漫才師で女優の京唄子さんが89歳で亡くなられた。唄子さんは京都市の上京区西陣の出身だった。実は僕も同じく京都市の上京区西陣で生まれ、幼稚園までそこで暮らしていた。だから唄子さんはどこか身近な人、というイメージがあった。
その唄子さんと、過去一度だけ舞台の楽屋で一緒になったことがある。といっても、僕が漫才師だったわけじゃないですが(そりゃそうでしょ)。
僕が大学1年生の時だから、唄子さんは、計算してみると、その当時は40歳くらいで「唄子・啓助」の漫才コンビの全盛時代だったと思う。
その時、僕は「邦楽研究会」というクラブに入っていた。そこで尺八を習って、演奏会などに出ていたのである。
当時の演奏会の光景。右に立っているのが僕です。
で、その時も、大学が主催した文化祭のような催しだったと記憶している。僕たち「邦楽研究会」メンバーもそこに出演するため、出番を待っていた。その催しに、ゲストとして招かれていたのが、当時人気絶頂だった「唄子・啓助」だったのだ。お2人が出るのは、僕たちの演奏のひとつ前だった。そして…
舞台の袖で僕たちがスタンバイしている時、唄子さんが啓助さんとともに案内されてすぐそばにやって来た。薄暗い場所で、ベンチに腰掛けた2人を間近で見て「あ、これがテレビに出ている唄子・啓助や」と、僕も嬉しかった。
ところが、
いつも楽しい漫才を聞かせてくれるので、普段もさぞ面白いのだろう、と思っていたのだが、見ると2人とも苦虫を嚙みつぶしたような顔をして、ムッツリ黙り込んだまま、一言も物を言わない。唄子さんも啓助さんも、まったく会話もなく、不機嫌そのものの表情をして座っているのだ。これには意外だった。「唄子さ~ん」と声の一つもかけようと思っていた僕も、さすがにこの雰囲気では近寄り難かった。結局、スタンバイ中はずっと2人とも、ムツっとして黙り込んだままだった。
そしていよいよ2人の出番になった。舞台では司会者が、
「今日は、唄子・啓助さんをお招きしております」
と紹介を始め、「ではお2人、どうぞ~~」
すると、
それまでコワ~い顔をして黙って座っていた2人が、椅子から立ち上がるやいなや、急に満面に笑みをたたえ、駆け足で舞台に出て行ったのである。
「皆さん、ようこそ。唄子・啓助です~。ポテチン!」
などと、顔がクシャクシャになるほど顔をほころばせ、漫才を始めたのである。
舞台の横から2人を見ながら、人ってこれほど極端に変われるものなのか? と、不思議な思いがした。あれほど怖い顔をして座っていた2人が、舞台から声がかかると急に笑顔に変貌する。うむ。これがプロというものなのか。
と、京唄子さんと、わずかの間だけれど舞台の袖で一緒にいたこと、そして怖い顔から一瞬で笑顔に変わった時の様子を、今回の訃報を聞いて、改めて思い出した次第である。
ところで、
この「邦楽研究会」のクラブは、このあと自転車で北海道への旅に出たりしたこともあって長続きせず、途中で辞めました。だから尺八はもう、それ以来、吹いていません。
ホラは今でも、毎日吹いてますけど(何ですか、それ?)。
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