものだと思う。
共に生きるということは、そういうことなのだ。
いみじくも地球交響曲・第三番は、星野道夫の死と野口三千三の死が重なってくる映画だ。
「人は何処から来て、何処に行くのか」
この問いは、そのときから私にとって、大きな問いとなっていった。
今日も、ボックスを、なでたり眺めたりして、しばらく午後の時間を過しながら、龍村仁さんと野口先生のはじめての出会いの日を思い出していた。
ほんとうに美しいものに出遭った。
ほんとうに美しいイマジネーションに出遭った。
きっと、こうした思い出といっしょに、この宝物は地球から齎されたのに違いない。