今回の旅行では、好きなアルコールを口にしないことに決めていた。そしてそれは、ほぼ忠実に実行できた。唯一の例外はダウンタウンのレストランへ行ったとき、ビールを1本だけ注文したけれど、それ以外は飲まなかった。飲むと心房細動(不整脈)が出やすくなり、出ると心拍が乱れて息苦しくなる。国内ならともかく、海外でそんな目に遭うと不安が増幅するので、避けたかった。おかげで、不整脈は旅行中、ただの一度も出なかった。普段の生活から見れば、1週間全く出ない…というのは奇跡みたいなものだった。(なのに最近はまたしっかり飲んで、しっかり不整脈に悩まされています。あきませんわ~)
そんなことで、不整脈に関しては「努力」が実って抑えられたのに、しかしまぁ、まったく予想もしなかった症状に見舞われることになるとは…。
ディズニーランドへ行った日の夜、38度を超す熱が出て、一晩中眠れず、何度も体温を測ったが、一時は39度まで上がった。僕の平熱は36度2分か3分なのだが、こんなに熱が出たのはここ数十年間でも、あったかどうか…記憶にない。
翌日、旅行の最終日は、サンタモニカへ行く予定だった。しかし妻とモミィの2人では行けないので、あきらめざるを得なかった。サンタモニカへ行くJTBのシャトルバスがホテルに寄ってくれることになっていたので、それをキャンセルするために妻がJTBに電話で事情を説明したところ、「海外保険にも入っておられるので、よろしければ日本語の話せる医師のいる病院にご案内しますが」と言ってくれたそうである。妻が「どうする?」と聞いてくれたが、もし「入院です」な~んてことになったらメチャ困るので、病院へ行くのはやめた。
サンタモニカは、旅行の初日、旅行社の人に主な観光スポットを回ってもらった時に車から降りて、そこで写真だけを撮った。どうせまた来るのだからとその時は思っていたが、結局、これが唯一のサンタモニカ体験となってしまった。
先にも載せましたが、ロサンゼルスの概略図です。
この地図の右下の方角にディズニーランドがあります。
そして左のビーチ沿いにサンタモニカがあります。
ここはビーチだけでなく、有名な歩行者天国や、
多くのお店があるところだそうです。残念!
サンタモニカビーチへの入口。(車の中から撮影)
桜田淳子の「サンタモニカの風」という歌が浮かびます。 来て 来て 来て 来て サンタモニカ~
ちょっと古い?
https://www.youtube.com/watch?v=uHnUxiRkxTg
結局これが最初で最後のサンタモニカになっちゃいました。
そして旅の最終日、僕は1日中、ベッドに横たわっていた。
妻とモミィは何度か外出し、ホテルから歩ける範囲のところをあちらこちらと散策し、またホテル内の売店にはいろいろなお土産物が数多くあったので、そこで買い物をしたりしていた。外国の雰囲気に慣れてきたモミィが、もっぱら店で物を買う役目をしたそうである。
さて、僕が熱に浮かされながら、1人で寝ているとき、メキシコ系らしき若い女性のメイドさんがベッドメーキングにやってきた。しかし僕が寝ていたので、「ソリー」と言って出て行った。そしてその後、またやってきて、まだ僕が寝ているのを見て再び「ソリー」と言って出て行こうとするので、「ちょっと待って」と、僕は、ベッドはそのままでいいから、バスルームのタオルや調度品だけ変えてほしいと訴えようとした。
「プリーズ・カム・ヒアー」と、ドアに立っていたメイドさんに手招きをしたら、彼女は一瞬ためらった様子を見せた。
「あ、これはヤバい」とその瞬間、僕は自分の行為を反省した。考えてみたら男性の僕がベッドの中から若い女性のメイドさんに「こっちへ来てちょうだい」と手招きするなんて、いかにも怪しいではないか。そりゃ、警戒されるわ(笑)。
そこで僕は「自分は病気だから寝ている。ベッドはそのままでいい。他のベッドもそのままでいい。バスルームだけ片づけて、新しいタオルや歯ブラシを用意してくだされ」と、カタコト英語で彼女に説明して、やっと納得してもらえたのである。やれやれ…
ところで部屋の温度が低いような気がしたので、暖房のスイッチのところへ行って温度を上げようとしたら、表示は「72度」になっていた。一瞬「ひえっ」と驚いたが、米国では「セ氏」ではなく「カ氏」の表示が基本になっているのを思い出した。だから、部屋の温度は現在「カ氏72度」なのである。
ちなみに、これは部屋のテレビをかけていた時、天気予報が流れたので撮った写真である。
ロサンゼルスの週間天気予報だが、上が最高気温で下が最低気温だ。カ氏で表示されているので、日本人が見たらびっくりするような数字が並んでいる。
ちなみに、旅行社の人に聞いたら、「カ氏から30を引いた数の2分の1が、だいたいセ氏の気温と考えていただければいいです」とのこと。この部屋の72度というのは、その計算で行けば、72から30を引いて42、その2分の1だから21。つまり、カ氏72度は、日本流のセ氏で言うと21度ということになる。
ベッドで1日中ヒマだから、テレビを見ていたが、もちろん全部英語なので、何を言っているかわからない。わかるのは天気予報ぐらいなのである。
天気といえば、ロサンゼルスに着いてから、帰る前日まで、ずっと晴天が続いた。そして、帰国する日、初めて雨が降った。この点はラッキーだったと言えますね~
帰国の日。空港に向かう車の中からパチリ。
思い切り雨が降っていた。
結局、日本へ帰る日も、体温は38度台のままだった。持参していた解熱剤を、朝・昼・夜と服用していたけれど、熱は一向に下がらない。それでも「きょう日本へ帰れる」と言う安堵感があったので、それほど「しんどい」とは感じなかった。
帰途は、12時間の飛行機の旅で、映画を何本も見た。行きの飛行機で「シンゴジラ」を居眠りながら見たが、評判の「君の名は」もあったので、帰りの飛行機の中で見ようと思っていた。…が、帰りはそれらの映画がなかった。同じJALなのに、なんてこった。仕方なく、古い映画だが、お気に入りの「ブリジットジョーンズ」シリーズを2本と「金メダル男」というのを見た。
しかしまぁ、狭いところでじっと座っているのも大変だったが、自分が小柄であることがこれほど有難いと思ったことはない。大柄な人だったら座席が窮屈だろう。その点、僕はゆったりと座れていた(笑)。妻やモミィもそうですけど。
無事に関西空港に到着した時は、「やっと着いたか」という思いだった。ロサンゼルス空港を出たときは12月30日のお昼だったのに、こちらへ着いたのは12月31日の夕方だった。17時間の時差と言うのは、勘が狂う。
空港の「検疫」というところを通り抜けようとすると、係官が僕を引き留めて「熱がありますね」と言った。「何でわかるん?」と言いかけたが、どこかにカメラか何かがあって、発熱がわかるのだろう。「ええ、風邪を引いたようで」と僕は答える。係官が細長い何かを僕のおデコに当て、「38度ぐらいはあるようです」と言いながら、「蚊に刺されたりしませんでしたか?」と聞く。「蚊? 蚊なんかいませんでしたよ」と僕。「どちらへ行かれました?」と再び質問。「ロサンゼルスですけど」と答える。係官は「デング熱とか、いろいろありますので、もし状態が急変したりしたらこちらへ」と、いろんな注意事項が書かれている黄色い紙を僕に手渡した。ロサンゼルスでデング熱はないやろ…と思いながら紙を受け取り、その場を後にした。
…とまあ、そんな調子で大晦日の夜に、無事、自宅に到着してやれやれ…の思いでした。そして、すでに書いたように、翌日の元旦に休日急病診療所へ行き、A型のインフルエンザと診断された次第です。
今となれば、あれもこれも懐かしい思い出ですが、そのときは大変な思いをしました。海外旅行はこの上もなく楽しい。でも、やはり日本がいい。安心だし。家にいる時が一番心が落ち着く…というのは、僕にとっては普遍の事実ですね。
ただ、短期間でしたが、ロサンゼルスの魅力の片鱗にも触れた感じがします。とても開放的でエキサイティングで、話が矛盾するようですが、できればしばらくこういうところに住んでみたい、とも思う街でもありましたね~🎵
知人の方のお姉さまが、かつて、ロサンゼルスへ1年の予定で留学されたところ、あまりの居心地のよさに、10年間帰って来られなかった、というお話も最近伺ったところです。
すごっ!
ロサンゼルスは青空の色がとても綺麗ですね。
モミィちゃんがいつの間にかこんなに大きくなっていた事にビックリしました。子供の成長ってすごい!片言英語を話すチャレンジ精神も頼もしいです。最終日はのんさんの発熱で残念でしたが、人生初の海外旅行を楽しめたんじゃないかしら?
素敵なお写真と記事をありがとうございます!
おっしゃっていただいたように、モミィは最近急に背が伸びました。
それと、中身も成長してきているんですね。ふだんはそうわからないのですが、こういう旅行をするとよくわかります。最初は、旅行中はモミィの世話も大変かな~と思っていましたが、世話をするどころか、こちらが世話をされました(笑)
ロサンゼルスの青い空は見事でした。
それだけでも開放感に浸れましたね。