キクリヒメが、泰澄(たいちょう)が話したいと言っているとのことでした。



ちゃんと、応えてくれて良かったですね。

Iさんが行ってくれた粟津温泉ですが、最近「ヒルナンデス」で粟津温泉を特集していて、思わずテレビの画面を撮ってしまいました。

粟津温泉の「法師」さんは、以前にはギネス登録された最古の旅館だったそうですよ。
私は、そもそも泰澄という名前をこの時初めて聞いたので、記事にするに当たり、調べてみました。
🌟泰澄(たいちょう、天武天皇11年6月11日(682年7月20日) - 神護景雲元年3月18日(767年4月20日))は、奈良時代の修験道の僧。
加賀国(当時越前国)白山を開山したと伝えられる。
越(こし)の大徳と称された。
『泰澄和尚伝記』によると、泰澄は越前国麻生津の三神安角を父、伊野氏の女性を母として、天武天皇11年(682)6月11日に生まれた。
幼い頃から普通の児童とは異なり、泥で仏像を作ったりしていたが、持統天皇7年(693)[11歳を重視すれば持統天皇6年(692)]にこの地を訪れた道昭が神童であることを見抜き、両親にその旨を伝えた。
14歳[元和本・大谷寺本では11歳]の時に十一面観音の夢告を受け、越知峯の坂本の岩屋に通い、後年この峰に籠もって修行に励んだ。
泰澄は霊亀2年(716)、白山神とみられる貴女の夢告を受けた。
養老6年(722)には浄定行者とともに都に赴き、元正天皇の病の治療にあたった。
その功から和尚は護持僧として禅師の位を授けられ、諱を「神融禅師(じんゆうぜんじ)」と号した。
天平宝字2年(758)からは越知峯の大谷仙崛に蟄居した。
神護景雲元年(767)には一万基の三重木塔を勧進造立し、勅使の吉備真備に付けて奉った。
このとき泰澄は3月に入定することを予言した。
同年3月18日、泰澄は予言通り結跏趺坐(けっかふざ)し、大日の定印を結んで、86歳で遷化(せんげ)した。
泰澄は、天武天皇とか持統天皇の頃に若い時を過ごしているので、かなり昔の人だとわかりました。
86歳という、長生きでもあったのですね。
そして、泰澄が話してきました。
泰澄だ。
私と話せる人がいるのだな。
泰澄様は神様ですか?
私は、神になって久しいよ。
今は神様の会議ですよね。
会議も終盤だから、大丈夫だ。
古代の「アワツ」のことも、わかったようだな。
「アワツ」と何度も言われたよ。
泰澄様は、何階層の神様ですか?
私は三階層にいるよ。
空海と同じだ。
空海は、大したものだな。
カラツの神もだ。
私も微力ながら、助けているよ。
私も就いていいか?
はい。
ありがとう。
M子は、ずっと変わらないと評判だよ。
利他の心が大事だからな。
はい。ありがとうございます。
昨日、アワツ神社に来たのはIだろう。
良く来たと、言っておいてくれ。
リストに載っているよ。
神のみぞ知ることがわかる人だからな。
泰澄は、私の277番目の神様になりました。
次に話してきたのは、そもそも、なぞなぞのように言ってきたタゴリヒメでした。
タゴリよ。
Iは、よく行ってくれたわね。
秩父と繋いでくれたわ。
マル(◯)よ。
それからしばらくして、泰澄が話してきました。
泰澄だ。
Iは、がんばって粟津温泉に来てくれたな。
私が粟津温泉を見つけたのだ。
元々白山の秘密があったからだな。
あの神社は、私がキクリヒメを呼んで作った。
元々は、寺だったけどね。
終わりにしたくないから、来てくれて助かったよ。
Iさんは、泰澄の像のところにお酒を供えたようです。



ちゃんと、応えてくれて良かったですね。

Iさんが行ってくれた粟津温泉ですが、最近「ヒルナンデス」で粟津温泉を特集していて、思わずテレビの画面を撮ってしまいました。

粟津温泉の「法師」さんは、以前にはギネス登録された最古の旅館だったそうですよ。
泰澄が見つけた温泉だから「法師」になったようですね。
いつか、行ってみたいと思いました。
↓ランキングも、ポチッとお願いします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます