梅木よしてる徒然日記

人生60歳代からが黄金の時代だとか、我が家は黄金の人生??悪戦苦闘の人生ですが、黄金の人生を目指しています。

終戦記念

2014-08-08 21:31:29 | Weblog

戦後生まれの自分には戦争の悲惨さは分かりません。
しかし、戦後の食料事情の厳しさは体験しています。
父がビルマ戦線の生き残りで、良く戦争の話は聞いてきました。
8月に成ると戦争のこと、平和のありがたさを実感します。

今日は市内でポッカリ空いた時間の調整、図書館でDVD「最後の特攻」を観賞したところです。
大洲市図書館も戦争に関する特設コナーが設けられており、朝日新聞への手紙戦争体験を借りてきました。

子どもを売れ、と中国人が言った。弟は300円、私は150円・・大平美智(72歳)
旧満州、吉林市で終戦を迎えた。会社員の父、母、二歳下の弟と余人の社宅暮らしは途端に苦しくなった。もちをついたり、布で人形を作ったりして売った。主食のコーリャンに交ぜて食べていた米や小豆は、そのうち買えなくなった。
コーリャンは消化に悪く、栄養不足から死んだ赤ん坊も社宅にいる。
年明けて1946(昭和21)年春、社宅の人たちが作ったたばこを、弟と市場に売りに行った。夕方迎えに来た母と三人で帰宅する途中、母が地元の中国人男性に声をかけられた。
「子どもを売れ、男の子(弟)300円、女の子(私)150円。私の作った人形は40円だった。中国語化日本語かは覚えていないが、身振り手振りを交え、意味は良く伝わった。男は懐の金を取り出していた「沢山食べさせるよ」。そんな事を言いながら、しばらく後をつけて来た。
母は全く応じず、私たちの手をしっかり引き、ぐんぐん家路を急いだ。夕日を浴びた母の横顔は赤黒く、鬼のように強張っていた。



山鳥坂ダム関連説明会

2014-08-08 08:54:39 | Weblog

山鳥坂ダム関連の説明会が河辺地区で開催されました。
説明要員は山鳥坂ダム工事事務所、県、市の担当者。
河辺地区住民に放送等で周知されていましたが30年の経過は様相を一変しています。
当時現役バリバリの人たちが、今では付け替え道路が完成してもその道路を運転して走ることはないだろうと、半分あきらめられています。
今走っている現道の待避所、離合場所の設置、道路の維持管理が要望の大半です。
私も30年前は当然ながら30歳若く元気でしたが、完成、開通しても走れるものだろうか??。

経過した30年は本当に貴重な30年でしたが、取り返しはできません。
スピードを上げて、一日も早く付け替え県道を完成させてください。