私達は、ゾロゾロと国立博物館の特別展「法然と極楽浄土」を観に行きました。
Iさんは、何か大きな物を感じて、私が行った少し後に、国立博物館に行っていて、写真が送られてきました。
私は、法然のことはよく知らなかったのですが、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」という念仏は、さすがに知っていました。
それで、思い出したことがあったのです。
私がまだ勤めていた時なので、10年くらい前のことだったのですが、ある日ノドが痛くなり、このままだったら風邪を引いてしまうなと思った時に、会社を休むことが出来ないかったので、ミクネの神(天之常立之神)に相談すると、「なむあみだぶつと、100回唱えればいいよ」と言われたので、確か駅のホームだったと思いますが、ずっと唱えていると、ノドの痛みが無くなって、結局風邪は引かないで済んだのですね。
私はその時、多分絶対会社を休めない状態だったので、必死だったのだと思います。
実際、その時だけの話ですからその後はずっと忘れていました。
ただ、子供の時から聞いたことのある「南無阿弥陀仏」という言葉にはパワーがあるのだと感じた出来事でした。
法然は、浄土宗の宗祖で、平たく言えば「南無阿弥陀仏」を唱えれば全ての人は極楽浄土に行けるという教えだったようですね。
特別展での法然の回りには、沢山の僧侶が取り囲んている絵が多くて、大きな影響力のあるカリスマだったのかと思いました。
朝廷(後鳥羽上皇)というより、他の寺院にとっての脅威になっていたのか、法然も弟子の親鸞も流罪になっていたということも、やっぱりいつの時代も排斥をする権力側がいるのだと思いました。
その時の絵巻もあり、僧侶達の悲しみの表情も良く描けていたと思いました。
法然は四国に、親鸞は新潟に流罪になっていたとのことで、法然が亡くなった時に親鸞は駆けつけることが出来なかったそうです。
親鸞を調べると、
法然を師と仰いでから生涯に亘り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。
自らが開宗する意志は無かったと考えられる。
独自の寺院を持つ事はせず、各地に簡素な念仏道場を設けて教化する形をとる。
親鸞の念仏集団の隆盛が、既成の仏教教団や浄土宗他派からの攻撃を受けるなどする中で、宗派としての教義の相違が明確となり、親鸞の没後に宗旨として確立される事になる。
とのことで、没後に「浄土真宗」は生まれたようですね。
法然も、寺院を持たなかったそうですが、親鸞はその辺も同じようにしていたのですね。
特別展の一番最後の場所は、撮影OKの高松の法然寺の仏像群でした。
仏像だけではなく、動物や架空の動物も沢山あって、圧巻でした。
猫だけが、こっちを向いています。
私は、売店のところで小さな阿弥陀如来と麒麟を買い求めました。
私は、売店のところで小さな阿弥陀如来と麒麟を買い求めました。
せっかくなので、Iさんにも麒麟を求めました。
ミクネの神に聞くと、阿弥陀如来は、両親と夫のガラスで作成したモニュメントのところに、麒麟は鳥取県在住のFさんからいただいた麒麟獅子の横にと言われたので、その通りに置きました。
Iさんは、何か大きな物を感じて、私が行った少し後に、国立博物館に行っていて、写真が送られてきました。
続きます。
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