若い人は笑うだろうが、その昔、最終日の「泣き」は
同情票を誘うための手段として重く扱われていた。
泣きを入れるのは決定事項だったので、各陣営は仰々しく
泣きの開始時間を検討したものだ。
その決定権は参謀か後援会長、または権力者か功労者に与えられる。
うちの義父アツシも腕組みにしかめ面で、「5時25分」などと言い渡していた。
時刻が細かいのは選挙のクロウトを装うための、いかにもアツシらしい小技である。
今は、泣いたぐらいじゃ票は増えない。
緊迫した一騎打ちなら、泣くことがあるかもしれないが
そもそも有権者の4割が投票に行かない時代だ。
民心はクールでライトな方向へと移行した。
お涙ちょうだいのエンターテイメントを望んでいないのだ。
ウグイスの泣きは、もはや時代遅れと言えよう。
「今回の雰囲気は、泣きに向いてないと思うんだけど」
「俺もそう思う」
皆に聞こえるように言うよっちゃんと私。
一人、反対するのはナミちゃん。
「姐さんの泣き、聞きたいですぅ!
私にはできないので、楽しみにしてたんですよ!」
人をおだてて泣かせておいて、自分はお手振りをするつもりじゃな。
そうはいくか。
「今回は多分、どこのウグイスも泣きを入れないよ」
「‥何でわかるんです‥か?」
「落選する人が決まっとるけんよ」
「え?決まってるんですか?」
「あんた、そういうこと、何も考えないの?」
「はい!」
元気に返事をするナミちゃんを放置し
「じゃ、今回、泣きは入れないってことで」
「張り切って明るく行こう!」
我々はそう決める。
最初から決めていたが、ここで決めたことにする。
「泣きはやらないんだって‥」
「今回は無しですって‥」
真剣に反応し、口々にささやく支持者の皆さん。
歪み腐った私には、その素直な心が栄養ドリンクなのさ。
いつもそうだが、なぜか最終日は時間が経つのが早い。
ふと気がつけば日暮れ、また気がつけば真っ暗になっている。
ランナーズハイというのか、トランス状態というのか
時間の流れが変わるような気がする。
夜の8時が近づき、選挙カーは事務所に帰る。
ウグイスに花道があるとしたら
最後の「入り」は、その一つである。
私はこれをナミちゃんに任せた。
「え?え?私、やったことありません‥
ここは姐さんでないと‥」
「ナミちゃんならできるよ。
チームじゃ、やらせてもらえないんでしょ?」
「それはそうですけど‥でも‥」
「せっかくなんだから、ここで練習して帰りなさいよ」
「え?でも‥」
往生際が悪いわりには、難なくこなすナミちゃんであった。
こうして選挙戦は終わった。
選挙カーの私物を片付けながら、ナミちゃんは言う。
「みんな、これだけ頑張ったんですから
得票はきっと増えてますよね!
「は?」
「何位でしょうか‥トップは難しいとして、3位ぐらいだといいですね!」
「何言うとんの?キミ」
「違うんですか?」
私は声をひそめて耳打ちする。
「頻差でビリ争いよ‥最初からわかっとるんよ」
「え〜!嘘でしょう?」
「声が大きい‥本当よ。
初日に候補のお姉ちゃんが泣いとったでしょうが。
ただ心配で泣いたんじゃないんよ。
本当に危ないんよ」
「信じられません‥
候補はあんなに一生懸命、戦われたのに」
「一生懸命だけじゃあ越えられん山は、たくさんあるんよ」
「前回が下がってたので、私、今度は絶対にV字回復だとばっかり‥」
「そんなに甘くないわいね」
「候補はちゃんとお仕事なさっているのに、何がいけないんでしょうか‥」
「ちゃんと仕事するけんよ。
陳情をちゃんと聞いて真面目に取り組んだら、敵が増えるもんよ。
あと、いつまでも独身というのもかなり不利」
「お嫁さん、来ないんでしょうか。
前回、彼女がいたでしょう、てっきり結婚するとばっかり‥」
「ナミちゃんが結婚するとして
要介護の両親と出戻りの姉がいる市会議員を選ぶ?」
「‥苦労するの、わかってますよね‥
でもご両親もお姉ちゃんもすごくいい人だし、いい家族ですよね」
「いい人だから、いけない。
あの家族愛の中へ入り込むのは、案外難しいよ。
あんた、候補と結婚する気無い?
選挙期間中だけでいいんだけど」
ナミちゃんの養成どころか、花嫁になれと要請する私。
「え〜?」
まんざらでもなさそうなナミちゃん。
バカバカしくなったので帰った。
翌日は投開票日。
夜7時、事務所へ行ってナミちゃんとおしゃべりしながら
支持者の人々と結果を待つ。
候補の天敵M氏は、上位ではやばやと当選した。
候補の票は伸びなかった。
やはり頻差でビリ争いのあげく、後ろから数えた方が早い順位に終わった。
初当選から大きく票を落とした前回より、さらに少ない。
候補は非常に残念そうだった。
この選挙が終わったら引退する‥
私の心づもりを知ってか知らずか、当選が決まると候補は即、言った。
「姐さん、次もお願いします!」
その勢いに呑まれ、うっかりハイと言ってしまった。
不覚だった。
《完》
今年もお世話になりました。
ご訪問くださった皆様、コメントをくださった皆様
本当にありがとうございました。
良い年をお迎えください。
同情票を誘うための手段として重く扱われていた。
泣きを入れるのは決定事項だったので、各陣営は仰々しく
泣きの開始時間を検討したものだ。
その決定権は参謀か後援会長、または権力者か功労者に与えられる。
うちの義父アツシも腕組みにしかめ面で、「5時25分」などと言い渡していた。
時刻が細かいのは選挙のクロウトを装うための、いかにもアツシらしい小技である。
今は、泣いたぐらいじゃ票は増えない。
緊迫した一騎打ちなら、泣くことがあるかもしれないが
そもそも有権者の4割が投票に行かない時代だ。
民心はクールでライトな方向へと移行した。
お涙ちょうだいのエンターテイメントを望んでいないのだ。
ウグイスの泣きは、もはや時代遅れと言えよう。
「今回の雰囲気は、泣きに向いてないと思うんだけど」
「俺もそう思う」
皆に聞こえるように言うよっちゃんと私。
一人、反対するのはナミちゃん。
「姐さんの泣き、聞きたいですぅ!
私にはできないので、楽しみにしてたんですよ!」
人をおだてて泣かせておいて、自分はお手振りをするつもりじゃな。
そうはいくか。
「今回は多分、どこのウグイスも泣きを入れないよ」
「‥何でわかるんです‥か?」
「落選する人が決まっとるけんよ」
「え?決まってるんですか?」
「あんた、そういうこと、何も考えないの?」
「はい!」
元気に返事をするナミちゃんを放置し
「じゃ、今回、泣きは入れないってことで」
「張り切って明るく行こう!」
我々はそう決める。
最初から決めていたが、ここで決めたことにする。
「泣きはやらないんだって‥」
「今回は無しですって‥」
真剣に反応し、口々にささやく支持者の皆さん。
歪み腐った私には、その素直な心が栄養ドリンクなのさ。
いつもそうだが、なぜか最終日は時間が経つのが早い。
ふと気がつけば日暮れ、また気がつけば真っ暗になっている。
ランナーズハイというのか、トランス状態というのか
時間の流れが変わるような気がする。
夜の8時が近づき、選挙カーは事務所に帰る。
ウグイスに花道があるとしたら
最後の「入り」は、その一つである。
私はこれをナミちゃんに任せた。
「え?え?私、やったことありません‥
ここは姐さんでないと‥」
「ナミちゃんならできるよ。
チームじゃ、やらせてもらえないんでしょ?」
「それはそうですけど‥でも‥」
「せっかくなんだから、ここで練習して帰りなさいよ」
「え?でも‥」
往生際が悪いわりには、難なくこなすナミちゃんであった。
こうして選挙戦は終わった。
選挙カーの私物を片付けながら、ナミちゃんは言う。
「みんな、これだけ頑張ったんですから
得票はきっと増えてますよね!
「は?」
「何位でしょうか‥トップは難しいとして、3位ぐらいだといいですね!」
「何言うとんの?キミ」
「違うんですか?」
私は声をひそめて耳打ちする。
「頻差でビリ争いよ‥最初からわかっとるんよ」
「え〜!嘘でしょう?」
「声が大きい‥本当よ。
初日に候補のお姉ちゃんが泣いとったでしょうが。
ただ心配で泣いたんじゃないんよ。
本当に危ないんよ」
「信じられません‥
候補はあんなに一生懸命、戦われたのに」
「一生懸命だけじゃあ越えられん山は、たくさんあるんよ」
「前回が下がってたので、私、今度は絶対にV字回復だとばっかり‥」
「そんなに甘くないわいね」
「候補はちゃんとお仕事なさっているのに、何がいけないんでしょうか‥」
「ちゃんと仕事するけんよ。
陳情をちゃんと聞いて真面目に取り組んだら、敵が増えるもんよ。
あと、いつまでも独身というのもかなり不利」
「お嫁さん、来ないんでしょうか。
前回、彼女がいたでしょう、てっきり結婚するとばっかり‥」
「ナミちゃんが結婚するとして
要介護の両親と出戻りの姉がいる市会議員を選ぶ?」
「‥苦労するの、わかってますよね‥
でもご両親もお姉ちゃんもすごくいい人だし、いい家族ですよね」
「いい人だから、いけない。
あの家族愛の中へ入り込むのは、案外難しいよ。
あんた、候補と結婚する気無い?
選挙期間中だけでいいんだけど」
ナミちゃんの養成どころか、花嫁になれと要請する私。
「え〜?」
まんざらでもなさそうなナミちゃん。
バカバカしくなったので帰った。
翌日は投開票日。
夜7時、事務所へ行ってナミちゃんとおしゃべりしながら
支持者の人々と結果を待つ。
候補の天敵M氏は、上位ではやばやと当選した。
候補の票は伸びなかった。
やはり頻差でビリ争いのあげく、後ろから数えた方が早い順位に終わった。
初当選から大きく票を落とした前回より、さらに少ない。
候補は非常に残念そうだった。
この選挙が終わったら引退する‥
私の心づもりを知ってか知らずか、当選が決まると候補は即、言った。
「姐さん、次もお願いします!」
その勢いに呑まれ、うっかりハイと言ってしまった。
不覚だった。
《完》
今年もお世話になりました。
ご訪問くださった皆様、コメントをくださった皆様
本当にありがとうございました。
良い年をお迎えください。