すみません。
今日は、∞事とは関係のないお話です。
今朝のヤフーのニュースに、
多胎児育児の母親がわが子を虐待してるのではないかという不安を持ってる割合が、
一人育児の母親の2倍近くに上るという調査結果が出た、
とありました。
そんなもの、調査をしなくたって分かるだろ、と内心思いましたが、
数字できっちり結果が出たのは、初めてなのだそうです。
記事は産経新聞のもので、
「何が虐待へ向かわせるのか」というシリーズの中の記事のようでした。
我が家も、三つ子を育てて来ました。
生まれたのが一人であろうが、三つ子であろうが、
母親の不安には変わりはありません。
我が家は上に長男がいるので、単胎児も多胎児も、両方を経験してます。
無事にお腹の中で育つのか、という不安に始まって、
無事に生まれるのか、
ちゃんと育てられるのか、
育つのか。
そんな思いは同じ、なのです。
ただ、現実に生まれてからの、物理的な手の不足と経済的な負担は、
子供の数が多ければ、その分増えることは、明らかです。
4時間事の授乳、
そのたびのおむつ替え、
入浴、着替え、寝かしつけ。
泣くたびに抱き、あやし、話しかけてはコミニュケーションを取る。
発達のためには体操もさせろ、散歩も必要と言われれば、
子供の機嫌の良さそうな時をねらって外に連れ出し。
その間には、最低限の家事をこなさなきゃならず。
子供が風邪をひこうものなら、「風邪をひかせた」と言われ、
肌がカサつこうものなら、アトピーを疑われ、
子供が泣いていれば、「泣かせた」と言われる。
母親の手ではいかんともしがたい事まで母親のせいになる。
あからさまに母親を責めずとも、
「責められてる」と感じるのが母親なのです。
祖父母の手が必要?
でも、口も出てきます。
育児サークルが必要?
でも、子供の成長しだいでは優劣ごっこになりかねません。
子供の世話だけで疲れているのに、
わずらわしい人間関係を増やして気を使う環境は、持ちたくありません。
悩んだら相談する場所が必要?
そもそも、その悩みを打ち明けることに勇気がいるのです。
育児支援の冊子や育児サークルのチラシを渡すのも結構ですが、
そこへ自分から働きかけていけない人を、どう、行政がフォローしていけるのか。
難しい課題です。
私が住む市にファミリーサポートセンターが出来た頃、
市民の意見交換のような場に出席したことがあります。
自分が育児にあたふたしていた時期に、こんな制度があれば、
たしかにもっと、ラクなこともあったかもしれない。
助けてほしい時に、助けてもらえる場があるのは重要なことです。
でも、それが、行政の独りよがりであってはならない、と思います。
子供の世話は24時間。
突発的なことは、大抵、夜に起こります。
9時5時のお役所仕事では、対応しきれず、間に合いません。
頼ろうにも、頼れないのではありませんか。
と、ここまで書いて。
久しぶりに、論述的なことを書いてる自分に、恥ずかしくなりました。
誰かを批判非難しているわけではありませんので、御了解ください。
私は、今、ファミリーサポートの援助会員に登録をしています。
育児真っ最中で、困ってる方から依頼があれば、
センターを通じて、お手伝いをする。
もともと子供が好きなのではありません。
子供の世話に、少し慣れて来ただけ、
経験値が少しある、というだけのことです。
今ここで、私に出来ることをしておく。
それは回り回って、娘たちが困った時に、手助けしてくれる手を増やすことに繋がるかもしれない。
自分の手が、娘たちに届かない時に、
彼女らを手助けしてくれる手があることを願って、
今、私の手を必要としているお母さんたちに、差し出している。
そんな気持ちです。
こんなことを書きつらねているのも、もうすぐ彼女らの誕生日がやって来るからなのでしょう。
「自分は虐待をしているのではないか」と、自らの行動を不安がらなかった母親など、
いないのではないか、とも思いながら。
でもそれは、「みんなが、そうだ」と思うことで自分を許そうとしてるのではないか。
考えれば考えるほど、その答は闇の中へ消えていきます。
子育てに正解はなく、
やり直し、は利きません。
もう一度、お腹に入れてやり直すことなど出来ないのだから。
一瞬一瞬の判断が、途をわけていきます。
育てる、って、
大変なことなんですね。
今日は、∞事とは関係のないお話です。
今朝のヤフーのニュースに、
多胎児育児の母親がわが子を虐待してるのではないかという不安を持ってる割合が、
一人育児の母親の2倍近くに上るという調査結果が出た、
とありました。
そんなもの、調査をしなくたって分かるだろ、と内心思いましたが、
数字できっちり結果が出たのは、初めてなのだそうです。
記事は産経新聞のもので、
「何が虐待へ向かわせるのか」というシリーズの中の記事のようでした。
我が家も、三つ子を育てて来ました。
生まれたのが一人であろうが、三つ子であろうが、
母親の不安には変わりはありません。
我が家は上に長男がいるので、単胎児も多胎児も、両方を経験してます。
無事にお腹の中で育つのか、という不安に始まって、
無事に生まれるのか、
ちゃんと育てられるのか、
育つのか。
そんな思いは同じ、なのです。
ただ、現実に生まれてからの、物理的な手の不足と経済的な負担は、
子供の数が多ければ、その分増えることは、明らかです。
4時間事の授乳、
そのたびのおむつ替え、
入浴、着替え、寝かしつけ。
泣くたびに抱き、あやし、話しかけてはコミニュケーションを取る。
発達のためには体操もさせろ、散歩も必要と言われれば、
子供の機嫌の良さそうな時をねらって外に連れ出し。
その間には、最低限の家事をこなさなきゃならず。
子供が風邪をひこうものなら、「風邪をひかせた」と言われ、
肌がカサつこうものなら、アトピーを疑われ、
子供が泣いていれば、「泣かせた」と言われる。
母親の手ではいかんともしがたい事まで母親のせいになる。
あからさまに母親を責めずとも、
「責められてる」と感じるのが母親なのです。
祖父母の手が必要?
でも、口も出てきます。
育児サークルが必要?
でも、子供の成長しだいでは優劣ごっこになりかねません。
子供の世話だけで疲れているのに、
わずらわしい人間関係を増やして気を使う環境は、持ちたくありません。
悩んだら相談する場所が必要?
そもそも、その悩みを打ち明けることに勇気がいるのです。
育児支援の冊子や育児サークルのチラシを渡すのも結構ですが、
そこへ自分から働きかけていけない人を、どう、行政がフォローしていけるのか。
難しい課題です。
私が住む市にファミリーサポートセンターが出来た頃、
市民の意見交換のような場に出席したことがあります。
自分が育児にあたふたしていた時期に、こんな制度があれば、
たしかにもっと、ラクなこともあったかもしれない。
助けてほしい時に、助けてもらえる場があるのは重要なことです。
でも、それが、行政の独りよがりであってはならない、と思います。
子供の世話は24時間。
突発的なことは、大抵、夜に起こります。
9時5時のお役所仕事では、対応しきれず、間に合いません。
頼ろうにも、頼れないのではありませんか。
と、ここまで書いて。
久しぶりに、論述的なことを書いてる自分に、恥ずかしくなりました。
誰かを批判非難しているわけではありませんので、御了解ください。
私は、今、ファミリーサポートの援助会員に登録をしています。
育児真っ最中で、困ってる方から依頼があれば、
センターを通じて、お手伝いをする。
もともと子供が好きなのではありません。
子供の世話に、少し慣れて来ただけ、
経験値が少しある、というだけのことです。
今ここで、私に出来ることをしておく。
それは回り回って、娘たちが困った時に、手助けしてくれる手を増やすことに繋がるかもしれない。
自分の手が、娘たちに届かない時に、
彼女らを手助けしてくれる手があることを願って、
今、私の手を必要としているお母さんたちに、差し出している。
そんな気持ちです。
こんなことを書きつらねているのも、もうすぐ彼女らの誕生日がやって来るからなのでしょう。
「自分は虐待をしているのではないか」と、自らの行動を不安がらなかった母親など、
いないのではないか、とも思いながら。
でもそれは、「みんなが、そうだ」と思うことで自分を許そうとしてるのではないか。
考えれば考えるほど、その答は闇の中へ消えていきます。
子育てに正解はなく、
やり直し、は利きません。
もう一度、お腹に入れてやり直すことなど出来ないのだから。
一瞬一瞬の判断が、途をわけていきます。
育てる、って、
大変なことなんですね。