「ただの早起き自慢」
60代の知人、梶田夫人は、勤勉で温和な女性だ。
一線を退いた後は、夫婦仲良く庭いじりなんぞしながら
穏やかな老後を送っておられる。
梶田夫人はこのところ、旅行が増えた。
よく土産を届けてくれるが、どうも神社仏閣ばかり行ってるみたい。
スピリチュアルに目覚めたのか?と問うたら
「実は…高1の孫のことで悩んでいて、あちこち願掛けしているの」
と打ち明けた。
問題の孫は男の子で、彼女の娘の子供。
中2あたりから、人が変わったように反抗的になって
学校へ行かなかったり、友達とトラブルを起こしたりが続いたという。
高校へ進学しても、同じ状況だそうだ。
「出席日数が足りなくて、高校も誰でも入れる私立しか行けなかったの。
恥ずかしくて、なさけなくて…。
なんとかあの子が立ち直れるように、もう神頼みしか無いのよ」
その高校というのが、夫の姉カンジワ・ルイーゼの息子が行った所ではないか。
私は励ます。
「何が恥ずかしいもんかね。
うちの甥は、わざわざあそこを選んで行ったのよ。
進学には、そっちのほうがいいと言われたらしいよ。
今どきは、昔の評判とは違って、名門になっているのよ」
ルイーゼが義母ヨシコに言い訳…いや説明していたのを思い出して、なぞるように言う。
「本当?」
梶田夫人の目に、光が宿った。
「そうよ!自信を持ってよ!
男の子だもん、少々悪いくらいのほうがいいわよ。
大人になってからのほうが長いんだから」
最悪の場合…私は言った。
「知り合いの土建屋さんに紹介してあげる。
鑑別所や少年院へ行った子達が、働きながら立派に更正してるよ」
「か…鑑別所!」
目を見張り、絶句する梶田夫人。
上品な彼女には、少々刺激が強すぎたようだ。
それでも涙を浮かべ、手を合わせて言う。
「もしもの時は、お願いします!」
「お祖母ちゃんにこんな心配させて、親は何してんの?」
「子育てに忙しくて…下がまだ1才だから、手がかかるのよ…」
「ずいぶん間があいて…」
梶田夫人は、言いにくそうに話した。
「再婚なの…。
孫が幼稚園の時に離婚して帰って来て、ずっとうちで育てたんだけど
おととし、妊娠したから再婚しますって、孫を連れて出て行っちゃって。
何も知らなかったから、そりゃあびっくりしたわよ。
市内だから、いつでも会えるけどね。
去年生まれた孫も男の子なんだけど、かわいいのよ~!写真、見る?」
こら、ちょっと待て…。
「ねえ、それが原因じゃないの?」
「え?」
「おととしって言えば、お孫さんが変わったっていう中2の時でしょ。
いきなり再婚相手の家に連れて行かれて
お母さんのお腹はふくらんでくるわ、弟は生まれるわ
思春期の男の子が、平気でいられるわけないわよ。
もちろん誰も悪いことしてない…だけど、心の持って行き場が無いよ。
男の子は口べただから、気持ちを吐き出すこともできないし…むごいよ…」
「娘は思慮深い子だから、そこらへんの心のケアはちゃんとしてるはずだけど」
無理もないが、ムッとする梶田夫人であった。
母親という防波堤を持つ娘は、幸運だ。
「思慮深いモンが、先に妊娠なんかしないよ。
何らかのケアをしたとしても、足りないからこうなっちゃったんでしょ」
「…」
「お孫さんは、今の両親も、生まれた弟も好きだと思うよ。
でも、その家族愛と母親の恋愛とが、子供にはなかなか繋がらないの。
環境の変化に付いていけないでいるうちに孤立して
問題児として遠巻きにされちゃったんだと思う」
梶田夫人、それには無反応で、あさってのことを言い出す。
「○○工業って、知ってるでしょ?
娘はそこの跡取りさんに嫁いでいるの…」
知っていますとも…支払いが悪いので、ずいぶん前に切った
家内工業の取引先だが、どや顔の彼女にそんなことは言えない。
あさってのこととは言ったが、その言葉の中には
なにやら玉の輿めいた誇らしさや、あちらの親にも心配をかけている気兼ねや
様々な思いが詰まっていた。
「梶田さん、お願いだから、現実を見て!
神仏じゃなくて、生きてるお孫さんに目を向けてあげて!」
男の子が苦しんでいると聞けば、他人事とは思えないこの性分。
自称、男児救済委員会(そんなものがあるのか?)の会長だい。
救済かどうか、怪しいもんだけどさ…
あちこちお参りに行く金と暇があるなら、孫と旅行にでも行ってもらいたい。
娘をかばうのに懸命だった梶田夫人は、私の剣幕に押された形で問う。
「みりこんさん…私達、どうしたらいいの?」
「あんたが大事で大好きなんだって、はっきり、何回でも言ってあげて。
赤ちゃんは何も覚えちゃいないんだから、お兄ちゃんのほうを優先して。
どう扱われるか、じっと見てるよ。
お母さんはもちろん、お祖父ちゃんにも協力してもらって」
「え…それだけ?もっと難しくて大変なことだと思ってた…」
梶田夫人は、やってみますと言ってくれたが、ここで意外なことを言い出す。
「その話、主人にもしてもらえない?
私達夫婦が育てたようなもんだから、責任感じちゃって、私より悩んでいるの」
直接言うなら、娘のほうにガミガミ言ってやりたいが
梶田夫人は、さっさとご主人の携帯に電話した。
年配の男性に、知ったらしいことを言うのは苦行であったが
行きがかり上しかたがないので、色々と話した。
梶田氏は、はい…はい…と素直に聞いてくれ
「やってみます…ありがとうございます」
と言った。
それほど悩んでいたのだろう。
さて、この梶田氏と私は、旧知の仲である。
20年前、長男が小学生の頃、ある習い事を教えてもらっていたのだ。
夫人はずっとフルタイムで働いていたので
ご亭主と私の関係は全く知らない。
梶田氏は、我が夫ヒロシと長男の副担任との不倫を人から聞いて
私と子供に対する態度が急変した。
避けられ嫌われながら、ご指導いただかんでもええわい…
ということで、辞めさせた経緯がある。
こっちはそんな扱いに慣れっこだが、優しく生真面目な彼は
どう振る舞っていいかわからなかったのだと察する。
以来、たまにすれ違うことがあっても、彼のほうは、私を避け続けていた。
ちょうど20年目に、はからずも会話することになり
関係をリセットできたのは、やはり何かの縁だろうと付け加えておく。
60代の知人、梶田夫人は、勤勉で温和な女性だ。
一線を退いた後は、夫婦仲良く庭いじりなんぞしながら
穏やかな老後を送っておられる。
梶田夫人はこのところ、旅行が増えた。
よく土産を届けてくれるが、どうも神社仏閣ばかり行ってるみたい。
スピリチュアルに目覚めたのか?と問うたら
「実は…高1の孫のことで悩んでいて、あちこち願掛けしているの」
と打ち明けた。
問題の孫は男の子で、彼女の娘の子供。
中2あたりから、人が変わったように反抗的になって
学校へ行かなかったり、友達とトラブルを起こしたりが続いたという。
高校へ進学しても、同じ状況だそうだ。
「出席日数が足りなくて、高校も誰でも入れる私立しか行けなかったの。
恥ずかしくて、なさけなくて…。
なんとかあの子が立ち直れるように、もう神頼みしか無いのよ」
その高校というのが、夫の姉カンジワ・ルイーゼの息子が行った所ではないか。
私は励ます。
「何が恥ずかしいもんかね。
うちの甥は、わざわざあそこを選んで行ったのよ。
進学には、そっちのほうがいいと言われたらしいよ。
今どきは、昔の評判とは違って、名門になっているのよ」
ルイーゼが義母ヨシコに言い訳…いや説明していたのを思い出して、なぞるように言う。
「本当?」
梶田夫人の目に、光が宿った。
「そうよ!自信を持ってよ!
男の子だもん、少々悪いくらいのほうがいいわよ。
大人になってからのほうが長いんだから」
最悪の場合…私は言った。
「知り合いの土建屋さんに紹介してあげる。
鑑別所や少年院へ行った子達が、働きながら立派に更正してるよ」
「か…鑑別所!」
目を見張り、絶句する梶田夫人。
上品な彼女には、少々刺激が強すぎたようだ。
それでも涙を浮かべ、手を合わせて言う。
「もしもの時は、お願いします!」
「お祖母ちゃんにこんな心配させて、親は何してんの?」
「子育てに忙しくて…下がまだ1才だから、手がかかるのよ…」
「ずいぶん間があいて…」
梶田夫人は、言いにくそうに話した。
「再婚なの…。
孫が幼稚園の時に離婚して帰って来て、ずっとうちで育てたんだけど
おととし、妊娠したから再婚しますって、孫を連れて出て行っちゃって。
何も知らなかったから、そりゃあびっくりしたわよ。
市内だから、いつでも会えるけどね。
去年生まれた孫も男の子なんだけど、かわいいのよ~!写真、見る?」
こら、ちょっと待て…。
「ねえ、それが原因じゃないの?」
「え?」
「おととしって言えば、お孫さんが変わったっていう中2の時でしょ。
いきなり再婚相手の家に連れて行かれて
お母さんのお腹はふくらんでくるわ、弟は生まれるわ
思春期の男の子が、平気でいられるわけないわよ。
もちろん誰も悪いことしてない…だけど、心の持って行き場が無いよ。
男の子は口べただから、気持ちを吐き出すこともできないし…むごいよ…」
「娘は思慮深い子だから、そこらへんの心のケアはちゃんとしてるはずだけど」
無理もないが、ムッとする梶田夫人であった。
母親という防波堤を持つ娘は、幸運だ。
「思慮深いモンが、先に妊娠なんかしないよ。
何らかのケアをしたとしても、足りないからこうなっちゃったんでしょ」
「…」
「お孫さんは、今の両親も、生まれた弟も好きだと思うよ。
でも、その家族愛と母親の恋愛とが、子供にはなかなか繋がらないの。
環境の変化に付いていけないでいるうちに孤立して
問題児として遠巻きにされちゃったんだと思う」
梶田夫人、それには無反応で、あさってのことを言い出す。
「○○工業って、知ってるでしょ?
娘はそこの跡取りさんに嫁いでいるの…」
知っていますとも…支払いが悪いので、ずいぶん前に切った
家内工業の取引先だが、どや顔の彼女にそんなことは言えない。
あさってのこととは言ったが、その言葉の中には
なにやら玉の輿めいた誇らしさや、あちらの親にも心配をかけている気兼ねや
様々な思いが詰まっていた。
「梶田さん、お願いだから、現実を見て!
神仏じゃなくて、生きてるお孫さんに目を向けてあげて!」
男の子が苦しんでいると聞けば、他人事とは思えないこの性分。
自称、男児救済委員会(そんなものがあるのか?)の会長だい。
救済かどうか、怪しいもんだけどさ…
あちこちお参りに行く金と暇があるなら、孫と旅行にでも行ってもらいたい。
娘をかばうのに懸命だった梶田夫人は、私の剣幕に押された形で問う。
「みりこんさん…私達、どうしたらいいの?」
「あんたが大事で大好きなんだって、はっきり、何回でも言ってあげて。
赤ちゃんは何も覚えちゃいないんだから、お兄ちゃんのほうを優先して。
どう扱われるか、じっと見てるよ。
お母さんはもちろん、お祖父ちゃんにも協力してもらって」
「え…それだけ?もっと難しくて大変なことだと思ってた…」
梶田夫人は、やってみますと言ってくれたが、ここで意外なことを言い出す。
「その話、主人にもしてもらえない?
私達夫婦が育てたようなもんだから、責任感じちゃって、私より悩んでいるの」
直接言うなら、娘のほうにガミガミ言ってやりたいが
梶田夫人は、さっさとご主人の携帯に電話した。
年配の男性に、知ったらしいことを言うのは苦行であったが
行きがかり上しかたがないので、色々と話した。
梶田氏は、はい…はい…と素直に聞いてくれ
「やってみます…ありがとうございます」
と言った。
それほど悩んでいたのだろう。
さて、この梶田氏と私は、旧知の仲である。
20年前、長男が小学生の頃、ある習い事を教えてもらっていたのだ。
夫人はずっとフルタイムで働いていたので
ご亭主と私の関係は全く知らない。
梶田氏は、我が夫ヒロシと長男の副担任との不倫を人から聞いて
私と子供に対する態度が急変した。
避けられ嫌われながら、ご指導いただかんでもええわい…
ということで、辞めさせた経緯がある。
こっちはそんな扱いに慣れっこだが、優しく生真面目な彼は
どう振る舞っていいかわからなかったのだと察する。
以来、たまにすれ違うことがあっても、彼のほうは、私を避け続けていた。
ちょうど20年目に、はからずも会話することになり
関係をリセットできたのは、やはり何かの縁だろうと付け加えておく。