8月25日の朝に、「さすがな」みゆきちゃんから📩がきました。
私の📩
石田三成は、名前は知ってるけど、成田長親は知らないので調べてみますね。
石田三成(いしだみつなり)のことは、なんとなく名前くらいは知っていましたが、調べると豊臣秀吉の家来だったのだと思いました。
そして、成田長親(なりたながちか)は、映画の「のぼうの城」の主人公だとわかりました。
「のぼうの城」は埼玉県行田市の忍城(おしじょう)のことで、石田三成が攻めたお城なので、まさに敵味方の関係ですね。
私は、そんなことも知らずに、行田市の前玉神社に行った時に、石田三成が陣を張ったと言われる丸墓山古墳で写真を撮っていたことを思い出しました。
🐶 前玉(さきたま)神社 その5
そして、次の日に石田三成が話してきました。
石田三成だ。
りーーーーーと、ぎーーーーは相反するものではいけないと思うよ。
なんでしょうか?
秀吉様は、人の心を掴むのが上手かったな。
信長様とはまた違った魅力だった。
私は必死についていったのだ。
成田長親とは、今は仲良くなったよ。
今はどの世界にいるのですか?
今は菩薩界にいるよ。
霊界がなくなったから移動したよ。
菩薩界は楽しいが、刺激がないので、生まれ変わろうと思っている。
成田もそうしたいと言っているよ。
石谷三成が言っていた「りとぎ」は、「利と義」なのかと思っています。
私は、アマゾンプライムで「のぼうの城」を観ることにしました。
調べると2012年に公開された和田竜原作の映画で、TBS開局60年の記念として作られた物のようです。
石田三成は、豊臣秀吉から「忍城」を攻めるように命令をされて、二万の軍勢で攻めに行くところから始まりました。
豊臣秀吉は、その時は関東を手に入れれば天下統一となる時で、北条氏の本丸の小田原城を攻めていました。
実は、出来レースのような「忍城」で、石田三成に手柄を取らせたいという豊臣秀吉の親心だったようでしたが、「忍城」の兵は500余りで農民含めて3000が立て籠り、なかなか苦戦したので、利根川と荒川を使い水攻めをするために、「石田堤」を作ったそうです。
それが、私が丸墓山古墳で写真を撮った看板に書かれていました。
映画では、成田長親を野村萬斎さんが演じて、農民が助けてくれる話になっていました。
「のぼう」は「でくのぼう」のことで、長親がいつも農民に混じって役に立たないと言われながら愛されていたということだったようです。
「忍城」が陥落しなかったのは、農民を大事にしていたので、農民達が協力してくれたからで、やっぱりリーダーの存在は大きいのだと思いました。
二万の軍勢がなかなか手こずってしまったのは、回りが沼地で城に近づくには、いくつかある道を通らないと行けなかったことで、集中的に攻められなかったということのようです。
水攻めのための石田堤は、幅11メートルで28キロメートルもあり、何と一週間くらいで作ったそうで、やっぱり大したものですね。
全部人力ですから。
そんなことをしても「忍城」が陥落しなかったのは、攻める前に、小田原城が落ちてしまったからで、丸墓山古墳の看板には豊臣秀吉が落とすことが出来なかった唯一の城と書いてありました。
🌟2020年現在は行田市堤根地区内の282 mが「石田堤史跡公園」となっていて堀切橋を挟んだ、鴻巣市袋地区内の約300 mが残存しており、埼玉県指定史跡および鴻巣市指定史跡となっている。
先日の「ブラタモリ」は松本でした。
松本城が武将に愛されたのは、複合扇状地で回りに沢山水があり、堀をわざわざ作らなくて良かったからだということで、それに目を付けた武田信玄は、やっぱりスゴい人だったと思いました。
さて、後日談ですが、みゆきちゃんとご主人のハッシーと話す機会があり、私が「のぼうの城」の話をすると、ハッシーが、
あ、私は「のぼうの城」が大好きで、3回観たんですよ。
と言っていたので、だから石田三成と成田長親がみゆきちゃんと話したいと言ってきたのかと思いました。
「のぼうの城」に、スゴく上手い子役の女の子が出ていて、エンドロールを見ると、芦田愛菜さんだったので、やっぱりこれもさすがだと思いましたよ。
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