殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

デンジャラ・ストリート 救急篇

2015年11月07日 10時05分59秒 | みりこんぐらし
2月に義父アツシが他界して以来、義母ヨシコの悩みのタネは

仏前に供える花の調達であった。

アツシ亡き後、つくづく思うのだが

仏前に花を供えるという常識的かつ義務的行為は

遺された者を屋外へ導くための誘導路のような気がする。

花を買いに出れば、ついでに食べる物も買うし、人にも会う。

外の風に当たり、人と話し、色々な物を見たりするうちに

知らず知らず元気を取り戻していくのではないだろうか。


ヨシコは性格上、束ねて売られている小菊なんかじゃ嫌。

豪華でなければならない。

ここに悩みが生じた。


持ちのいい小菊と違い、豪華な花はすぐしおれる。

蘭やカサブランカなら少し長持ちするが

お一人様になった年金を蘭やカサブランカにばかり

費やすわけにはいかない。


そこで誰かが善意で買って来てくれるのを待つようになる。

しかしその誰かとは、善意と程遠い嫁しかいない。

嫁もまた、姑の偏食によってかさばる食費が惜しいため

食えない蘭やカサブランカでサービスしてやる気は起きない。


花は飾りたや、買うのは惜しや

さんざんジレンマと戦ったあげく、ヨシコは名案を思いついた。

「そうだ!庭に花を植えたらいいじゃないの!」


庭というのは花を植えるものではないのか?

通常、人はそう思うだろう。

しかし我が家の場合は違う。

大型の樹木と岩石で構成された、いかつい昭和的デザイン。

その空きスペースに、ヨシコが集めた山野草やツタが無秩序にはびこる

見苦しい庭なのだ。

ほったらかしで生き残る植物は、地味でかわいくないと相場が決まっている。

仏さんの花には使えない。


一日中寝そべって韓流ドラマを見る暮らしから一転

農耕民族に変身したヨシコは

クワをふるってワイルドガーデンを開墾し始めた。

「身体を慣らしてからの方がいいよ」

「今日はもう終わりにしたら?」

何度も声をかけるが、聞きやしない。


「私はイノシシ年よ!

“イノシシ向き”は途中でやめられないのよっ!」

いつものように反抗しおる。

「だったら山へお帰り」と言いたいところだが

後が面倒なので我慢。


“イノシシ向き”とは、ヨシコが生まれた離島の方言である。

その意味は、イノシシ年生まれの女の猪突猛進的傾向…

つまり途中で止まれない性質を指す。


ちなみに私もイノシシ年生まれ。

何でも途中やめばっかりで、イノシシ向きの風上にも置けない。

しかし、嫌なことにはきっぱりと目をそむけ

気が向いたことだけにイノシシ年生まれを振りかざして

あと先考えずにワガママを通すヨシコの場合

猪突猛進というより、突如盲進だ。


クワをふるって2日目に、ヨシコの腰はあえなくイカれた。

座り込んでうなるヨシコ。


その時、隣のおばさんから救急要請が…。

「虫刺されだと思うんだけど、ほっぺたが急に膨らんで…」

見ると右の頬が、ぷっくりと膨らんでいる。

こぶとり婆さんみたい。


病院へ連れて行こうとすると、腰痛で動けないはずのヨシコ

自分も付き添うと言って、いそいそ着替えをしている。

人の不幸は元気のミナモトらしい。


おばさんの病名は、やはり虫刺されだった。

ブトだろうという話だ。

点滴をしたら、翌日にはおさまった。


「お世話になったから」

ということで、おばさんはヨシコを自宅に招き

マッサージ椅子に座らせてやるという。

その椅子は、家電メーカーに勤める息子さんから買った

ご自慢の一品だ。

未亡人になって一人暮らしの母親の面倒は見ないが

自社製品を買わせる時だけ訪れる

いっそ清々しい息子さんである。


誘われるまま、2日通ったヨシコ。

しかし3日目の朝、完全に足が立たなくなった。

今度はこっちを病院に連れて行く。


診断は、老人によくある症状。

脊椎の骨と骨の間にあるクッションみたいなものが

老化によってすり減り、そこへ急に動いたので痛みが出たということだ。

患部をマッサージの椅子でこねくり回したもんで、悪化したのだ。


以来、ヨシコは寝たり起きたりの生活。

食事は部屋で摂ることが増えた。

「すまないねえ」

お盆に乗せて運ぶと、恐縮して見せるヨシコ。

「何言ってんの、気にしないでゆっくり養生してね」


そばに他人がいれば、ほのぼのとした孝養の風景に映るだろう。

が、真実はカンロ飴みたいに甘いものではない。

つり目の兄ちゃんと整形の姉ちゃんの発情を描く

某国のドラマを見せられることもなく

大声で同じ話を延々と聞かされることもなく

仕事の話に割り込まれることもなく

静かに談笑しながらご飯が食べられる、我ら一家の喜びは大きい。

食事を運ぶぐらい、何であろう。


「私が動けなくなったら、どうする?」

時折、不安そうに問うヨシコ。

「どっか入れる」

「嫌よ!絶対ここを動かないからねっ!」

「だったらじっとして、しっかり治しなさい」


これも人目には孝養に映るかもしれない。

が、真実は鶴屋のモナカみたいに甘いものではない。

気まぐれに家事をちょっとやっただけで大いばりされるより

嫁のペースを乱さないよう、じっとしてもらう方がよっぽど助かる。


この一件で、一つ気がついたことがあった。

お爺さんは抱えやすいが、お婆さんは難しい。


お爺さんというのは義父アツシのことだが

病気で痩せていたのもあって、総合的に木を持ち上げる感じ。

力を入れた分だけはちゃんと持ち上がって、成果が見えた。


でもお婆さんはそうはいかない。

まだ枯れてない生ものだからだろうけど

抱えようとしたらブヨブヨの肉だけ上にずり上がり

肝心の身体は下に残っている。

やたら重たいクラゲって感じ。

体重は両親とも私より少し重くて、ほぼ同じなのに

男女でこうも違うものかと発見した次第である。
コメント (8)
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