今、リエ子が熱い。
同級生の間で、話題沸騰中である。
50も半ばを過ぎると、親が弱ってくる。
そこで老人ホームに入所させたり
デイサービスやショートステイを利用したくなる。
私の生まれた町に、老人ホームは一つしか無い。
親も子も近くの方がいいので、ほとんどがその老人ホームを希望する。
利用するとなると、事前にケアマネージャーと面談する必要がある。
その時、ケアマネージャー兼、施設責任者として面談するのが
中学の同級生リエ子である。
リエ子は同窓会に入っておらず、なぜか町でも見かけないので
多くはこの時が40年ぶりの再会となる。
親の老化によって、図らずもリエ子と再会する者は
一人、また一人と増加中。
職員にかしづかれる様子は、まさに女帝そのものだという。
当たり前だ…リエ子は理事長の愛人である。
町では衆知の事実だ。
そんなことより、十人が十人「おかしい!」と頭をひねるのは
自分は確かにリエ子を知っているのに、向こうはまったく知らず
初対面として接する不思議な現象であった。
「目の前で向かい合って親しく話しても
同級生という認識は無いように見える」
「最初は立場上、馴れ合いを避けているのかと思ったけど
そうじゃないみたい」
「初めましての自己紹介で始まった以上、終わるまで言い出せない」
「だんだん、こっちの記憶の方が間違っているような気分になってくる」
「こっちも地雷を踏んで親に冷たくされるより
触れない安全を選ぶ方がいいような気がしてくるんだ」
リエ子は中2の時、隣町から転校してきた。
その頃から可愛く、スタイルが抜群に良かった。
卵のような小さい顔に大きな瞳、長い足…
それに生来の地黒と、持ち前の俊足があいまって
伸びやかに駆ける鹿のような印象だった。
しかし学業不振とホラ吹きの方が目立ち
周囲は少し距離を置いていたため
その美貌が日の目を見ることは無かった。
中3で同じクラスになり、一時期仲良くしていた。
結婚して町内に住むお姉さんのアパートへ
生まれたばかりの赤ちゃんを見に、付いて行ったこともあるが
受験が近づくと疎遠になった。
リエ子の成績では、同級生の大多数が行く地元の高校の
受験資格が得られなかったため
彼女は地元進学組との交流を自ら断ったのである。
「みんな敵」
リエ子は卒業文集にそう書いていた。
「自分のことしか考えない大勢の人達に、夢を邪魔された」
恨み言の羅列である。
要するにみんなが地元を受けるから
自分が受験できないと言いたいらしかった。
斬新な思考に驚いたと同時に、交流を断った理由にも納得した。
それから10年。
ママさんバレーの試合で、目の前にリエ子が立っていた。
私は前衛のレフト、対戦チームのリエ子は前衛のライト。
我々はネットを挟んだ30センチの距離で、再会したのだった。
「リエちゃん!」
手を振って名前を呼んだが、無反応。
もう一度呼んでも、無反応。
自分がうっかり死んで、霊になったのかと疑ったほどの
見事な徹底無視だ。
文集に書かれた「みんな敵」は、まだ有効なのだと思い
それ以後は試合で見かけても声をかけなかった。
みんな、今になってリエ子の態度に驚いているけど
私なんて25年前に、30センチ無視の不思議体験をしてるもんね…
と自慢する私である。
「色々言われることにウンザリしたんだろう」
いつも、この結論に落ち着く。
そう、彼女は色々言われやすい人なのだ。
その昔、お姉さんの旦那を略奪した女子高生として
狭い田舎町の噂を独占し、現在も語り継がれている。
高校生のリエ子は、大好きなお姉ちゃんのアパートに出入りするうち
お姉ちゃんの旦那さんのことも大好きになってしまった。
すぐ妊娠し、やはり3人目を妊娠中だったお姉さんとかなりモメたが
最終的にはお姉さんが譲る形で、リエ子はお義兄さんと結婚した。
人は悪く言うが、私はそうは思わない。
だって、不倫だの略奪だのと言ったって
身内の中ですませているではないか。
よそのお宅に迷惑はかけていないのだ。
よその女の人にさんざん迷惑をかけられたり
よその女の人にさんざん迷惑をかけた夫のいる私はそう思う。
それより、お義兄さんの種馬ぶりに感心する。
鹿のようなリエ子と種馬は、相性がいいらしい。
ま、高校生の義妹に手をつけるような旦那だから
性格も収入も、たかが知れている。
リエ子は3人の子育てをしながら働き、結婚生活を続けながら
やがて愛人も営業するようになった。
なにしろ鹿のような女の子だから、体力だけはあるようだ。
15年ほど前、サラリーマンだった彼氏が配置転換で
たまたま老人ホームの雇われ理事長になった。
それを機にリエ子も介護の世界に飛び込み
理事長の愛人として権力を握った。
リエ子は勝ち馬に乗ったのだ。
やっぱり鹿には馬がいいらしい。
こうしてリエ子は、町のお年寄りのために頑張っている。
今や、リエ子無しでは老人稼業を張れないほどの勢いである。
頑張っているのに「理事長の愛人だから」とささやかれるのも
「お姉さんの旦那を取った」と、いつまでも後ろ指を指されるのも
事実だけに嫌なものだと思う。
そこでリエ子は過去を封印し、無かったことにした。
一掃した過去の中に、我々同級生も入っているのだ。
それはリエ子の甘えである。
いくら自分が過去を封印したつもりでも
相手がそうしてくれるとは限らない。
同級生だからこそ思いやりを持って
嫌なことには触れずに合わせてくれるのだ。
とはいえリエ子も甘えるばっかりではない。
切り札を持っている。
親という人質だ。
親を預けるからには、女帝の機嫌を損ねるわけにはいかない。
思いやりと人質…両者の持つそれぞれのカードによって
同級生の親達の介護は営まれているのだった。
葬りたい過去があるとする。
たいていの人は苦しみながらも乗り越える努力をするが
中には「人が自分を知っているのが悪い」と考える者もいるらしい。
それで楽しいのだろうか…不便ではないのだろうか…
という疑問はさておき、やたら苦しむよりも
いっそのこと開き直って、そこから始めてみるのも
一つの手だと思った次第である。
同級生の間で、話題沸騰中である。
50も半ばを過ぎると、親が弱ってくる。
そこで老人ホームに入所させたり
デイサービスやショートステイを利用したくなる。
私の生まれた町に、老人ホームは一つしか無い。
親も子も近くの方がいいので、ほとんどがその老人ホームを希望する。
利用するとなると、事前にケアマネージャーと面談する必要がある。
その時、ケアマネージャー兼、施設責任者として面談するのが
中学の同級生リエ子である。
リエ子は同窓会に入っておらず、なぜか町でも見かけないので
多くはこの時が40年ぶりの再会となる。
親の老化によって、図らずもリエ子と再会する者は
一人、また一人と増加中。
職員にかしづかれる様子は、まさに女帝そのものだという。
当たり前だ…リエ子は理事長の愛人である。
町では衆知の事実だ。
そんなことより、十人が十人「おかしい!」と頭をひねるのは
自分は確かにリエ子を知っているのに、向こうはまったく知らず
初対面として接する不思議な現象であった。
「目の前で向かい合って親しく話しても
同級生という認識は無いように見える」
「最初は立場上、馴れ合いを避けているのかと思ったけど
そうじゃないみたい」
「初めましての自己紹介で始まった以上、終わるまで言い出せない」
「だんだん、こっちの記憶の方が間違っているような気分になってくる」
「こっちも地雷を踏んで親に冷たくされるより
触れない安全を選ぶ方がいいような気がしてくるんだ」
リエ子は中2の時、隣町から転校してきた。
その頃から可愛く、スタイルが抜群に良かった。
卵のような小さい顔に大きな瞳、長い足…
それに生来の地黒と、持ち前の俊足があいまって
伸びやかに駆ける鹿のような印象だった。
しかし学業不振とホラ吹きの方が目立ち
周囲は少し距離を置いていたため
その美貌が日の目を見ることは無かった。
中3で同じクラスになり、一時期仲良くしていた。
結婚して町内に住むお姉さんのアパートへ
生まれたばかりの赤ちゃんを見に、付いて行ったこともあるが
受験が近づくと疎遠になった。
リエ子の成績では、同級生の大多数が行く地元の高校の
受験資格が得られなかったため
彼女は地元進学組との交流を自ら断ったのである。
「みんな敵」
リエ子は卒業文集にそう書いていた。
「自分のことしか考えない大勢の人達に、夢を邪魔された」
恨み言の羅列である。
要するにみんなが地元を受けるから
自分が受験できないと言いたいらしかった。
斬新な思考に驚いたと同時に、交流を断った理由にも納得した。
それから10年。
ママさんバレーの試合で、目の前にリエ子が立っていた。
私は前衛のレフト、対戦チームのリエ子は前衛のライト。
我々はネットを挟んだ30センチの距離で、再会したのだった。
「リエちゃん!」
手を振って名前を呼んだが、無反応。
もう一度呼んでも、無反応。
自分がうっかり死んで、霊になったのかと疑ったほどの
見事な徹底無視だ。
文集に書かれた「みんな敵」は、まだ有効なのだと思い
それ以後は試合で見かけても声をかけなかった。
みんな、今になってリエ子の態度に驚いているけど
私なんて25年前に、30センチ無視の不思議体験をしてるもんね…
と自慢する私である。
「色々言われることにウンザリしたんだろう」
いつも、この結論に落ち着く。
そう、彼女は色々言われやすい人なのだ。
その昔、お姉さんの旦那を略奪した女子高生として
狭い田舎町の噂を独占し、現在も語り継がれている。
高校生のリエ子は、大好きなお姉ちゃんのアパートに出入りするうち
お姉ちゃんの旦那さんのことも大好きになってしまった。
すぐ妊娠し、やはり3人目を妊娠中だったお姉さんとかなりモメたが
最終的にはお姉さんが譲る形で、リエ子はお義兄さんと結婚した。
人は悪く言うが、私はそうは思わない。
だって、不倫だの略奪だのと言ったって
身内の中ですませているではないか。
よそのお宅に迷惑はかけていないのだ。
よその女の人にさんざん迷惑をかけられたり
よその女の人にさんざん迷惑をかけた夫のいる私はそう思う。
それより、お義兄さんの種馬ぶりに感心する。
鹿のようなリエ子と種馬は、相性がいいらしい。
ま、高校生の義妹に手をつけるような旦那だから
性格も収入も、たかが知れている。
リエ子は3人の子育てをしながら働き、結婚生活を続けながら
やがて愛人も営業するようになった。
なにしろ鹿のような女の子だから、体力だけはあるようだ。
15年ほど前、サラリーマンだった彼氏が配置転換で
たまたま老人ホームの雇われ理事長になった。
それを機にリエ子も介護の世界に飛び込み
理事長の愛人として権力を握った。
リエ子は勝ち馬に乗ったのだ。
やっぱり鹿には馬がいいらしい。
こうしてリエ子は、町のお年寄りのために頑張っている。
今や、リエ子無しでは老人稼業を張れないほどの勢いである。
頑張っているのに「理事長の愛人だから」とささやかれるのも
「お姉さんの旦那を取った」と、いつまでも後ろ指を指されるのも
事実だけに嫌なものだと思う。
そこでリエ子は過去を封印し、無かったことにした。
一掃した過去の中に、我々同級生も入っているのだ。
それはリエ子の甘えである。
いくら自分が過去を封印したつもりでも
相手がそうしてくれるとは限らない。
同級生だからこそ思いやりを持って
嫌なことには触れずに合わせてくれるのだ。
とはいえリエ子も甘えるばっかりではない。
切り札を持っている。
親という人質だ。
親を預けるからには、女帝の機嫌を損ねるわけにはいかない。
思いやりと人質…両者の持つそれぞれのカードによって
同級生の親達の介護は営まれているのだった。
葬りたい過去があるとする。
たいていの人は苦しみながらも乗り越える努力をするが
中には「人が自分を知っているのが悪い」と考える者もいるらしい。
それで楽しいのだろうか…不便ではないのだろうか…
という疑問はさておき、やたら苦しむよりも
いっそのこと開き直って、そこから始めてみるのも
一つの手だと思った次第である。