羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

魔の時間帯

2008年06月11日 08時39分20秒 | Weblog
 6月10日、NHK・GTV夜7時30分からの「現代ジャーナル」(名称はかなり前から変わったかもしれません)で、スピリチュアルブームに警鐘をならす報道をしていた。

 ミネラルの世界でも‘ヒーリング’と称して、水晶やラピスラズリーほか、さまざまな石が‘癒し’‘魔除’‘幸運’の霊力があるとして、ずいぶん前から売られるようになった。
 そうした石は、ピカピカに磨かれているものが多く、鉱物や化石や隕石等々の石好きには、そのピカピカさに辟易させられる。あの磨き方は不審そのものなのだ。

 石の面白さは母岩と本体の混ざり合い具合が美しさをかもし出すのであって、そのものだけを磨き上げるのは、宝飾品としての石は別として、マヤカシ心が透けて見えるだけでなく、まずは品がないのである。(好きな方はごめんなさい)
 地球の石の華々は傷があり多少の不純物が混ざり合っているもので、完璧に純粋などというものはありえない。

 かれこれ二十数年前、野口三千三先生に導かれて「石の世界」に迷い込んで、よかったことを一つだけ挙げれば、それまでの価値観が壊され、もっと本物の価値を知ったことだった。ダイヤモンドもルビーもサファイヤもアレキサンドリアも(美石は少ない。希少価値があるから高価なのだ)、美しさの中の一つではあるかもしれないが、それだけが‘絶対的価値’ではないということだった。

 話がずれたが、ヒーリンググッズで癒されるくらいなら、問題は少ないに違いない。
 極言すれば、簡単に人は癒されないはずだ。モノだけでなくある種の儀式を伴った癒し空間で行われるカウンセラーとて、同様ではないのだろうか。

 昨日も5限の授業を終えて体育館を出ると、校内放送が聞こえてきた。
 正確な表現をここに書きとることはできないが、内容は概ねこうだ。
「悪質な商法やカルトが、言葉巧みに学生の皆さんに寄ってきます。そういった甘い言葉に乗せられないように気をつけましょう。住所や携帯番号などの個人情報をやたらに教えないように……」云々。

 先々週ごろからこの放送が流れている。
 丁度、多くの学生が大学を離れる時間帯、学生も教師も心の鍵がちょっとだけはずれかかる夕方6時前後から繰り返されている。
 大学は外部から人が入りやすい。一日の授業がほとんど終わって、学生で溢れている校内に入り込むのはたやすい。外部の人間だけでなくその大学に籍をおく学生の中にもいる可能性も捨てきれない。

 孤独感を抱えている人間は、老いも若きも変わらないはずだ。
 そこに忍び寄る魔の時間帯があるようだ。
 そこからの時間をどこでどのように誰と過ごすのか、難しい!
コメント
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