のぶまさのヒザシマツヤマ(申松山)備忘録

日差しあふれるわが街、東松山を
日を串刺ししてる字「申」をあて
申松山でヒザシマツヤマと褒めたたえています

中島みゆきの時代

2009年06月02日 05時43分06秒 | 中国生活
あいかわらず、鶏よりはやい目覚め。
日本なら5時台だが、その時差が抜けず今は4時台。
出勤の7時までなんと、あさ3時間の時を
すごさなければなりません。

だいたい、この時間にブログの更新をして
5時台に、食事とシャワー、
6時台に、着替えとゲームで
時間をつぶしています。

4時台といえば、思い出すのが
ちょうど大学受験を控えた高校3年の時、
いつも受験勉強といっては、
親に夜食(カップヌードル)とコーヒーセットを
用意してもらって、深夜放送を聴いていました。
そのころ、よく聴いていたのが

谷村新司の セイヤング

です。ちょうど、アリスが売れ始めたころ(まだ爆発はしていない)の
チンペイこそ谷村新司さんと
チンペイ曰く

昔大阪一ギターのうまかった バンバン

こそ、ばんばひろぶみさんの二人で
12時台から3時まで放送していました。
その番組が3時に終わると文化放送では
深夜のトラック運転手向けの演歌中心の音楽番組を
5時位まで放送していました。

勉強もしていないのに、
その番組を通して聴いて赤い目をして
学校の友達に

今日は徹夜した

と、言っていました。
そのときにちょうど4時になったころに流れるのが

中島みゆきの 時代

でした。
歌詞の

めぐる、めぐるよ、時代はめぐる

の部分を

めぐる、めぐる、4時台はめぐる

というように聞かせていたのだと思います。
そのころは、中島みゆきさんをよく知らなかったので

4時のテーマソング

と思っていましたが、あとから
放送作家の意図てきな採用とわかり、

うまい!!

と感激したのを覚えています。
いまは、谷村さんも、中島さんも大御所の領域に入られて
彼らと同時代をすごしてきた自分がなつかしいです。








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