殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

今年の目標は…

2025年01月08日 14時20分06秒 | みりこん流
年が明けて日常が始まり、今年の目標やら決意やら

色々と考えたいところだけど、なかなか浮かばん。

介護ってマジ、人間の夢や希望を奪い去ってしまうものなのね。


その介護対象者、実家の母サチコに関する目標ならありますよ。

“今年は施設に入れる”。

実現するといいけど。


さて、この正月休みは久しぶりにのんびりできた。

サチコを入院させたため

デイサービスの送り出しに通わなくてよかったのもあるが

毎年正月の3日、同級生ユリちゃんのお寺で行われる

お雑煮会に行かなかったのも大きい。

「母のデイサービスと弁当が休みで

6日間、世話をしないといけないから無理」

そう言って断った。


嘘をついて欠席したわけではない。

ユリちゃんにそれを言った時、サチコの入院はまだ決まっていなかった。

決まったのは、その2日後。

私は、そのことをユリちゃんに伝えなかっただけである。


この5〜6年、正月の3日は毎年

ユリ寺で行われる初勤行に夫婦で呼ばれ

私は台所でお雑煮の鍋物を作っていた。

前日の2日は食材の準備に走り回り、当日は朝早く寺へ行き

べらぼうに寒い台所で震えながら、一人立ち働き

食べて後片付けをして夕方帰る…

2日と3日がこれで潰れ、4日と5日は疲れが残り

気がついたら、いつも正月休みは終わっていた。

お雑煮会を拒否しただけで、こんなに楽とは思わなかった。

めでたい!


来年以降も行かないと、改めて誓う。

物事を続ける努力は大事かもしれないが

年を取ったら、自分の身体を守る努力の方が大事だ。


思い返せば私は、自分を守ることを怠って生きてきた。

自分を守る気が無いから、つまらぬことを押し付けられたあげく

価値の無い雑事に追われるようになり

本当にやりたいことや楽しいことを後回しにしてきたように思う。

おそらくそれは、正しい生き方ではない。


今年になって急にそう思うようになったのは

サチコの実子マーヤからの年賀状。

楽しそうな家族旅行の写真付きである。

私がサチコからの電話攻撃に耐え

しょっちゅう呼び出されていた時期の写真だ。

「何よ!親を私に押し付けて!自分たちは旅行に行って!」

とは思わない。

わたしゃ何なのよ、とは思う。


悪魔の化身サチコに関わったら最後、五つ並んだ明るい笑顔が

一瞬で消えてしまうのはわかりきっているので

「犠牲者の人数は少ない方がいい」

このコンセプトにより、自ら魔境に身を投じたのは他でもない私。

文句を言うつもりは無い。


ただ人間って、苦境から一目散に逃げられる人と

グズグズして逃げられない人がいるんだな、と思った。

危険察知能力が高い人と、低い人がいる…

これは紛れもない事実。

私はどうも低いようなので、これは仕方のないこと。

能力の高い者は、お人好しの馬鹿がちゃんといることを

見極められるのかもしれない。


「いつもありがとう」

マーヤからメールでは言われるが口だけで

煎餅のカケラすら、届いたことは無い。

その「ありがとう」は、私に向けられたものではなく

母親の世話を回避できた安堵への感謝なのだろう。


決して、何か欲しいわけではないぞ。

浮世の義理を知らない者が選ぶ品はたいていズレていて

もらっても嬉しくない形だけの物と決まっている。

「こんなモンで誤魔化して!」

そんな怒りが生じる懸念は、無い方がいい。


「いつもありがとう」

サチコも言う。

そりゃ簡単に言うが、口だけだ。

労働に見合う金品を下賜されたことは無く

むしろこちらの持ち出しが多い。

忘れたら損することはしっかり覚えているけど

覚えていたら損することはすぐに忘れる、それが認知症。


なんだかんだ言っても、アレらが似た者親子なのは間違いない。

こういう小さな発見が、私には嬉しいのだから困った性分である。


そういうわけで、今年は“自分を守る”を目標にしたいと思う。

が、今までたびたび目標にしてきた“無口”も全然達成できなかったし

また目標だけで終わるかもね。
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VS老人の心構え・3

2024年09月29日 08時52分56秒 | みりこん流
前回の記事では、恩を忘れろと申し上げた。

親の恩は海よりも深く、山よりも高い…

そう教えられてきた我々子世代としては、その恩の一文字を重く受け止め

親が弱ったとなると、恩返しを目論む。

それはスゴロクの上がり、つまりゴールのような位置にあって

親孝行から恩返しへと進めば

子供として百点満点が取れると思い込んでいるフシがある。


が、なかなかゴールはやって来ない。

親の世話をすることに慣れていなかった頃

物珍しさもあって、なまじ張り切ってしまったばっかりに

親はそれが当たり前と思うようになり、常に全身全霊の全力疾走を望み続ける。


不可能を可能にさせ、片時も休ませず

牛馬のごとく使い倒して甘ったれた挙句

やがてこっちが動けなくなれば

「不甲斐ない子」の称号を容赦なく与えて

選ぶ権利など無いにもかかわらず、次の交代要員を物色する…

それが未知の生命体、つまり超高齢者だ。


そこに愛は無い。

すでに愛を忘れた者に、恩を感じる必要は無い。

それでも我々子世代の深層心理に

恩の一文字はしっかり刻まれて消えないので

忘れるぐらいでちょうどいいんじゃないの?

というのが、私の主張である。


恩返しは、鶴と亀にやらせときゃいい。

罠にかかったところを助けてもらったお礼に

若い娘に化けて爺さん婆さんの家へ行き

自分の羽を使って豪華な布を織った、あの鶴じゃ。

いじめられていたのを助けてもらったお礼に

浦島太郎を竜宮城へ案内した、あの亀じゃ。


しかしアレらも、ロクなことにはならなかったけどな。

「見ないでね」と頼んだのに

はた織りしてるのをのぞき見された鶴は、どっか飛んで行っちゃったし

亀ときたら、乙姫様の土産に問題があって

浦島太郎はヨボヨボになっちまった。


げに恩返しとは、難しいものらしい。

恩を感じるのは自由だが、それを返そうとするのはやめた方がいい。

シロウトが、みだりに手を出すものではないと思う。



『寄り添うな』

お年寄りの心に寄り添いましょう…

近年の老人対策に、これがよく言われるようになった。

ケッ!


怒らず、責めず、優しく微笑みながら話に耳を傾け

温かく誠実に接するのが寄り添うということであれば

老人が相手じゃ無理。

血を分けた者同士だからこそ、常軌を逸した言動に当惑するし

腹も立つし悲しくもある、それが真っ当な家族だ。


寄り添いなら、寄り添うことが給料になるプロがやればいい。

しかし介護業界も人手不足。

だから家族にも、寄り添うように求め始めた。

甘いって。


そりゃあね、老人を囲んでアハハオホホ、みんな笑顔で平和な家庭…

理想よ。

それができれば、どんなに楽かしらね。

だけど、できんって。

老人は譲ることを知らないもの。

アハハオホホは、年長者の譲歩によって成立するんだもの。


アハハオホホと笑ってて、「何がおかしい!」

なんて言われてごらんなさいよ。

「こっちゃ足腰が痛いのに!」

「メシはまだか」

「頼んどいた、あれはどうなった?」

そうでなければ説教、昔の自慢、耳タコの思い出話の独壇場。

老人は、話題をすぐ自分のことに持って行きたがり

回りが譲ってくれないと怒り出す。


笑ってた家族は、口を閉じて去るよ。

家庭を暗くしているのは、老人なんだよ。

だから寄り添わなくていい。

ビシバシ行け。

寄り添ってもらいたければ、施設でどうぞ。

何が「長生きもつらい」だ。

つらいのは、こっちだ。

いたずらに長生きした代償は、自分で払うべし。



親の面倒を見る羽目になった人は大抵、逃げ遅れた優しい人である。

だから、これぐらいの気でやらないと

老人の発散する負のエネルギーにやられてしまうのだ。

同志諸君、気をしっかり持って心身のダメージを最小限にとどめ

できるだけ長生きをしよう。

その時には、今の経験が大いに役立つはずだ。

共にマイルド老害(まえこさんのキャッチコピー)を目指そうではないか。

《完》
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VS老人の心構え・2

2024年09月28日 09時55分58秒 | みりこん流
前回の記事で、親孝行は死語だと申し上げた。

頭に刷り込まれた親孝行の三文字に縛られ

自分を犠牲にして親に尽くす子供の何と多いことか。

そして子供の献身に、あぐらをかく親の何と多いことか。

彼らは足りない物を探すのが習性だから、その要望に終わりは無い。

老化で片付けるには、あまりにもむごいことである。


親の方こそ、子孝行を心がけるべきだ。

労働に見合ったお金をよこせとか、無理を言っているわけではない。

何もできない身体であっても、せめて心配をかけないようにするなり

クドクドと余計なことを言わないなり、何かしらできることはある。

親は子孝行を心がけ、子は親孝行の概念を手放す。

これでようやく、バランスが取れるのではなかろうか。



『恩は忘れろ』

親孝行と似た分野に、恩返しがある。

人の子であれば大抵は、親に生み育ててもらった恩を感じているだろう。

その親が年を取って弱り、手がかかるようになれば

恩返しをしたくなるのは自然なことである。


私もその一人だ。

生んでもらったことは無いが、共に生活していれば

世話になることが確かにあった。

他人という理由で知らん顔をするほど、私はガキではないし

数々あった軋轢(あつれき)を言い訳にして逃げるほど

先見の明があるわけではない。

調子が悪くなって協力が必要となれば、つい手を出す。


それがどんなに過酷であっても

「な〜に、そのうち治るんだから、この機会に恩返しだ」

そう思って、相手の要求を叶えるべく動く。

私の場合、これが失敗だった。


我が子が風邪を引いたり熱を出したら、親はどうするか。

「きっと治る」と思って看病するはずだ。

治ると信じているから、期限付きと信じているから

寝ずの番もできるし、病児の欲しがる物を必死で調達する。


しかし相手が老人となると、これが治らんのじゃ。

こっちも最初は燃えて、一生懸命やるが

老人は治らんどころか、世話をしてもらう楽ちんに一瞬で味をしめ

治らんことにしてしまう。

気がつけば、本当に苦しいのか、それとも芝居なのか

私はもちろんのこと、本人もわからなくなっている始末。


電話一本で呼びつけられては無理無体を命じられていると

恩返しをしたい熱い気持ちは、だんだん冷めてくる。

どんなに頑張っても、全快して看病が終了する日は訪れない…

つまり報われることは無いと知るからだ。

人は恩返しをしたい気持ちの分だけ、報われたい気持ちが付いて回る。

老人相手だと報われることが無いので、冷めていくのである。


こりゃあ、とんでもないことに手を出してしまったわい…

そう気づいた時にはもう遅い。

その昔、電話や車の便利を知った時と同じく

子供の便利をも知ってしまった彼らは、もう子供の世話無しでは生きられない。


「ハイジ!私、歩けたわ!」

「良かったね!クララ!」

「ありがとう!ハイジ!」

「ううん、クララが頑張ったからよ!」

クララと違って年寄りは、こうならない。

進歩は望めず、衰えるばっかりだ。

永遠に歩く気の無いクララを支え続ける、冷めたハイジ。


しかし子供が冷めれば冷めるほど、親は寄りかかってくる。

勘違いの権化であっても、丁稚の心が離れた気配だけは

敏感に感じ取れるらしいのだ。


丁稚の方は、もはや恩返しなんかどこかへすっ飛んで

ひたすら我慢の日々が続く。

老人の世話をする家族は、一部の物好きや聖者を除いて

みんな歯を食いしばって我慢しているのだ。

我慢は楽しくない。

恩返しなんて思うから、ますますしんどくなる。

敵は恩なんて微塵も感じてないんだから

こっちも恩に縛られる必要は無い。

《続く》

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VS老人の心構え・1

2024年09月26日 08時49分38秒 | みりこん流

同居する姑と実家の母、二人の老人を抱える私は

このところ頭が老人モードになっているため

老人ネタが続いている。

興味の無いかたには、申し訳ない限りだが

コメント欄でちぃやんさんが

この場を「お悩み相談室」と言ってくださったのに気を良くして

またまた老人ネタをお話しさせていただきたい。

 

語弊の嵐になりそうだが、これを語弊と捉えることができる人は

おそらく老人との戦闘を免れたか、軽傷で済んだ人だ。

心からお祝いを申し上げたい。

本当におめでとう!

で、免れることのできない人には

せめて私流の心構えをお話ししておきたい。

 

『親孝行は死語』

さてご存知のように、世は長寿ブーム。

太古の昔から、人類がこれほど長生きする時代は無かった。

そのため長生きの老人は高貴な珍種としてチヤホヤともてはやされ

88の米寿まで生きようものなら、やんやの喝采。

それがどうよ、今や90才超えが当たり前になっている。

 

何才まで生きようと、彼らの自由だ。

しかし彼らの長寿によって、犠牲者が出現するのは紛れもない事実。

我々、子世代のことである。

 

今の老人は

老人がこんなに長生きしない時代に生まれ育った。

そのため彼らは、老人とは敬うべきものであり

親孝行は美徳だという常識の中で生活し

我々子世代も、その教えを鵜呑みにしてきた。

だから親の方は、自分が敬われるべき存在と信じて疑わないし

子供の方も、親孝行という美徳を遂行するのが人の道と信じて疑わない。

 

しかしここに来て、昔とは違うところが出てきたではないか。

昔の老人は、老人でいられる期間が短かく

周囲から大切にされるうち、早々に亡くなるのが当たり前だった。

そのため子世代は、親孝行と称して親に尽くすのが当たり前だった。

大事な親の先が短いと思えば、何でも一生懸命できるものだ。

 

が、今の老人にはゴールがなかなか訪れなくなった。

つまり老人期間が長い。

それでも子供の方は古くからの慣習通り

親孝行の三文字に縛られて親に尽くそうとするので

肉体的、精神的な負担は長期間に渡る。

ここに現代の不幸があるのではなかろうか。

 

そう、不幸だ。

親が90才前後なら、子供の方だって還暦前後。

衰えつつある体力と相談しながら

これからが自分の人生だと希望を抱く年代であるにもかかわらず

いつの間にか

親からアゴで使われる丁稚(でっち)に成り下がっている。

自分の生活を犠牲にして、ひたすら老人のために生きる長い年月は

はっきり不幸と呼んでいいと思う。

 

おかしいではないか。

親が長生きをするのは喜ばしくも幸せなことであるはずが

不幸とは。

この不幸は親と子、双方の認識が

時代遅れであることから生じるのではなかろうか…

私にはそう思えてならない。

 

親は、自分がこんなに長生きをするとは思っていなかったので

超高齢者になった自分を想像していなかった。

加齢や病気によって日常生活が次第に困難になっていく情けなさ…

大切な人が自分より先に次々といなくなる寂しさ…

誰かの手を借りなければ生きられない不安…

これら負の感情にさいなまれながら

いつ終わるとも知れぬ日々を送る羽目になるなんて

考えてもみなかっただろう。

 

子の方も、親がこんなに長生きをするとは思っていなかったので

親が超高齢者になった時の自分を想像していなかった。

「いつまでも長生きして欲しい」と願いながらも

親に翻弄されて世話に明け暮れる日々が早く終わるように願う矛盾に

身を引き裂かれる思いをするなんて、考えもしなかっただろう。

 

私は常々思うのだが、親孝行という美徳は

親への奉仕が短期間であることを前提に作られたものではないのか。

こうも長引くようになると、美徳どころじゃない。

子世代にとっては、ほぼ地獄だ。

 

思うに今の惨状は、親世代の生育環境も関係しているようだ。

戦前、戦中、戦後と物の無い時代に

国から生めよ増やせよと言われてバンバン生まれた彼らは

とにかく人数が多い。

 

だから個性を尊重するなんて騒ぎではなく

ひたすら周りの人間と比較される教育方針で育てられた。

「あのお兄さん、お姉さんのようになりなさい」

「隣の誰々ちゃんを見習いなさい」

こうして見本を提示しておけば

子供はその人物に憧れ、同じようになろうと頑張るため

親や指導者としては楽で、扱いやすくなるからである。

 

そんな彼らが大きくなると、日本はいきなり好景気で豊かになる。

しかし、幼い頃から染みついた比較主義は変わらない。

今度は自分たちが憧れられ、敬われる番だ。

何を躊躇することがあろう。

 

比較教育は負けず嫌いを育てる。

それは戦後の復興や経済成長に効果的だったが

弊害として、足るを知らぬ人間に仕上がりやすい。

いつも目を皿のようにして足りない物を探し続け

何とかしてそれを補充しなければ気が済まない性質になるのだ。

負けず嫌い=ワガママの図である。

 

その人たちが年を取ったらどうなるか。

加齢によって理性が薄れると、ワガママだけが全面に出てくる。

頭と身体が劣化してもワガママを通したいとなると

どうしても人の手を借りなければならない。

人の手とは、身近にいる自分の子供である。

そんな人たちに10年も20年も振り回される子世代は

たまったもんじゃない。

 

親と子のお互いが、前代未聞の世界でもがいている…

それが今の現実。

親世代は未知の世界に足を踏み入れて戸惑っているだろうが

我々子世代もまた、未知の人類と対峙して戸惑っている。

このような背景を理解しなければ

老人との対戦は五里霧中のまま、過酷になるばかりだ。

 

親を大切にする日本人の心は、尊く美しい。

やがて自分も行く道だと思えば、無下にもできない。

しかし長生きが普通になった親の方も

親孝行の慣習に甘えず、たまには子孝行でもしたらどうだ…

そう思わずにはいられない。

 

時には黙って子供の言うことに従ったり

時には愚痴を封印して、自分がいかに恵まれているかを考えたり

衰えた頭では難しいかもしれないが

それだけでも子供の気持ちは楽になるものだ。

親世代が無理ならば、せめて我々は

子供を苦しめない年寄りになりたいものである。

《続く》

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撃ち返し・2

2024年09月04日 15時47分49秒 | みりこん流

夫と息子、そして義母の次は

友だちのことをお話しするつもりだが

その前にここでもお馴染み、お寺の嫁のユリちゃんを挙げよう。

隙あらば我々同級生に労働をさせようと画策する危険人物は

もはや友だちとは呼べないため、対応は老婆と同じだ。

 

彼女も電話やLINEで思わせぶりに謎かけをしたあげく

結局やらせたいのは料理。

思いもよらぬ導入から、うっかり暇な日を特定されて砂を噛む

バカな私よ。

 

が、やられてばかりはいられない。

ここしばらくは、手のかかり始めた実家の母サチコを口実に

料理の要請を何度か回避できたが

6月末に入院させて以来、また危険な誘いが増えてきた。

 

「消防点検の業者さんを知らない?

昔からお世話になってる業者さんに電話したら

もう廃業されていたの」

先日も、そう言って電話してきた。

お寺は人が集まる場所なので、消防設備の点検義務があるのだ。

 

夫と知り合いの業者を教えて終了かと思えば

例のごとく旦那の愚痴、姑や弟夫婦の愚痴へと続く。

私はこんなに可哀想なんですアピール

可哀想なんだから、少しは手伝ってくれていいでしょアピールだ。

突然、別件から入り、面白くもない話でジワジワと攻めて

目的の達成を目論む…

闇討ちのようなこの行為は、老婆そのものじゃないか。

 

サチコの世話から解放され

今の穏やかな生活を守りたい気持ちが強くなっていた私は

これを撃ち返した。

「あら、結婚って、相手の一族からバカにされることなんよ」

「え…」

「バカにされるのが結婚のスタンダードじゃけん

これで正しいんよ」

「そんな…」

「私もバカにされながら頑張っとるよ。

一緒に頑張ろ。

今日はユリちゃんと話せて楽しかった。

じゃあまたね!」

 

これで寺の労働は回避できたが、問題はサチコじゃ。

急きょ、今月末の退院が決まった。

ガ〜ン!!

鬱病は劇的に回復、ものすごく元気になっとるんじゃ。

あんなに元気になったら、退院するしかないそうじゃ。

恐るべし、サチコ!

今、相談員と、退院後の生活設計を話し合っているところ。

私の未来は暗黒よ。

さあ、笑ってくれ!楽しんでくれ!

 

 

…友だちに対する撃ち返しに、話を戻そう。

わたしゃ口だけは達者なので、言葉は機関銃のように出るけど

言っていいことと悪いことの区別については、はなはだ疑問が残る。

しかし今のところ支障は無いので、私は気にしない。

相手のこと?

もちろん考えない。

短くて済むんだから、我慢してもらう。

これでモメるような人物とは遊ばないので、友だちは少ない。

友だちは数じゃないので、十分だ。

 

ついでに行きずりの人に対する撃ち返しも、話しておきたいと思う。

以前、記事かコメント欄で話した記憶があるが

私史上、最高傑作だと自分では思っているので、また話したい。

 

30数年前のこと、仕事の一環で講習を受けることになった。

午前の講習が終わると、昼食のために一旦外へ出て

午後は別の会場に移動しての実技講習だ。

 

たまたま顔見知りの女性が講習に来ていたので

その人と二人で部屋を出ようとしたら

同じ講習を受けていた中年男性に声をかけられた。

「みりこんさん、お昼をご一緒しませんか?

それから午後の会場へ、一緒に連れて行ってください」

彼が私の名前を知っていたのは、講師が出欠を取ったからだと思う。

 

スラリとした長身に、着慣れた風のスーツ姿。

頭は少し薄めだが、見た目は決して悪くない。

が、女性ばかりの講習に男性一人の参加は浮いていたし

「お送りしますから、お昼をご一緒に」

ならわかるけど、車が無いのに見知らぬ女子を昼飯に誘い

その上、午後の会場へ連れて行けなんて

交通網が発展してないゆえに車社会の田舎では、普通じゃない。

いきなり名前を呼ばれたのも、ねっとりした話し方も気持ち悪い。

 

こいつは危ない…私のカンはささやいた。

知らない男の車に乗るのも危ないけど

知らない男を車に乗せるのも危ないはず。

だから、間髪入れず言った。

「あ、私の車、二人乗りなんですよ〜!」

 

ポカンと立ちすくむ男性をその場に残し

女性の手を引っ張って、ヘラヘラと笑いながら立ち去った私。

「二人乗りの車って、何?!軽トラ?!トロッコ?!」

後で、その女性と腹がよじれるほど笑い転げたものだ。

午後の実習に、その男性がいたかどうかは覚えてないが

相手を傷つけず、自分も傷つかず

その後、長く笑えるという意味において

30年以上を経た今でも、我ながら秀逸だったと思っている。

 

それから、これは近年の話だけど、実家の母がしばらくの間

“お菓子を配りたい病”に取り憑かれた。

これも認知症の一端なのかどうかは知らないけど

お気に入りの菓子屋(すごく遠い)へやたらと行きたがり

1個1,500円ぐらいのお気に入りの菓子(あんまり美味しくない)

をたくさん買い込んで、コーラスを始め趣味のお仲間や

ちょっとしたことでお世話になったという地元の人々に

配り回る行為を繰り返す。

もちろん全部、私の車で移動する前提だ。

お世話なら、私が一番していると思うんだけど

それはカウントされない模様。

いや、いらないよ、あのお菓子は。

 

行く家々の中には、私が地元を出た後で嫁いで来た人や

年取ってから故郷に帰って来た人など

我々の関係を知らない人もけっこういる。

だから母に付き添っている私を見て

「あら!この方が、ご自慢のお嬢さん?」

そう言われることがよくあった。

母の娘自慢は、地元じゃ知れ渡っているのだ。

 

「あ、自慢じゃない方の娘です〜」

だから、そう言ってやる。

「えっ?……」

母の娘が一人だと思い込んでいる相手は、そりゃ驚く。

目を見張って愕然とするレベル。

「ま!何を言うの、この子は…」

慌てる母。

うしし…こうして地味に溜飲を下げるんじゃ。

 

 

そういうわけで、華麗なる技なんて無くて

何の参考にもならないだろうけど

とりあえず“短い”を基本精神に据えていただけたら

短文勝負の技術がだんだん身についてくる。

そしたら頭の方が短い言葉に慣れて

言いたいことや言うべきことが、素早く簡潔に言えるようになる。

それが、“ポンポンと撃ち返す”ということだ。

ポンポンができれば、その都度、言い返せるので

ストレスは溜まらない。

 

かく言う私も未だに日々、訓練中。

つい長くなったり、口は達者なのに肝心なことを言わなかったり

反省することもあるわけよ。

話は短く、寿命は長く…そんな老婆を目指して頑張ります。

《完》

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撃ち返し・1

2024年09月03日 10時47分06秒 | みりこん流

前回の記事、“始まりは4年前”のコメント欄で

しおやさんからお題をいただいた。

『このシリーズではじめてみりこんさんが

テンポよくぽんぽん言い返す技を使ってらっしゃるのに気づきました。

この技はほかに旦那さん息子さん義母さんすべてに

使われてるのでしょうか?

〜中略〜

旦那さん、息子さん、義母さん、お友達への

「撃ち返し」の使い分けなどありましたらいつかまたご教授ください』

 

お題をいただくって、ありがたいものなのよ。

「撃ち返し」って、いい言葉よね。

だからホイホイと引き受けたものの、皆さんご存知の通り

実は私、そんなに頭が良くないのよねん。

お教えするほどの技術も無いんだけど

おこがましくも、お話ししてみようと思います。

 

まず、私のコンセプトはこれ。

「自分の言ったことがテープレコーダーに録音されたとして

後から聞いて恥ずかしくないかどうかを考えて話す」。

 

これは父の教え。

自分の父親を立派げに持ち上げるつもりはないが

事実、彼は感情に任せて不用意な発言をしない男だった。

早い話が無口ってことよ。

無口なら、録音しようにもなかなかできんじゃないの。

 

無口なもんで、何を考えているかもわからないから

継母の仕打ちに耐える我々姉妹に、彼が気づいていたのかどうか

それもわからん。

そして我々姉妹は、大好きな父が悲しまないよう全力で耐えた。

男って、あてにならん…

妹は知らないけど、私はそう思って成長した。

 

ともあれ“録音あと聞き”の教えは、聞いていてよかったと思っている。

ただでさえ、きつい性格だ。

知らなければ、ちょっと気に入らないことがあると

罵詈雑言で周囲を苦しめただろうから、その歯止めになっている。

この教えが無かったら、仕事にも就けなかったと思う。

 

とはいえ夫の浮気が発覚して、めっちゃ腹が立った時は

ガンガン言った。

薄汚い嘘やアリバイ工作の大根劇に

私まで引っ張り出されて悪役を演じさせられる、この無念!

何年も後で聞いたら倒れそうな酷い言葉を言いまくった。

 

ナンボ言うても言うても、言い足りなかった。

足りないどころか、ますます言いたいことが出てきて止まらん。

人は家族から傷つけられた時、受けた傷そのものよりも

自分の発した言葉が自分自身を傷つけると知った。

 

で、夫の方は何を言っても馬耳東風。

改めたり反省するどころか、ますます悪事にのめり込んだ。

私の渾身の怒りは、女房のヒステリーという

もっともらしい言い訳を与えてしまうだけだった。

「自分の毒に自分が当たってちゃ、自滅じゃ」

そう思ってやめた。

疲れるし。

 

以後は短文勝負に路線変更。

そうよ、短ければ毒も薄いんじゃないの?…

録音したとしても、恥ずかしいのが早く終わるじゃん…

これに気づいた私は、短い言葉でいかに相手にダメージを与えるかを

考えるようになった。

 

しかし、努力も研鑽もいらんかった。

男の子を育てていると、自動的に言葉が簡潔になるからだ。

長々と話したって、男の子は聞いちゃくれないもん。

「いいじゃん!」、「やるね〜!」、「さすが!」

これだけ言ってれば、たいていはどうにかなるもんよ。

むしろ男は、これを聞くために生きているようなものかも。

 

「オカンと接触したら、長くなるからな〜」

という印象を普段から持たせないようにするのが

いざという時に話を聞いてもらえるコツ。

よって、滅多なことでは電話もLINEもしない。

そうしておかないと、アレらは肝心な時に話を聞かない。

もちろん彼らが助言を求めたり、彼らが話したい時は

いくらでも会話する。

 

あ、そうそう、夫とはLINE交換してない。

メール時代の経験上、相手を間違えて

愛の言葉を送られたら気持ち悪いから。

 

横着な私は、やがて夫もまとめて同じ扱いをするようになった。

するとじきに彼の行動について、何か言うのがかったるくなり

放置を決め込んだ。

しかし、息子たちと違う扱いが一つ。

「子供らに恥かかしたら、◯す」

これは言う。

このひと言で、こちらの気持ちも夫が今置かれている状況も

十分伝わる。

彼がそれをどう受け取るかは、自由だ。

最初は「あんたのやっとることは知っとる。

子供らに恥かかしたら…」だったけど、そのうち端折った。

 

子供にかこつけて、釘を刺しているのではない。

息子たちが大きくなってくると、本当にそれだけになるのだ。

私はどうでもいい。

こういう修羅暮らしも長くなると慣れちゃって

笑われようが何を言われようが構わなくなる。

しかし何の罪も無い息子たちが

「あの浮気者の子供」と言われるのは

実際に言われて嫌だったので、そうしたまでだ。

 

「長いはNG」

だから私は、そう認識して生活するようになった。

え?その割にあんたの文章は長ったらしいよねって?

反動ということにしてちょ。

 

ご質問では

『この技はほかに旦那さん息子さん義母さんすべてに

使われてるのでしょうか?

旦那さん、息子さん、義母さん、お友達への

「撃ち返し」の使い分けなどありましたら

いつかまたご教授ください』

ということなので、まず夫と息子のことをお話しして

次は義母についてだが、これは明らかに夫や息子とは使い分けている。

使い分けの理由は一つ。

自分の身を守るためである。

 

同居する義母ヨシコと、実家の母…私には二人の母がいるが

どっちも90才前後の高齢。

老婆は急にとんでもない用事を思いついては

他者にやらせようとする特徴を持つ。

アレらは自分が得や楽をしたり、ええカッコするためなら

他者がどうなろうとかまわないので始末が悪い。

 

できることならやるし、疲れも大変も諦めるが

うっかりイエスと言って行動したばっかりにトラブルになったり

成果が気に入らなくて文句を言われることも多々ある。

敵が本当は何を求め、どのような結果を期待しているか…

相手の発する最初のひと言で推理し

間髪入れず撃ち返さなければ、アレらの罠にはまり放題だ。

 

沈黙したり、言い訳を考えてグズグズしたら押し切られるので

確かにテンポは大事。

テンポよくポンポンと撃ち返しながら、だんだん話題をそらして行き

スピードに付いて来られなくなったアレらの神経が

別の方向へ向いたら、ようやく解放される。

 

このように神経を使わせるから、老人は嫌われるのだ。

夫と息子はリラックスできる相手なのでポンポン言わないが

油断ならん相手にはポンポンするのが、私の流儀である。

《続く》

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始まりは4年前・31

2024年08月29日 14時51分14秒 | みりこん流

大きな台風が来ていますが

皆様がお住まいの地域は大丈夫でしょうか?

くれぐれも気をつけてくださいね。

 

 

さて、母の行く末が決まるであろう来月末を

まんじりともせず待つ私だが

それにつけても老人の世話は骨が折れるものだとつくづく思う。

なぜ骨が折れるか。

周りに気を遣う人は、気を遣うのにくたびれて早くいなくなるが

長く生き残る人はたいてい、超絶プライドが高くて超絶ワガママだからだ。

 

プライドが高くてワガママな人と付き合うのは大変だが

さらにアレらは高齢や病気を言い訳にして、周囲の人間をアゴで使う。

しかもタダで。

出費は最低限、実入りは最大限がアレらのモットー。

物資不足の中で生まれ育った時代背景もあろうが

そもそもプライドが高くてワガママな人は

ケチもセットで付いているものだ。

 

その上、運転免許を持ってない人も多いので

車が夢の乗り物だと思っている。

タクシーと違い、タダでどこへでも行ける魔法の絨毯みたいな感覚だ。

急に思い立った要望を容赦なく言いつけるが

その要望の大半は車を必要とする労働なので

アレらに奪われる労働力と時間、ついでにガソリン代は倍化する。

しかし、アレらは知ったこっちゃない。

そういう気遣いをしないで生きて来たから、長寿なのだ。

 

そしてプライドが高くてワガママな人は

自分の命令を聞かない者が許せない。

加齢で理性が失われるのもあって、思い通りにならないとすぐキレたり

尾ひれをつけて他の人間に言いふらす。

そのためアレらの周辺は、いつもゴタゴタしている。

 

あえて言うが、アレらはすでに人間ではなくモンスターである。

なぜモンスター化するのか。

感謝を知らないからだ。

世話をする人間に感謝せぇ、というのではない。

生まれて来たこと、生きていること、家族の存在、美しい自然…

感謝する案件は無限にあるにもかかわらず

それには目を背け、ひたすら自分、自分、自分。

人間とモンスターの違いは、感謝の有無である。

 

しかし、アレらばかりが悪いのではない。

人間、年を取り過ぎると、どうもああなるらしい。

日本の歴史上、老人がこれほど長生きをする時代は無かった。

あんなに生きる老人の前例がほとんど無いから

今のスーパー長生きな老人が必要以上に悪質に見えるだけで

我々もスーパー長生きをしたら、同じ老人になるのかもしれない。

 

『ギャラリー』

この4年、母に多くの時間を費やしてきた私だが

全てが大変なことばかりではない。

4年前から急に私を娘認定した母と

急に娘の役柄を演じることになった私の二人連れに

町の人々は温かかった。

疎遠だった二人の妹と親しく連絡を取り合うようになったのも

母の件があればこそである。

 

中でも幸運を感じたのは、鬱陶しいギャラリーが存在しない環境。

うちには、夫の姉がほぼ毎日やって来るという

嫁にとって悪しき習慣があるので身に染みているのだが

労働はせずに口だけ出されるって、そりゃ嫌なもんよ。

今はもう慣れてしまって何ともないが

町内に住む親戚たちも、似たようなものだ。

 

母の実子であるマーヤや、母の姪である祥子ちゃんが

それをやるような人間であれば、私はブチ切れていただろう。

よくある話を例にすると

「今の病院より、市外の⬜︎⬜︎病院がいいって聞いたよ」

「かわいそう」

「こんな物しか食べさせてもらってないの?」

などと、いかにも老人のことを思っているそぶりで

無責任なことを言われたら、迷惑この上ない。

 

かわいく思っている人物から、そのような発言を聞いたら

ただでさえ揺れやすい老人の心は激しく揺れる。

世話をする者の言うことを聞かなくなったり

発言した人物に世話をしてもらいたいと無いものねだりを始めるだろう。

 

老人を保護するとは、病院その他へ連れて行くこと

老人ができない用事を代行すること

ごはんを作って食べさせること…

つまり地味でしんどくて、時間のかかることばかりだ。

ギャラリーに生半可な善意で口を出されると

ただでさえ厳しい老人の世話が、ますます厳しいものになる。

 

普段、離れて暮らしているギャラリーは

老人の世話に手を染める可能性の無い安全圏にいるからこそ

無意識にいい加減なことが言えるのだ。

医療関係者は、老人や病人の世話を主だって行う1名を

キーパーソンと呼ぶが、ギャラリーの無責任な発言は

このキーパーソンに多大なストレスをかける。

 

私には、それが無かった。

ワンオペは確かにきついが、誰かと協力し合ってやるのは

私の性に合わない。

協力し合うったって、労働の質と量の差はどうしても出るので

言うにいえぬ不公平は付いて回る。

老人は老人で、あんまりやらない人の方が口だけは優しいので

そっちを好んで優劣をつけるものだ。

そんなつまらぬことに腹を立てるより、一人で引き受けた方が

気だけは楽じゃないか。

 

その点、マーヤも祥子ちゃんも潔かった。

距離的に遠くてそもそも無理とか

近くても母が苦手という理由があったにせよ

この徹底した潔さに助けられた。

 

一つ下の妹も

「話し相手ぐらいしかできないけど、たまには行こうか?

その間、姉ちゃんは休めるじゃろ?」

と言ってくれたが、別に会いたいわけでもない継子が

はるばる山口くんだりからやって来たからといって

どうなのかな?と思った。

 

それでも一応、母には妹の意向を伝えてみた。

しかし普段と違う人間が家に来ることに緊張し

具合が悪くなったので、断った。

私も妹の気持ちは嬉しかったが、たまに顔を出すだけで

手と金を出さないギャラリーはいらないのが本音だ。

 

老人の身内であっても、扶養義務や保護責任の無い人はたくさんいる。

その人たちに申し上げたい。

「口は出すな、出すなら手と金だ」

《完》

 

1ヶ月に渡って続けさせていただきましたシリーズに

辛抱強くお付き合いくださいまして

誠にありがとうございました。

毎日の更新は、私にとって一種のチャレンジでしたが

皆様のお陰で成し遂げることができました。

テーマを与えてくださったモモさんを始め

コメントをくださった皆様、応援ポチを押してくださった皆様に

心より感謝申し上げます。

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始まりは4年前・30

2024年08月28日 10時07分43秒 | みりこん流

1ヶ月ぶりに電話してきた母は、長袖の服を持って来いと言ったが

いったい何が目的なのか。

また何か企んで、服を口実に私を呼んでいるのか。

それとも単に友だちができたのか。

思い浮かぶのは、二つだけだった。

 

企むとしたら、どんなことなのか…

これはぜひ予測して対策を講じておきたいところだが

認知症になったことがないので

彼女がどのような手を考えるのか、見当がつかない。

私はうっかり寝過ごして一夜漬けすらできなかった

受験生のような気分で病院に向かった。

 

はたして面会室に入ってきた母は、晴れ晴れとした表情で

とても元気そうだ。

なんか、ふっくらしてるみたい。

「みりこん!よう来てくれたね!」

声も元気そのもの。

不安神経症や鬱病の薬を飲んでいた頃の

ロレツの回らない暗〜い話し方ではなく、完全に若い頃の母だ。

 

そうそう、昔は機嫌のいい時はこうだった…

私は懐かしく思い出す。

歌うように話す母は可憐で華やかな、ミニ薔薇みたいな人だったっけ。

小さくてもトゲ、あるし。

 

病院の薬がバッチリ合ったのだろうか。

あるいは一時的な高揚なんだろうか。

それを見極める間も無く、母は嬉しそうに言った。

「友だちができたんよ!」

「おお!良かったじゃん!」

「毎日おしゃべりができて、楽しいわ」

カンは当たった。

友だちの方だった…ホッ。

 

友だちは二人いて、一人は同室の人、もう一人は別の部屋。

どちらも年下だが、ほぼ同年代だそうで

親しくなって1ヶ月ぐらい経つと言う。

友だちができた興奮で、私のことは忘れてくれていたのかも。

 

母は同室の友だちと一緒に、二人部屋にいると言った。

ということは、継子の陰謀説で母を洗脳していたあの百婆は

1ヶ月前に部屋を移動したことになる。

母が不安定になるので、引き離されたのかもしれない。

 

「他にも嬉しいことがあったんよ!」

母は続ける。

夏休みということで、病院には中高生が10人ぐらい入院したのだそう。

「今どきは中学生や高校生も、こんな病院へ入院するんじゃね」

母は驚いたそうだ。

 

その中にモモカちゃんという高校1年生の女の子がいて

その子と仲良くなったらしい。

「長い髪を三つ編みにして、垂らしとる子なんよ。

“おばさんが女学生の頃は、両側の長い三つ編みを二重に巻いて

耳の後ろで止めて、リボンを付けとったんよ”

そう言うて、やってあげたら

“こんな髪型、全然知らなかった”いうて喜んでくれてね」

 

モモカちゃんは2週間、入院して前の週に退院したが

その時、母に手紙をくれたんだそう。

《私を娘みたいに可愛がってくれて、ありがとうございました。

髪型も教えてくれて、ありがとうございました。

おばちゃんが優しくしてくれたので、入院が悲しくなかったです。

元気でね》

手紙には、そう書いてあったという。

 

「良かったねえ」

「ほんと、何でなつかれたんか、わからんのじゃけどね」

「だってあんた、学生は得意分野じゃん」

そうなのだ…母はうちへ嫁に来た当時

学校事務の職員として中学校に勤務していた。

公務員生活の後半は役所関係でお金を相手にしていたが

前半は紛れもなく、学生相手の商売だったのだ。

 

「わたしゃ学校におった?ほうじゃったかいの…?」

前半のことは、忘れてるみたい。

入院する際の聞き取りでも、学校事務の職歴は飛ばしていた。

 

ちなみに私が小学1年生だった頃、彼女は我々の小学校で事務をとっていた。

職員室で仕事をする彼女を覚えている。

2年生になったら他校へ転勤したが

5年後にその人が自分の父親と結婚するなんて、夢にも思わなかったぞ。

 

ともあれ母は、新しい友だち2人とモモカちゃんのお陰で

入院ライフをエンジョイしているようだ。

1ヶ月前の通帳と鍵のことなど、すっかり忘れているのに安堵した私は

母との面会を初めて楽しめた。

そうよ、いつも執拗で意地悪なばかりではない。

この人、調子のいい時は、話がけっこう面白いのだ。

 

長袖の服を届けて以降は、再びパッタリと音沙汰無し。

…と思っていたら先週末、電話があった。

「もっと厚手の服とベストを持って来て」

 

持って行ったら、また友だちの話で盛り上がった。

母はやっぱり元気そのもの。

しかし、気になることが一つ。

「9月の末に退院じゃけんね」

な、なんですと…?

 

そりゃあ入院したら一応の目安として、入院期間は3ヶ月とされる。

3ヶ月経ったら継続か退院か、あるいは施設入所のどれかに決まるのだ。

入院の際の話では、鬱病を改善して施設入所を目指すと言われたけど

それが本当なのか、建前なのかは不明。

病院からは、入院したきり何のお達しも無い。

来月の末、つまり3ヶ月が経過したら、何らかの方針を示されるのだろうか。

 

翌日、マミちゃんに会ったので、このことを相談したら

「妄想よ」

と一蹴。

「認知症なのに退院させるわけ、ないじゃん。

うちのお父ちゃんも、何月何日の何時に退院じゃけん迎えに来いって

いかにもホンマげに言いようたわ。

それが認知症なんよ」

 

「妄想で帰るつもりになって、それが違うと知ったら

お父さんは暴れた?」

私の質問に、マミちゃんは優しく微笑んでシビアな返答。

「認知症じゃけん、自分が言うたことは忘れとるわいね。

もし暴れたら、薬でおとなしゅうさせるんよ。

そういう薬があるのが、精神病院じゃが」

「……」

 

はたして来月末は、どうなるのだろうか。

完全に退院して家に帰ることは、もう無いと思う。

鬱病の方はともかく、認知症で一人暮らしは無理だ。

となると、考えられるのは退院の延期か、施設入所。

とにかく家に帰りたい…その希望が絶たれると、荒れるのは必至だ。

 

入院が伸びたとしたら、また振り出しに戻って

面会の要請、恨み言の羅列が再開するかも。

が、施設も危ない。

だって施設は精神病院と違って制限が緩いので

携帯電話は本人に返却される。

そうなりゃもう、電話魔復活は決定じゃんか。

チ〜ン。

 

さて、どうなるのか。

ちょっとドキドキしながら、その時を待つ私である。

《続く》

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始まりは4年前・29

2024年08月27日 09時04分49秒 | みりこん流

母からの電話が途絶え、私も面会に行かなくなって

約1ヶ月が過ぎた。

面会に行くのをやめた翌週、病院から電話があり

太ももが痛いと言っているので

外科のある病院へ連れて行くという話だったが

結果は異常無しで、病院との連絡もそれきりだ。

 

椎間板ヘルニアになって以降

大腿部の痛みは入院する間際まで、時折訴えていた。

それがヘルニアのせいなのか、私を呼ぶための演技なのか

鬱病による幻の痛みなのかは、わからずじまい。

それも今となっては、どうでもいいこと。

生きた母に会うことは、もう無いかもしれないな…

私はそう思うようになった。

そしてあの時、継子は信用できないと言ったのが

別れの言葉になったのかな…

そうも思うようになった。

 

ところで母が入院して以来、仲良し同級生マミちゃんの経験談に

かなり助けられた。

彼女のお父さんも5〜6年前に母と同じ病院へ入院し

そこで亡くなった話だ。

「実は、うちのお父ちゃんも同じ病院じゃったんよ。

最後が精神病院って、あんまり人に知られたくないけん

今まで誰にもよう言わんかったんよ」

母がそこへ入院したことをマミちゃん伝えた時、彼女はそう言った。

 

マミちゃんのお父さんは

お母さんが急死してほどなく認知症になった。

幸いマミちゃんたち3人姉妹は近くに住んでいるので

お父さんの介護を交代で受け持ち

デイサービスやショートステイを利用しながら数年を過ごした。

 

やがてお父さんの症状は悪化し、暴れるようになったので

◯◯精神病院へ入院することになった。

そこからが姉妹の地獄だったという。

お父さんが入院していた頃は

まだ携帯電話の制限が緩かったそうだ。

 

「ワシをキ◯◯イ病院へ入れやがって!出せ!帰る!」

と電話に次ぐ電話。

そして面会の要請、行けば恨み言。

狂気の電話か、電話が凶器か…

マミちゃん姉妹は電話に苦しめられたという。

母と同じだと言うと

「誰でも最初はそうなるみたいよ」

マミちゃんが教えてくれなければ、私はもっと悩んでいたかもしれない。

 

マミちゃんは三姉妹なので、負担も3分の1だったと謙遜するが

最も困ったのは、毎日のように近所の店に電話をかけて

食料品や日用品を病院に届けるよう注文する行為だったそう。

「みんなご近所さんだから許してくれたけど

謝って回るのは本当につらかったんよ」

お父ちゃんが亡くなった時は、悲しみよりもホッとした…

マミちゃんは言った。

 

彼女がそんな目に遭っているなんて

微塵も気がつかなかったので驚いたものだ。

同級生仲間のけいちゃんは

お母さんが入院していたのをあけすけに話していたが

その時もマミちゃんは「うちもよ」と言えなかったという。

 

それにしても同級生で結成する5人会の中で

3人までもが親を◯◯精神病院へ入院させたのは

なかなかすごいことではなかろうか。

親がいたずらに長生きするようになった時代

◯◯精神病院の需要は高まるばかりだろう。

 

 

さて、やがてお盆がやってきた。

私の携帯に公衆電話から着信が…

実に1ヶ月ぶりだ。

元気なんじゃん…。

 

1ヶ月も放っておいたから、どんな罵詈雑言が飛んでくるやら…

そう思いながら出ると

「あ、みりこん?わたしゃまだ、生きとるんよ!アハハ!」

ものすごく明るいじゃないの。

 

「盆が来るけど、マーヤは帰るって言ようる?」

マーヤの名前が出たら、気をつけなければならない。

イエス、あるいはノーで明確に答えたらあかん。

明確に答える…それはマーヤと私が

密に連絡を取り合っている証拠になるからだ。

 

よその継母のことは知らないが

うちは実子と継子が結束していると知ったら逆上するタイプ。

フォーメーションに過敏というのか

2対1、あるいは一つ下の妹も混じって3対1になるのを

昔からひどく嫌う。

孤独感にさいなまれるらしい。

だから彼女は我々三姉妹を一人ずつ分断することに心血を注ぎ

継子同士を戦わせて実子のマーヤを温室に囲う戦略を取ってきた。

 

よって、つまらぬ受け答えをしたばっかりに

また入院当初の“帰る攻撃”が再発したら面倒なので

ここは慎重かつ敏速に対応しなければならない。

「どうなんかね?知らんのよ」

マーヤは、盆や正月に母が外泊しないか…

その時は自分たち一家が帰って世話をしないといけないんじゃないか…

と悩んでいた。

母はマーヤが一家で帰省しないと気に入らないが

子供たちは怖がっているし、旦那は何も言わないけど嬉しいはずがない…

だからといって自分一人で母の面倒を見る自信は無い…。

 

「盆正月に一家で帰省する習慣は、もう終わったと思いんさい」

だからマーヤにはそう言ったばかりだが、母には“知らない”と言う。

「あっら〜、どしたん!連絡取ってないん?」

嬉しそうな母。

「あの子も忙しいけんね、何も聞いてないわ」

「ふ〜ん、じゃあ帰らんのじゃね。

マーヤが帰らんのなら、私も盆は帰らんけんね」

えっ…帰るつもりだったんかい!

お母様、やっぱり認知症なんですね…。

 

「そうそ、あんた、長袖の服を持って来てくれん?

朝晩が寒うなったけん」

精神病院では、ほとんどの患者がパジャマでなく洋服を着ている。

夏物は実家から何枚か持ち出して届けたが、長袖はまだ届けてなかった。

「わかった、明日持って行く」

 

電話を切ったものの、ここしばらく母のことはノーマークで

マミちゃんやモンちゃんと遊びほうけていた私。

すっかりカンが鈍ってしまって、彼女の考えていることが謎。

 

こういう時は結果が両極端なのを、私は長い付き合いで知っている。

1ヶ月かけて練られた罠が、私を待ち構えているのか。

それとも服を所望したというデータから、友だちができたのか。

私が予測したのは、以上の二つである。

 

服を所望したら、なぜ友だちができたことになるのかって?

老女に新しい友だちができたとしたら

おしゃべりの内容は、ほぼ自慢と決まっている。

自慢するからには、衣装の披露が不可欠。

あの年頃の女子には常識だ。

宝石もバッグも靴も許されない病院で

着る物は、各自のセンスや経済力を証明する唯一のアイテムなのである。

 

翌日になっても丁か半か、全く予測できない。

考えても仕方がないので、実家に寄って母の服を見繕い

病院へ行った。

《続く》

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始まりは4年前・28

2024年08月26日 09時02分00秒 | みりこん流

病院へ面会に行かなくなって、3日。

祥子ちゃんに渡すと言った通帳も鍵のこともすっかり忘れ

母の電話を警戒しながらも、穏やかに過ごしていた私に

その祥子ちゃんから電話がかかる。

 

「サチコさんと連絡が取れん言うて

民生委員さんが心配しとるんよ。

入院でもしたんかね?」

「うん、6月の終わり頃から入院しとるんよ」

「やっぱりそうだったんじゃね。

うちの近所に民生委員さんの畑があるけん

よう会うんじゃけど、サチコさんとこへ何回行っても留守で

携帯も家の電話も繋がらん言うとってんよ」

 

一人暮らしをする後期高齢者には

市から任命された民生委員が担当として付いている。

月に一度か二度、家を訪問して

独居老人の安否を確認することになっているのだ。

その安否が確認できないので、民生委員が困っているという

祥子ちゃんの話であった。

 

入院する時、私は母に問うた。

「近所には連絡したけど、民生委員さんには連絡せんでもええん?」

「民生委員?

3年前に1回来ただけで、顔も覚えとりゃせん。

連絡なんか、せんでええわ」

母がそう言うので、そのまま忘れていた。

 

しかし祥子ちゃんによると、その民生委員はとても熱心な人で

月に2回は必ず母の様子を見に行ってくれるのだそう。

「3年前に来たきりなんて、民生委員さんが気の毒じゃわ」

祥子ちゃんは笑いながら言った。

 

民生委員は、私の携帯番号を母から聞いているので

連絡しようとしたが、その番号が違っていたので

連絡がつかなかったそう。

母の消息を聞くために連絡を待っているので

民生委員に電話して欲しい…

というのが祥子ちゃんの用件だった。

 

「電話をもらったついでで悪いけど…」

私は祥子ちゃんにたずねる。

「今までお母さんの通帳と家の鍵は私が持っとったけど

何日か前、祥子ちゃんに預けたいと言い出したんよ。

念の為に一応聞くけど、それについてどう思う?」

祥子ちゃんと私は、遠慮無く何でも言い合える間柄。

こういう時に、気を遣って話さなくていいので助かる。

この人、本当にあっさりしたいい人なのだ。

母と血が繋がっているとは思えない。

 

「何だって?

叔母さんが言い出しそうなことじゃけど

そんなの、筋が通らんわ。

あの人、やっぱりおかしいんじゃね。

私、あの人が家に居るのが嫌で

高校もわざわざ遠くへ通うたし、大学も大阪を選んだんよ。

あの人がおらんかったら、どっちも近い所で済ませたわいね。

あんた、悪いけど現状維持で頼むわ」

「そう言うと思ったよ」

「あんたにばっかり押し付けて、ホンマにごめん。

私にも手伝えることがあったら手伝うけん、いつでも言うて」

「じゃあ、葬式の時にでも呼ぶわ」

「アハハ!わかった」

 

こうして、民生委員に電話をすることになった。

女性と思い込んでいたのに、男性だったので驚いた。

優しい声の誠実そうな人だ。

はは〜ん、この人、母の好みのタイプじゃなかったんじゃな。

だから、3年前に来たきりなんて言うたんじゃわ。

いかにも母らしい。

 

民生委員との電話を皮切りに

あちこちから母の消息をたずねる連絡が入り始める。

母は精神病院への入院を知られたくないのと

すぐに退院するつもりだったのとで

「近所以外には黙っておいて」

と言っていたが、町から姿を消して半月…

趣味の仲間を始め、1日おきに行っていた美容院などが

心配しているのだった。

 

その中には、コーラスの先生もいた。

黙っていたことを詫び、事情を説明すると

「あの人は、とにかく嘆く人だからねぇ…

病気になるのも無理は無いわ」

と言って納得していた。

嘆きの女王は、先生にもさんざん嘆いていたらしい。

 

さて、私が家に居るようになったので、家族は不思議がっていた。

「今日は電話、無かった?」

息子たちは毎日、電話の有無をたずね

携帯の着信音を口笛で真似る。

「およし!」

私がそう言って嫌がるのを楽しんでいるのだ。

 

義母ヨシコも不思議がった。

「あれだけ日に何回も電話があったのに、パッタリ無いし

あんたも病院へ行かんようになったし、急にどしたん?」

そうたずねるので、通帳と鍵の件を話すと

ヨシコは烈火のごとく怒り狂った。

「恩知らずもええとこじゃ!もうほっときんさい!」

ヨシコもまた、母の被害に遭っていたので彼女には厳しいのだ。

 

母は今年の春あたりから

私の携帯と家の電話の区別がつかなくなり

ヨシコが出る家の電話にも頻繁にかけるようになった。

本人は携帯にかけていると思い込んでいるため

私と間違ってヨシコにぞんざいな口をきいたり

私が留守だと不機嫌になって暴言を吐く。

ヨシコはよく腹を立てたが、相手は病人だと思って

ずっと我慢していたのだ。

 

そして母のワガママぶりを見るにつけ、我が身を振り返るようになった。

「私はサチコさんとは違う!」

口癖のように言い始め、自分でできることは私に頼らず

できるだけ自分でやるようになった。

つまりヨシコは、ちょっと変わった。

 

私もまた、母がこうなって以来

ヨシコがいかに扱いやすい年寄りかを知った。

言い出したら絶対に聞かない、譲らない、諦めない母と違い

ヨシコは話せばわかってくれる。

人の言葉尻を取って執拗に引っかかる母との会話は

常に油断のできない真剣勝負だが

ヨシコと話す時は何も考えなくていいので、楽だと気づいたのだ。

 

通帳と鍵の問題が勃発する少し前…

この辺に暴風雨が吹き荒れた日のことだ。

母からはいつものように、面会に来いと電話があった。

病気や認知症になる前から、彼女はそうだった。

来させるのは我が子でなく継子、天気も危険も知ったこっちゃない。

 

「行ったらいけん!」

その時、ヨシコはいつになく素早い動きで玄関へ走り

私に通せんぼをした。

「大雨じゃのに山奥へ行って、何かあったらどうするん!

また電話があったら、姑に止められたと言いんさい!

それでも来い言うたら、私が文句言うてやる!」

ヨシコの剣幕に驚いて、私は面会に行くのをやめた。

 

私にもしものことがあったら家政婦がいなくなるので

困るのは彼女だから、止めたい気持ちはわかる。

しかしそれ以上に、ヨシコの親心もわかった。

ありがたいと思った。

その日、母からの電話はもう無かった。

《続く》

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始まりは4年前・27

2024年08月25日 09時29分20秒 | みりこん流

入院する前

「これで入院費の支払いをして」

そう言って私に渡した通帳を

姪の祥子ちゃんに預け変えたいと言い出した母。

私は密かにその発言を喜んだ。

だって、祥子ちゃんがウンと言ってくれれば

私は解放されるんだぞ!

…とはいかない。

賢い祥子ちゃんが、通帳を受け取らないのはわかっている。

特にお金のことで母と関わりを持つのは、まっぴらごめんのはず。

 

私の喜びは、母の気持ちがマーヤから遠のいた部分にあった。

娘のマーヤを無職にして家族と引き離し、自分の世話をさせる…

それが母の根底にある最大の願望。

しかしマーヤの名前は出ず、母の意識は祥子ちゃんに向いた。

入院中はお金の管理だけでなく

留守宅の管理も行う必要が生じるため

遠くのマーヤより、同じ町に住む姪の方が現実的…

母が祥子ちゃんを選んだ理由はここだと思うが

叔母と姪なら、母娘の関係より遠いので拒否すればいい。

マーヤはひとまず安全圏に置かれ

祥子ちゃんは逃亡可能となると、重責が少し軽くなった気がした。

 

母は、通帳の管理を

私から祥子ちゃんに変更したいもっともな理由として

相部屋になった百才のお婆さんの話を持ち出す。

その百婆と親しくなった母は

継子が自分の世話をしていることを打ち明けたという。

 

それ以降、百婆はしきりに言うのだそう。

「私は嫁に騙されて、ここへ入れられたけど

あんたも継子に騙されたんよ。

継子と医者はグルよ。

間違いない。

あんた、私と一緒でどっこも悪うないんじゃろ?

それが証拠よ!

あんたの面倒を見るのが嫌になったけん、医者に頼んだんよ。

嫁も継子も他人じゃけん、そういうむごいことを平気でするんよ!」

 

継子の陰謀説にすっかり洗脳された母は髪を振り乱し

依然として私に白目をむきながらわめく。

「A先生と心療内科の女医と、あんたはグルなんじゃ!

私が邪魔なけん、あいつらに頼んでここへぶち込んだんじゃ!

私は何でもお見通しじゃ!

年を取って、継子からこんな目に遭わされるとは思わんかったわ!

退院したら、Aと女医とあんたの3人を訴えるけんね!」

 

私はプッと笑った。

「ほほう、素晴らしい想像力じゃん。

やってみんさいや。

私は受けて立つけど、あんなに世話になった先生を訴えたら

私もあんたを名誉毀損で訴えるわ」

 

「あんた…そんな物騒なこと、言いなさんなや…」

他に誰もいない周囲を見回し、急におとなしくなる母。

「あんたが先に言うたんじゃん。

そういう無茶を簡単に言うのが、すでに病気なんよ」

 

都合が悪くなると話を飛ばす…それが母。

急いで話題を百婆の語録に戻す。

「継子に家の鍵を渡したらダメよ、あんた!

家の中はもう、カラになっとるよ!

いいや、あんたが退院する頃には帰る家も無くなっとるわ!

通帳も渡しとるんじゃろ?

皆使われて、あんた、文無しよ!

悪いことは言わんけん、今から通帳だけでも

血のかかったモンに預けんさい!」

百婆は、何度も言い続けるのだそう。

 

趣味の俳句で鍛えた表現力により

百婆の様子を臨場感たっぷりに再現する母が

とても認知症と思えないのはさておき

毎日、それを言われるたびに不安が増してきたそうだ。

百才になっても、まだ他人のことに興味を示し

首を突っ込んで揉めさせたい人がいる…

ここに私の感動があった。

 

そして母は、結論を述べる。

「隣の人に言われて、私もつくづくそう思うたんよ。

他人に通帳と家の鍵を渡したのは失敗じゃったわ」

さっきのお返しに、これで私を凹ませたいのだろうが

あんたに鍛えられたお陰で屁でもないわ。

 

そう、人を傷つけて生きてきた人は

いつも誰かを傷つけなければ気が済まなくなる。

が、年を取り過ぎて周りに人がいなくなり

若い世代からは相手にされないとなると

当然ながらターゲットは減る。

母が本当に鬱病だとしたら

人を傷つけようにも、そのカモがいなくなり

欲求不満が高じたのが原因だと私は思っている。

 

「わかるよ、その気持ち。

私だって同じ立場じゃったら、そう思うよ。

じゃあ、帰りに祥子ちゃんに頼んでおくわ。

家の鍵は今日渡すとして、通帳は持って来てないけん

明日、祥子ちゃんに渡すね」

私は母に言った。

 

「そうして。

祥子なら安心できるけん。

血のかかったモンしか、信用できんわ」

「そうじゃろう、そうじゃろう!

帰りに受付で、病院の保証人や請求書の宛先も

祥子ちゃんに変えてもらっとくね」

「そうして」

「じゃあお母さん、私の面会は今日で最後になるけど元気でね!」

 

ここで驚く母。

「えっ?もう来てくれんの?」

「当たり前じゃん。

泥棒扱いされても、まだ嬉しげに家や病院へ出入りしょうたら

ホンマに金目当てじゃと思われるが」

「面会には来て!」

「無理、バイバ〜イ!」

 

私は足取りも軽く、スタコラと帰った。

血のかかったモンに任せたい…実のところ、この言葉を待っていた。

私にとって、母の言質を取ったのと同じだ。

今後は血がかかってないことを理由に

様々な面倒を回避できるではないか。

 

だからといって、母を祥子ちゃんに投げるつもりは無い。

70才になり、静かな夫婦暮らしを満喫する祥子ちゃんは

必ず拒否する。

 

私もこんな厄介な人物を、血縁を理由に押し付けるつもりは無い。

今後、あの厄介な人物が厄介なことを言い出したら

「あの時、あんたはこう言ったよね」

そう反撃できるではないか。

お金に対して非常に敏感かつ厳格な母にとって

通帳のてん末は重い内容なので、忘れたとは言わせない。

投げ返せる球を入手できた喜びは、大きかった。

 

「次から、この球が使える」

そう思って、半ば楽しみな私だったが

この日を境に、母からの電話はぷっつりと途絶える。

私にひどいことを言ったと反省するようなタマではないので

“名誉毀損”の熟語が効いたのかもしれない。

 

来いという電話が無いので、私はそのまま面会に行かなくなった。

7月中旬のことである。

《続く》

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始まりは4年前・26

2024年08月24日 09時13分12秒 | みりこん流

針と糸、大きいマスク、ファンデーションを持って来るよう

私に指令を出した母は、面会室に現れるとすぐに言った。

「大きいマスク、持って来てくれた?」

 

「こちらでお預かりしたので、必要な時に出しますね」

看護師が答える。

「マスクは今、いるんよ!」

母は怒りをあらわにして抗議したが

それぐらいで返すようなら、精神病院の看護師は務まらない。

 

「何で大きいマスクがいるん?」

私が聞いても答えない母。

「ファンデーションは?持って来た?」

早くも話は飛んどるし。

 

「化粧品はダメなんだって」

「どうして?化粧をせんと外へ出られんが!」

「あんた、外へ出るつもりなんかい?」

「服は?服は持って来てくれた?」

また話、飛んどるし。

その時に服も上下、持って来るように言われていたので

そっちが気になったのだろう。

 

ここで、やっとわかった。

母は大きなマスクで顔を隠し、私が持って行った洋服に着替えて

病院から脱走するつもりだったのだ。

ファンデーションは、守備よく病院を抜け出したあかつきに

大好きなスーパーへ買い物に行くためである。

 

針と糸を所望したのは

最初は入院した時の服を着て脱走しようと考えていたからだ。

しかし着る物は、病院の管理下に置かれている。

そこで母は

「ボタンが取れているので、面会に来た者に付けさせる」

という言い訳を考え

ナースステーションから服を持ち出そうとしたのだ。

が、そんな面倒なことをしなくても

別の服を私に持って来させればいいことに気づいた。

よって最初に思いついた針と糸は、忘却の彼方となったと思われる。

 

私が持って行った針とハサミを見た看護師は

職業上の常識で自◯や自傷を懸念したが

母は間違ってもそんなことをするタマではない。

ナンボ鬱病と診断されていても、それは無い。

人は容赦なく傷つけるが、我が身だけは守り抜く人間だ。

私の目の前には、自分の思い通りにしようと画策する

昔から変わらない母がいるだけである。

 

子供の頃は彼女の思惑が皆目わからず

うっかり引っかかっては砂を噛んだり煮湯を飲んでいた。

けれどもこっちが結婚して、嫁ぎ先の親と対峙していたら

わかるようになった。

彼らの私に対する扱いは、母のそれと同じだ。

絶対に読み解けない巧妙な罠だと思っていたものは

ワガママな人間の浅知恵に過ぎなかった。

 

『百婆の洗脳』

さて、帰りたい願望が強いのと、針とハサミ事件によって

個室から出るのが遅れていた母だが

いつの間にか、二人部屋へ移動したようだ。

面会で、相部屋の人の話が出るようになったので知った。

話し相手ができると、何が何でも病院を脱走するという固い意思は

徐々に萎えて行った。

 

同室のお仲間は、百才のお婆さん。

母が話すには、一人息子が先に亡くなり

嫁と二人暮らしになった途端、この病院へ入れられたそうだ。

自分との二人暮らしを嫌った嫁が、医者とグルになって入院させた…

お婆さんの主張である。

 

「わたしゃ今のあんたと同じ90才の頃は

まだ自転車に乗ってあちこち行きようた」

「あんたは最初の頃は元気そうじゃったのに

どんどん病人みたいになっていくね」

「医者に、おかしゅうなる薬を飲まされとるんじゃない?」

「実験台なんよ、あんた」

お婆さんは毎日、母にそう言うらしい。

 

母は、お婆さんの陰謀説に洗脳されて行った。

自分は元気なのに、騙されて精神病院へ入れられた…

このまま薬を盛られ続けたら、本当の病人になってしまう…

だから早く連れて帰って…

脱走という強行手段は諦めたようだが

帰りたい願望は前よりひどくなり、泣きながら電話をかけてくる。

すでに病人なんだけど、元気だと思い込んでいるのが

やっぱり認知症。

 

そんなある日、いつものように面会に行ったら

先に面会室に入って椅子に座っていた母が

遅れて入った私を白目でにらみつけている。

シロウトが見たら、怖くて足がすくむだろう。

 

しかしこの目、私にとっては懐かしいもの。

例えば親戚の葬式に、私と一つ下の妹が一緒に行ったら

こういう目をしてにらんでいたものだ。

継子二人のセットを見るのが、ものすごく嫌なのだ。

二人の継子が結束しているように見え、心をかき乱されるらしい。

私が人の態度を気にしないとしたら

それは母が身をもって教えてくれたものである。

 

ともあれ母は、私に大きな不満があるらしい。

口をへの字に曲げて言った。

「あんた、この病院の支払いはどうなっとるんね」

まるでスケバンだ。

これも昔から慣れているので、何とも思わない。

最初はドスをきかせて別件から入るのも、彼女得意の手である。

 

「まだ最初の請求が来てないけん、払ってないよ」

「ふ〜ん…

家の中の物はどうなっとる?」

「そのままよ」

「何か持ち出した物は無い?」

「冷蔵庫の食品は持って帰って捨てた」

「ホンマにそれだけじゃろうねぇ」

「…何が言いたいんや、あんた」

 

母は私の表情から、たじろぎを発見しようと

目をそらさず私を見つめ続ける。

これも懐かしい記憶。

 

高校生の頃は番茶も出花で、私は色が白くなりつつあった。

母はそんな私を「化粧している」と決めつけ

持ち物検査をしたり、時に白いタオルを持って来て

その場で顔を拭くことを要求した。

化粧をしていたら

ファンデーションが白いタオルに付着するはずだからだ。

 

母はその時も、私から目をそらさず見つめ続けたものである。

もしも証拠が挙がったら、口をきわめて責める気満々だ。

しかし結果は残念ながら、いつもシロ。

私からタオルを奪い取り、裏も表もシゲシゲと点検後

母はいつも悔しそうに去った。

少ない小遣いで、ファンデーションなんか買えるわけないじゃん。

継子の娘盛りを許せない、継母の心理を知った。

 

さて、母はいよいよ本題に入った。

「あんたに通帳を預けたのは、間違いじゃったと思うとる」

「何じゃ、それか。

いずれ言うと思よったわ」

「年金が入る大事な通帳じゃけんね!

まさか、使うとりゃすまいね!」

「使うも何も、まだ支払いが無いけん、預かった時のままよ。

返そうか?自分で払う?」

「…祥子にやってもらいたいと思うとる。

あの子は何といっても、私の血を分けた姪じゃけんね」

出た…やっぱり血なんだよね。

《続く》

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始まりは4年前・25

2024年08月23日 13時39分33秒 | みりこん流

次の面会では、ものすごくにこやかに現れた母。

「あんたも忙しいのに、毎日来てくれてありがとね」

自分が呼んでおいて、これなのはさておき

笑顔に猫なで声は一番危険なんじゃ。

裏がある証拠だと、私は長年の経験で知っている。

狡猾なサチコは今回も一晩、考えたのだろう。

 

「あんた、マーヤの電話番号、知っとるじゃろ?

連絡したいことがあるんよ」

母は面会室の椅子に腰かけるなり

身を乗り出して、軽〜くのたまう。

やっぱりな。

 

マーヤの電話番号を教えるわけにはいかない。

彼女は母親の電話を怖がっている。

仕事の合間や疲れて帰った時、あの調子でやられたんじゃあ

たまったモンじゃないわい。

私は母の電話、面倒くさいけど怖くはないので

どこまでもガードする所存だ。

 

「携帯忘れたけん、わからんわ」

持っているけど、そう言う。

「ええっ?!」

「あんたが早よ来い言うて焦らすけん、家に忘れた」

「何で忘れるん!やっぱりあんたって子は!」

何とでもお言い。

 

「じゃあ祥子の電話番号は?覚えてない?」

「電話したこと無いけん、知らんのよ」

母の姪、祥子ちゃんの携帯番号も家の電話も知っているけど

そう言う。

「んもう!役に立たん!」

「自分の実家の電話番号じゃろ。

あんたこそ、覚えてないんかい」

「そんなん、覚えてないわいね!」

「何の用事があるんね」

「あの子らを呼ぶんじゃ。

血のかかったあの子らなら、私の姿を見てかわいそうになって

どうでもこうでも連れて帰るはずじゃ!」

「なんね、その用事か」

「あの子らは、私をここへ置いてよう帰らんわ!

連れて帰る言うて、泣くわいね!

あんたは他人じゃけん、平気なんじゃ!」

「ハハハ!その他人にさんざん世話させたの、誰?」

「今はここへぶち込んで、せいせいしとろうよ!」

「どこが?

毎日ここへ呼びつけられて無茶言われるのに

せいせいどころじゃないわ。

あ、そうそう、家の水道メーターがおかしい言うて

検針の人から手紙が入っとったが、どこの業者に頼む?」

ここでまた別の話を振って切り抜け、その日はそれで終わった。

 

『脱走計画』

さらに次の日。

母から、また明るく電話が。

「あ、みりこん?

あんた、悪いけど黒い糸と針、持って来てくれる?」

「裁縫でもするんけ?」

「入院した日に着て行った服がクリーニングから戻っとるんじゃが

ボタンが取れとるんよ。

わたしゃ大分元気になってきたけん、もうパジャマはやめて

服にしたいんじゃが、ブラウスのボタンが取れとるけん着られんが。

面会の時に、ボタンを付けてちょうだい」

依然として明るさを保ったまま、ペラペラとしゃべる母。

危険信号だ。

 

精神病院に針はNGと、初心者の私でもわかる。

まぁ荷物になる物でもなし、言い出したら聞かないので

一応持って行って面会の前に看護師に聞き

母を納得させようと考えて準備した。

 

少しして、また母から明るく電話。

「わたしゃ小さいマスクしか持って来てないけん

大きいマスク、持って来て」

はいはい、わかった…と言ったものの、これも実はおかしい。

 

母は全身が、小学生サイズ。

マスクも小さい物を使わなければ、目まで隠れてしまう。

だから小さいマスクは、入院の時にたんまり持って行った。

それに入院する時、消耗品のストックが切れたら

介護士に地下の売店で買ってもらうことにしている。

何か変だけど、これも荷物にはならないので

家にあるのを持って行くことにした。

 

少し経って、また母から電話だ。

「あんた、ファンデーションを持って来て。

素顔じゃと、顔がパリパリするけん」

やっぱりテンション高め。

 

化粧品は禁止だったはずだ。

入院した時に持って行った化粧品は返されたので

私が持って帰った。

これも看護師の指示をあおいで母を納得させようと思い、承諾。

 

午後になり、母に言われた品々を持って面会に行った。

病棟のインターホンで面会に来た旨と

面会の前にチェックして欲しい物があることを伝え

応対に出てきた看護師に見せた。

 

「マスクは…

病院でお預かりしているのが、たくさんあるんですけど…」

「大きいマスクが欲しいと言うんですが

病院では大きい方がいいんでしょうか?」

「いえ、そんなことは…

まあ、ご本人が必要とおっしゃるなら、お預かりします。

あ、ファンデーションはダメです。

お持ち帰りください」

 

それから、裁縫道具を見た看護師。

顔色が変わった。

なぜなら私が持って行った透明のジプロックからは

糸切り用の小さなハサミが見えたからだ。

 

「ハサミはダメですね…お持ち帰りください。

こっちの小さいケースには何が入っていますか?」

「針と糸です」

沈黙する看護師。

 

「あの…こういう物を患者さんが持って来るように言われたんですか?」

「はい、着て行った服のボタンが取れたから付けて欲しいと…」

「服のボタンが取れたら

クリーニング業者が付けることになってます。

病院で縫い物はできませんから、お持ち帰りください」

 

実は針と糸は母から言われたが

ハサミは私が勝手に持って行ったものだ。

万一、許されてボタンを付けることができたとしても

糸を切る時にどうするんじゃ?と思い、気を利かせたつもりだった。

 

しかし病院の方は、ハサミと針という危険物を複数

確認したことになるらしい。

急に厳戒態勢になり、看護師が2人、面会に立ち会うことになった。

一人はこんな物を持って来るように頼んだ母を見張るため

もう一人は、こんな物をホイホイと持って来るバカな家族…

つまり私を見張るためかもね。

《続く》

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始まりは4年前・24

2024年08月22日 10時26分55秒 | みりこん流

『面会の難』

母が精神病院へ入院した翌日から、私は面会に通うようになった。

家に居る時と同じく、病院の公衆電話で呼ばれるので

仕方がないのだ。

 

面会するにはまず、受付で面会申込書を書いて提出する。

それを受け取った受付の人は病棟に連絡し、看護師の許可を仰ぐ。

OKであれば面会申込書に受付の印が押され、面会者に渡される。

面会者はそれを持ち、エレベーターで病棟へ。

そして病棟へと続く鉄の扉の横にあるインターホンを押して

患者の氏名を言う。

すると看護師が出てきて面会申込書を受け取り

ロビーにある面会室のドアを開けてくれる。

面会者はそこから面会室に入って待つのだ。

 

一方、患者は看護師に連れられて

病室に繋がる反対側のドアから面会室に入る。

面会室には面会者の入るドアと、患者が入るドアが

向かい合わせに二つあるということだ。

面会者と患者が揃うと、看護師は両方のドアに鍵をかけて去る。

どちらの鍵も、中からは開かない。

面会者と患者は、鍵のかかった部屋で面会をするというシステムだ。

 

面会が終わると面会室のインターホンを押して、看護師を呼ぶ。

看護師が来てドアの鍵を開けてくれ、面会者はロビー側のドアから出る。

そして患者は看護師のボディーチェックを受け、病棟側のドアから出る。

ボディーチェックは、面会者から妙な物を渡されてないか調べるためだ。

妙な物とは自◯や自傷、他傷に使えそうな物や

酒、タバコ、お金など持ち込み禁止の物のこと。

精神病院における面会は、このように厳重だと知った。

 

そういえば面会者の移動手段はエレベーターのみで、階段は使わない。

階段の存在すらも公開されてないので

公共の建物の天井からぶら下がっている

避難経路を示す緑色のプレートも、ここには無い。

移動経路が複数あると、患者の脱走が防ぎにくくなるからと思われる。

だからエレベーターの点検中に行った時は、長い時間、待たされた。

 

そういえば玄関の自動ドアも、一般の病院とは何だか違う。

二つの自動ドアを通らなければ、病院への出入りができない。

そして入る時は普通に開くが、出る時はドアが開くのが遅い。

入った時と同じ感覚で外へ出ようとしたら

未だ空いてないドアにぶつかるだろう。

おそらく玄関の自動ドアは、脱走の最終関門。

よく考えられているものだと、感心しきりである。

 

さて、母は毎日、私に面会要請の電話をかけてくるようになったが

それは決して私に会いたいからではない。

「家に連れて帰って」、「頼むから退院させて」

これを言うためである。

自分から望んでおきながら、思っていたのと違えば

元に戻ることを強く望む…昔から彼女の悪癖である。

帰ったら、また私に世話をさせる気満々。

 

面会2日目、3日目…母の帰りたいという要求は

日増しに強くなっていった。

身をよじりながら時に泣き、時に私を拝み

「連れて帰って」を繰り返す。

どうにもならないことで駄々をこね続ける…それが母である。

 

しかし、救いはある。

幸運なことに病院の面会規則は

毎日午後2時から4時までの15分間と決まっていた。

往復する時間は実家通いの倍だが、母のお守りをしていた頃よりは

拘束時間がかなり短い。

何を言われても15分間、耐えれば

看護師が迎えに来るので解放されるし、15分より早く帰りたければ

面会室のインターホンを押したらいい。

看護師が来て、面会は中断される。

 

とはいえ認知症には、一度に二つのことを考えられないという

便利な特徴がある。

別の話題を振れば、母の意識はそっちへ飛ぶのだ。

で、しばらく別の話しをした後

また「帰りたい」と言い出すので、また別の話題を振る。

これを2〜3回繰り返したら、15分の面会時間は終わる算段。

 

が、敵もさるもの…

誤魔化されているうちに面会時間が終わると気づいたのだろう。

私の顔を見るなり、一晩考えた新案を提示するようになった。

「A先生の所へ行って、私をここから出してくれるように頼んで!

よう考えたら、最初はあの人が言い出して

入院する羽目になったんじゃけん!元はあいつよ! 

ここから出さんかったら一生恨む、言うて!」

一生ったって、もうあんまり残ってないのはともかく

あれほど恋慕っていたA先生をボロクソに言う。

不本意が起こると悪者を作らなければ気が済まない…

それが母である。

 

「何を言いよん…そんなこと言いに行けるわけないが」

「どして?!どうして?!ねえ、どうして?!」

目を釣り上げ、いきり立つサチコ。

「A先生は心療内科を紹介してくれただけじゃんか…

あ、そうそう、心療内科から入院費の請求が来たけん

払いに行っといたよ」

「…ナンボじゃった?」

「1万2400円」

「高いん?安いん?」

「一泊じゃけん、そんなもんじゃろ。

検査を色々したけん、ほとんど検査料金じゃった」

「ふ〜ん」

こうして別の話題を振り、時間を稼ぐ私である。

 

2日後、A先生犯人説が一段落すると

今度は心療内科の女医先生がターゲット。

「あの女医め!

年寄りを騙して、変な所へぶち込むのが仕事なんじゃ!

退院したら怒鳴り込んでやる!」

「私の住んどる町でそんなことしたら、ふうが悪いけん連れて行かんよ」

「タクシーで行くわいね!」

「あ、そうそう、昨日コーラスの◯◯さんにバッタリ会うたんよ。

入院中と言っておいたけんね」

「◯◯さんが?あの人はね〜、いい人なんよ。

いつも私に気を使うてくれてね〜」

 

2人の医師をひとしきり恨むのが終わった数日後

次の新案は、私が病院と喧嘩をするというシナリオだ。

「どうしても私を連れて帰ると、病院に言うてくれたらええんよ。

お母さんをこんな所へ置いておけません、いうて

ちょっと大きい声出して暴れたらええんじゃけん、簡単じゃが」

我が子にはみっともなくて、させられないことも

他人にはやらせたがる、この卑怯。

 

「どこが簡単じゃ…私まで入院させられるわ」

「どして?どしてやってくれんのん?!

私がこんなに苦しみようるのに、あんた、平気?!」

伸びてきた髪を振り乱して、ゴネるサチコ。

 

同じことをマーヤに言えるんか!

継子をバカにするのもええ加減にせえ!

と言ってやりたいが、この方針で何十年も生きてきた母のこと。

今さら言ったって、本人は何が悪いのか、わかりはしない。

そんなだから、人生のラストシーンで不本意な生活を強いられるのだ。

 

翌日、面会に行ったら、敵はいよいよ本丸に突入してきた。

マーヤと祥子ちゃんの電話番号を教えろ…

これである。

《続く》

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始まりは4年前・23

2024年08月21日 08時23分39秒 | みりこん流

『電話問題』

精神病院の規則で携帯電話を取り上げられ、泣く母。

電話魔の彼女は病室に落ち着いたら、娘や姪を始め

あちこちに電話をかけまくろうとウズウズしていたはずだ。

自分の物なのに自由に使えない…

こだわりの強い母の性格上、これは耐え難い苦痛である。

 

しかも日頃から、「私の命綱」と公言している携帯だ。

「早くお迎えが来て欲しい」とボヤきながら命綱を必要とする矛盾はさておき

母はゲーム機を取り上げられた子供のように、返せと泣くしかないのだった。

 

そういえば昨日、入院した病院でも携帯を取り上げられていた。

だから電話を求めてナースセンターへ何度も行き

転院の原因になったと思われる。

 

「こんなひどいことをされるんなら、入院するんじゃなかった!」

母はオイオイと泣き続ける。

しかし携帯を取り上げられたのは、私にとってありがたい措置。

電話魔に持たせて自由にかけまくられたら

こっちは夜も昼もあったもんじゃない。

しかもかけてくる内容は「帰りたい」、「迎えに来て」

そういう無茶な用件に決まっている。

こっちが言うことを聞くまで、永遠にかけ続けるはずだ。

 

それだけではない。

私が必死で母の世話をしてきたのは

母の魔手が、妹のマーヤ一家にまで及ばないようにするためだ。

母は必ず、妹一家をメチャクチャにしてしまう。

 

それは我が子であっても同じ…

いや我が子だからこそ、遠慮の無い暴言を浴びせるのは

母のことでマーヤと連絡を取り合うようになってから知った。

マーヤの携帯、自宅の電話、繋がらない時は両方の留守電にかけまくり

自分の世話をしない、心が冷たいと責めたり

「◯にそう」などと言うので、家族も怯えているという。

「マーヤは忙しいけん、遠慮でようかけん」

母は私によく言っていたが、実は鬼電だったらしい。

こんなことが続いたら、間違いなく心身をやられる。

 

妹が可愛いとか守りたいとか、そんな生やさしい感情ではない。

マーヤだけの問題ではく、母の携帯には姪の祥子ちゃん

そしてこの春から山口県の娘の家に引っ越した、一つ下の妹

さらに地元の知り合いや、コーラス、編物、俳句など

趣味のお仲間の電話番号が入っている。

携帯を持たせたら電話番号がわかってしまうので

災禍が広がるのは火を見るより明らかではないか。

身内は仕方がないが、罪も無い無関係の人々には気の毒過ぎる。

 

だから泣いている母に背を向け、私は相談員に小声で言った。

「私が今日、母の携帯を持って帰るわけにいきませんか?」

しかし相談員の答えは、常識的なものだった。

「患者様ご自身の希望であればできますが、そうでなければ無理なんです。

ご家族や病院への信頼がなくなると

治療がうまく行かない場合がありますのでね」

つまり本人の意思で持ち込んだ物は

本人の承諾が無ければ渡せないということだ。

承諾するわけ、無いわな。

 

「じゃあ、携帯を返さないようにしてもらえませんか?

この人、電話魔なんで、返されたらあちこち電話をかけて

迷惑をかけると思うんですけど」

なおも食い下がる私。

「それは医師が判断するので、私たちには何とも…」

ああそうですか。

どうやら携帯を返す許可が出ないように、祈るしかなさそうだ。

 

「それに…携帯が無くても、電話をかけたくなったら

ナースステーションの公衆電話から、かけられるんです」

相談員は申し訳なさそうに言った。

「公衆電話は介護士が管理しているので

介護士から10円玉をもらって、かけていただくんです。

通話料金は入院費と合わせて、翌月の請求に加算されます」

 

ガ〜ン!

母は私の所へ電話をかけ過ぎて、電話番号を覚えている。

よって私は、逃げられないということだ。

たとえ忘れたとしても、私の携帯と家の電話番号を書いた紙を

入院の荷物のあちこちにしのばせている。

それを出してもらえば番号がわかるので、諦めるしか無さそう。

 

やがて母が落ち着いたので、私は帰った。

落ち着いたというよりも

認知症で、さっき泣いていた記憶が消えたらしい。

家に着いたら夕方だった。

疲れより、今度こそ毎日実家に行かなくていい喜びの方が

大きかった。

 

しかし翌日、それは甘い考えだったと知る。

このところ出ずっぱりだったので

ゆっくりしていた午後、携帯が鳴った。

相手の表示は公衆電話…母に違いない。

「入院して3日間は、鍵のかかる個室に入ってもらって

様子を見させていただくことになりますので

ご了承ください」

相談員が言っていたので、厳重に警戒されていると思い込んでいた。

だから少なくとも3日は静かだと勝手に思っていたけど

はかない夢だった。

 

電話に出ると、怒り狂った母の声だ。

「あんた!ナンボ私が憎い言うても

こんなキ◯◯イ病院へ入れることないじゃろ?!」

たいていの人間は、ここで衝撃を受けてひるむ。

インパクトの強い言葉を投げつけて相手を沈黙させ

その後は罵詈雑言の毒を吐き続ける…母の常套手段である。 

 

しかし母に対して百戦錬磨の私、その手は食わん。

間髪入れず、静かに反撃じゃ。

「あんた、言葉に気をつけな。

周りの人に聞こえたら失礼じゃが」

 

反撃に遭うと別の話題にすり替えるのも、母の常套手段。

「何の治療もしてくれんのよ?!閉じ込められとるだけよ?!

こんなんで、良うなるわけないが!

食べるもんだって、ナッパばっかりよ!」

だから私も話題をすり替える。

「二枚目の院長先生には会えたんかい?」

「来やせんわ!騙されたんよ!」

「昨日、入院したばっかりじゃん。

そのうち会えるよ」

「私を騙してキ◯◯イの中へ放り込んだ男なんか、知らんわ!」

「ヒャハハ!」

大笑いする私。

母との会話は、ポンポンとリズミカルに続けるのがコツだ。

え?そんなコツ、知りたくないって?sorry!

 

「笑いごとじゃないわいねっ!

こんなキ◯◯イばっかりの所、嫌よ!」

と…急に“ピン…”という音がして電話が切れた。

許された電話の時間が終わったのか、10円玉が終わったのか

問題発言が多いので、側で管理する介護士が

意図的に強制終了させたのかは不明。

 

やれやれ、終わって良かったと思ったら、またかかってきた。

再び問題発言を繰り返していて、またピン…と切れ

またもう一度かかって、今度は

「明日、面会に来て」

と言ってから母が自分でガチャリと切り、その日はそれきりだった。

やっぱりピン…は意図的で

公衆電話の使用は1日3回までと決まっているのかも。

 

それはどうでもいいが、翌日から毎日

電話で面会を要求されては病院へ通う日々が始まった。

せっかく入院したというのに、これじゃあ今までと変わらんじゃないか。

《続く》

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