夫の親友、田辺君が本社の営業部に転職するかもしれない…
7月26日、この素晴らしいニュースに万人の味方を得た心持ちになり
我々一家は手放しで喜んだ。
手放しで喜んだのは、我々だけではない。
河野常務もだ。
彼が数年前、田辺君をスカウトして断られたのはお話しした。
「この俺が頭を下げたのに、断りやがって…」
常務が当時の感情を持ち越していた場合、握り潰されたら困ると考えた夫は
まず、常務の次に発言権のあるKさんにこの件を伝え
Kさんの口から常務に伝えてもらうという安全策を取った。
そうすると今度は
「何で先に俺じゃなくてKなんだ!」
ということになった場合、常務の機嫌を損ねる可能性が出てくる。
年寄りのハートは繊細なのだ。
順番にこだわって、ヘソを曲げられたら終わりである。
しかしKさんから田辺君のことを聞いた彼は、ものすごく喜んだ。
「そうか!田辺が来てくれるか!」
この業界は任侠系とカタギが混在すると、お話しした。
選別して取引をしようにも、大きな工事になると必ずと言っていいほど
任侠系がどこかで絡んでいる。
常務は、怖がって誰も行かない所や、知らずに誰かが行って失敗した所へ
老体に鞭打って接触しなければならない。
彼が70を超えた今も常務であり続けられるのは
この嫌な役目を引き受けているからだ。
しかし厄介なことになり、後で寝込んだのは一度や二度ではない。
「わしゃ、ビビッた…」
はっきり言うのが常務の面白いところで
我々も彼のそういう面を慕っているのはともかく
その方面が得意分野の田辺君が来てくれたら、常務はスリルから解放されるのだ。
伝える順番なんてどうでもいいのだった。
翌々日の28日、河野常務とKさんによる面接が行なわれることになった。
営業部の面接なので、そのトップである永井営業部長が面接に立ち会うのが当然だが
田辺君の希望によって彼は外され、面接があることすら秘密だった。
田辺君が永井部長を外す理由を述べ、常務とKさんも納得してのことだ。
その理由とは以前、永井部長と田辺君の間で起きた数々のトラブル。
それを聞いた二人は、田辺君の希望に従った。
面接では最初に、彼の担当先が決まる。
我が社だ。
常務の意向である。
今の担当者、松木氏の“ま”の字も出ない。
次に肩書きが決まる。
とりあえず営業所長。
松木氏や藤村と違って、そんなことにのぼせる田辺君ではない。
それから彼が回ることになる取引先について打ち合わせをし、面接は終了。
給与その他の待遇については数日後、また会ってからということになった。
常務は、彼を迎えるために十分な待遇を用意するつもりで
田辺君の方は、「多くは望まないし、金のことを最初から言うのは好かん」
という理由からである。
担当や肩書きが先に決まり、待遇は後回しという
通常とは逆の面接に、田辺君の入社は間違いないと踏んで
我々はまたもや喜ぶのだった。
が、結論から申し上げよう。
田辺君の入社は泡と消えた。
思わぬ人物が反対したのだ。
それは本社の社長。
社長は、田辺君入社の決済に判を押さなかった。
「年配者はもう入れないと決めたでしょう!
今年から若返りを図ると言ったじゃないですか」
常務は社長室に呼ばれ、厳しく言われた。
そう、ネックは田辺君の61才という年令である。
その原因は、藤村のセクハラとパワハラ問題。
藤村が性的な問題で労基に訴えられたこの事件を
一番恥じていたのは社長だったらしい。
育成にかかる経費と手間を省くという理由から
年配者の中途採用に積極的だった本社の方針は間違いだったと
藤村が証明したようなものだ。
常務は田辺君の優秀性を説明したが、社長は聞き入れなかった。
「どんなに優秀でも、あと数年しか働けません。
中高年の新人は、もうこりごりです」
と、けんもほろろ。
それ以上、田辺君を推すわけにはいかなかった。
社長の気持ちはよくわかる。
お兄さんが事故に遭わなければ、彼は今も化学者のはずだった。
急に社長に就任させられても、会社には河野常務を始め
自分よりずっと年上のおじさんばっかり。
この環境、かなりやりにくくてしんどいのは、夫を見て来たので知っている。
よく考えれば、現在50代の半ばとなった社長が、自分より年上を入れるわけがないのだ。
12年前の合併当時は小学生だった社長の息子さんも、そろそろ大学を卒業する年令。
次期社長として本社に入る日も遠くないだろう。
鳴り物入りで入社しても、周りは古狸ばっかりで
いいように丸め込まれたり、ていよく押さえつけられたりのストレスフルな毎日…
自分の味わった苦しみを、我が子に継承したい親はいない。
すっかり浮かれていた我々は、そのことを忘れていた。
田辺君の入社が叶わないと知ったのは昨日、29日の夕方だ。
常務、Kさん、田辺君が、夫にそれぞれ連絡してきた。
常務とKさんは残念そうだったが、田辺君はサバサバしていたそうだ。
我々も、もちろん残念だった。
しかし夢破れた悲しみは、思いのほか軽かった。
26日から4日間、楽しい冒険の夢を見させてもらった…
その爽快感の方がよっぽど大きいと言ったら、人は信じてくれるだろうか。
60を過ぎて、こんなに面白い夢が見られるとは思わなかった。
そして社長の危機管理能力にも改めて感心した。
もしも田辺君の入社を許可したら、本社は危なかったかもしれない。
彼の選択肢の一つに、本社を潰すという路線があったからだ。
変なヤツを入れては周りに迷惑をかける会社なんて
世間に必要ないというのが彼の主張。
本当に潰せるかどうかは未知数だが、まずは仕入れを止め
内部からは人材をジワジワと攻めて排除を繰り返し
やがてすっからからんの空洞にしてしまうのは、田辺君の得意とするところだ。
そのためであれば、我々は自分たちの会社をも消滅させる覚悟でいた。
しかし社長は彼を入社させないことで、結果的に自分の会社を守ったのである。
いずれにしても我々は、田辺君という他人に頼り
何とかしてもらおうと思っていた我が身を反省した。
しかし一方で、ゴールをおびやかした自信みたいなものも残った。
夫が強気に変わったのが、一番の収穫かもしれない。
そんなわけで、田辺君の武勇伝を楽しみにしてくださった皆様
誠に申し訳ありません。
彼は変わらず夫の親友であり続けるので
また面白い話があればお話させていただきます。
7月26日、この素晴らしいニュースに万人の味方を得た心持ちになり
我々一家は手放しで喜んだ。
手放しで喜んだのは、我々だけではない。
河野常務もだ。
彼が数年前、田辺君をスカウトして断られたのはお話しした。
「この俺が頭を下げたのに、断りやがって…」
常務が当時の感情を持ち越していた場合、握り潰されたら困ると考えた夫は
まず、常務の次に発言権のあるKさんにこの件を伝え
Kさんの口から常務に伝えてもらうという安全策を取った。
そうすると今度は
「何で先に俺じゃなくてKなんだ!」
ということになった場合、常務の機嫌を損ねる可能性が出てくる。
年寄りのハートは繊細なのだ。
順番にこだわって、ヘソを曲げられたら終わりである。
しかしKさんから田辺君のことを聞いた彼は、ものすごく喜んだ。
「そうか!田辺が来てくれるか!」
この業界は任侠系とカタギが混在すると、お話しした。
選別して取引をしようにも、大きな工事になると必ずと言っていいほど
任侠系がどこかで絡んでいる。
常務は、怖がって誰も行かない所や、知らずに誰かが行って失敗した所へ
老体に鞭打って接触しなければならない。
彼が70を超えた今も常務であり続けられるのは
この嫌な役目を引き受けているからだ。
しかし厄介なことになり、後で寝込んだのは一度や二度ではない。
「わしゃ、ビビッた…」
はっきり言うのが常務の面白いところで
我々も彼のそういう面を慕っているのはともかく
その方面が得意分野の田辺君が来てくれたら、常務はスリルから解放されるのだ。
伝える順番なんてどうでもいいのだった。
翌々日の28日、河野常務とKさんによる面接が行なわれることになった。
営業部の面接なので、そのトップである永井営業部長が面接に立ち会うのが当然だが
田辺君の希望によって彼は外され、面接があることすら秘密だった。
田辺君が永井部長を外す理由を述べ、常務とKさんも納得してのことだ。
その理由とは以前、永井部長と田辺君の間で起きた数々のトラブル。
それを聞いた二人は、田辺君の希望に従った。
面接では最初に、彼の担当先が決まる。
我が社だ。
常務の意向である。
今の担当者、松木氏の“ま”の字も出ない。
次に肩書きが決まる。
とりあえず営業所長。
松木氏や藤村と違って、そんなことにのぼせる田辺君ではない。
それから彼が回ることになる取引先について打ち合わせをし、面接は終了。
給与その他の待遇については数日後、また会ってからということになった。
常務は、彼を迎えるために十分な待遇を用意するつもりで
田辺君の方は、「多くは望まないし、金のことを最初から言うのは好かん」
という理由からである。
担当や肩書きが先に決まり、待遇は後回しという
通常とは逆の面接に、田辺君の入社は間違いないと踏んで
我々はまたもや喜ぶのだった。
が、結論から申し上げよう。
田辺君の入社は泡と消えた。
思わぬ人物が反対したのだ。
それは本社の社長。
社長は、田辺君入社の決済に判を押さなかった。
「年配者はもう入れないと決めたでしょう!
今年から若返りを図ると言ったじゃないですか」
常務は社長室に呼ばれ、厳しく言われた。
そう、ネックは田辺君の61才という年令である。
その原因は、藤村のセクハラとパワハラ問題。
藤村が性的な問題で労基に訴えられたこの事件を
一番恥じていたのは社長だったらしい。
育成にかかる経費と手間を省くという理由から
年配者の中途採用に積極的だった本社の方針は間違いだったと
藤村が証明したようなものだ。
常務は田辺君の優秀性を説明したが、社長は聞き入れなかった。
「どんなに優秀でも、あと数年しか働けません。
中高年の新人は、もうこりごりです」
と、けんもほろろ。
それ以上、田辺君を推すわけにはいかなかった。
社長の気持ちはよくわかる。
お兄さんが事故に遭わなければ、彼は今も化学者のはずだった。
急に社長に就任させられても、会社には河野常務を始め
自分よりずっと年上のおじさんばっかり。
この環境、かなりやりにくくてしんどいのは、夫を見て来たので知っている。
よく考えれば、現在50代の半ばとなった社長が、自分より年上を入れるわけがないのだ。
12年前の合併当時は小学生だった社長の息子さんも、そろそろ大学を卒業する年令。
次期社長として本社に入る日も遠くないだろう。
鳴り物入りで入社しても、周りは古狸ばっかりで
いいように丸め込まれたり、ていよく押さえつけられたりのストレスフルな毎日…
自分の味わった苦しみを、我が子に継承したい親はいない。
すっかり浮かれていた我々は、そのことを忘れていた。
田辺君の入社が叶わないと知ったのは昨日、29日の夕方だ。
常務、Kさん、田辺君が、夫にそれぞれ連絡してきた。
常務とKさんは残念そうだったが、田辺君はサバサバしていたそうだ。
我々も、もちろん残念だった。
しかし夢破れた悲しみは、思いのほか軽かった。
26日から4日間、楽しい冒険の夢を見させてもらった…
その爽快感の方がよっぽど大きいと言ったら、人は信じてくれるだろうか。
60を過ぎて、こんなに面白い夢が見られるとは思わなかった。
そして社長の危機管理能力にも改めて感心した。
もしも田辺君の入社を許可したら、本社は危なかったかもしれない。
彼の選択肢の一つに、本社を潰すという路線があったからだ。
変なヤツを入れては周りに迷惑をかける会社なんて
世間に必要ないというのが彼の主張。
本当に潰せるかどうかは未知数だが、まずは仕入れを止め
内部からは人材をジワジワと攻めて排除を繰り返し
やがてすっからからんの空洞にしてしまうのは、田辺君の得意とするところだ。
そのためであれば、我々は自分たちの会社をも消滅させる覚悟でいた。
しかし社長は彼を入社させないことで、結果的に自分の会社を守ったのである。
いずれにしても我々は、田辺君という他人に頼り
何とかしてもらおうと思っていた我が身を反省した。
しかし一方で、ゴールをおびやかした自信みたいなものも残った。
夫が強気に変わったのが、一番の収穫かもしれない。
そんなわけで、田辺君の武勇伝を楽しみにしてくださった皆様
誠に申し訳ありません。
彼は変わらず夫の親友であり続けるので
また面白い話があればお話させていただきます。