村上春樹氏ノーベル賞ならず…
昨夜のテレビやネットから今日の朝刊まで、
このニュースが大きく取り上げられていた。
日本時間の昨日の午後8時に発表されるはずだった。
ノーベル文学賞有力候補の村上春樹さんが栄誉に輝くかどうか…
僕もそれが気になっていたので、ずっとNHKテレビをかけていた。
午後8時、番組中にピポピポ~ンと速報音が入り画面上に字が…
「村上春樹さん、ノーベル文学賞受賞!」…と。
…そんな期待も、8時を過ぎると、とたんにしぼんでしまった。
速報が出なかったということは、受賞を逃したということだろう。
9時前のNHKニュースでそれを確認し、9時からのニュースで、
「今年こそと願っていたのに残念です」という沢山のファンの声を聞いた。
まぁ、負け惜しみではないが、まだまだチャンスはいくらでもあるし、
ノーベル賞を受けようと受けまいと、作品の価値が変わるわけでもない。
村上春樹氏も、性格的に、こういう名誉を欲する人ではない。
だから、それでどうということはないのであるが、
世間があまりに騒ぐものだから、村上さんも、
「やれやれ…」 という心境であろう。
村上さんの「1Q84」も、とても味わい深い小説である。
「青豆」という変わった苗字の女性と、
「天吾」という小説家をめざす男性が、
交互に登場しながら話が展開するのだが、
その小説の中で、こんな言葉が出てくる。
「精神の鋭利さが心地よい環境から生まれることはない」
主人公の天吾が、ある人物を評してこう表現するのだが、
村上さん自身、今回ノーベル賞など受賞してしまったら、
万が一…ひょっとして…心ならずも 「心地よく」 なって、
精神の鋭利さに翳りが出たら、ファンも困るだろうしね。
受賞を見送られて、むしろよかったのかも知れない。
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さて、ここからは蛇足ですが…
ご承知のとおり、日本人で初めてノーベル賞を受賞したのは、
1949年(昭和24年)の湯川秀樹氏で、物理学賞だった。
僕が生まれた年だったので、何となく縁を感じていた。
学生の頃、湯川秀樹の「旅人・ある物理学者の回想」という本を読み、
それまでイメージしていた堅苦しい学者先生という思いが取り払われ、
ちょっと内向的でもあり、魅力に富んだその人柄に一気に惹かれた。
そんなこともあって…
大学4年の時、就職活動のため提出した履歴書の
「尊敬する人物」 の欄のところに、「湯川秀樹と桂米朝」
…と書いたら、担当の教授が、
「キミの好みはいったい何やねん」と首をひねりながら笑った。
(僕は当時全盛期の落語家・桂米朝も大好きだったので…)
でも、湯川秀樹を尊敬する気持ちには偽りはなかった。
その後結婚して出来た長男に、ヒデキと名づけた。
それが、まあ、今のモミィのパパですけど。
ちなみに、次男はナオキと名づけた。
ヒデキ…そしてナオキ。
もし次に3人目の男児が生まれていたとしたら…
たぶん 「ハルキ」 という名前をつけていたと思いますね。