2021年の11月30日は、生きていれば父の98才の誕生日でした。
画像は、庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」ですが、かなり流行りましたね。
今見頃の熱海桜。
少し前に、カラツの神が父と母が一緒にボランティア活動をしている話をしていて、楽しくやっているのなら良かったと思いました。
私は、この日父を呼んでみました。
私)お父さん!
M子か。
今日は、お父さんの誕生日だね。
そうだな。
年は、取らなくなったけどね。
菩薩界は楽しい?
菩薩界は楽しいよ。
毎日ダンス踊っているよ。
そう、良かった。
お母さんは?
お母さんは、ボランティア活動がんばっているよ。
そうなんだね。
また、ポイント貯めて今度はトルコに行きたいと言っているよ。
へぇ~トルコ?なんで?
イスタンブールに飛んでみたいんだってさ。
あはははは。お父さんはどこに行きたいの?
そうだな。
俺はアルプスに行ってみたいかな。
アルプスの「ハイジジイ」と自分のことを言っていたからな。
ハハハハハ。
話していたのは父だったのだと、やっぱり思います。
父は、昭和初期に職工として今の五反田のソニーのビルが沢山ある場所辺りで働いていました。
ソニーさんは、小屋から始まって父の勤めていた会社の土地も買って大きくなっていったようです。
父は、その「東京通信工業」と書いてあったソニーさんの創業当時の小屋のことを以前に話していました。
父は、戦争に行き帰って来てから、結核になったりして、母と紹介で出会い、私が幼い頃は多分その会社の大船の工場にいたように思いますが、その後会社を辞めて自宅の庭に建てたプレハブ小屋で、勤めていた会社の下請けの仕事をしていました。
小学校から帰ると、毎日父はハンダゴテを持って圧力計を作っていました。
私が高校生くらいになると、仕事が無くなり、就職をしました。
その時は、毎日車で通勤していました。
父の年は多分50代だったと思います。
私は、どんな仕事をしていたのかよくわからなかったのですが、 最近半導体が不足して、大変な事態になっているというニュースを観ていて、父は半導体を作っていた会社に勤めていたと、記憶が甦りました。
なぜなら、当時熊本県が日本のシリコンバレーと言われていて、父が出張で行った話を思い出したからです。
父の勤めていた会社は、多分「アルプスなんとか」という会社で、その時に自分のことを「アルプスのハイジジイだ。」と言って、笑っていたのですね。
父は、昨年2月1日に亡くなりました。
節分の前日でしたね。
私は、1年経ったのだなと思い、2月2日の朝に話しました。
私)お父さん!
M子か。
1年経ったのだね。
そうだな。
1年は、1日くらいの感じだな。
ずっと明るいしね。
夜がないんだね。
夜寝ることもないし、痛いこともないし、好きなところに行けるしな。
M子は、神様が沢山いると言っていたけど、本当にそうだと思ったよ。
ありがたいことだね。
アキコ(母)とは、ボランティア活動を一緒にやっているよ。
トルコに行きたいとか言っていたね。
トルコに行くまで、後100ポイントまでになったらしいよ。
お父さんも行くの?
二人で一緒に行こうと思っているよ。
俺はダンスばかりしているから、たまにしかやってないけど。
お母さんは、真面目だからな。
M子からも励ましてやってくれよ。
わかった。
話してみるね。
私は、母も呼んでみました。
私)お母さん!
M子、お父さんと話していたわね。
うん。ボランティア活動がんばっているんだってね。
がんばって、トルコに行きたいからね。
なぜ、トルコなの?
「飛んでイスタンブール」って歌聞いていて、行きたかったの。
ハワイは行ったし、国内はいろいろ行ったよ。
生きてる時は、どこにも行かなかったもんね。
車には酔っちゃうし、行きたいとも思ってなかったけど、いいところは沢山あるのね。
楽しそうで良かったよ。
カラオケの友達と一緒に行ったりしているのよ。
お父さんは、ダンスばかりしているから、私はカラオケに行っているのよ。
楽しくやっているから、心配しなくていいよ。
Y(夫)さんを大事にね。
父も母も楽しそうで良かったです。
画像は、庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」ですが、かなり流行りましたね。
若い人は、知らないでしょうけど。
1978年のヒット曲のようです。
母がハワイに行った話は、以前に記事にしていました。
🐶 父と母の話
今見頃の熱海桜。