戦後生まれの自分には戦争の悲惨さは分かりません。
しかし、戦後の食料事情の厳しさは体験しています。
父がビルマ戦線の生き残りで、良く戦争の話は聞いてきました。
8月に成ると戦争のこと、平和のありがたさを実感します。
今日は市内でポッカリ空いた時間の調整、図書館でDVD「最後の特攻」を観賞したところです。
大洲市図書館も戦争に関する特設コナーが設けられており、朝日新聞への手紙戦争体験を借りてきました。
子どもを売れ、と中国人が言った。弟は300円、私は150円・・大平美智(72歳)
旧満州、吉林市で終戦を迎えた。会社員の父、母、二歳下の弟と余人の社宅暮らしは途端に苦しくなった。もちをついたり、布で人形を作ったりして売った。主食のコーリャンに交ぜて食べていた米や小豆は、そのうち買えなくなった。
コーリャンは消化に悪く、栄養不足から死んだ赤ん坊も社宅にいる。
年明けて1946(昭和21)年春、社宅の人たちが作ったたばこを、弟と市場に売りに行った。夕方迎えに来た母と三人で帰宅する途中、母が地元の中国人男性に声をかけられた。
「子どもを売れ、男の子(弟)300円、女の子(私)150円。私の作った人形は40円だった。中国語化日本語かは覚えていないが、身振り手振りを交え、意味は良く伝わった。男は懐の金を取り出していた「沢山食べさせるよ」。そんな事を言いながら、しばらく後をつけて来た。
母は全く応じず、私たちの手をしっかり引き、ぐんぐん家路を急いだ。夕日を浴びた母の横顔は赤黒く、鬼のように強張っていた。