前回の記事、『新・墓騒動』で
ユウキさんから「タイプ別対処法」というご希望があった。
いっぱいある。
ぜひ書きたい。
が、わかるように詳しく書いたら、語弊の羅列。
育ち、国籍、経済状況、精神の病い‥
パッと見ではわかりにくい部分が浮き彫りになる瞬間‥
それが謝罪の場面なのだとつくづく思う。
我が家が遭遇した厄介の双頭は、ヤクザかぶれと公務員。
かぶれの方は推して知るべし。
同じようなお仲間や、いけないお薬も手伝って
針小棒大に持ち込む示談金狙い。
公務員の方は、ただ公務員だからというわけではない。
どんな職業だろうと、普通じゃない人はいるものだ。
ただ職業柄、我々の個人情報を知り得る立場にあり
加えて口が回るのと知識が豊富なのとで、謝罪は困難を極めた。
公務員への謝罪は、こちらの落ち度が原因ではない。
親しい女性が車で、うちへ遊びに来る途中
そいつの妻の両親と、バンパーがこすれ合った程度の
ごく軽い接触事故を起こしたのが発端。
幸い両者に怪我は無く、ひとまずは物損事故として処理された。
女性は独身で、近くに身寄りが無い。
うちの近所で事故が起きたため
彼女に呼び出されて駆けつけたのが運の尽き‥
相手が、物損処理に不満を訴え始め
我々夫婦も巻き込まれてしまった。
人身事故になると、罰金の大きさもさることながら
免停処分がある。
不便な場所に通勤する彼女は、免停を恐れていた。
何とか物損で済ませてもらえないだろうかと
うっかり相手に頼んだのが、やっぱり運の尽き‥
相手の老夫婦は、急にあちこちが痛くなった。
男は妻とその両親と共に、蛇のごとく執拗な粘りを見せ
女性に頭を下げさせる行為に酔っていた。
その中で、男の妻が口走った一言にピンときた。
「この人ならやってくれると、私たちは期待してるんです」
その発言の意味に疑問を感じた瞬間
男が妻をものすごい目つきで睨んだ。
女性が高給取りであることは
男の職権によって、すでに調べがついていると感じた。
最終的には、彼らの言動に辟易した保険屋の勧めで
不本意ながら人身事故扱いに切り替え
女性は罰金と免停処分を受けた。
保険会社から慰謝料をせしめると、彼らは静かになった。
その直後、そいつの暴力によって妻が病院送りとなり
夫婦は数ヶ月後に離婚した。
金のためなら団結するものの
家庭としての機能は早くから失っていたらしい。
「義父と義母の苦しみをわかって欲しい!」
妻の両親を気遣うふりをし、身をよじっての大芝居だったが
実情はこんなもの。
今となってはお笑いぐさだ。
彼は今も、市役所に勤めている。
今回起きた墓騒動は、少なくとも相手がマトモだった。
こちらが100%悪い上に、誠意を見せればわかってもらえた。
このマトモに、清涼感すら感じる。
思い返せば、私が人生で初めて
このようなゴタゴタに遭遇したのは23才の時。
当時3才の長男が幼稚園へ通い始めて、ほどないある日のことだった。
小さい子供を連れた知らないおばさんがうちへ来て、いきなり言った。
「私、幼稚園で一緒の◯◯ですけど
通園カバンのヒモを取り替えてくださいっ!」
意味がわからず、呆然と立ち尽くす私。
それにイライラしたのか、相手は語気を強めてまくし立てた。
「意味がわかりませんかっ?
お宅の息子さんがね、うちの息子のカバンをハサミで切ったんです。
カバンは名前が書いてあるから交換できないけど
ヒモは替えられるでしょ?
だから、取り替えてもらいに来たんですっ!」
おばさんは、さも名案のように言う。
目の前に立っているのは中年のおばさんだけど
長男の同級生の親らしい‥
そのおばさんが、腹を立てているらしい‥
ヒモを替えて欲しいらしい‥
私の頭では、それを理解するのがやっとだった。
「ほら!これを見てくださいっ!
カバンのヒモがメチャクチャになってるの、わかるでしょっ?」
彼女が私に突きつけた証拠の品、黄色い通園カバンは
なるほど、肩にかけるヒモの両端がギザギザ。
そのギザギザは、長さ50センチほどのヒモ全体に
びっしりと施されている。
手間と時間のかかった丹念な作業であり
かつ、粘着性を感じさせる仕上がりであった。
「よくもまあ、こんなひどいことができるもんです!
うちの子に謝ってください!
そしたら、お宅のカバンとうちのカバンのヒモを取り替えます」
おばさんは布のバッグから、大きな裁ちバサミを取り出した。
「ちょっと待ってください‥」
言われっぱなしだった私は、初めて口を開いた。
「ヒモは金具で留めてあるので、簡単には取り替えられないと思いますが‥」
「え?‥」
ハサミを持ったまま、固まるおばさん。
おばさんの脇に立つ『被害者』の幼稚園児は
心配そうな顔で、ずっと母親を見上げている。
その表情を見るに、この子が自分でやったに違いないと思った。
誰がやったのかと聞かれ、ついうちの子の名前を言ったら
あれよあれよという間に連れて来られたのだろう。
予期せぬ展開に、一番困っているのは彼のようだった。
しかし、怒っている相手にそんなことは言えない。
なにしろ、よく切れそうな裁ちバサミを持っているのだ。
この騒ぎに、うちの長男も玄関へ出てきて
おばさんの子供と、のん気に手なんか振り合ってる。
「お前の子供がやったんだ!」
なんて言おうものなら、母子もろとも流血かも‥。
命の惜しい私は、やんわりと言った。
「うちの子は左利きなので
幼稚園のハサミは、うまく使えませんから
こんな技術は無いと思います。
でもカバンを切って気がすむなら、今、お持ちしますね」
切られたら、新しいのを買えばいいや‥
私は思いながら、カバンを取りに行こうとしたら
おばさんは子供の手を引っ張り、無言で帰って行った。
この一件は、残念な思い出として長く私の心に残った。
急だし、初めてのことだし
戸惑ったあげく、はっきりさせないまま逃げられてしまった。
ああ、残念だ。
万一、刃傷沙汰になったところで
力では長身かつ若い私の方が強かったに違いない。
救急車が来ようが、パトカーが来ようが
濡れ衣は濡れ衣として、はっきりさせればよかった‥
その忸怩たる思いは、長く私を支配した。
以後、ワンパクな男の子二人と、世慣れぬ亭主を一人持つ私は
盛りだくさんの謝罪経験をしてきた。
それらで知ったのは、まずこれ。
「一方聞いて沙汰するな」。
人は誰でも自分が可愛いので、嘘をつくつもりは無くても
つい自分に有利な説明をしてしまう。
これを鵜呑みに信用すると、問題が悪化してしまうのを
何度も経験した。
片方だけでなく、双方の言い分を客観的に聞き
まず事実を把握するまでは、簡単に謝らないこと‥
素早い判断、毅然とした態度が以降の明暗を分けること‥
これらを学習したように思う。
それから二十数年後、とある新聞記事が目にとまった。
一人の青年が、車で故意に歩道を走り
街路樹をなぎ倒して逮捕されたという文面。
通園カバンの、あの幼稚園児であった。
わずか3才にして、カバンのヒモに施したギザギザ同様
ずっと心に抱えていたものがあったのかもしれない。
ユウキさんから「タイプ別対処法」というご希望があった。
いっぱいある。
ぜひ書きたい。
が、わかるように詳しく書いたら、語弊の羅列。
育ち、国籍、経済状況、精神の病い‥
パッと見ではわかりにくい部分が浮き彫りになる瞬間‥
それが謝罪の場面なのだとつくづく思う。
我が家が遭遇した厄介の双頭は、ヤクザかぶれと公務員。
かぶれの方は推して知るべし。
同じようなお仲間や、いけないお薬も手伝って
針小棒大に持ち込む示談金狙い。
公務員の方は、ただ公務員だからというわけではない。
どんな職業だろうと、普通じゃない人はいるものだ。
ただ職業柄、我々の個人情報を知り得る立場にあり
加えて口が回るのと知識が豊富なのとで、謝罪は困難を極めた。
公務員への謝罪は、こちらの落ち度が原因ではない。
親しい女性が車で、うちへ遊びに来る途中
そいつの妻の両親と、バンパーがこすれ合った程度の
ごく軽い接触事故を起こしたのが発端。
幸い両者に怪我は無く、ひとまずは物損事故として処理された。
女性は独身で、近くに身寄りが無い。
うちの近所で事故が起きたため
彼女に呼び出されて駆けつけたのが運の尽き‥
相手が、物損処理に不満を訴え始め
我々夫婦も巻き込まれてしまった。
人身事故になると、罰金の大きさもさることながら
免停処分がある。
不便な場所に通勤する彼女は、免停を恐れていた。
何とか物損で済ませてもらえないだろうかと
うっかり相手に頼んだのが、やっぱり運の尽き‥
相手の老夫婦は、急にあちこちが痛くなった。
男は妻とその両親と共に、蛇のごとく執拗な粘りを見せ
女性に頭を下げさせる行為に酔っていた。
その中で、男の妻が口走った一言にピンときた。
「この人ならやってくれると、私たちは期待してるんです」
その発言の意味に疑問を感じた瞬間
男が妻をものすごい目つきで睨んだ。
女性が高給取りであることは
男の職権によって、すでに調べがついていると感じた。
最終的には、彼らの言動に辟易した保険屋の勧めで
不本意ながら人身事故扱いに切り替え
女性は罰金と免停処分を受けた。
保険会社から慰謝料をせしめると、彼らは静かになった。
その直後、そいつの暴力によって妻が病院送りとなり
夫婦は数ヶ月後に離婚した。
金のためなら団結するものの
家庭としての機能は早くから失っていたらしい。
「義父と義母の苦しみをわかって欲しい!」
妻の両親を気遣うふりをし、身をよじっての大芝居だったが
実情はこんなもの。
今となってはお笑いぐさだ。
彼は今も、市役所に勤めている。
今回起きた墓騒動は、少なくとも相手がマトモだった。
こちらが100%悪い上に、誠意を見せればわかってもらえた。
このマトモに、清涼感すら感じる。
思い返せば、私が人生で初めて
このようなゴタゴタに遭遇したのは23才の時。
当時3才の長男が幼稚園へ通い始めて、ほどないある日のことだった。
小さい子供を連れた知らないおばさんがうちへ来て、いきなり言った。
「私、幼稚園で一緒の◯◯ですけど
通園カバンのヒモを取り替えてくださいっ!」
意味がわからず、呆然と立ち尽くす私。
それにイライラしたのか、相手は語気を強めてまくし立てた。
「意味がわかりませんかっ?
お宅の息子さんがね、うちの息子のカバンをハサミで切ったんです。
カバンは名前が書いてあるから交換できないけど
ヒモは替えられるでしょ?
だから、取り替えてもらいに来たんですっ!」
おばさんは、さも名案のように言う。
目の前に立っているのは中年のおばさんだけど
長男の同級生の親らしい‥
そのおばさんが、腹を立てているらしい‥
ヒモを替えて欲しいらしい‥
私の頭では、それを理解するのがやっとだった。
「ほら!これを見てくださいっ!
カバンのヒモがメチャクチャになってるの、わかるでしょっ?」
彼女が私に突きつけた証拠の品、黄色い通園カバンは
なるほど、肩にかけるヒモの両端がギザギザ。
そのギザギザは、長さ50センチほどのヒモ全体に
びっしりと施されている。
手間と時間のかかった丹念な作業であり
かつ、粘着性を感じさせる仕上がりであった。
「よくもまあ、こんなひどいことができるもんです!
うちの子に謝ってください!
そしたら、お宅のカバンとうちのカバンのヒモを取り替えます」
おばさんは布のバッグから、大きな裁ちバサミを取り出した。
「ちょっと待ってください‥」
言われっぱなしだった私は、初めて口を開いた。
「ヒモは金具で留めてあるので、簡単には取り替えられないと思いますが‥」
「え?‥」
ハサミを持ったまま、固まるおばさん。
おばさんの脇に立つ『被害者』の幼稚園児は
心配そうな顔で、ずっと母親を見上げている。
その表情を見るに、この子が自分でやったに違いないと思った。
誰がやったのかと聞かれ、ついうちの子の名前を言ったら
あれよあれよという間に連れて来られたのだろう。
予期せぬ展開に、一番困っているのは彼のようだった。
しかし、怒っている相手にそんなことは言えない。
なにしろ、よく切れそうな裁ちバサミを持っているのだ。
この騒ぎに、うちの長男も玄関へ出てきて
おばさんの子供と、のん気に手なんか振り合ってる。
「お前の子供がやったんだ!」
なんて言おうものなら、母子もろとも流血かも‥。
命の惜しい私は、やんわりと言った。
「うちの子は左利きなので
幼稚園のハサミは、うまく使えませんから
こんな技術は無いと思います。
でもカバンを切って気がすむなら、今、お持ちしますね」
切られたら、新しいのを買えばいいや‥
私は思いながら、カバンを取りに行こうとしたら
おばさんは子供の手を引っ張り、無言で帰って行った。
この一件は、残念な思い出として長く私の心に残った。
急だし、初めてのことだし
戸惑ったあげく、はっきりさせないまま逃げられてしまった。
ああ、残念だ。
万一、刃傷沙汰になったところで
力では長身かつ若い私の方が強かったに違いない。
救急車が来ようが、パトカーが来ようが
濡れ衣は濡れ衣として、はっきりさせればよかった‥
その忸怩たる思いは、長く私を支配した。
以後、ワンパクな男の子二人と、世慣れぬ亭主を一人持つ私は
盛りだくさんの謝罪経験をしてきた。
それらで知ったのは、まずこれ。
「一方聞いて沙汰するな」。
人は誰でも自分が可愛いので、嘘をつくつもりは無くても
つい自分に有利な説明をしてしまう。
これを鵜呑みに信用すると、問題が悪化してしまうのを
何度も経験した。
片方だけでなく、双方の言い分を客観的に聞き
まず事実を把握するまでは、簡単に謝らないこと‥
素早い判断、毅然とした態度が以降の明暗を分けること‥
これらを学習したように思う。
それから二十数年後、とある新聞記事が目にとまった。
一人の青年が、車で故意に歩道を走り
街路樹をなぎ倒して逮捕されたという文面。
通園カバンの、あの幼稚園児であった。
わずか3才にして、カバンのヒモに施したギザギザ同様
ずっと心に抱えていたものがあったのかもしれない。