私の夫が旅立ったのは、2023年11月17日午前2時42分でした。
享年72才の生涯でした。
この時のことは、2023, 11,19に記事にしました。
🐶 夫のこと
ノートは、当日の11月17日のところまできました。
記事にした通り、葬儀社が来てくれたのは午前4時で、見送った後に夫の妹が自動車で自宅まで送ってくれました。
家に着いて、夫が話してくるのか、振り子を持ってみました。
M子か。
お疲れ様でした。
悲しいな。
がんばったと思うよ。
そうだな。
苦しかったよ。
リモコンと言ったのは、テレビのだよ。
やっぱり、そうだったんだね。
テレビが見られなくて、つまらなかったからな。
あの部屋にテレビは、なかったでしょ?
そうだな。
10月18日に救急車で病院に向かい、そのまま緊急入院になった時に、個室しか空いてなくてそこに入院することになりました。
それまで、大部屋での入院の時にはテレビも観たくない感じだったのが、個室では回りを気にすることもなくずっとテレビを観ていられたのが嬉しかったみたいでした。
大部屋が空いたけど、移りますか?と言われましたが、そのままでお願いしていました。
病状が悪くなり、HCUに移ってから、そこにはテレビがなかったので、朦朧としていたのかもしれないですが、私が面会に行った時に何か言っていたのが酸素マスクのために聞き取れなかったのは、「リモコン」と言っていたのだとわかりました。
続きです。
ごめんな。
死んでしまったから、楽になると思うよ。
さびしいよ。
長い間、一緒だったから。
ずっと一緒にいてくれてありがとう。
夫は、生きている時に、「ありがとう」は言わない人でした。
言ったら負けだと思っていたのかもしれません。
その夫の魂は、普通にありがとうと言っていたので、私は号泣してしまいました。
続きです。
俺はM子の明るさで楽しかったよ。
せっかくの顔が台無しだな。
今はどこにいるの?
M子の上にいるよ。
夫は、その後ずっと上にいると言っていました。
私は見えないですが、上を見て手を振っていました。
11月21日は、ミクネの神(天之常立之神)が話してくれました。
ミクネだ。
Yは、よくがんばったな。
はい。
M子もがんばった。
利他の心でいたから、助けてくれる人も増えた。
ありがたいです。
人生は短いのだよ。
限りあるからいいのだ。
魂は、永遠だからな。
Yの魂も、また誰かの中で生きるだろう。
だから、悲しいことはない。
M子は、まだまだ生きて繋げていけばいい。
「愛は勝つ」だからな。
KANの歌もずっと残るだろう。
歌は世に連れ、世は歌に連れで生きていくよ。
お疲れ様だったな。
これからは、前を向いて生きればいいよ。
神様達は、「愛は勝つ」は好きで以前に記事にしたことがありました。
🐶 合唱コンクール 2018
ミクネの神が話していたのは、KANさんが夫が亡くなる少し前の11月12日に亡くなっていたからですね。
61才という若さでした。
「愛は勝つ」は、元気になる歌なので、これからもずっと歌い続けられるでしょう。
画像は、夫が入院していた個室から見た夕日。
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夫とは結婚して、38年一緒にいました。
本当に長い間でしたね。
病気になって25年間も経っていました。
子供がいなかったので、私は夫の健康保険のためにずっと仕事を続けてきました。
だから、今は年金を一般的な女性よりは多くいただけるようになって、良かったと思っています。
いつまでかわからない人生ですが、今年から、いろいろ動いていくつもりです。
いつも、応援ありがとうございます。
夫は、本当に無口で、自分の気持ちを生前表現することはありませんでした。
典型的な昭和の男でしたね。
施設に入るかもしれないから、ありがとうは言った方がいいと、ずいぶん言ってきましたが、いやいやな「ありがとう」でしたね。
だから、魂は素直なのかもしれません。
セッションで、聞かれて話す方々も、感謝を言っている感じです。
おトである
ヒトは一人一人
音感が違うと思います
違いズレ不完全に対して
絶対音感には不快を
絶対(左脳、自分)を
超えた感覚には
可愛さを感じさせている
ような気がします
縄文の人達は
右脳を中心に生きていた
のかもしれません
御返事不要です
私が先に死んでも、妻には霊感があるので、こんな会話ができるかもしれません。
妻が先に逝くと、ちょっと私には無理ですね。
それでも、妻を看取ってからわたしも逝きたいとは思っているのですが…
これからも、神さまのはなしを発信してくださるのを、楽しみにしています。