刀 金房兵衛尉政次


刀 南都住藤原朝臣金房兵衛尉政次天正九年十一月日
二尺七寸強、反り九分強、これに対して身幅は一寸一分。寸法に比較して身幅が狭いようだが、この寸法に合わせて身幅を広くしたのでは、容易には扱えない。だから適度な身幅に仕立てたのだろう、この刀は重いもののバランスが良い。大鋒もこの工の特徴。地鉄は板目肌。刃文は複雑に、小模様に乱れた互の目小丁子。逆がかるところがあり、足と葉が入り乱れている。帽子は掃き掛けを伴い小丸返り。刃境には金線、細かな沸筋が入る。手許にある刀剣書をパラリと捲ったところ、金房鍛冶について「同田貫と同様に下作鍛冶」とあった。ひどい言いようだ。不当な評価だ。そんなことあるものか。金房派は室町時に隆盛したことから、手掻派の流れと考えてよいだろう、優れた刀槍を遺している。このような書き方をする研究者は、実は刀剣を好きではないのだと思う。



刀 南都住藤原朝臣金房兵衛尉政次天正九年十一月日
二尺七寸強、反り九分強、これに対して身幅は一寸一分。寸法に比較して身幅が狭いようだが、この寸法に合わせて身幅を広くしたのでは、容易には扱えない。だから適度な身幅に仕立てたのだろう、この刀は重いもののバランスが良い。大鋒もこの工の特徴。地鉄は板目肌。刃文は複雑に、小模様に乱れた互の目小丁子。逆がかるところがあり、足と葉が入り乱れている。帽子は掃き掛けを伴い小丸返り。刃境には金線、細かな沸筋が入る。手許にある刀剣書をパラリと捲ったところ、金房鍛冶について「同田貫と同様に下作鍛冶」とあった。ひどい言いようだ。不当な評価だ。そんなことあるものか。金房派は室町時に隆盛したことから、手掻派の流れと考えてよいだろう、優れた刀槍を遺している。このような書き方をする研究者は、実は刀剣を好きではないのだと思う。


