私の暮らす後期高齢者だらけの通り…
名付けてデンジャラ・ストリートの集会所では
2年ほど前から毎週金曜日に老人体操教室が開催されている。
10人余りのメンバーは世話役の70代を除いて皆、80代後半から90代。
88才の義母ヨシコも楽しみに通っているが
体操より、150メートルほど先の集会所へたどり着く方がハードみたい。
その体操教室に原さんという、ヨシコと同い年のおばあちゃんがいる。
ずいぶん年を取ってから、このストリートに家を買って引越してきたらしく
体操教室が始まるまで、私もヨシコも彼女の存在を知らなかった。
明るくて気持ちのいい人なので、今ではすっかりヨシコと仲良しだ。
さて、今年の2月から、その体操教室が終わる時間に合わせて
移動スーパーが来るようになった。
ご存知とは思うが、移動スーパーとは
本物のスーパーの品物を軽トラックに積んで
買い物難民の所へ来てくれる屋台みたいなものだ。
デンジャラ・ストリートの近くには大型スーパーがあるので
頑張って歩けば買い物に行ける。
しかし、そこは足腰の弱った高齢者。
スーパーの広い敷地には何とか行けても、食品売り場へ到達するには
さらに時間がかかる。
それよりも、体操教室のついでに買い物できる方が楽なのである。
移動スーパーを呼ぶことは、原さんが提案した。
一昨年、彼女の一人息子が定年退職を機に
広島市内から奥さんと一緒に帰って来たが
退職後の息子さんは、冒頭でお話しした近所のスーパーへ再就職して
移動スーパーの担当になったそうだ。
つまり原さんは、息子が従事する移動スーパーを
集会所へ呼ぶ提案をしたのだった。
もちろんこれは、息子の成績のためではない。
移動スーパーが立ち回りを一つ増やすには
それまでのルートや時間を変えるなどの調整が必要だし
積載量の少ない軽トラックでは、商品が減ったら店に戻って
新しく積み直す手間が増える。
そうまでしたって再就職の嘱託社員では給料が上がるわけでもなし
原さんはボランティア精神で言い出したのだった。
その移動スーパーで働く原さんの息子が
高校の同級生だった野球部の原君と知ったのは
自治会の世話で移動スーパーの話が本格化した昨年の暮れ。
徐々に人の口にのぼり始めた、原さんの息子の年齢や元の勤務先でわかった。
いよいよ今日から移動スーパーが来るという2月のある日
私はヨシコを迎えがてら集会所へ行ってみた。
移動スーパーって、初めてではない。
結婚した40年余り昔は、個人で営業している男性が
うちの前に大きなバスで毎週来ていた。
近くに大型スーパーができて、いつしか来なくなったが
私が病院に勤めるようになったら、その人が夜間のガードマンをしていた。
お互いに驚いたのはさておき、今どきの移動スーパーは初めてなので
ぜひとも見たかったのである。
さて、記念すべき初移動スーパーの当日。
集会所の中で老人体操を終えたおばあちゃんたちと一緒に
まんじりともせず待っていると、音楽を鳴らしながら移動スーパーがやって来た。
この付近の担当は原君ではなく、物腰の柔らかい40代の女性だったが
休日だった原君も私服で集会所に現れ、老人たちの買い物の世話をしていた。
買い物の世話、けっこう必要なのだ。
軽トラに満載された商品は、ずいぶん高い位置まで詰め込まれている。
売れ筋の惣菜や生鮮食品は下の方に置いてあるが
単価が安くてかさばる野菜などの商品は、一番上の高い場所。
牛乳、納豆、豆腐などの冷蔵品も、かなり奥の方。
加齢で腰が曲がり、身長の縮んだ老人は
それらを自力で取ることができないため
所望された商品を一つ一つ取ってやるのも移動スーパーの仕事。
しかし老人は、順番を待つのが嫌いだ。
われ先に買おうとするので手が足りないため
私もせっせと老人たちの所望する商品を取って差し上げる。
背が高いと便利だ。
あれから毎週、移動スーパーへ行っている。
だってフタを開けてみると、老人ってあんまり買わないんだもの。
大半が一人暮らしか、入退院を繰り返す配偶者連れなので
買い物難民としての対策は、すでに打ってある。
生協、ヨシケイ、宅配弁当を取っているか
子供が食事を持って通っているので、必要とする食料品が少ないのだ。
オムツの事情もあって、買わずにさっさと帰る人もいる。
そりゃあね、本物のスーパーより品数は少ないし
割高なのはわかっているけど、せっかく始まった良い習慣を
盛り上げることも大事じゃないの?
見れば、原君のお母さんだけが必死の形相で6千円ぐらい買っている。
自分で言い出した手前もあろうが
可愛い息子が関わっていることなので一生懸命なのだ。
私だって、自分の子だったら同じことをすると思う。
その母心に打たれ、私もできるだけ買う。
このために、生協の宅配で注文する分を減らしたほどである。
目指すは集会所の客王じゃ。
私にお金が貯まらないのは、こういうところだわ。
でも大丈夫、そこは老人相手の移動スーパー。
惣菜、飴、パン、甘酒、お汁粉など
調理不要の商品ばかりが充実していて、料理が作れそうな食品は控えめ。
肉類など一種類につき、ひとパックかふたパックしか無い。
先にお年寄りが買った残りを漁るとなると、本当に買う物が無くて
どんなに頑張っても1万円は超えられないのだ。
この厳しい条件下でいかに楽しく買い物をし
家族の喜ぶ料理を作るかが、現在のテーマ。
その場で、原君とも親しく話すようになった。
イチゴ狩りの情報も、トシ君と同じ野球部だった彼からもたらされたものだ。
彼とは同じクラスになったこともあるけど、あんまり親しくはなかった。
口数が多く、細かいことに気がつき過ぎて面倒くさかったからだ。
髪型がどうのスカート丈がどうのと、自分はヤンキー風味でありながら
人の立ち居振る舞いにうるさく反応し、小姑みたいだった。
その口数の多さや気がつき過ぎるところが、今の仕事には役立っている様子。
か、やはり彼は彼だった。
「誰それは今、どうしている?」
「市内を回っていて誰それを見かけるが、どこに勤めている?」
毎週、私に会うたびに同級生の消息をたずね
それを来週までに調べて、教えてくれると信じている。
言うなれば、私に宿題を出しているのと同じだ。
親切!な私は少ない人脈を駆使して
…たいていは地元の情報センター、マミちゃんでこと足りる…
彼の挙げた人物の近況を翌週の移動スーパーで報告する。
面倒くさいが、彼の口からはいつも
忘却の彼方だった名前が出るので懐かしい。
明日も移動スーパーが来る。
楽しみだ。
名付けてデンジャラ・ストリートの集会所では
2年ほど前から毎週金曜日に老人体操教室が開催されている。
10人余りのメンバーは世話役の70代を除いて皆、80代後半から90代。
88才の義母ヨシコも楽しみに通っているが
体操より、150メートルほど先の集会所へたどり着く方がハードみたい。
その体操教室に原さんという、ヨシコと同い年のおばあちゃんがいる。
ずいぶん年を取ってから、このストリートに家を買って引越してきたらしく
体操教室が始まるまで、私もヨシコも彼女の存在を知らなかった。
明るくて気持ちのいい人なので、今ではすっかりヨシコと仲良しだ。
さて、今年の2月から、その体操教室が終わる時間に合わせて
移動スーパーが来るようになった。
ご存知とは思うが、移動スーパーとは
本物のスーパーの品物を軽トラックに積んで
買い物難民の所へ来てくれる屋台みたいなものだ。
デンジャラ・ストリートの近くには大型スーパーがあるので
頑張って歩けば買い物に行ける。
しかし、そこは足腰の弱った高齢者。
スーパーの広い敷地には何とか行けても、食品売り場へ到達するには
さらに時間がかかる。
それよりも、体操教室のついでに買い物できる方が楽なのである。
移動スーパーを呼ぶことは、原さんが提案した。
一昨年、彼女の一人息子が定年退職を機に
広島市内から奥さんと一緒に帰って来たが
退職後の息子さんは、冒頭でお話しした近所のスーパーへ再就職して
移動スーパーの担当になったそうだ。
つまり原さんは、息子が従事する移動スーパーを
集会所へ呼ぶ提案をしたのだった。
もちろんこれは、息子の成績のためではない。
移動スーパーが立ち回りを一つ増やすには
それまでのルートや時間を変えるなどの調整が必要だし
積載量の少ない軽トラックでは、商品が減ったら店に戻って
新しく積み直す手間が増える。
そうまでしたって再就職の嘱託社員では給料が上がるわけでもなし
原さんはボランティア精神で言い出したのだった。
その移動スーパーで働く原さんの息子が
高校の同級生だった野球部の原君と知ったのは
自治会の世話で移動スーパーの話が本格化した昨年の暮れ。
徐々に人の口にのぼり始めた、原さんの息子の年齢や元の勤務先でわかった。
いよいよ今日から移動スーパーが来るという2月のある日
私はヨシコを迎えがてら集会所へ行ってみた。
移動スーパーって、初めてではない。
結婚した40年余り昔は、個人で営業している男性が
うちの前に大きなバスで毎週来ていた。
近くに大型スーパーができて、いつしか来なくなったが
私が病院に勤めるようになったら、その人が夜間のガードマンをしていた。
お互いに驚いたのはさておき、今どきの移動スーパーは初めてなので
ぜひとも見たかったのである。
さて、記念すべき初移動スーパーの当日。
集会所の中で老人体操を終えたおばあちゃんたちと一緒に
まんじりともせず待っていると、音楽を鳴らしながら移動スーパーがやって来た。
この付近の担当は原君ではなく、物腰の柔らかい40代の女性だったが
休日だった原君も私服で集会所に現れ、老人たちの買い物の世話をしていた。
買い物の世話、けっこう必要なのだ。
軽トラに満載された商品は、ずいぶん高い位置まで詰め込まれている。
売れ筋の惣菜や生鮮食品は下の方に置いてあるが
単価が安くてかさばる野菜などの商品は、一番上の高い場所。
牛乳、納豆、豆腐などの冷蔵品も、かなり奥の方。
加齢で腰が曲がり、身長の縮んだ老人は
それらを自力で取ることができないため
所望された商品を一つ一つ取ってやるのも移動スーパーの仕事。
しかし老人は、順番を待つのが嫌いだ。
われ先に買おうとするので手が足りないため
私もせっせと老人たちの所望する商品を取って差し上げる。
背が高いと便利だ。
あれから毎週、移動スーパーへ行っている。
だってフタを開けてみると、老人ってあんまり買わないんだもの。
大半が一人暮らしか、入退院を繰り返す配偶者連れなので
買い物難民としての対策は、すでに打ってある。
生協、ヨシケイ、宅配弁当を取っているか
子供が食事を持って通っているので、必要とする食料品が少ないのだ。
オムツの事情もあって、買わずにさっさと帰る人もいる。
そりゃあね、本物のスーパーより品数は少ないし
割高なのはわかっているけど、せっかく始まった良い習慣を
盛り上げることも大事じゃないの?
見れば、原君のお母さんだけが必死の形相で6千円ぐらい買っている。
自分で言い出した手前もあろうが
可愛い息子が関わっていることなので一生懸命なのだ。
私だって、自分の子だったら同じことをすると思う。
その母心に打たれ、私もできるだけ買う。
このために、生協の宅配で注文する分を減らしたほどである。
目指すは集会所の客王じゃ。
私にお金が貯まらないのは、こういうところだわ。
でも大丈夫、そこは老人相手の移動スーパー。
惣菜、飴、パン、甘酒、お汁粉など
調理不要の商品ばかりが充実していて、料理が作れそうな食品は控えめ。
肉類など一種類につき、ひとパックかふたパックしか無い。
先にお年寄りが買った残りを漁るとなると、本当に買う物が無くて
どんなに頑張っても1万円は超えられないのだ。
この厳しい条件下でいかに楽しく買い物をし
家族の喜ぶ料理を作るかが、現在のテーマ。
その場で、原君とも親しく話すようになった。
イチゴ狩りの情報も、トシ君と同じ野球部だった彼からもたらされたものだ。
彼とは同じクラスになったこともあるけど、あんまり親しくはなかった。
口数が多く、細かいことに気がつき過ぎて面倒くさかったからだ。
髪型がどうのスカート丈がどうのと、自分はヤンキー風味でありながら
人の立ち居振る舞いにうるさく反応し、小姑みたいだった。
その口数の多さや気がつき過ぎるところが、今の仕事には役立っている様子。
か、やはり彼は彼だった。
「誰それは今、どうしている?」
「市内を回っていて誰それを見かけるが、どこに勤めている?」
毎週、私に会うたびに同級生の消息をたずね
それを来週までに調べて、教えてくれると信じている。
言うなれば、私に宿題を出しているのと同じだ。
親切!な私は少ない人脈を駆使して
…たいていは地元の情報センター、マミちゃんでこと足りる…
彼の挙げた人物の近況を翌週の移動スーパーで報告する。
面倒くさいが、彼の口からはいつも
忘却の彼方だった名前が出るので懐かしい。
明日も移動スーパーが来る。
楽しみだ。