去る23日は同級生ユリちゃんのご亭主、モクネンの誕生日だった。
由緒あるお寺の僧侶でありながら、キャバクラ好きの生臭坊主モクネンも
はや還暦。
お寺で盛大なパーティーを開くことになり
奥様のお友達である我々同級生も招待された。
今回のメンバーは3人。
結婚式と同じ立派な招待状が届いたが
月末に近い金曜日だったので農協勤めのモンちゃんは来られず
けいちゃんとマミちゃんと私が出席することになった。
指折り数えて楽しみにしていながら
当日は開始時刻の18時半ギリギリに到着。
ユリちゃんのお寺と我々の住む町は離れているのに
夕方のラッシュを考えなかったからだ。
これも老化か。
何度も行って慣れているはずなのに
本堂脇の大広間が別世界になっていて驚いた。
煌々と明るい文科省推薦スペースが、ほの暗いバーみたいになっているのだ。
壁や床はもちろんのこと、天井の照明まで変えてあった。
それもそのはず、このパーティーをプロデュースしたのは
ユリちゃん夫婦の兄貴分Sさん。
帰国子女で、誰でも知っている広告代理店勤務を経て芸術家になった
70代のダンディなおじ様である。
20年余り前、何に惹かれたのか、東京からこの瀬戸内に移住し
創作活動を始めた。
精力的な作品制作もさることながら
持ち前のセンスと知識と行動力で町おこしにも協力し
その過程でユリちゃん夫婦とも懇意になった。
美的感覚に優れ、それでいて豪快な人柄が人望を集めているが
私はユリちゃんから聞き込んだ
『鬼平犯科帳』の中村吉右衛門が友達というプロフィールのみ
密かに気に入っている。
受付で3千円の会費を支払い、記名帳の代わりに置かれた大きな板に
それぞれマジックで何か一言と名前を書いてテーブルに着く。
会費制にしたのはプレゼントを用意しなくていいように、という配慮。
それでは申し訳ないからとフラワーアレンジメントを持って行ったものの
他に豪華な花がたくさん届いていて、我々の持ち込んだ3千円の花は
荷物置き場の末席を汚すにとどまった。
照明が明るくなると、いよいよパーティーの始まりだ。
天井全体に取り付けられたムーディーな照明は
10分ほどの導入シーンのためだけ。
大変なこだわりと労力である。
明るくなってみると広間の両側には
Sさんの信奉者らしきシェフと、その従業員たちが数人
シャンパンやワインボトルを背に並んでいる。
前には生ハムの塊やら土鍋が‥。
メニューは、チーズフォンデュとアヒージョらしい。
司会進行は、観光協会の世話役という40代の男性。
「皇太子殿下のご入場です!
皆様、盛大な拍手でお迎えください」
大爆笑は言うまでもない。
そうよ、この日の主役は、あのお方と1年違いの同じ誕生日。
モクネンは『還暦だもの』と書かれた赤いTシャツに
定番の赤い頭巾をかぶってヒョコヒョコと登場し
「ただ今ご紹介にあずかりました、ナルヒトです」
モクネンは気位が高く冷酷だが
こういうノリの良さも持ち合わせていて、そこが人気を集めている。
「再来年から、この日は祝日になりますからね」と司会者。
「楽しみにしています」とモクネン。
それにしても、このやり取りと会場のウケようは尋常ではない。
老いも若きも、お腹を抱えて笑い転げている。
もしかしたら『色々わかってる人々』なのかもしれない。
司会役は場慣れしているらしく、とてもうまい。
こんなのを見ると
38年前にあった自分の結婚披露宴を思い出してしまう。
司会者はプロを雇う予定だったのに、式場で働く30代の男性社員が
どうしても自分にやらせてくれと言い出したのだ。
彼は、これを足がかりに司会進行の新境地を拓くつもりだった。
けれどもいざ本番を迎えると声は震え、最初から最後までしどろもどろ。
「あの‥えっと‥」ばっかり。
初めてで緊張したらしい。
彼から出るのはセリフでなく、冷や汗。
招待客から出るのは喝采でなく、ため息。
盛り下がるなどという生易しい段階ではない。
我々の結婚式は、彼のチャレンジの場に使われたのだ。
終盤、見かねた父の長兄がスピーチで盛り上げてくれた。
一人でしゃべるだけでなく、列席者との掛け合いにして
終わり良ければ全て良しの位置まで、何とか持って行った。
伯父の機転に感謝しつつ
「やればできる」を過信したシロウトを私は憎んだ。
数年後、結婚式場は潰れ、経営者夫婦は夜逃げをする命運となる。
つまらぬ社員を雇っているからだ。
司会をした男は無職となり、じきに町内で居酒屋を開いた。
今でも見かけるたびに腹が立つ。
さてパーティーに戻ろう。
総勢40人ほどの招待客はモクネンのお母さんや叔母さんを始め
半分が家族や親戚。
我々はかなりディープなイベントに招かれたらしい。
まずは、大きなイチゴが沈められたシャンパンで乾杯。
以後は赤や白のワイン、スパークリングワイン
天寶一(てんぽういち)という名の高級らしい日本酒
今が旬の“はるみ”という柑橘の生搾りジュースなどが飲み放題。
Sさんは、アイスワインというのを飲ませてくれた。
今流行でお高いらしいけど私には甘過ぎて、豚に真珠だった。
途中で出席者にマイクが回り、一人ずつ短いスピーチをすることに。
大半がモクネンとユリちゃんの夫婦仲に触れる。
身内も友達も、触れずにはいられない様子だった。
「奥様を大切にしてあげてください」
「妻あっての夫だと思います」
皆、この夫妻の問題を知っているらしい。
ユリちゃんはそのたびに手を叩いて喜び、モクネンは仏頂面になった。
我々同級生はモクネンと懇意なわけではないため、夫婦問題を避けた。
マミちゃんも私もサラッと流したが、張り切ったのがけいちゃん。
「15年前に大阪から帰って来て〜(中略)
ま、苦労はしましたけど〜(以下省略)」
長い自分語りを始めたので、痩せる思いだった。
が、思いだけで痩せはしなかった。
帰りには引き出物が用意されていた。
結婚披露宴と同じように、一人ずつ名前の札がついている大きな袋だ。
中には一人一人違うSさんの作品と
ハート型の紅白饅頭に紅白餅、菓子折りと果物が入っていた。
今回もまた、わずかな出費で大荷物をせしめてしまった。
由緒あるお寺の僧侶でありながら、キャバクラ好きの生臭坊主モクネンも
はや還暦。
お寺で盛大なパーティーを開くことになり
奥様のお友達である我々同級生も招待された。
今回のメンバーは3人。
結婚式と同じ立派な招待状が届いたが
月末に近い金曜日だったので農協勤めのモンちゃんは来られず
けいちゃんとマミちゃんと私が出席することになった。
指折り数えて楽しみにしていながら
当日は開始時刻の18時半ギリギリに到着。
ユリちゃんのお寺と我々の住む町は離れているのに
夕方のラッシュを考えなかったからだ。
これも老化か。
何度も行って慣れているはずなのに
本堂脇の大広間が別世界になっていて驚いた。
煌々と明るい文科省推薦スペースが、ほの暗いバーみたいになっているのだ。
壁や床はもちろんのこと、天井の照明まで変えてあった。
それもそのはず、このパーティーをプロデュースしたのは
ユリちゃん夫婦の兄貴分Sさん。
帰国子女で、誰でも知っている広告代理店勤務を経て芸術家になった
70代のダンディなおじ様である。
20年余り前、何に惹かれたのか、東京からこの瀬戸内に移住し
創作活動を始めた。
精力的な作品制作もさることながら
持ち前のセンスと知識と行動力で町おこしにも協力し
その過程でユリちゃん夫婦とも懇意になった。
美的感覚に優れ、それでいて豪快な人柄が人望を集めているが
私はユリちゃんから聞き込んだ
『鬼平犯科帳』の中村吉右衛門が友達というプロフィールのみ
密かに気に入っている。
受付で3千円の会費を支払い、記名帳の代わりに置かれた大きな板に
それぞれマジックで何か一言と名前を書いてテーブルに着く。
会費制にしたのはプレゼントを用意しなくていいように、という配慮。
それでは申し訳ないからとフラワーアレンジメントを持って行ったものの
他に豪華な花がたくさん届いていて、我々の持ち込んだ3千円の花は
荷物置き場の末席を汚すにとどまった。
照明が明るくなると、いよいよパーティーの始まりだ。
天井全体に取り付けられたムーディーな照明は
10分ほどの導入シーンのためだけ。
大変なこだわりと労力である。
明るくなってみると広間の両側には
Sさんの信奉者らしきシェフと、その従業員たちが数人
シャンパンやワインボトルを背に並んでいる。
前には生ハムの塊やら土鍋が‥。
メニューは、チーズフォンデュとアヒージョらしい。
司会進行は、観光協会の世話役という40代の男性。
「皇太子殿下のご入場です!
皆様、盛大な拍手でお迎えください」
大爆笑は言うまでもない。
そうよ、この日の主役は、あのお方と1年違いの同じ誕生日。
モクネンは『還暦だもの』と書かれた赤いTシャツに
定番の赤い頭巾をかぶってヒョコヒョコと登場し
「ただ今ご紹介にあずかりました、ナルヒトです」
モクネンは気位が高く冷酷だが
こういうノリの良さも持ち合わせていて、そこが人気を集めている。
「再来年から、この日は祝日になりますからね」と司会者。
「楽しみにしています」とモクネン。
それにしても、このやり取りと会場のウケようは尋常ではない。
老いも若きも、お腹を抱えて笑い転げている。
もしかしたら『色々わかってる人々』なのかもしれない。
司会役は場慣れしているらしく、とてもうまい。
こんなのを見ると
38年前にあった自分の結婚披露宴を思い出してしまう。
司会者はプロを雇う予定だったのに、式場で働く30代の男性社員が
どうしても自分にやらせてくれと言い出したのだ。
彼は、これを足がかりに司会進行の新境地を拓くつもりだった。
けれどもいざ本番を迎えると声は震え、最初から最後までしどろもどろ。
「あの‥えっと‥」ばっかり。
初めてで緊張したらしい。
彼から出るのはセリフでなく、冷や汗。
招待客から出るのは喝采でなく、ため息。
盛り下がるなどという生易しい段階ではない。
我々の結婚式は、彼のチャレンジの場に使われたのだ。
終盤、見かねた父の長兄がスピーチで盛り上げてくれた。
一人でしゃべるだけでなく、列席者との掛け合いにして
終わり良ければ全て良しの位置まで、何とか持って行った。
伯父の機転に感謝しつつ
「やればできる」を過信したシロウトを私は憎んだ。
数年後、結婚式場は潰れ、経営者夫婦は夜逃げをする命運となる。
つまらぬ社員を雇っているからだ。
司会をした男は無職となり、じきに町内で居酒屋を開いた。
今でも見かけるたびに腹が立つ。
さてパーティーに戻ろう。
総勢40人ほどの招待客はモクネンのお母さんや叔母さんを始め
半分が家族や親戚。
我々はかなりディープなイベントに招かれたらしい。
まずは、大きなイチゴが沈められたシャンパンで乾杯。
以後は赤や白のワイン、スパークリングワイン
天寶一(てんぽういち)という名の高級らしい日本酒
今が旬の“はるみ”という柑橘の生搾りジュースなどが飲み放題。
Sさんは、アイスワインというのを飲ませてくれた。
今流行でお高いらしいけど私には甘過ぎて、豚に真珠だった。
途中で出席者にマイクが回り、一人ずつ短いスピーチをすることに。
大半がモクネンとユリちゃんの夫婦仲に触れる。
身内も友達も、触れずにはいられない様子だった。
「奥様を大切にしてあげてください」
「妻あっての夫だと思います」
皆、この夫妻の問題を知っているらしい。
ユリちゃんはそのたびに手を叩いて喜び、モクネンは仏頂面になった。
我々同級生はモクネンと懇意なわけではないため、夫婦問題を避けた。
マミちゃんも私もサラッと流したが、張り切ったのがけいちゃん。
「15年前に大阪から帰って来て〜(中略)
ま、苦労はしましたけど〜(以下省略)」
長い自分語りを始めたので、痩せる思いだった。
が、思いだけで痩せはしなかった。
帰りには引き出物が用意されていた。
結婚披露宴と同じように、一人ずつ名前の札がついている大きな袋だ。
中には一人一人違うSさんの作品と
ハート型の紅白饅頭に紅白餅、菓子折りと果物が入っていた。
今回もまた、わずかな出費で大荷物をせしめてしまった。