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粟津温泉 その2

2025-03-12 07:30:00 | 日記
キクリヒメが、泰澄(たいちょう)が話したいと言っているとのことでした。
 

私は、そもそも泰澄という名前をこの時初めて聞いたので、記事にするに当たり、調べてみました。


🌟泰澄(たいちょう、天武天皇11年6月11日(682年7月20日) - 神護景雲元年3月18日(767年4月20日))は、奈良時代の修験道の僧。
加賀国(当時越前国)白山を開山したと伝えられる。
越(こし)の大徳と称された。

『泰澄和尚伝記』によると、泰澄は越前国麻生津の三神安角を父、伊野氏の女性を母として、天武天皇11年(682)6月11日に生まれた。
幼い頃から普通の児童とは異なり、泥で仏像を作ったりしていたが、持統天皇7年(693)[11歳を重視すれば持統天皇6年(692)]にこの地を訪れた道昭が神童であることを見抜き、両親にその旨を伝えた。
14歳[元和本・大谷寺本では11歳]の時に十一面観音の夢告を受け、越知峯の坂本の岩屋に通い、後年この峰に籠もって修行に励んだ。

泰澄は霊亀2年(716)、白山神とみられる貴女の夢告を受けた。

養老6年(722)には浄定行者とともに都に赴き、元正天皇の病の治療にあたった。
その功から和尚は護持僧として禅師の位を授けられ、諱を「神融禅師(じんゆうぜんじ)」と号した。

天平宝字2年(758)からは越知峯の大谷仙崛に蟄居した。
神護景雲元年(767)には一万基の三重木塔を勧進造立し、勅使の吉備真備に付けて奉った。
このとき泰澄は3月に入定することを予言した。
同年3月18日、泰澄は予言通り結跏趺坐(けっかふざ)し、大日の定印を結んで、86歳で遷化(せんげ)した。


泰澄は、天武天皇とか持統天皇の頃に若い時を過ごしているので、かなり昔の人だとわかりました。
86歳という、長生きでもあったのですね。


そして、泰澄が話してきました。


泰澄だ。
私と話せる人がいるのだな。

泰澄様は神様ですか?

私は、神になって久しいよ。

今は神様の会議ですよね。

会議も終盤だから、大丈夫だ。
古代の「アワツ」のことも、わかったようだな。
「アワツ」と何度も言われたよ。

泰澄様は、何階層の神様ですか?

私は三階層にいるよ。
空海と同じだ。
空海は、大したものだな。
カラツの神もだ。
私も微力ながら、助けているよ。
私も就いていいか?

はい。

ありがとう。
M子は、ずっと変わらないと評判だよ。
利他の心が大事だからな。

はい。ありがとうございます。

昨日、アワツ神社に来たのはIだろう。
良く来たと、言っておいてくれ。
リストに載っているよ。
神のみぞ知ることがわかる人だからな。


泰澄は、私の277番目の神様になりました。


次に話してきたのは、そもそも、なぞなぞのように言ってきたタゴリヒメでした。


タゴリよ。
Iは、よく行ってくれたわね。
秩父と繋いでくれたわ。
マル(◯)よ。


それからしばらくして、泰澄が話してきました。


泰澄だ。
Iは、がんばって粟津温泉に来てくれたな。
私が粟津温泉を見つけたのだ。
元々白山の秘密があったからだな。
あの神社は、私がキクリヒメを呼んで作った。
元々は、寺だったけどね。
終わりにしたくないから、来てくれて助かったよ。


Iさんは、泰澄の像のところにお酒を供えたようです。







ちゃんと、応えてくれて良かったですね。



Iさんが行ってくれた粟津温泉ですが、最近「ヒルナンデス」で粟津温泉を特集していて、思わずテレビの画面を撮ってしまいました。



粟津温泉の「法師」さんは、以前にはギネス登録された最古の旅館だったそうですよ。

泰澄が見つけた温泉だから「法師」になったようですね。

いつか、行ってみたいと思いました。


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