羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

世間話

2008年06月13日 18時41分10秒 | Weblog
 年寄りと共に暮らすということは、認知症や寝たきり、そのほかの病を抱えていなくても、ある種の我慢が求められる。
 我が家でも耳が遠くなっている母のテレビの音量が大きすぎて、閉口している。
 これから夏になると開け放しになることが多く、階下からテレビの音が聞こえてくる頻度が増すことになる。

 あとは長い時間に渡ってひとりにしておくと、一時的に判断力が鈍くなって、「生きていてもしようがない」と言い出すのである。
 しばらくおしゃべりをしたり、食事を共にしたり、時には相談事を持ちかけると、俄然、元気になって的確な予言をのたまうのである。それが滅法当たるから怖い。下手な易者もびっくりではないだろうか。
 下世話な世間話なども意識を覚醒させるよい道のようだ。
 そんな時間を過ごした後の食事では、驚くほど食がすすむようだ。

 前々回のブログにも書いたが、孤独が人を誤らせる一つのきっかけかもしれない。とにもかくにも屈託なく世間話ができる相手に出会うことは老若男女、誰にとってもいちばんの良薬なのかもしれない、と老いた母と接していると思うことしばしばである。
 しかし、そんなありふれた常識的な営みが難しい時代になってしまった。
 このブログを書きながら、やはりあの人、この人、と、どうしているのかと気にかかる人が数名いる。
 そうだ、手紙でも書いてみよう。
 そんなことを思うのも、時に「孤独感」と「寂寥感」を感じることが私自身あるからかもしれない。そんなとき、何となく声をかけてくださる人が、今のところいてくれるありがたさを噛み締める昨今である。
コメント
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