『後援会からもらった花束』
開票が始まった。
開票の会場へ差し向けた人から数分後に届く第一報は、たいてい皆、横並びの得票数だ。
準備ができていなかった、あるいは知名度が無かった候補者は
この第一報ですでに差のつく場合もあるが、今回は全員横並び。
…ということは、早くから落選がささやかれていた人が、かなり健闘したと言える。
…ということは、うちの候補が危険水域にあることを示している。
やがて第二報。
やはり皆、同じ得票数。
…ということは、以下同文。
第三報から、はっきりと差がつき始めた。
上位当選の人はケタが変わり、下の方は伸び悩む。
うちですか?もちろん下の方ざます。
落選予定の人はこの時点でストップしたため、落選は免れそう。
こうなりゃ、ビリでないことをひたすら祈るのみ。
最終結果が出た。
ケツ2。
つまりビリから二番目だ。
得票数は、前回より百数十票減。
あまりの衝撃に、静まり返る事務所。
そりゃビリ争いはわかっていたけど、まさかここまでとはね。
あのS氏だって、もっと上の方だ。
どこでもたいていそうだけど、候補者は投票結果が出てから事務所に現れる。
「すみません、こんな結果で」
そう言いながら入ってきた候補自身も、無残な結果に驚いた様子。
思い返せば、前回も同じシチュエーションだった。
5〜6人でビリ争いのあげく、ビリ候補の中では何とか上の方に食い込んだ。
入ってくるなり、皆の前で「すみません」と謝る候補に、私は言ったものである。
「謝ることないですよ!当選することが大事です」
当時、思った。
「投票結果が出て候補が事務所に入る時、すみませんじゃなく
普通にありがとうと言えるようにできれば…」
以後の4年は、その思いを胸に頑張った。
人の集まる催しで、市議が来ても差し支えの無い所には候補を呼んで紹介したり
「誰でもいい」と言う人には投票を頼んだりしてきたのだ。
というのもこの4年間で、私がいつもお願いしていた老人がバタバタと亡くなり
それを機に家族までが転居したりで、お得意様が減少したため
新規開拓の必要性を痛感したからである。
が、願いもむなしく史上最低記録を更新。
さすがに今回は、候補と一緒に謝るしかない。
申し訳ございません。
それでも一応は当選したのだから、お決まりのプログラムはこなす。
ウグイス二人から候補に花束贈呈。
毎回だが、この時、候補は必ず私とナミに言う。
「次も絶対、お願いします」
そして後援会より、我々ウグイスに花束贈呈。
一同、まだショックから立ち直れないままなので拍手はまばら。
バンザイ三唱も無し。
誰もその気にならなかったので、自然に割愛された。
皆が再び席に着くと、引退議員その2のTさんは首をかしげて言う。
「おかしいのぅ、ワシの票が少なくとも二百票以上はあるはずじゃが…」
もはや彼の発言に相づちどころか、まともに耳を傾ける者は誰もいないので
それは独り言になった。
そのうちTさんは電話をかけるふりをして席を立ち、事務所の入り口近くに移動。
しきりに誰かと話す格好をしながら、やがて外へ出た。
帰り支度である。
「なぁヒロシ君、あの人、ホンマに二百票もくれた思うか?」
選挙カーのドライバーの一人だった老人が、小声で夫に問う。
候補の親戚で、ニックネームは村長。
その由来は山奥の一軒家に住んでいるため、住人が彼ら夫婦しかいないからだ。
その昔、夫と共に亡き国会議員の選挙ドライバーをしていた旧知の仲である。
「あんなヤツに頼るけん、こんな結果になったんですよっ!」
夫は外にいるTさんを指差し、かなり大きな声で答えた。
さっきのゴルフクラブの恨みがあるので、容赦ない。
「パパ〜、そんな大声で本当のことを言っちゃあいけないわ〜、ホホホ」
さらに大きな声で夫をたしなめる?私。
「ここの皆さんも、最初からわかってらっしゃるわ。
ねえ皆さん?」
…黙って顔を見合わせ、大きくうなづく皆さん。
実のところ、大半はわかってない。
選挙の闇を知らない他の人たちは、引退議員が3人も加勢してくれていると聞いて
V字回復の結果を心から楽しみにしていた善人だ。
彼ら彼女らのやるせなさを吹き飛ばし、新たな気持ちで4年後に繋げるためには
最初から怪しんでいた…あてになんかしてなかった…
そういうことにして着地させるのが得策である。
Tさんはいつの間にか、いなくなっていた。
遠慮なTさんが帰ったのを機に、皆でなごやかな歓談が始まる。
そして30分後、夫と我々ウグイスは帰ることにして、私は別れの言葉を言った。
「日本一の後援会長さんの元で、皆様と一つになって戦えたことは
私の誇りでございます。
本当にありがとうございました」
後援会長へのはなむけは、大事だ。
「その言葉だけで十分です…やった甲斐がありました」
候補のご近所さんというだけで、初めて後援会長を務めた彼は嬉しそうだった。
こうして選挙は終わった。
2〜3日ゴロゴロして身体を休めたいのは山々だが、私は無理。
終わった途端に馬車馬暮らしよ。
これが一番きつい。
やはり年のせいか、今回はなかなか疲れが取れなかった。
選挙後、知らない人に何人か、声をかけられた。
「あの…間違ってたらごめんなさい。
“やっぱりきっぱり”のウグイスさんですよね?」
「“託して任せて”のウグイスさんじゃないですか?」
ラップもどきのセリフが印象に残ったようなので嬉しい…と言いたいところだけど
私がとっさに気にするのは
「この辺りで、あのセリフ言ったっけか?」
ウグイスのサガであろう。
選挙戦が終わって1週間後、候補がギャラを持って我が家に来た。
ドライバーや他の手伝いをした人の報酬は
選管に請求した選挙費用が支払われてからなので1ヶ月以上先になるが
ウグイスのギャラだけは先に支払うのが選挙界の常識。
ギャラは振込みだったり、後援会長や選挙ブローカー、あるいは家族が渡したり
「取りに来て」と連絡してくる所もあるが
律儀な彼は、いつも自分で持って来るのだった。
二人で今回の選挙結果の分析などをしばらく話した後
「姐さん、投票日に予約済みですけど、もちろん次もやってくれますよね」
候補が言う。
「この結果じゃ引かれんわ!やらせていただきます」
私は思わず答え、引退は4年後に持ち越しとなった。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
《完》
開票が始まった。
開票の会場へ差し向けた人から数分後に届く第一報は、たいてい皆、横並びの得票数だ。
準備ができていなかった、あるいは知名度が無かった候補者は
この第一報ですでに差のつく場合もあるが、今回は全員横並び。
…ということは、早くから落選がささやかれていた人が、かなり健闘したと言える。
…ということは、うちの候補が危険水域にあることを示している。
やがて第二報。
やはり皆、同じ得票数。
…ということは、以下同文。
第三報から、はっきりと差がつき始めた。
上位当選の人はケタが変わり、下の方は伸び悩む。
うちですか?もちろん下の方ざます。
落選予定の人はこの時点でストップしたため、落選は免れそう。
こうなりゃ、ビリでないことをひたすら祈るのみ。
最終結果が出た。
ケツ2。
つまりビリから二番目だ。
得票数は、前回より百数十票減。
あまりの衝撃に、静まり返る事務所。
そりゃビリ争いはわかっていたけど、まさかここまでとはね。
あのS氏だって、もっと上の方だ。
どこでもたいていそうだけど、候補者は投票結果が出てから事務所に現れる。
「すみません、こんな結果で」
そう言いながら入ってきた候補自身も、無残な結果に驚いた様子。
思い返せば、前回も同じシチュエーションだった。
5〜6人でビリ争いのあげく、ビリ候補の中では何とか上の方に食い込んだ。
入ってくるなり、皆の前で「すみません」と謝る候補に、私は言ったものである。
「謝ることないですよ!当選することが大事です」
当時、思った。
「投票結果が出て候補が事務所に入る時、すみませんじゃなく
普通にありがとうと言えるようにできれば…」
以後の4年は、その思いを胸に頑張った。
人の集まる催しで、市議が来ても差し支えの無い所には候補を呼んで紹介したり
「誰でもいい」と言う人には投票を頼んだりしてきたのだ。
というのもこの4年間で、私がいつもお願いしていた老人がバタバタと亡くなり
それを機に家族までが転居したりで、お得意様が減少したため
新規開拓の必要性を痛感したからである。
が、願いもむなしく史上最低記録を更新。
さすがに今回は、候補と一緒に謝るしかない。
申し訳ございません。
それでも一応は当選したのだから、お決まりのプログラムはこなす。
ウグイス二人から候補に花束贈呈。
毎回だが、この時、候補は必ず私とナミに言う。
「次も絶対、お願いします」
そして後援会より、我々ウグイスに花束贈呈。
一同、まだショックから立ち直れないままなので拍手はまばら。
バンザイ三唱も無し。
誰もその気にならなかったので、自然に割愛された。
皆が再び席に着くと、引退議員その2のTさんは首をかしげて言う。
「おかしいのぅ、ワシの票が少なくとも二百票以上はあるはずじゃが…」
もはや彼の発言に相づちどころか、まともに耳を傾ける者は誰もいないので
それは独り言になった。
そのうちTさんは電話をかけるふりをして席を立ち、事務所の入り口近くに移動。
しきりに誰かと話す格好をしながら、やがて外へ出た。
帰り支度である。
「なぁヒロシ君、あの人、ホンマに二百票もくれた思うか?」
選挙カーのドライバーの一人だった老人が、小声で夫に問う。
候補の親戚で、ニックネームは村長。
その由来は山奥の一軒家に住んでいるため、住人が彼ら夫婦しかいないからだ。
その昔、夫と共に亡き国会議員の選挙ドライバーをしていた旧知の仲である。
「あんなヤツに頼るけん、こんな結果になったんですよっ!」
夫は外にいるTさんを指差し、かなり大きな声で答えた。
さっきのゴルフクラブの恨みがあるので、容赦ない。
「パパ〜、そんな大声で本当のことを言っちゃあいけないわ〜、ホホホ」
さらに大きな声で夫をたしなめる?私。
「ここの皆さんも、最初からわかってらっしゃるわ。
ねえ皆さん?」
…黙って顔を見合わせ、大きくうなづく皆さん。
実のところ、大半はわかってない。
選挙の闇を知らない他の人たちは、引退議員が3人も加勢してくれていると聞いて
V字回復の結果を心から楽しみにしていた善人だ。
彼ら彼女らのやるせなさを吹き飛ばし、新たな気持ちで4年後に繋げるためには
最初から怪しんでいた…あてになんかしてなかった…
そういうことにして着地させるのが得策である。
Tさんはいつの間にか、いなくなっていた。
遠慮なTさんが帰ったのを機に、皆でなごやかな歓談が始まる。
そして30分後、夫と我々ウグイスは帰ることにして、私は別れの言葉を言った。
「日本一の後援会長さんの元で、皆様と一つになって戦えたことは
私の誇りでございます。
本当にありがとうございました」
後援会長へのはなむけは、大事だ。
「その言葉だけで十分です…やった甲斐がありました」
候補のご近所さんというだけで、初めて後援会長を務めた彼は嬉しそうだった。
こうして選挙は終わった。
2〜3日ゴロゴロして身体を休めたいのは山々だが、私は無理。
終わった途端に馬車馬暮らしよ。
これが一番きつい。
やはり年のせいか、今回はなかなか疲れが取れなかった。
選挙後、知らない人に何人か、声をかけられた。
「あの…間違ってたらごめんなさい。
“やっぱりきっぱり”のウグイスさんですよね?」
「“託して任せて”のウグイスさんじゃないですか?」
ラップもどきのセリフが印象に残ったようなので嬉しい…と言いたいところだけど
私がとっさに気にするのは
「この辺りで、あのセリフ言ったっけか?」
ウグイスのサガであろう。
選挙戦が終わって1週間後、候補がギャラを持って我が家に来た。
ドライバーや他の手伝いをした人の報酬は
選管に請求した選挙費用が支払われてからなので1ヶ月以上先になるが
ウグイスのギャラだけは先に支払うのが選挙界の常識。
ギャラは振込みだったり、後援会長や選挙ブローカー、あるいは家族が渡したり
「取りに来て」と連絡してくる所もあるが
律儀な彼は、いつも自分で持って来るのだった。
二人で今回の選挙結果の分析などをしばらく話した後
「姐さん、投票日に予約済みですけど、もちろん次もやってくれますよね」
候補が言う。
「この結果じゃ引かれんわ!やらせていただきます」
私は思わず答え、引退は4年後に持ち越しとなった。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
《完》