それにしても今年は忙しかった。
なぜこんなに忙しいのか‥たびたび考えた1年だった。
今年の前半は『加齢』で片付けていた。
やっていることは去年と変わらないのに
やる気や体力が減ってきて
仕事にも家事にも時間がかかるようになった‥
だから仕方がないのだ‥
そう思っていた。
が、後半になるにつれ、本当の原因が解明された。
私はついに、去年と今年の大きな違いを発見したのだ。
それは、葬式の多さ。
義母ヨシコの関係者や同級生の親たちが
バタバタとあの世へ行きなさる。
そういう年頃であろう。
ヨシコの関係者の場合、通夜と葬儀の送迎や付き添いがいる。
同級生の親の場合、役員として同窓会からの香典を届ける。
葬式は急なので、ひとたび連絡を受けたら
他の用事は全部ストップして取り組むことになるため
忙しかったのだ。
こればっかりは予防や改善が難しい。
休み休み逝ってくれだの、日にちを空けてくれだのと
頼むわけにはいかないし、それでどうにかなるものでもない。
不可抗力である。
そして暮れも押し迫った28日、骨肉のおトミから電話があった。
インスリンのおタツが亡くなったそうだ。
おトミもおタツも、ヨシコの年寄りの友達‥
名付けてヨリトモ軍団のメンバーである。
おタツは持病の糖尿病が悪化して
この数年は入退院を繰り返していたが、最近は小康状態を保っていた。
クリスマスに親戚が集まり、市内のホテルで宴会をして
そのまま宿泊した翌朝、倒れたという。
救急車が来るまで、後のことを携帯で
あちこちに指示していたというのがおタツらしい。
病院に運ばれてから昏睡状態になり、数日後、帰らぬ人となった。
親しい友人が亡くなったショックで、ヨシコは精神不安定となり
一人でしゃべり続ける。
「ナンなら後を追ってもいいぞ」
騒音に辟易した夫が、そっとつぶやいたことは秘密。
とはいえ老人は、案外ドライだ。
じきに元気を取り戻し、喪服をあれこれ並べて選んだり
電話で連れを誘ったりとはしゃいでいた。
ヨシコは30日の午前中に行われた葬儀に参列し
昼前に帰って来た。
「ピンポーン」
そこへ試練が訪れる。
こはぎちゃんがやって来たのだ。
近所に住む90才超えのおばあちゃんだ。
どこへでも押しかけるのと、長っ尻という面において
この界隈ではちょっとした有名人。
外見が小さくて可愛らしいのと、豪邸に住んでいるのと
ええとこの奥さんというプロフィールで
誰もがマトモと思い込んで油断してしまい、地獄を見る。
昼前に来たということは、本日の昼ごはんはうちで食べるつもり満々。
門を開けて、中へ入ろうとするこはぎちゃん。
そうはさせまいとガードするヨシコ。
二人はしばらくの間、門の所でせめぎ合っていたが
やがて根負けしたヨシコ、あきらめて家に入れた。
こはぎちゃんは靴を脱ぎ、サッサとヨシコの部屋へ入って座った。
「どこも行く所が無いのよ。
誰も相手にしてくれないの」
こはぎちゃんは、薄くなった眉毛を八の字にして訴える。
当たり前だ。
暮れの30日に遊んでくれる人なんて、いるものか。
「家から歩いて来た」
こはぎちゃんは200メートルほど歩いたことを自慢し
「忙しいのに、ごめんね〜」
ほんのうわべで言う。
忙しいとわかっているなら、来ないでもらいたい。
でも、仕方ないのだ。
こはぎちゃんの認知症は、いちだんと進んでいるみたい。
お茶とお菓子を出した後、私は残っている仕事を片付けに
会社へ行く。
年内に出さないといけない書類があったのだ。
昼ごはんなんか、知るもんか。
頑張れ!ヨシコ!
夕方、家に帰ると、ヨシコは疲れ果てていた。
「さっき帰ったんよ」
目の下にクマができている。
この日ほど、仕事があって良かったと思ったことは無い。
最後までバタバタした年末だった。
今年もお世話になりました。
ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
なぜこんなに忙しいのか‥たびたび考えた1年だった。
今年の前半は『加齢』で片付けていた。
やっていることは去年と変わらないのに
やる気や体力が減ってきて
仕事にも家事にも時間がかかるようになった‥
だから仕方がないのだ‥
そう思っていた。
が、後半になるにつれ、本当の原因が解明された。
私はついに、去年と今年の大きな違いを発見したのだ。
それは、葬式の多さ。
義母ヨシコの関係者や同級生の親たちが
バタバタとあの世へ行きなさる。
そういう年頃であろう。
ヨシコの関係者の場合、通夜と葬儀の送迎や付き添いがいる。
同級生の親の場合、役員として同窓会からの香典を届ける。
葬式は急なので、ひとたび連絡を受けたら
他の用事は全部ストップして取り組むことになるため
忙しかったのだ。
こればっかりは予防や改善が難しい。
休み休み逝ってくれだの、日にちを空けてくれだのと
頼むわけにはいかないし、それでどうにかなるものでもない。
不可抗力である。
そして暮れも押し迫った28日、骨肉のおトミから電話があった。
インスリンのおタツが亡くなったそうだ。
おトミもおタツも、ヨシコの年寄りの友達‥
名付けてヨリトモ軍団のメンバーである。
おタツは持病の糖尿病が悪化して
この数年は入退院を繰り返していたが、最近は小康状態を保っていた。
クリスマスに親戚が集まり、市内のホテルで宴会をして
そのまま宿泊した翌朝、倒れたという。
救急車が来るまで、後のことを携帯で
あちこちに指示していたというのがおタツらしい。
病院に運ばれてから昏睡状態になり、数日後、帰らぬ人となった。
親しい友人が亡くなったショックで、ヨシコは精神不安定となり
一人でしゃべり続ける。
「ナンなら後を追ってもいいぞ」
騒音に辟易した夫が、そっとつぶやいたことは秘密。
とはいえ老人は、案外ドライだ。
じきに元気を取り戻し、喪服をあれこれ並べて選んだり
電話で連れを誘ったりとはしゃいでいた。
ヨシコは30日の午前中に行われた葬儀に参列し
昼前に帰って来た。
「ピンポーン」
そこへ試練が訪れる。
こはぎちゃんがやって来たのだ。
近所に住む90才超えのおばあちゃんだ。
どこへでも押しかけるのと、長っ尻という面において
この界隈ではちょっとした有名人。
外見が小さくて可愛らしいのと、豪邸に住んでいるのと
ええとこの奥さんというプロフィールで
誰もがマトモと思い込んで油断してしまい、地獄を見る。
昼前に来たということは、本日の昼ごはんはうちで食べるつもり満々。
門を開けて、中へ入ろうとするこはぎちゃん。
そうはさせまいとガードするヨシコ。
二人はしばらくの間、門の所でせめぎ合っていたが
やがて根負けしたヨシコ、あきらめて家に入れた。
こはぎちゃんは靴を脱ぎ、サッサとヨシコの部屋へ入って座った。
「どこも行く所が無いのよ。
誰も相手にしてくれないの」
こはぎちゃんは、薄くなった眉毛を八の字にして訴える。
当たり前だ。
暮れの30日に遊んでくれる人なんて、いるものか。
「家から歩いて来た」
こはぎちゃんは200メートルほど歩いたことを自慢し
「忙しいのに、ごめんね〜」
ほんのうわべで言う。
忙しいとわかっているなら、来ないでもらいたい。
でも、仕方ないのだ。
こはぎちゃんの認知症は、いちだんと進んでいるみたい。
お茶とお菓子を出した後、私は残っている仕事を片付けに
会社へ行く。
年内に出さないといけない書類があったのだ。
昼ごはんなんか、知るもんか。
頑張れ!ヨシコ!
夕方、家に帰ると、ヨシコは疲れ果てていた。
「さっき帰ったんよ」
目の下にクマができている。
この日ほど、仕事があって良かったと思ったことは無い。
最後までバタバタした年末だった。
今年もお世話になりました。
ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。