ダム計画が持ち上がった当時、水没地域の岩谷地区やダム奥の河辺地域では、ダム奥の村で栄えた村なしとダム建設は大反対でしたが、下流域の利水のため治水のためと、苦渋の選択で受け入れてから30年近く、ダムに翻弄され続けています。
水没地域の皆さんも、補償基準も納得いかないまでも、やむえないと了解もされました。何とか夫婦とも元気で引越しが出来る今、新しい住居を購入したのに!
補償費で支払う予定で購入したのに!一体どう成るんだろう?年金暮らしの今、補償費がなくなると購入代金の支払いの目処が立たないと心配されています。
河辺地域でも肱川から河辺までの道路が手つかずで、やっと付け替え道路が日の目を見るようになった今になって凍結とは!!
環境もクマタカも大事なのは分からないのではありませんが、30年近く翻弄されつつある地域住民はクマタカ以下でしょうか?と僻みたくも成りそうです。
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環境もクマタカも大事なのは分からないのではありませんが、30年近く翻弄されつつある地域住民はクマタカ以下でしょうか?と僻みたくも成りそうです。