殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

値上げと戦う

2025年01月24日 10時48分10秒 | みりこんぐらし
このところの物価上昇は、どうしたことだ。

こういうことに疎い私ですら驚くのだから

敏感な人はもっと衝撃を受けておられることだろう。


私が値上げに疎いのは、裕福だからではない。

我が家のエンゲル係数の高さにおいては

そんじょそこらの家庭に負けない自信がある。


しかし大人5人の家族に三度三度 

休みなくごはんを作り続ける身の上だと

「次のごはんは何を食べさせようか」

値段よりも、そっちが優先になってしまう。

贅沢三昧の特別料理を望み、年々食欲旺盛になる姑と

中高年になっても食べ盛りの男3人衆の腹を満たすため

日夜、孤軍奮闘する私には

安い物を探すなんて芸当をする余裕が無いのだ。


それでもさすがに最近は、危機感を覚え始めた。

「このままでは老後資金を貯めるどころか、食べて終わりじゃないか」

世間の値上げラッシュは、そこまでになったということである。


最初にびっくりしたのは、SB食品の瓶入りの七味を買った時だ。

キンピラごぼうにかけたら、真っ赤っかの粉ばっかり。

七つの材料が混じった七味特有の渋い赤ではない上

私の好きな山椒の実やユズが感じられない。


「あれ?一味と間違えた?」

咄嗟に自身の目と頭を疑った私。

でもよく見ると、やっぱり七味と書いてある。

七つの味のうちで一番安価であろう赤唐辛子だけを増量し

あとの六つの味は減らされているのだ。

ショックじゃ。


カラシ、ワサビなどのチューブも然り。

このところ、チューブのシルエットが変わった。

キャップの下が、以前はもっと張っていたはずだが

えらく撫で肩になっとるじゃんか。


ほら、チューブの口の下にある肩のところが

すんなりしてるでしょ。


あんた、着物でも着るつもりか…

一人でカラシやワサビに文句を言う。

チューブの形を変更して撫で肩にすると、内容量が少なくて済むからだ。

その手口がいまいましいではないか。


お菓子も高い。

甘党の我が家では、つまらぬ駄菓子も必要だが

もうスーパーでは買わない。

ドラッグストアで買う。

犬の食べ物を買うのにドラッグストアへは行くので

ついでにお菓子も買うようになったが

お菓子だけでなく乾物なども、スーパーより値段がかなり安いと知った。

こういうことは皆さん、とっくにやっておられるかもしれないが

安い物を求めて店をハシゴする時間が無い私にとっては

新発見だった。


ただし、物によっては安かろう悪かろうのロクでもない物もあるので

よく見極めなければならない。

こないだ、つい買った生麺のうどんなんて、ひどかったね。

昼の焼きうどんにしたら、焼き目が付かずに溶けていったぞ。

私の焼きうどんは、野菜を別に炒めておき

生麺の方はしっかり焼き付けてカリカリした香ばしさを出し

仕上げに炒めた野菜と合わせる。

だけど、このうどんはカリカリにならず

焼けば焼くほど細くなったので気味が悪く、流通の闇を感じた。


さて、野菜が高いのはもう諦めている。

そっちの方の節約は、簡単だ。

肉を減らせばいい。

ナンボ野菜が高いと言ったって肉、特に牛肉の値段にはかなわん。

肉料理を減らせば、野菜は十分買える。

焼肉、すき焼き、しゃぶしゃぶ…

義母ヨシコの三大好物の登場を減らして対応。

物価高を理由に、嫁姑の溜飲を下げる。


あと、私にとっては大発見だった事例がある。

それは電気鍋。

うちは鍋物をする時、土鍋でなく電気式の鍋を使う。

重たい土鍋と、カセットコンロを出すのが面倒だからだ。


長く使っていた、そのパナソニックの電気鍋が

先日、とうとう壊れた。

スイッチを入れてもなかなか温まらないのは前からで

騙し騙し使っていたが、とうとう温度調節のレバーが動かなくなったのだ。


そこで新しいのを買いに行こうとしたら、次男が「待て」と言う。

「俺のアパートにあるけん、取って来るわ」

昨年5月、結婚1年で離婚した元嫁アリサと使っていた電気鍋が

アパートに残されていたのだ。


次男が持ち帰った電気鍋は、うちで使っていた物より小さい二人用。

元新婚家庭では、このサイズで十分だ。

「ちょっと小さいか」

「ちょっとどころか、半分じゃ」

しかし夕食の時間が迫っていたので、その夜はありがたく使うことにした。
 

「おお!もう沸騰した!」

「新しいのは、早いのう」

新型の鍋に感動する次男と私。

よく考えれば鍋自体が小さいので、沸騰が早いのは当たり前だ。

これなら、電気代も半分で済むんじゃないのか。


さらに小さい鍋は、材料を入れてもすぐいっぱいになる。

皆で材料をチビチビと入れては食べるという

上品?な行為を繰り返した食後、肉も野菜もたくさん余った。

これなら、食材も半分で済むんじゃないのか。


値上げと戦うには、安い物を探したり献立の習慣を変える手もあるが

家族が多いから大きい鍋…という固定観念を捨てて

いっそ鍋やホットプレートを小さくするのも

一つの手段だと思った次第である。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実家の修繕

2025年01月18日 10時38分48秒 | みりこんぐらし
今、実家通いが慌ただしい。

母サチコは入院中なので、彼女に手がかかっているわけではない。

介護用に、実家の玄関その他を修繕しているためだ。

自分の育った家ではあるものの、今やサチコの物件となった実家は

嫌いな人が住むよその家という感覚。

サチコが居ても居なくても、何だか不気味で居心地が悪い。


玄関の方は昨年9月末、サチコが3ヶ月の入院を経て退院した時に

これから始まる介護生活に向けて家を見に来た

小規模多機能型居宅介護施設のケアマネから、きつく言い渡されていた。

「玄関を普通のドアに変えてください」


ケアマネの主張は、もっともである。

なにせ実家の玄関は、元が自動ドアだった。

店舗兼住宅というわけではない。

「家に出入りする時は、たいていカバンや荷物を持っているから

自動で開く方が便利」

という祖父の考えで、大昔に新築した際、そうなった。


父の代になってから、いつしか自動ドアの電源は切られ

手動で開閉するようになった。

会社を閉じて夫婦二人暮らしになり、来客も減ったし

人が来ると勝手に開く自動ドアでは物騒だからだ。


ただし全面ガラス張りの大ぶりな自動ドアという構造上

普通の玄関にはならなかった。

鍵は内鍵しか取り付けられず、外からは鍵をかけられない。

そのため家を留守にする時は、まず玄関に内鍵をかけ

外から鍵のかかる台所の勝手口から裏庭に出たら

隣との境の狭い路地を抜けて表へ回る。

不便だけど、両親はじきにお迎えが来る予定で

この厄介な外出方法に甘んじていた。


父は思惑通り早めに旅立ったが

残ったサチコにはお迎えが来ないまま20年。

今じゃあの世でなく、デイサービスからお迎えが来ている。

介護施設の人はデイサービスの送迎や

1日2回の弁当配達のたびに裏口へ回らなければならず

サチコが一人で外出する際も、こんな長道中では危ないと言う。


ケアマネの話では、要介護の独居老人の家って

玄関が外から施錠できない家が多いという。

スムーズな介護のために

そういう所は直してもらうことになっているそうだ。


古い家に住む古い人が要介護になると

住環境を整える必要が生じるのはわかった。

しかしまた一方、場当たり的な改造を繰り返したあげく

家相が悪化して、要介護と孤独にさいなまれる晩年を過ごす

サチコみたいなケースもあるのかもしれない…

などとチラッと思ってしまった。


ともあれ私もまた、サチコに手がかかるようになった数年前から

食べ物や洗濯物、あるいは実家で出たゴミなどの大荷物を持って

狭い路地を行き来するのに辟易していた。

よって、玄関を普通のドアに替える指示を二つ返事で承諾した。


さっそく建築業をしている同級生、通称モトジメに相談。

彼はサッシの業者を呼んでくれたが、問題はサチコ。

手すりやスロープの設置と違って

こういう大掛かりなリフォームに介護保険は出ないので、自腹になる。

施設の指示に従わなければ面倒を見てもらえないため

言う通りにするしかないのだが、サチコにはそれが理解できない。

「継子が友だちの大工とグルになって、私から金を取るんじゃ!」

そう言って激しく抵抗し、モトジメが来る度に鬼の形相で暴言を吐いた。


友だち価格で工事費を安くしてくれた上に

よその婆さんに怒鳴り散らされるのだから、たまったもんじゃないが

認知症の母親を25年も世話したモトジメの気は長い。

その度に、サチコを優しくなだめてくれるのだった。


さて何処も同じらしく、サッシ業者は

介護が始まった老人宅の玄関をやり替える仕事に追われているそうだ。

そのため、工事は年明けということになった。


「え〜!そんなに先かよ?」

去年、聞いた時はそう思ったものだ。

私が1日おきに実家へ通い、デイサービスの送り出しをしているのは

サチコが行きたがらないのに加え、この不便な玄関のためでもある。

普通の玄関であれば鍵を1本、施設に預け
 
職員はそれで玄関を開閉してデイサービスの送迎をしたり

弁当を持って来て家に入り

弁当と一緒に薬を飲ませることになっているからだ。

「玄関が直るまで、娘様が送り出しに通ってください」 

そう言われたら、通うしかないじゃんか。


しかし今となってみれば

サチコの入院中に工事が済むのはラッキーだった。

アレが家に居る時に工事をしたら、暴れるはずである。


玄関の方は、先日終わった。

しかし、今まで酷使していた勝手口のドアにも無理がきていて

開かなくなるのは時間の問題。

今度はそっちを直すことにした。


1月6日の予定だったサチコの退院を延長してもらった私だが

ついでに彼女がいない間、家をあちこち直して

工事が終わったら退院させるつもりだ。

請求書が来たら怒り狂うのは決定事項だが、そしたらこう言ってやる。

「わかった、今後一切あんたとは縁を切る」

工事費を払いたくないと言ったら、手切れ金代わりに私が払ってもいい。

そして携帯は着信拒否、家の電話は消滅させる。

電話が命の義母ヨシコには、携帯を持たせよう。


老人、特に認知症の老人、さらに鬱病の老人は

“変化”という現象に対して強い抵抗感を持つ。

サチコが退院した時、激変した家を見てどんな反応を示すか

今から楽しみだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モンちゃん去る・続報2

2025年01月16日 08時38分21秒 | みりこんぐらし
さて、モンちゃんは近所の人に勧められるまま

人権センターの門を叩いた。

確かに大声を出されるのは怖い…

仕事中に、自分が出るまで何十回となく携帯をかけられるのも怖い…

でも素直にセンターへ行ったのは怖かったからじゃなく

近所に迷惑をかけていると思い知らされたから…

モンちゃんはそう言うのだった。


私も夫の家で経験したが、抑圧される生活を続けていたら

とにかく我慢して、その日を終えることだけに必死になってしまい

何とかして環境を変えたいという考えや力が出なくなる。

捕虜みたいな心境だ。


それが何かのきっかけで、背中を押される。

こうなったら女は強い。

どんなことでもやってのけるパワーが出るものだ。

モンちゃんの場合、そのきっかけが隣人のアドバイスだったのだろう。


それにしても人権センターって

音楽や料理など市民サークルに建物の部屋を貸したり

差別を受けて人権を侵害された人の相談に乗る所だと思っていたけど

女性の人権と尊厳を保護する部署もあるなんて、初めて知った。

考えてみれば、慰謝料を取りたいなら弁護士だけど

取る慰謝料が無い相手ならば

無料で相談に乗ってくれる人権センターで事足りる。


とはいえ、センターはアドバイスをするだけで

実際に行動するのは、ほとんどモンちゃんだったという。

彼女のケースは、小さい子供がいないのと

さしあたって暴力を受けているわけではない…

つまり緊急性が無いと判断されたからである。


センターの相談員からは、まず転勤と転居によって

配偶者から離れることをアドバイスされた。

勤務先へは、転勤に協力するようセンターから口添えがあったそうだ。


センターは可能な限り遠くへの移動を求めたが

若者ならいざ知らず、65才の高齢嘱託職員を

右から左へおいそれと動かせるものではない。

モンちゃんの転勤先は、隣市にある畑違いの部署に落ち着いた。


今までのようにお金を扱う所ではないため、休日の方は不定期だが

新しい職場は心身に無理が無く、あまり人目につかない仕事。

私はそこに、勤務先の誠意を感じた。

モンちゃんが、地道に何十年も働いてきたからだと思う。


転勤先が決まると、次は転居。

キンテン君が捜索願いを出しても、警察は受理しない手続きを取る。

住民票も移したが、これもキンテン君には見せない手続きを取る。

警察や市役所にも、センターの口添えがあったそうだ。


そこからは、モンちゃんの自力。

転勤先の町でアパートを借りたり、引っ越しの準備だ。

並行して、通院中の病院の転院手続き。

今までかかっていた町内の病院だと

姿を見られたり待ち伏せされる恐れがあるので

持病の数だけ通院先のあるモンちゃんは

主治医に事情を話して紹介状を書いてもらい、病院を総替えした。

ちょっとだけヨ…という生半可な気持ちで元の町に近づいたら

何が起きるかわからないので、徹底したものである。


他に、センターのアドバイスで

キンテン君の名義で貯金していた通帳を置いて出た。

急に文無しになると、危険な行動に出る恐れがあるためだ。


小売店や飲食店では泥棒対策として

夜間はレジに5千円程度の現金を入れておくという。

レジに少しでもお金があれば、泥棒はそれを盗んで帰るが

盗むお金が無い場合、腹いせに店を破壊することが多く

その被害は5千円では済まない。

それと同じ対策だと思われる。


通帳に入っているお金はわずかな額だとモンちゃんは言うが

それがあるうちは、キンテン君はおとなしいはず。

私は『牛方とやまんば』の昔話を思い出した。

やまんばに食べられそうになった牛方が

牛の背に積んだ塩サバを次々に投げ

やまんばがそれを拾って食べている隙に

できるだけ遠くへ逃げ切ろうとする話である。


そして、いよいよ家出。

センターからは、置き手紙をするかどうか聞かれたそうだ。

金ヅル…いや妻が夜になっても帰らないとなると

キンテン君がパニックになって

また大声を出すかもしれないと案じたモンちゃんは

置き手紙を書くことを選んだ。

センターからは、「では短く」とアドバイスがあったという。

「家を出ます、お元気で」の簡潔な置き手紙は

こうして作成されたのだった。


ともあれ、このように深刻な話を聞いたマミちゃんと私は

モンちゃんが家を出たことも、その行き先も

絶対に誰にも言わないと決めた。

同級生のテルちゃんにもだ。

なんならモンちゃんの安全が確保されるまで

もう他の人たちと会わなくてもかまわない。


その後は店を変えて、続きを話し合った。

モンちゃんは、一番の難関と思われる離婚手続きを

センターがやってくれると思っていたが、それも自力だそう。

無料相談なので、そこまで親切ではないらしい。

今はまだキンテン君に近づいたら危ないので、そのままになっている。


ここで、マミちゃんから珠玉のアドバイスが。

「◯ぬのを待ちんさい。

買った惣菜とお酒ばっかりで、すぐ身体を壊すよ」

マミちゃんは真面目に言っているのだが

彼女の優しい口調と内容がかけ離れているのが面白くて

モンちゃんと私は大笑い。

我々は再会を約束し、モンちゃんの住む町を後にした。

《完》
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モンちゃん去る・続報1

2025年01月14日 14時53分36秒 | みりこんぐらし
昨年末に働かないご主人を捨て、家を出たモンちゃんと先日会った。

前の晩、急きょ決まったのだ。


その前日、仲良し同級生マミちゃんは

経営する洋品店のお客さんから

突然モンちゃんの携帯番号をたずねられた。

そのお客さんは、地元に住むモンちゃんの親戚。

マミちゃんは携帯番号を教えてもいいかどうか

モンちゃんにLINEで聞いた。


しかしモンちゃんが言うには

「これまで何十年、その人とは没交渉で

今さら話をする用件は無いから教えないで」

だそう。

この時、私も発言した。

「何十年ぶりかで急に連絡先を知りたがる人の話は

ろくな内容じゃないけん無視した方がいい」。


私が懸念したのは、モンちゃんのご主人キンテン君。

彼がそれとなく人づてに、モンちゃんの行方を探しているのではないか…

たとえそうでなかったとしても

今はモンちゃんの連絡先を誰かに伝えるのは避けた方がいい…。


だからマミちゃんは

「携帯番号を変えたみたいで、私もわからないんです」

と返事をした。

お客さんは、残念そうだったという。


この一件からマミちゃんと私は

危険を水際で防ぐには、誰にどこまで秘密にしたらいいのかを

ちゃんと本人に確認しようという結論に達した。

モンちゃんは長年、農協の受付をしていたので

不特定多数の人に顔を知られている。

彼女が家を出た噂が広まると、その目撃情報から

キンテン君がおよその居場所を知ることだって無いとは言えない。

仕事嫌いが祟って年金の少ない彼は

モンちゃんの稼ぎが無ければたちまち生活に困窮する。

必死で居場所を探しているはずなので、しっかり話し合っておかなければ。


ということで、モンちゃんロスになっている我々は

彼女の顔を見たいのもあり、いっそ会いに行こうと決めた。

モンちゃんは、我々の提案を喜んだ。

彼女の住む町は、隣市の郊外。

スーパーの駐車場で待ち合わせた。


モンちゃんに会うのは昨年11月の末

横浜から帰省したけいちゃんを囲んで食事をして以来

実に1ヶ月半ぶりである。

この何十年、こんなに長く会わなかったことは無いので

懐かしかった。


彼女は相変わらず、痩せ細った世田谷姉妹みたいな外見だが

ストレスから解放されて綺麗になっとるじゃないか。

「この分じゃあ高血圧も甲状腺も、緑内障だって良くなるかもよ!」

輝くようなモンちゃんに安心した私は言った。


「まさか緑内障までは…」

「いいや!何もかもキンテンが悪いんじゃ!」

アハハ…アハハ…笑い転げる3人。

やっぱりこのトリオは楽しい。

それぞれが素でいられる友だちだ。


さっそくランチに繰り出す。


牛ホホ肉の赤ワイン煮のコース。

味は悪くなかったが、肉を盛ったスキレットを

あらかじめ温めておく配慮が無かったので、料理はすぐに冷め

「この次は無いね」と言い合ったのはさておき

いつも小食のモンちゃんが、この日は食欲旺盛でびっくりした。

嫌な旦那と離れたら、こうも変わるものなのか。

でもわかるよ…私も実家の母サチコが入院して以来

胃の調子が良くなって食欲が出たもんね。



食事をしながらモンちゃんが話すには

人権センターに相談したのは近所の人の勧めだったそう。

このところキンテン君は大声を出して、モンちゃんを罵るようになった。

この秋は暑かったので、どこの家も窓を開けており

彼の大声が近所にも筒抜けだったらしく

見かねたその人がモンちゃんに言った。

「このままじゃ、危ない。

市の人権センターに、女性を保護する機関がある。

悪いことは言わないから相談してみなさい」


その人は十年余り前、キンテン君の母親…

つまりモンちゃんの姑さんが生きていた頃

キンテン君がその母親に暴力を振るって

何度か警察沙汰になったことも、近所なので知っている。

認知症の母親が彼をイラつかせる…それが暴力の原因。

つまりその人は、キンテン君が危ない性質なのを知っているのだ。


その時は警察と病院と民生委員の連携によって

母親を施設へ入所させることでキンテン君と引き離した。

余談になるが当時、キンテン君の暴力を止めに入ったり

施設入所に奔走した民生委員こそ、義母ヨシコの友だち骨肉のおトミ。

家では嫁姑関係が骨肉でも、民生委員として良い仕事をしたらしい。

そんなおトミも、今は認知症で前後不覚である。

《続く》
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友だち市場

2025年01月10日 10時20分03秒 | みりこんぐらし
今月6日までのはずだった実家の母サチコの入院期間が

私の強い希望で延長されたことはお話しした。

「予定通り退院しますか?それとも延長しますか?」

病院の相談員に電話でたずねられ、一も二もなく延長を希望した私。

「今退院したら、“入院しとけばよかった”と言って必ず泣く」

そう言って頼み込んだ。


実際、そうなのだ。

置かれた境遇が常に不満で

前に戻りたがったり、別の新しい環境を執拗に望む…それがサチコ。


その時に決まったのは入院の延長だけで、日程は未定のままだったが

延長の措置はすぐに取られ、サチコは個室から大部屋へ移動。

「何で私が4人部屋へ行かんといけんの?!」

えらく憤慨してナースセンターの公衆電話から電話をかけてきたが

「さあね」

と答えておく。


対サチコ対策なのか、それとも方針を変えたのか

昨年夏の入院と違って今回は、電話が1分弱で切れるようになった。

電話をかけるために介護士からもらう10円玉の枚数を

制限されているらしい。

さらに1日3回までだった電話の回数が、2回に減少しているみたい。

よって、のらりくらりしていたら終わるのだ。


携帯電話の方は持って行かなかったので、今回は安心。

精神病院の性質上、入院当初は病院で預かり

医師の判断で患者に返還されるという携帯は

前回の入院で心配のタネだった。

自制心の無い電話魔サチコに返されたら最後

携帯に入っている人たちに電話をかけまくって

多大な迷惑をかけるのは決定的だからである。


結局は退院までの3ヶ月間、返されることは無かったが

私はいつ返されるのか、ずっとヒヤヒヤしていた。

あんな思いは二度とゴメンだ。


今回は入院の朝、迎えに行ったら例のごとくまだ寝ていたので

起こして身支度をさせるドサクサに紛れ

サチコの携帯を家に置いて出ることに成功。

病院へ持って行かなければ、彼女が携帯を手にする可能性はゼロだ。


そのまま入院したサチコ、やはり最初のうちは

「帰りたい」と電話がかかっていた。

が、大部屋に移動して話し相手ができたからか、日を追って落ち着き

「春まで入院したかったけど、今月の末までは置いてくれるらしい」

電話でそう言ってきた。

こいつぁ〜春から縁起がいいぜ!


となると、この隙に羽を伸ばしたい私。

期限付きとはいえ、せっかく得た自由だ。

遊びの予定を入れないでどうする。


その前にまず、昨年11月から約束していたAさんとの

新年会が控えている。

私を介してAさんと親しくなった、同級生のマミちゃん

モンちゃん、テルちゃんと5人でランチだ。


けれどもAさんは大晦日に滞在先の東京で倒れ

今も東京の病院へ入院中のため、新年会どころではない。

70才の大台に乗ると、色々あるのよね。

救いは、彼女が東京とこちらの二拠点生活なので

世話をしてくれる仲間が周囲にいることだ。


それにAさんは、モンちゃんが町を出たことを知らない。

たとえ彼女が元気で新年会ができたとしても

モンちゃん不在の理由は伝えなければならない。

家出ホヤホヤの今は話を拡げたくないので

会わずに済んで良かったかも。


同じ理由により、テルちゃんに会うのもはばかられる。

新年会中止の知らせを残念がったテルちゃんは

マミちゃん、モンちゃん、私の4人で遊びたい様子だったが

モンちゃんが来ないのは明らか。

事情を説明する羽目になると、困るではないか。


テルちゃんは人の秘密をしゃべる子ではないが

ひとたび他の誰かに話したら、一人、また一人と話が拡がる可能性が出る。

モンちゃんの身の安全のため、この話を知っているのは

仲良し同級生で結成する5人会だけにとどめておきたい。


去年からユリちゃんに内緒で

我々とランチに行くようになったユリ寺の料理仲間

梶田さんも同じく。

彼女は12月、オーストラリアに住む娘さんの所へ行っていたので

モンちゃんの件は知らない。

「1月に帰ったら、マミちゃんとモンちゃんを誘って

ランチに行きましょう」

そう言って機上の人となったが、帰国はまだ。

モンちゃんの安全が確立するまでは、会わない方がいいように思う。


5人会のメンバーとしてモンちゃんの出奔を知るマミちゃんは

今もずっと心配している。

しかしモンちゃんが少しずつ話してくれて色々と知った私は

彼女からあれこれたずねられるのも話すのも、やっぱりはばかられる。


転勤から家を出るまでのプロセスは

相談した市の人権センターが主導してくれたことや

離婚手続きもそちらに任せていることなど

モンちゃんが命懸けで使った裏技とも言える手段を話したら

マミちゃんはおそらく安心する。

けれどもそれは、モンちゃんの口から話すことだと思う。


モンちゃんは人権センターが乗り出すほど苦しんでいたのであり

そこまでとは気がつかなかった私は、ひたすら辛い。

気がついたからといって何かしてやれるわけではないが

薄い餞別ぐらいは渡せたではないか。


そんなわけで、今は数少ない友だちと

会うわけにいかなくなっている。

その少ない友だちの一人、モンちゃんにも会えなくなったのだから

私の友だち市場は閑古鳥さ。

自由を得れば、羽ばたけず…

おとなしく家に居るしかないようだ。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の目標は…

2025年01月08日 14時20分06秒 | みりこん流
年が明けて日常が始まり、今年の目標やら決意やら

色々と考えたいところだけど、なかなか浮かばん。

介護ってマジ、人間の夢や希望を奪い去ってしまうものなのね。


その介護対象者、実家の母サチコに関する目標ならありますよ。

“今年は施設に入れる”。

実現するといいけど。


さて、この正月休みは久しぶりにのんびりできた。

サチコを入院させたため

デイサービスの送り出しに通わなくてよかったのもあるが

毎年正月の3日、同級生ユリちゃんのお寺で行われる

お雑煮会に行かなかったのも大きい。

「母のデイサービスと弁当が休みで

6日間、世話をしないといけないから無理」

そう言って断った。


嘘をついて欠席したわけではない。

ユリちゃんにそれを言った時、サチコの入院はまだ決まっていなかった。

決まったのは、その2日後。

私は、そのことをユリちゃんに伝えなかっただけである。


この5〜6年、正月の3日は毎年

ユリ寺で行われる初勤行に夫婦で呼ばれ

私は台所でお雑煮の鍋物を作っていた。

前日の2日は食材の準備に走り回り、当日は朝早く寺へ行き

べらぼうに寒い台所で震えながら、一人立ち働き

食べて後片付けをして夕方帰る…

2日と3日がこれで潰れ、4日と5日は疲れが残り

気がついたら、いつも正月休みは終わっていた。

お雑煮会を拒否しただけで、こんなに楽とは思わなかった。

めでたい!


来年以降も行かないと、改めて誓う。

物事を続ける努力は大事かもしれないが

年を取ったら、自分の身体を守る努力の方が大事だ。


思い返せば私は、自分を守ることを怠って生きてきた。

自分を守る気が無いから、つまらぬことを押し付けられたあげく

価値の無い雑事に追われるようになり

本当にやりたいことや楽しいことを後回しにしてきたように思う。

おそらくそれは、正しい生き方ではない。


今年になって急にそう思うようになったのは

サチコの実子マーヤからの年賀状。

楽しそうな家族旅行の写真付きである。

私がサチコからの電話攻撃に耐え

しょっちゅう呼び出されていた時期の写真だ。

「何よ!親を私に押し付けて!自分たちは旅行に行って!」

とは思わない。

わたしゃ何なのよ、とは思う。


悪魔の化身サチコに関わったら最後、五つ並んだ明るい笑顔が

一瞬で消えてしまうのはわかりきっているので

「犠牲者の人数は少ない方がいい」

このコンセプトにより、自ら魔境に身を投じたのは他でもない私。

文句を言うつもりは無い。


ただ人間って、苦境から一目散に逃げられる人と

グズグズして逃げられない人がいるんだな、と思った。

危険察知能力が高い人と、低い人がいる…

これは紛れもない事実。

私はどうも低いようなので、これは仕方のないこと。

能力の高い者は、お人好しの馬鹿がちゃんといることを

見極められるのかもしれない。


「いつもありがとう」

マーヤからメールでは言われるが口だけで

煎餅のカケラすら、届いたことは無い。

その「ありがとう」は、私に向けられたものではなく

母親の世話を回避できた安堵への感謝なのだろう。


決して、何か欲しいわけではないぞ。

浮世の義理を知らない者が選ぶ品はたいていズレていて

もらっても嬉しくない形だけの物と決まっている。

「こんなモンで誤魔化して!」

そんな怒りが生じる懸念は、無い方がいい。


「いつもありがとう」

サチコも言う。

そりゃ簡単に言うが、口だけだ。

労働に見合う金品を下賜されたことは無く

むしろこちらの持ち出しが多い。

忘れたら損することはしっかり覚えているけど

覚えていたら損することはすぐに忘れる、それが認知症。


なんだかんだ言っても、アレらが似た者親子なのは間違いない。

こういう小さな発見が、私には嬉しいのだから困った性分である。


そういうわけで、今年は“自分を守る”を目標にしたいと思う。

が、今までたびたび目標にしてきた“無口”も全然達成できなかったし

また目標だけで終わるかもね。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

財布で初笑い

2025年01月07日 13時13分08秒 | みりこんぐらし
昨日の朝、今年初めてのヤクルトさんが来た。

ヤクルトの配達があるのを忘れていた私は

台所に置いていた財布をつかみ、玄関へダッシュ。

しかし、私が財布だと思っていたものはケチャップだった。

敗因は、財布がケチャップと同じ色だったこと。


義母ヨシコの笑うまいことか。

人の失敗が嬉しいお年頃よ。

私も笑うしかないじゃないの。

後で息子たちに告白したら

「終わっとるね」

と言われ、やっぱり笑われた。


ケチャップ色の財布は数年前

実家の母サチコを連れてデパートへ行った時に買った…

いや、買わされたもの。

商品券を持っていたので、せっかく街へ出たついでに

財布を買おうと思った。

ひと目で気に入ったのは、黄緑の財布。

それを持ってレジへ行こうとしたら、サチコが止める。

「ちょっと、あんた!そんな変な色はやめんさい!」


私のお金で、いや商品券で何色の財布を買おうと自由なはずだが

そうはさせないのがサチコ。

周囲の人間を自分色に染めたい性分の人はいるもので

その一人が彼女である。

「こっちの色にしんさい!」

黄緑財布の代替え品として、サチコが強く勧めたのが

黄緑と色違いのケチャップ財布だった。


え〜?嫌だ〜!こんな色!

年寄りが赤い物を持ちたくて、でも勇気が無くて

つい選んでしまう、お婆さん御用達の暗い赤…

ワインとか、レンガ色とか、嫌いよ。

私はクリアな色が好き。

特に黄緑、ターコイズ、オレンジ、紫がご贔屓なのさ。


もちろん抵抗したともさ。

しかし、サチコの剣幕は凄まじい。

押し問答が続いてラチがあかないので

「また今度にする」と言って財布を手放し

売り場を離れようとしたが、それでも目を釣り上げて食い下がる。

彼女が買ってくれるのであればまだしも

人のお金で自分の意地を通す、それがサチコ。


思えば昔から、こういうところが

彼女の回りから人が離れて行く原因の一つ。

91年という申し分ない年齢を重ね

その問題多き性質に耐えてくれた優しい人々はいなくなり

今になって孤独地獄に陥ったのも、うなづけるというものだ。

認知症と鬱病が進行しつつあったであろう当時

その勢いは、より激しさを増していたのかもしれない。


あんまりうるさいので、シブシブ婆色財布を買った。

買ったからには使うようになって数年

サチコは私が例の財布を使用しているかどうか

じっと観察を続けているので、別の物に替えることができない。

替えたら最後

「何で替えた!あれが気に入らないのか!」

そう激昂し、いつまでも執拗に文句を言い続けるのは

火を見るより明らかだ。


全ては、彼女の前で物を買おうとしたのが失敗。

服も靴も化粧品も、サチコの前で買おうとするたび

同じ結果になるのは経験で熟知しているはずだった。

都会へ出たんだから、田舎じゃ買えない物を…

そんな欲を出した私のミスなのである。


以後、財布はやっぱり好きになれないのでテンション低し。

特に人前で、この婆色財布を取り出すのは恥ずかしい。

もっとも財布を出してお金を払う時は、たいてい人前だ。

服やバッグの色とかけ離れた婆色財布を出すのを恥じて

私はお金を使う回数が、いささか減ったように思う。

キャッシュレスの現代、財布の出番は減ったが

田舎住まいの我々老人は、まだ財布を使う機会が断然多い。

出費をセーブしたければ、感じの悪い思い出を持つ

嫌いな色の財布を持つのがいいかもしれない(冗談です)。


とはいえ新しい財布は、すでに用意してある。

去年の秋、サチコの認知症が進んできたのを見計らって

マミちゃんの洋品店で買ってしまった。

実物はオレンジ色なんだけど、茶系に写ってしまうのが残念なところよ。

硬そうな見た目とは裏腹に

持ったら柔らかくてフワフワの触感がお気に入り。


新しい財布をおろすのに、秋は“空き財布”と言って

良くないと言われるため、財布業界は農閑期。

そのためおしゃれメイト・マミでは

あえてメーカー協賛のセールをやっていて、半額で買った。


私はいつも空き財布なんだから、気にしなくてよさそうなもんだけど

せっかく嫌な財布で何年も耐えたのだから

縁起ぐらい担ぎたくなるではないか。

新しい財布をおろすのは新春、春財布(張る財布)の時期に決めた。

日にちは1月下旬の従姉妹の誕生日、というのも決めてある。

それまで、新しい財布は引き出しで熟成中。


あ、3日連チャンの更新って、あんた余裕あるよねって?

ヘッヘッヘ…

年末に入院したサチコは1月6日、つまり昨日が退院予定だったけど

私の強い希望により、入院期間を延長してもらった。

退院予定日は今のところ未定で、明日になるのか

最長の3ヶ月になるのか、全然わからない。

病院のベッドが混んできたら、退院させられるんじゃないかしら。

その間はゆっくり休むつもり。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手抜き料理・正月明け

2025年01月06日 10時34分53秒 | みりこんぐらし

今日から仕事始めのかたが多いのではないでしょうか?

うちもそうです。

日常が戻り、お正月のご馳走にも飽きて野菜が恋しくなった頃。

手軽にサッとできる野菜料理をご紹介したいと思います。


《春菊のおひたし》

①春菊ひと束を、塩少々を入れた熱湯でサッと茹でる

②流水で冷やして軽く絞り、食べやすい大きさに切る

②切った春菊に2倍希釈の麺つゆを原液のまま大さじ1と

すりゴマをたっぷりかけて、混ぜたら出来上がり


これ、私が今ハマっている春菊の食べ方。

ほうれん草や小松菜のおひたしより、断然好き。

今どきの春菊はあんまり匂わないので、美味しく食べられる。

これを食べると、なぜかよく眠れる気がするんだけど

気のせいかしらん。



《大根とカニカマのマヨネーズ和え》



①大根2分の1本をスライサーで千切りにし

塩をひとつまみか二つまみ振りかけて混ぜたら、10分程度放置

②少しの塩で幾分しんなりした大根を洗わずに絞る

※ここで大根を洗ってしまうと水っぽくなるので、洗わない

※塩はそのまま味付けの一部になるため、塩の分量は少なめに

③絞った大根をほぐし、そこへほぐしたカニカマ

マヨネーズ大さじ2、薄口しょうゆ少々、コショウ少々を混ぜて出来上がり



パセリやカイワレがあれば、刻んで一緒に混ぜると彩りが良くなる。

これは簡単で美味しいだけでなく、胃の調子を整えてくれる。

少ない塩をかけられた大根は

「しんなりしようか、それともパリパリのままでいようか」

の、どっちつかす状態になる。

このどっちつかずでギュッと絞られたら

柔らかい食べやすさと、サラダっぽい歯応えが生まれる。

そうよ、私は生野菜のサラダがあんまり好きじゃない。

だから野菜はつい、手を加える。

その方がたくさん食べられるし、何か作ったという満足感が得られる。



《大根葉のふりかけ》


①大根の葉ひと束の根元を輪ゴムでしばり

塩少々を入れた熱湯でサッと茹でる

②流水で冷やして軽く絞り、小口切りにしてから輪ゴムを外す

③熱したフライパンにゴマ油大さじ1を入れ

小口切りにした大根の葉っぱを入れて、強火で軽く炒める

④炒めながら、しょうゆ大さじ1、ミリン少々で味付けし

カツオ節と白ゴマをたっぷり振りかけて混ぜたら出来上がり



うちは田舎なので、畑や家庭菜園で作った大根を

人様からよくいただく。

たいてい大袈裟な葉っぱがくっついていて

この葉っぱを何とかするために不承不承

ふりかけめいた物体を作るわけだけど、これが次男の大好物ときた。

葉っぱ付きの大根をいただくと期待するので、作っている。


大根の葉っぱの根元を最初に輪ゴムでしばるのは

茹でる時や切る時にバラバラだと、揃えるのが面倒くさいから。

根元をしばると扱いやすくなり、手早く作れる。


葉っぱの先の方にも栄養があるらしいけど

苦味が強くて仕上がりがモサモサするので

嫌いなかたは茹でる前に先の方を切り落としておくといい。

私は切り落とす派。



野菜じゃないけど、簡単つながりでご紹介。

《鶏肉の塩麹(しおこうじ)揚げ》


①鶏もも、または鶏ムネ肉を2枚、食べやすい大きさにカットし

ボウルかビニール袋に入れる

②そこへ市販の塩麹をドバ〜ッと入れて混ぜ、10分〜20分ほど放置

※塩麹は200グラム入りの白いツブツブのある物を

3分の1程度入れる

※塩麹を混ぜてから長く置くと

塩麹の塩分で鶏肉の水分が抜けてパサパサになるので

浸け置きは10分〜20分ぐらいにとどめる

③そのまま片栗粉をまぶし、油で揚げたら出来上がり


男や子供って、鶏の唐揚げが好きじゃん。

でも作る方は、かったるいわよ。

これはニンニクもショウガも酒もしょうゆもいらず

塩麹だけで風味豊かな美味しい唐揚げができるので

騙されたと思ってやってみてもらいたい。


この塩麹揚げ、いつかのお寺料理の時にマミちゃんが作ってくれたもの。

お寺側のリクエストで、最初は普通の唐揚げを作る予定だったけど

マミちゃんはかったるくなった。

何を一生懸命作っても、それが当たり前になってしまった昨今

わざわざニンニクやショウガを買いに行って

せっせとすり下ろすのが嫌になったわけよ。


そこで家にあった塩麹を鶏肉に混ぜ混み

お寺のお供えだった片栗粉をぶち込んで、そのまま揚げちゃった。

私を含め、みんな何も知らないから「美味しい!」と絶賛。

味付けは塩麹だけだと、後から聞いて驚いたんだけど

一番驚いたのはマミちゃんだったみたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニュース大賞

2025年01月05日 15時55分32秒 | みりこんぐらし
明けましておめでとうございます。

旧年中は大変お世話になり、ありがとうございました。

本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。


さて昨年の大晦日。

息子たちと、我が家限定今年のニュース大賞の選考を行った。


少し前まで、栄えある大賞は

何かとやらかしてくれる実家の母サチコに贈られると

誰もが思っていた。

中でも大賞にエントリーされた大きな理由は、サチコの薬物問題。

12月、デイサービスの施設に泊まった夜のことである。

彼女が施設に精神安定剤を持ち込み

寝る前に飲んでいるところをスタッフに目撃されて

ひと騒ぎあったのだ。


サチコの飲み薬は、施設の管理下に置かれている。

認知症なので、自分では管理できないからだ。

今は精神病院の薬を飲んでいるため

以前、心療内科で処方されていた精神安定剤は捨てたはずだった。

しかしサチコは、その古い安定剤を隠し持っていて

最近は頻繁に飲むようになっていた。


ここが実の親子と他人の違いになるのだが

継子の私は、サチコが何を飲んでどうなろうと関心が薄い。

施設から捨てるように言われた薬は捨てるが

隠している薬を探してまで廃棄する情熱は無く

また、引き出しなんかを調べて泥棒扱いされるのもまっぴらなので

放置していたのである。


ともあれ、施設が把握してない薬を

個人的に持ち込んで勝手に飲むのは、施設に背く危険な行為らしい。

私はケアマネと看護師に厳しく注意された。


折りよく施設が休業する年末年始が近づいており

その間、サチコは精神病院へ入院という形で

預かってもらうことになっていた。

サチコはすんなり入院し、その後、実家の掃除や洗濯をした私は

彼女がこっそりビールを飲んでいることを知った。


ゴミは私が持ち帰っているが、ビールの空き缶は一度も無かった。

しかし、空のはずの冷蔵庫の野菜室から

ビールがゴロゴロ出てきたのである。

空き缶は私に見つからないよう

近所のコンビニへ行くたびに捨てていたのかもしれない。

精神安定剤と酒を組み合わせたら、そりゃあおかしくもなる。

デイサービスの朝、起きられないのはそのせいかもね。


「酒と薬物!とんでもない不良ババアじゃ!」

息子たちは驚き、ニュース大賞は大晦日を待つまでもなく

サチコに決定しかけた。

そこへ私の友だちモンちゃんから、衝撃のLINEが入る。

「家を出ました、電話番号も変えました」


以後の我が家はこのニュースで持ちきりとなり

ほどなく迎えた大晦日、ニュース大賞はモンちゃんに決まった。

特にポイントが高かったのは、モンちゃんが旦那に書いた置き手紙。

「家を出ます、お元気で」

清々しいまでの簡潔な文面に、我々審査員はハートを鷲掴みにされた。

「自分勝手なだけのサチコより

勇気を持って行動したモンちゃんの方がダントツに素晴らしい」

というのが受賞の理由である。



明けて正月の2日。

夫と私は町内の神社へ初詣に出かけた。

その神社はモンちゃんの家の近所にあるので

自然と彼ら夫婦の話になった。


「キンテンは、一人で家におるんかのぅ」

近くに車を停めて神社まで歩く道すがら

夫は彼らの家を遠目に見ながらつぶやく。

キンテンというのはモンちゃんの旦那のニックネームで

彼の名前の漢字を音読みにしたものである。


「捨てられたんじゃけん、一人でおるしかないが」

そんなことを話しながら、神社に到着。

石段を登っていると、夫が小さく叫んだ。

「あっ!キンテン!」


指さした方向に目をやると

キンテン君がおみくじを木に結びつけとるじゃないか。

「初詣に行く精神的余裕があるんじゃ…」

「のどかにおみくじを買う余裕も…」

彼の穏やかな表情に、ホッとした。


帰宅して、モンちゃんにLINEで報告。

知らせるべきか迷ったが、家出経験者の私から言うと

家を出た後のことは気になるものだ。


「初詣に行く余裕があるんですね。

家で大声出して暴れているかと思ってたけど

落ち着いているようなので安心しました。

また何かあったら教えて」

モンちゃんからは、そう返事が返ってきた。


了解…と返したものの

キンテン君はよっぽど手がつけられなかったのだと改めて知った。

モンちゃんは、身の危険を感じて家を出たのだ。


別の意味で手がつけられない、キンテン君と同い年の夫を持つ私には

モンちゃんの心境がよくわかる。

何でも“人が悪い”で押し通し

通らなければヤケになって、とんでもないことをやらかし

危なくなったら泣いて逃げ、喉元過ぎればケロヨンのパッパラパー。

それが、あの年回りの特徴だ。

やっぱり離れて良かったと思うと同時に

彼女がもう、この町へ戻ることはないと確信した。

キンテン君に姿を見られると、危ないからだ。


しばらくモンちゃんに会えないと思うと、胸に迫るものがある。

しかし一方で、彼女の行動力を誇らしくも思う。

いつかまた笑って話せる日まで、お互いに元気でいたいものである。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする