9月14日に退院する予定だった夫は、直前になって薬の調整のために延期になりました。
お寺の境内は、そんなに広くはありませんでしたが、コンパクトにまとまっている感じでした。
模造紙が貼ってあった場所は、お店に入る時に「ブラタモリ」の話をしていたところのすぐ近くだったのに、全然気が付かなかったのですが、燕三条行きを決めた後に見つけたので、私は鳥肌が立ってIさんに伝えました。
結局、21日に退院したのですが、それから1カ月後くらいの10月18日に、また救急車に乗ることになってしまいました。
夫の腹膜透析の液は、退院してから以前の1500ccから2000ccに変わっていました。
配送の人が大変な思いをして運んでくれた透析液は、使えなくなってしまい、新たに送られて来たので、部屋の半分くらいが段ボールでいっぱいになってしまいました。
一旦処方された物は、引き取ってはくれないそうです。
1箱8キロ以上ある段ボールが、40個くらい今も部屋に残されています。
夫の退院が延びたことで、Iさんと話していた新潟の彌彦(やひこ)神社に行く話が、急に決まりました。
彌彦神社のことは、少し前に読者のゆりさんがセッションに来てくれたことで、記事にしていました。
🐶 彌彦(やひこ)神社
🐶 彌彦(やひこ)神社 その2
彌彦神社のご祭神の天香久山命(あめのかごやまのみこと)は、話してきてカグヤの神だと言っていました。
その時に、Iさんにも来てくれと言っていたのですね。
少し、抜粋します。
ねーさんや。
なんか、今日、
何度か神様の言葉が降りて来てるのだけど、
何かあるみたいで。
3回くらい言われた。
私は誰か話しているか、聞いてみました。
天香山命と言われているが、カグヤの神でいいよ。
Iさんに何か言いましたか?
Iに来てくれと言ったよ。
3回言いましたか?
3回言った。
彌彦神社の山の上で待っているからな。
伝えますね。
急ぎではないからと伝えてくれ。
ありがとう。
M子もいつか来てくれよな。
抜粋終わり。
この時に言われていたことを実行しようということになったのですが、その話をするために、最近Iさんが 行っていた摩利支天を祭っている徳大寺に行こうということになりました。
私が東京の方に行くのは、久しぶりのことでしたが、御徒町を降りると徳大寺の看板が見えて、矢印の方向に向かうとすぐに着くことがわかりました。
この日は、とても暑い日でした。
今年は9月になっても夏日はずっと続いていましたね。
上野のアメ横になるので、外国人の観光客も沢山いて、食事をする店には行列も出来ていて、相変わらず活気のある場所だと思いました。
お寺の境内は、そんなに広くはありませんでしたが、コンパクトにまとまっている感じでした。
Iさんは、本堂に入って最後の一枚だった摩利支天カードをゲットして、感動していました。
徳大寺については、Iさんがかなり詳しく記事にしています。
🐷 摩利支天 2
徳大寺にお参りした後に、食事をしようとお店を探していましたが、とにかくどこも混んでいて、やっとビルの上の方にあるイタリアンレストランで、すぐに入れそうなところを見つけました。
席に案内される前の時間に、私はその少し前に観た「ブラタモリ」の燕三条の話をしていました。
そもそも、燕三条は金属加工で有名ですが、燕三条というのは、燕市と三条市のことをいっしょくたにした言葉で、燕市と三条市は実は仲が悪いらしく、新幹線の燕三条駅の出入り口も、燕口(つばめぐち)と三条口(さんじょうくち)という感じになっているそうです。
高速道路は、三条燕インターになっていて、忖度があったのか?とタモリさんも笑っていました。
そんな話をしていたのは、彌彦神社は燕三条駅から近い場所にあるからですね。
私達は席に通されて、私はランチプレートを頼み、彌彦神社に行くのは、すぐ後の三連休の最終日しかないと決めました。
夫の退院がいつになるかわからなかったからですね。
満腹な感じで、帰ろうということになり、Iさんが会計をしている時に、ふと見ると模造紙が貼ってあって何だろう?と近くに寄ってみると、それは小学校の修学旅行の時に、このお店で食事をした子供達の感想文でした。
それを見て、私はとてもビックリしたのですね。
なぜなら、新潟県燕市の小学校だったからです。
模造紙が貼ってあった場所は、お店に入る時に「ブラタモリ」の話をしていたところのすぐ近くだったのに、全然気が付かなかったのですが、燕三条行きを決めた後に見つけたので、私は鳥肌が立ってIさんに伝えました。
Iさんもビックリして、
ねーさん、やっぱり行かなきゃだな。
と言って背中を押された感じでした。
ということで、次回は彌彦神社の話です。
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