「晩メシに蟹が出ん‥」
ため息混じりに言ったモトジメは、手にした紙を私に見せる。
宿から幹事に手渡される、予定確認表だ。
『お夕食のお献立』と書かれた欄には
お造り、海老と帆立の小鍋、但馬牛ミニステーキ、鰤大根‥
ズラズラと料理の名前が並んでいる。
が、目を皿のようにして何回見返しても『蟹』の文字は見当たらない‥
と思ったら、一つだけ発見。
蟹の字があったのは、料理のタイトルのところである。
『特別会席・蟹なし御膳』
チャラリ〜!
「ワシ、これ見てタマゲてのぅ。
旅行社に連絡して、追加料金を払うけん
何とかひとかけらでも蟹を付けてくれ‥いうて、宿に頼んでもろうたんよ。
じゃが連休じゃし満室じゃし、今からじゃ無理だとよ。
さっき支配人にも直接頼んだけど、やっぱりどうにもならんのじゃ」
「‥‥」
我々は確か、本場の蟹を食べるために6時間もバスに揺られ
はるばる城崎くんだりまでやって来たはずだった。
蟹どころへ行きながら、蟹が無い。
これは一種の悲劇と言えよう。
モトジメは、泣きそうな顔をしていた。
この日のため、一生懸命準備をしてきたというのに
一番大切な宴会の一番楽しみな食事でコケたのだ。
そりゃ泣きそうにもなろう。
「ハハハ!」
私は笑い、そして言った。
「良かった!私、蟹はさほど好きじゃないんよ」
「ホンマか?」
「ホンマ」
モトジメはホッとした表情になった。
私は好き嫌いがあまり無いので、もちろん蟹もおいしい。
けれども蟹に関しては、良い思い出が無い。
味覚的には好きだけど、精神的には好きでない相手‥
それが蟹。
私の言った“さほど好きじゃない”は、そんな複雑な思いを含んでいた。
というのも、夫の両親は無類の蟹好きで
元気な頃は冬になると
北海道や山陰へしょっちゅう蟹を食べに出かけていた。
彼らが蟹を食べに行くと、必ず電話をかけてくる。
我々がちゃんと家にいるかを確認するためだ。
ある冬、鬼の居ぬ間に‥とばかりに
家族で友達の家へ遊びに行ったことがある。
「昨晩、電話をかけたが留守だった」
翌朝、再びの電話で怒鳴られたのなんの。
帰ってからも「恥をかかされた」と言って、しばらくネチネチと怒られた。
どうしてこんなことになるかというと
彼らの蟹ツアーが、いつも親しい友人夫婦三組で行われるためだ。
嫁がかしづく様子を友人に披露したいのである。
「あ〜もしもし、変わったことは無いかね?」
「ちゃっと留守番せえよ!落ち度があったらこらえんど!」
ギャラリーの前で夫婦が代わる代わるかける電話は
普段にも増して横柄な口調。
それが何度かけても留守だったので
両親は友人の前で恥をかいたことになり、怒り心頭というわけだ。
以後、両親が蟹ツアーに行った時は外出を控えた。
彼らは相変わらず横柄な電話をかけてきたし
義父が私にきついことを言うと、周囲の友人がドッと笑うのも聞いてきた。
年配者の面倒くさい心理が、若かった私に理解できるはずもなく
「蟹を食べに行くと、うるさい」
いつもそう思い、人心を狂わせる蟹という生き物を憎んだ。
年を取ってみると、何のことはない‥
蟹が人心を狂わせたのではなく、両親が狂っていただけだ。
ちなみに、蟹の土産が戻ったことは一度も無い。
義父が病床にあった時も蟹を欲しがったので、しょっちゅう買っていた。
義父も蟹ツアーのメンバーも亡くなったが
今は義母のために蟹を買っている。
私の住む田舎町は魚屋さんの活動が盛んなので
ズワイ蟹やワタリ蟹が入手しやすい。
週に2回家に来るため、頼めば手配してくれる。
家族全員が好物というわけではないので、金額的にたいしたことはない。
高度成長期からバブル期にかけて、我が世の春を堪能した年寄りは
この辺の言葉で言うと“口がおごっている”。
年金暮らしになっても、おごり高ぶった口はどうしようもない。
薬物が切れた中毒患者に、再び薬物を与えて黙らせるように
家庭平和の必須アイテムとして蟹を活用している。
だから私にとって蟹は見飽きた生き物であり
あまり喜ばしい食品とは言えない。
ましてや留守をしてこっぴどく怒られたのは
両親が城崎温泉に泊まった時であった。
私は知らなかったのだが、今回の旅行にあたり
義母が城崎の思い出をつらつらと話して判明した。
当時、罪の無い蟹を恨んだ私は、その城崎に来ている。
ここで蟹無しの憂き目に会うとは、想像もつかないことであった。
話は戻って、私は小学校と高校で遭遇した
呪われし旅の歴史をモトジメに聞かせた。
これは今回の旅行に集まった総勢38人のうち、32人が体験している。
しかしモトジメは小学校の修学旅行をほとんど覚えておらず
高校は別の所へ行った。
だから参加者の大半が「今度もまた何かあるかも‥」と密かに恐れつつ
また一方で「何か無ければうちらの旅行じゃない」という
あきらめに似た心情でいることを知らない。
何かあるというより、蟹が無かった‥
それは不幸中の幸いであり、良い厄落としになったのではないか。
「多分、文句は出ないと思うし、出た場合は私に任せて」
そう言ったら、モトジメはいちだんと安らかな表情になった。
後でモトジメから詳しい話を聞いた。
簡潔に言えば、旅行社の連絡ミス。
それは、いくつかの偶然が重なって起きたものであった。
《続く》
ため息混じりに言ったモトジメは、手にした紙を私に見せる。
宿から幹事に手渡される、予定確認表だ。
『お夕食のお献立』と書かれた欄には
お造り、海老と帆立の小鍋、但馬牛ミニステーキ、鰤大根‥
ズラズラと料理の名前が並んでいる。
が、目を皿のようにして何回見返しても『蟹』の文字は見当たらない‥
と思ったら、一つだけ発見。
蟹の字があったのは、料理のタイトルのところである。
『特別会席・蟹なし御膳』
チャラリ〜!
「ワシ、これ見てタマゲてのぅ。
旅行社に連絡して、追加料金を払うけん
何とかひとかけらでも蟹を付けてくれ‥いうて、宿に頼んでもろうたんよ。
じゃが連休じゃし満室じゃし、今からじゃ無理だとよ。
さっき支配人にも直接頼んだけど、やっぱりどうにもならんのじゃ」
「‥‥」
我々は確か、本場の蟹を食べるために6時間もバスに揺られ
はるばる城崎くんだりまでやって来たはずだった。
蟹どころへ行きながら、蟹が無い。
これは一種の悲劇と言えよう。
モトジメは、泣きそうな顔をしていた。
この日のため、一生懸命準備をしてきたというのに
一番大切な宴会の一番楽しみな食事でコケたのだ。
そりゃ泣きそうにもなろう。
「ハハハ!」
私は笑い、そして言った。
「良かった!私、蟹はさほど好きじゃないんよ」
「ホンマか?」
「ホンマ」
モトジメはホッとした表情になった。
私は好き嫌いがあまり無いので、もちろん蟹もおいしい。
けれども蟹に関しては、良い思い出が無い。
味覚的には好きだけど、精神的には好きでない相手‥
それが蟹。
私の言った“さほど好きじゃない”は、そんな複雑な思いを含んでいた。
というのも、夫の両親は無類の蟹好きで
元気な頃は冬になると
北海道や山陰へしょっちゅう蟹を食べに出かけていた。
彼らが蟹を食べに行くと、必ず電話をかけてくる。
我々がちゃんと家にいるかを確認するためだ。
ある冬、鬼の居ぬ間に‥とばかりに
家族で友達の家へ遊びに行ったことがある。
「昨晩、電話をかけたが留守だった」
翌朝、再びの電話で怒鳴られたのなんの。
帰ってからも「恥をかかされた」と言って、しばらくネチネチと怒られた。
どうしてこんなことになるかというと
彼らの蟹ツアーが、いつも親しい友人夫婦三組で行われるためだ。
嫁がかしづく様子を友人に披露したいのである。
「あ〜もしもし、変わったことは無いかね?」
「ちゃっと留守番せえよ!落ち度があったらこらえんど!」
ギャラリーの前で夫婦が代わる代わるかける電話は
普段にも増して横柄な口調。
それが何度かけても留守だったので
両親は友人の前で恥をかいたことになり、怒り心頭というわけだ。
以後、両親が蟹ツアーに行った時は外出を控えた。
彼らは相変わらず横柄な電話をかけてきたし
義父が私にきついことを言うと、周囲の友人がドッと笑うのも聞いてきた。
年配者の面倒くさい心理が、若かった私に理解できるはずもなく
「蟹を食べに行くと、うるさい」
いつもそう思い、人心を狂わせる蟹という生き物を憎んだ。
年を取ってみると、何のことはない‥
蟹が人心を狂わせたのではなく、両親が狂っていただけだ。
ちなみに、蟹の土産が戻ったことは一度も無い。
義父が病床にあった時も蟹を欲しがったので、しょっちゅう買っていた。
義父も蟹ツアーのメンバーも亡くなったが
今は義母のために蟹を買っている。
私の住む田舎町は魚屋さんの活動が盛んなので
ズワイ蟹やワタリ蟹が入手しやすい。
週に2回家に来るため、頼めば手配してくれる。
家族全員が好物というわけではないので、金額的にたいしたことはない。
高度成長期からバブル期にかけて、我が世の春を堪能した年寄りは
この辺の言葉で言うと“口がおごっている”。
年金暮らしになっても、おごり高ぶった口はどうしようもない。
薬物が切れた中毒患者に、再び薬物を与えて黙らせるように
家庭平和の必須アイテムとして蟹を活用している。
だから私にとって蟹は見飽きた生き物であり
あまり喜ばしい食品とは言えない。
ましてや留守をしてこっぴどく怒られたのは
両親が城崎温泉に泊まった時であった。
私は知らなかったのだが、今回の旅行にあたり
義母が城崎の思い出をつらつらと話して判明した。
当時、罪の無い蟹を恨んだ私は、その城崎に来ている。
ここで蟹無しの憂き目に会うとは、想像もつかないことであった。
話は戻って、私は小学校と高校で遭遇した
呪われし旅の歴史をモトジメに聞かせた。
これは今回の旅行に集まった総勢38人のうち、32人が体験している。
しかしモトジメは小学校の修学旅行をほとんど覚えておらず
高校は別の所へ行った。
だから参加者の大半が「今度もまた何かあるかも‥」と密かに恐れつつ
また一方で「何か無ければうちらの旅行じゃない」という
あきらめに似た心情でいることを知らない。
何かあるというより、蟹が無かった‥
それは不幸中の幸いであり、良い厄落としになったのではないか。
「多分、文句は出ないと思うし、出た場合は私に任せて」
そう言ったら、モトジメはいちだんと安らかな表情になった。
後でモトジメから詳しい話を聞いた。
簡潔に言えば、旅行社の連絡ミス。
それは、いくつかの偶然が重なって起きたものであった。
《続く》