私の住む界隈は、後期高齢者だらけのシルバー地帯。
老人ならではの事件がよく起こるため
私はこの通りをデンジャラストリートと呼んでいる。
思えばデンジャラストリートに触れるのは、久しぶりだ。
朝から我が家に訪れては、昼ごはんを食べて夕方まで帰らない…
義母ヨシコの悩みのタネだったこはぎちゃんは
一昨年、亡くなった。
享年94才。
その少し前に、「大嫌い」と公言していたご主人が亡くなり
しばらく来ないと思っていたら、すぐだった。
他のメンバーは存命だが、入退院を繰り返す人が多くなってきた。
中でもうちの2軒隣に住む加瀬さんは、深刻だ。
加瀬さんは、ご主人が86才、奥さんが82才の夫婦。
ご主人は少々気難し屋だが、奥さんはうちの義母ヨシコと気が合う。
私も、年配者には珍しく愚痴も小自慢も思い出話もしない
サバサバした気性の彼女が大好きだ。
加瀬さんのご主人は何十年か前に胃癌を患っており
摘出手術の後遺症で、たびたび腸閉塞を発症する。
奥さんは細心の注意で食事の管理をしていたが
彼女も丈夫ではない。
数年前に腸の病気をしてからは目に見えて弱り
腰まで悪くなって、歩きにくくなっていた。
近年は数ヶ月おきに救急車が来て
夫婦のどちらかが病院に運ばれるのを繰り返している。
2月のある日も、加瀬さんの家に救急車が停まった。
私とヨシコはいつものように表へ飛び出したが
すでに加瀬家には右隣の若奥さんが駆けつけていたので
そのまま見守る。
後で隣の若奥さんが言うには、今回運ばれたのはご主人で
いつもの腸閉塞ではなく、背骨の圧迫骨折らしいという話だった。
ご主人はそのまま入院した。
今年に入ってから奥さんの腰痛が悪化したため
ご主人が家事をしていたというから、疲れが出たのかもしれない。
50代になる彼らの一人息子は独身で、東京在住。
つまり、あてにならない。
動けない奥さんが困っていたので
ここはオレの出番とばかりに、私は料理の差し入れを始めた。
奥さんはとても喜んでくれたが、わずか数日後
彼女も救急車で運ばれた。
意識不明で廊下に倒れていたのを
たまたま訪問した親戚が発見したそうだ。
加瀬さん夫婦は約1ヶ月、同じ病室で過ごし
ご主人の方が先に退院した。
ヨシコは奥さんの容態を聞こうと、さっそく電話。
奥さんは快方に向かいつつあるという話だった。
その時、ご主人から
「ヨシコさんは、どこの弁当会社に頼んでいるんですか?
女房が退院するまで、僕も弁当を取りたいので紹介してください」
そう言われたそうだ。
年配の男性には、思い込みの激しい人がいるものだ。
加瀬氏もその一人で、ヨシコは宅配弁当を取っていると
勝手に思い込んでいたらしい。
娘も息子の嫁もいない加瀬さんには想像がつかないだろうが
ヨシコは、みりこん弁当会社の上げ膳下げ膳である。
ともあれ頑固者で通っている彼が
こんなことを言うからには、困っていることは確か。
その日、我が家の夕食はタケノコごはんと若竹汁の予定だった。
タケノコを食べられるのかをヨシコに聞いてもらい
大丈夫という返事だったので配達した。
加瀬氏は大変喜んだが
私はその夜、救急車が来ないか心配だった。
腸閉塞は気をつけていても、突然発症する。
消化の良い、柔らかい物ばかりを食べていればいいかというと
そういうわけでもなく、暑い時や疲れている時にも発症する。
とっても消化の悪いタケノコはどうなんだろう…。
しかしその夜も翌日も、救急車は来なかった。
これでホッとした私は3日に1回程度、差し入れをすることにした。
自分でも思うが、本当に出しゃばりでお節介な性分。
とはいえ、年取った男性の世話は難しい。
特に加瀬氏のような頑固爺さんは
他人の世話になるくらいなら死んだほうがマシという思考に走るからだ。
加瀬氏は骨折はしたが車には乗れるので
合間に好きな惣菜や弁当を買いに行けばいいと思い
3日に1回と決めた。
これは、ある日の弁当。
メバルの煮付け、だし巻き卵と大根おろし
ほうれん草と人参のおひたし。
家族の食事の中から
加瀬氏の食べられそうな物をピックアップするだけなので簡単だ。
メバルは一度焼いて、それから煮ると臭みの無い煮付けになる。
私は焼くと見た目が悪くなるし、生のまま煮ても美味しいと思うが
ヨシコの好みに合わせている。
この中でこだわりの一品は、ほうれん草のおひたし。
身体にいいらしいから仕方なく作る、食べる…
ポパイも食べてたし…
ほうれん草というと、そんな印象があるのではなかろうか。
しかしうちの場合、ほうれん草のおひたしは人気商品。
秘訣があるのだ。
それは、茹でて水にさらしたほうれん草を
絶対に絞らないこと。
ギューギュー絞るから、歯ざわりが悪くて青臭い仕上がりになり
嫌われる。
水にさらして熱を取ったほうれん草を束ねたら
斜めに立てたまな板に、根っこの方を上にして
ピタッと貼り付ける。
そのまま20分ほど放置すれば、自然に水が切れる。
その間に他の料理をしたらいい。
まな板で適度に水切りされたほうれん草は
そのまま食べやすい長さにカットする。
習慣で、つい絞りたくなるだろうけど我慢。
味付けはほうれん草の量にもよるが
1束につき、砂糖少々に濃口醤油大さじ1杯弱。
ここにまな板で水切りしたほうれん草を入れて混ぜれば
ほうれん草に残った水分で醤油が薄まり
シャキシャキとした歯応えの美味しいおひたしができる。
ほうれん草だけをやたら食べると
腎臓結石だか胆石だかの原因になると言われているので
うちではおひたしに必ず、かつお節やちりめんじゃこなど
結石を防ぐカルシウムを含んだ食品を混ぜている。
ここへさらに、すりゴマをたっぷり入れるのが私の方針だが
加瀬氏には腸閉塞の持病があるので
本人に確認しなければ、滅多な物は入れられない。
よって今回は安全策を取り、茹でた人参だけにした。
家族の分には、後でかつお節とゴマを混ぜた。
…とまあ、張り切って作ってたけど
近日中に奥さんが退院するそうな。
全快したのではなく、入院期限の2ヶ月が来るので
半強制的に一時退院。
夫婦で介護申請をしたので、どこぞから弁当が届くようになるそうだ。
よって私はお役ごめんとなるが、現実には
私のお節介から解放される加瀬氏の方が
ホッとしているかもしれない。
老人ならではの事件がよく起こるため
私はこの通りをデンジャラストリートと呼んでいる。
思えばデンジャラストリートに触れるのは、久しぶりだ。
朝から我が家に訪れては、昼ごはんを食べて夕方まで帰らない…
義母ヨシコの悩みのタネだったこはぎちゃんは
一昨年、亡くなった。
享年94才。
その少し前に、「大嫌い」と公言していたご主人が亡くなり
しばらく来ないと思っていたら、すぐだった。
他のメンバーは存命だが、入退院を繰り返す人が多くなってきた。
中でもうちの2軒隣に住む加瀬さんは、深刻だ。
加瀬さんは、ご主人が86才、奥さんが82才の夫婦。
ご主人は少々気難し屋だが、奥さんはうちの義母ヨシコと気が合う。
私も、年配者には珍しく愚痴も小自慢も思い出話もしない
サバサバした気性の彼女が大好きだ。
加瀬さんのご主人は何十年か前に胃癌を患っており
摘出手術の後遺症で、たびたび腸閉塞を発症する。
奥さんは細心の注意で食事の管理をしていたが
彼女も丈夫ではない。
数年前に腸の病気をしてからは目に見えて弱り
腰まで悪くなって、歩きにくくなっていた。
近年は数ヶ月おきに救急車が来て
夫婦のどちらかが病院に運ばれるのを繰り返している。
2月のある日も、加瀬さんの家に救急車が停まった。
私とヨシコはいつものように表へ飛び出したが
すでに加瀬家には右隣の若奥さんが駆けつけていたので
そのまま見守る。
後で隣の若奥さんが言うには、今回運ばれたのはご主人で
いつもの腸閉塞ではなく、背骨の圧迫骨折らしいという話だった。
ご主人はそのまま入院した。
今年に入ってから奥さんの腰痛が悪化したため
ご主人が家事をしていたというから、疲れが出たのかもしれない。
50代になる彼らの一人息子は独身で、東京在住。
つまり、あてにならない。
動けない奥さんが困っていたので
ここはオレの出番とばかりに、私は料理の差し入れを始めた。
奥さんはとても喜んでくれたが、わずか数日後
彼女も救急車で運ばれた。
意識不明で廊下に倒れていたのを
たまたま訪問した親戚が発見したそうだ。
加瀬さん夫婦は約1ヶ月、同じ病室で過ごし
ご主人の方が先に退院した。
ヨシコは奥さんの容態を聞こうと、さっそく電話。
奥さんは快方に向かいつつあるという話だった。
その時、ご主人から
「ヨシコさんは、どこの弁当会社に頼んでいるんですか?
女房が退院するまで、僕も弁当を取りたいので紹介してください」
そう言われたそうだ。
年配の男性には、思い込みの激しい人がいるものだ。
加瀬氏もその一人で、ヨシコは宅配弁当を取っていると
勝手に思い込んでいたらしい。
娘も息子の嫁もいない加瀬さんには想像がつかないだろうが
ヨシコは、みりこん弁当会社の上げ膳下げ膳である。
ともあれ頑固者で通っている彼が
こんなことを言うからには、困っていることは確か。
その日、我が家の夕食はタケノコごはんと若竹汁の予定だった。
タケノコを食べられるのかをヨシコに聞いてもらい
大丈夫という返事だったので配達した。
加瀬氏は大変喜んだが
私はその夜、救急車が来ないか心配だった。
腸閉塞は気をつけていても、突然発症する。
消化の良い、柔らかい物ばかりを食べていればいいかというと
そういうわけでもなく、暑い時や疲れている時にも発症する。
とっても消化の悪いタケノコはどうなんだろう…。
しかしその夜も翌日も、救急車は来なかった。
これでホッとした私は3日に1回程度、差し入れをすることにした。
自分でも思うが、本当に出しゃばりでお節介な性分。
とはいえ、年取った男性の世話は難しい。
特に加瀬氏のような頑固爺さんは
他人の世話になるくらいなら死んだほうがマシという思考に走るからだ。
加瀬氏は骨折はしたが車には乗れるので
合間に好きな惣菜や弁当を買いに行けばいいと思い
3日に1回と決めた。
これは、ある日の弁当。
メバルの煮付け、だし巻き卵と大根おろし
ほうれん草と人参のおひたし。
家族の食事の中から
加瀬氏の食べられそうな物をピックアップするだけなので簡単だ。
メバルは一度焼いて、それから煮ると臭みの無い煮付けになる。
私は焼くと見た目が悪くなるし、生のまま煮ても美味しいと思うが
ヨシコの好みに合わせている。
この中でこだわりの一品は、ほうれん草のおひたし。
身体にいいらしいから仕方なく作る、食べる…
ポパイも食べてたし…
ほうれん草というと、そんな印象があるのではなかろうか。
しかしうちの場合、ほうれん草のおひたしは人気商品。
秘訣があるのだ。
それは、茹でて水にさらしたほうれん草を
絶対に絞らないこと。
ギューギュー絞るから、歯ざわりが悪くて青臭い仕上がりになり
嫌われる。
水にさらして熱を取ったほうれん草を束ねたら
斜めに立てたまな板に、根っこの方を上にして
ピタッと貼り付ける。
そのまま20分ほど放置すれば、自然に水が切れる。
その間に他の料理をしたらいい。
まな板で適度に水切りされたほうれん草は
そのまま食べやすい長さにカットする。
習慣で、つい絞りたくなるだろうけど我慢。
味付けはほうれん草の量にもよるが
1束につき、砂糖少々に濃口醤油大さじ1杯弱。
ここにまな板で水切りしたほうれん草を入れて混ぜれば
ほうれん草に残った水分で醤油が薄まり
シャキシャキとした歯応えの美味しいおひたしができる。
ほうれん草だけをやたら食べると
腎臓結石だか胆石だかの原因になると言われているので
うちではおひたしに必ず、かつお節やちりめんじゃこなど
結石を防ぐカルシウムを含んだ食品を混ぜている。
ここへさらに、すりゴマをたっぷり入れるのが私の方針だが
加瀬氏には腸閉塞の持病があるので
本人に確認しなければ、滅多な物は入れられない。
よって今回は安全策を取り、茹でた人参だけにした。
家族の分には、後でかつお節とゴマを混ぜた。
…とまあ、張り切って作ってたけど
近日中に奥さんが退院するそうな。
全快したのではなく、入院期限の2ヶ月が来るので
半強制的に一時退院。
夫婦で介護申請をしたので、どこぞから弁当が届くようになるそうだ。
よって私はお役ごめんとなるが、現実には
私のお節介から解放される加瀬氏の方が
ホッとしているかもしれない。