先日、同窓会の事務局から招集がかかった。
「光彦が帰省しているそうなので、集まって飲みませんか?」
同級生の光彦は、某通信会社勤務。
順調に出世街道を歩んでいると聞いていた。
10年ぶりに見る光彦は相変わらず
整った面立ちとスレンダーボディを保ち、おしゃれな服を着こなしている。
実は私、この男が大嫌い。
話は小学校の入学式の日にさかのぼる。
式が終わって、付き添いの親達は教材を受け取りに別室へ行った。
我々子供は教室に入り、先生のお話を聞いて解散する運びとなった。
その時、この男はいきなり私を指さして、先生に訴えたのだ。
「この子が、僕のあだ名を言った!」
私は驚愕した。
まず、あだ名という単語の意味、知らず。
次に入学式からその時まで、私は言葉を発しておらん。
さらに幼稚園が違うこいつとは、見ず知らずの初対面。
私に落ち度があるとすれば、苗字が同じ「た」行であることのみ。
出席番号が近くて、たまたまこいつの横に座ったからだ。
みりこん、6才にして冤罪(えんざい)を知る。
ヤツがしつこく言い続けるので
先生は「どんなあだ名?」とたずねた。
「だから、あだ名…」
「どんな?言ってごらんなさい」
ヤツは答えられず、白い男雛のような顔を真っ赤にして
すごすごと引き下がった。
この一件により、自分に恥をかかせた仇として
ヤツの歪んだ性根に私が刻み込まれたことなど、知るよしもなかった。
そのまま1年生を過ごすうち、我が6年間の人生で最大の不幸が起こった。
ある日、社会科の教科書が忽然と消えたのだ。
半世紀近く前、教科書を無くすのは、大変不道徳でウカツな行為だった。
母チーコと一緒に、家、学校、通学路などを何日も探し回ったが
その行方はようとして知れない。
「このまま探し続けて勉強が遅れるより、新しいのを手に入れよう」
チーコはそう判断し、学校や、教科書を卸す書店に頼んでみたが
予備が無いと言われた。
当時の教科書業界は、四角四面のお役所的なムードが強く
小売のシステムも無かったので
右から左というわけにはいかなかったのだ。
もっとも、事故や天災で教科書を失う場合もあるので
本当は手立てがあったかもしれないけど
不注意で教科書を無くすような不届きな子供に
救いの手は差し伸べられないのであった。
チーコは書店で東京の出版社の電話番号を聞き出し
電話で何度も交渉して、予備を探してもらうことになった。
教科書が無い間は、先生が指導者用のものを貸してくれた。
児童用よりも一回り大きいそれは、同級生の羨望を集めた。
特に光彦は「いい気になるなよ」
「先生のつもりになってるんなら大間違いだぞ」
などと、執拗にからんだ。
2ヶ月後、新しい教科書が届いた。
初めてそれを学校に持って行った日
皆は、無くした教科書が再び買える事実に驚いていた。
光彦が遠くから口惜しそうに眺めているのを見て、胸がすいた。
しかし午後になって、不幸が再び私を襲う。
昼休みに、なんと私の無くした教科書が
男子トイレから出てきたのであった。
今のようなトイレではなく、皆が並んでいっせいに用が足せる
長いコンクリート製のミゾだ。
そのミゾでたっぷりとおしっこを吸収した教科書を
火バサミでつまんで持って来たのは、あの光彦であった。
私のじゃない!と言いたいのは山々だが、困ったことに名前が書いてある。
残酷な興奮でホオズキのように赤くなった光彦の顔を見た瞬間
私はすべてを理解した。
教科書を隠したのも、トイレに捨てたのも、こいつだったのだと。
みりこん、6才にして陰謀を知る。
このことは、誰にも言わなかった。
今も、誰にも言ってない。
感覚だけの確信であり、証拠が無いからだ。
いいさ、新しいのがあるもんね~!
前のは捨てるもんね~!
しかし帰りの会で、さらなる不幸に見舞われる。
「みりこんさんは、教科書が出てきたんだから
そっちを使わないといけないと思います」
こんな提案が出されたのだ。
「新しいのがあるから古いのを使わないというのは
わがままだと思います。
教科書もお金なので、大切にしないといけないと思います」
言ったのはもちろん、光彦である。
クッソ~、光彦め。
たとえ屁理屈であっても、議場で提案が出されたからには
それについて話し合い、裁決しなければならない。
民主主義の哀しいところよ。
先生は止めたが、私は多数決を承諾した。
ここで泣いて甘えては、今後の子供稼業に支障が出る。
多数決の結果、私は古い教科書を使うことに決まった。
光彦が事前に男子に計画を話し
手を上げるよう指示していたと知ったのは、その後だ。
男子のほうが、女子より人数が多かったのが敗因である。
みりこん、6才にして根回しの重要性を知る。
家にションベンまみれの教科書を持ち帰り、決定の旨を母チーコに伝える。
チーコはその仕打ちに激怒したが、決定に従うと言う娘のために
教科書を丁寧に洗って乾かし、花模様のブックカバーをかけてくれた。
一旦水分を吸収した過去を持つ紙は、いつまでもブヨブヨのシワシワで
取れない黄色や茶色のシミは、便所帰りを物語り続けた。
社会の授業のたびに、光彦や、彼に迎合する男子達に
臭いとかションベン女と呼ばれながら過ごす。
一年生が終わって、ションベン本と永遠にお別れできた時は
心から嬉しかった。
続く
「光彦が帰省しているそうなので、集まって飲みませんか?」
同級生の光彦は、某通信会社勤務。
順調に出世街道を歩んでいると聞いていた。
10年ぶりに見る光彦は相変わらず
整った面立ちとスレンダーボディを保ち、おしゃれな服を着こなしている。
実は私、この男が大嫌い。
話は小学校の入学式の日にさかのぼる。
式が終わって、付き添いの親達は教材を受け取りに別室へ行った。
我々子供は教室に入り、先生のお話を聞いて解散する運びとなった。
その時、この男はいきなり私を指さして、先生に訴えたのだ。
「この子が、僕のあだ名を言った!」
私は驚愕した。
まず、あだ名という単語の意味、知らず。
次に入学式からその時まで、私は言葉を発しておらん。
さらに幼稚園が違うこいつとは、見ず知らずの初対面。
私に落ち度があるとすれば、苗字が同じ「た」行であることのみ。
出席番号が近くて、たまたまこいつの横に座ったからだ。
みりこん、6才にして冤罪(えんざい)を知る。
ヤツがしつこく言い続けるので
先生は「どんなあだ名?」とたずねた。
「だから、あだ名…」
「どんな?言ってごらんなさい」
ヤツは答えられず、白い男雛のような顔を真っ赤にして
すごすごと引き下がった。
この一件により、自分に恥をかかせた仇として
ヤツの歪んだ性根に私が刻み込まれたことなど、知るよしもなかった。
そのまま1年生を過ごすうち、我が6年間の人生で最大の不幸が起こった。
ある日、社会科の教科書が忽然と消えたのだ。
半世紀近く前、教科書を無くすのは、大変不道徳でウカツな行為だった。
母チーコと一緒に、家、学校、通学路などを何日も探し回ったが
その行方はようとして知れない。
「このまま探し続けて勉強が遅れるより、新しいのを手に入れよう」
チーコはそう判断し、学校や、教科書を卸す書店に頼んでみたが
予備が無いと言われた。
当時の教科書業界は、四角四面のお役所的なムードが強く
小売のシステムも無かったので
右から左というわけにはいかなかったのだ。
もっとも、事故や天災で教科書を失う場合もあるので
本当は手立てがあったかもしれないけど
不注意で教科書を無くすような不届きな子供に
救いの手は差し伸べられないのであった。
チーコは書店で東京の出版社の電話番号を聞き出し
電話で何度も交渉して、予備を探してもらうことになった。
教科書が無い間は、先生が指導者用のものを貸してくれた。
児童用よりも一回り大きいそれは、同級生の羨望を集めた。
特に光彦は「いい気になるなよ」
「先生のつもりになってるんなら大間違いだぞ」
などと、執拗にからんだ。
2ヶ月後、新しい教科書が届いた。
初めてそれを学校に持って行った日
皆は、無くした教科書が再び買える事実に驚いていた。
光彦が遠くから口惜しそうに眺めているのを見て、胸がすいた。
しかし午後になって、不幸が再び私を襲う。
昼休みに、なんと私の無くした教科書が
男子トイレから出てきたのであった。
今のようなトイレではなく、皆が並んでいっせいに用が足せる
長いコンクリート製のミゾだ。
そのミゾでたっぷりとおしっこを吸収した教科書を
火バサミでつまんで持って来たのは、あの光彦であった。
私のじゃない!と言いたいのは山々だが、困ったことに名前が書いてある。
残酷な興奮でホオズキのように赤くなった光彦の顔を見た瞬間
私はすべてを理解した。
教科書を隠したのも、トイレに捨てたのも、こいつだったのだと。
みりこん、6才にして陰謀を知る。
このことは、誰にも言わなかった。
今も、誰にも言ってない。
感覚だけの確信であり、証拠が無いからだ。
いいさ、新しいのがあるもんね~!
前のは捨てるもんね~!
しかし帰りの会で、さらなる不幸に見舞われる。
「みりこんさんは、教科書が出てきたんだから
そっちを使わないといけないと思います」
こんな提案が出されたのだ。
「新しいのがあるから古いのを使わないというのは
わがままだと思います。
教科書もお金なので、大切にしないといけないと思います」
言ったのはもちろん、光彦である。
クッソ~、光彦め。
たとえ屁理屈であっても、議場で提案が出されたからには
それについて話し合い、裁決しなければならない。
民主主義の哀しいところよ。
先生は止めたが、私は多数決を承諾した。
ここで泣いて甘えては、今後の子供稼業に支障が出る。
多数決の結果、私は古い教科書を使うことに決まった。
光彦が事前に男子に計画を話し
手を上げるよう指示していたと知ったのは、その後だ。
男子のほうが、女子より人数が多かったのが敗因である。
みりこん、6才にして根回しの重要性を知る。
家にションベンまみれの教科書を持ち帰り、決定の旨を母チーコに伝える。
チーコはその仕打ちに激怒したが、決定に従うと言う娘のために
教科書を丁寧に洗って乾かし、花模様のブックカバーをかけてくれた。
一旦水分を吸収した過去を持つ紙は、いつまでもブヨブヨのシワシワで
取れない黄色や茶色のシミは、便所帰りを物語り続けた。
社会の授業のたびに、光彦や、彼に迎合する男子達に
臭いとかションベン女と呼ばれながら過ごす。
一年生が終わって、ションベン本と永遠にお別れできた時は
心から嬉しかった。
続く