松本清張の生誕100年記念とかで、尾野真千子と堀北真希で二夜連続悪女ドラマをやった。その堀北真希のほう。
僕は原作の知識まったくなし。過去に映像化されたものも見たことがない。
柳田桐子(堀北真希)は、知的障害を持つ弟・正夫と二人きりで暮らしている。干物工場で働いているが、経済的に苦しいらしく、生活保護を受けている。民生委員?から買った花をチェックされたり、同僚に付き合いが悪いとどつかれたりする。堀北真希は、そういう貧しい役をやって苛められることが多い人だなあと思った。プロデューサーには、幸薄そうに見えるのだろうか。最近の自虐発言のせいだろうか。
まあ、彼女が心の底からゲラゲラ笑うシーンみたいなのが思い浮かばないのは確かだが。
説明しなくても分かるところは極力省く脚本だった。正夫が逮捕された直後、帰宅した桐子が自宅の前で立ち止まったところで一旦絵が止まる。僕は玄関に「人殺し」などのイタズラ描きがあったか、大家が出ていってくれと言いたそうな顔をして待ち構えているのかと思ったのだが(最近やっと「イノセント・ラヴ」を見たもんで)、シーンが切り替わると桐子と阿部(高橋克実)が部屋でお茶を飲んでいた。予想とは違ったが、それはそれで「ああそういうことね」と瞬時に分かる。取材か、と。というような省略を多用する脚本だった。
序盤からそれで慣らされたおかげで、キャバレーから消えた桐子が次のシーンで銀座の店にいても、話飛ばし過ぎじゃねえか?とは思わなかった。
うちの奥さんは、弁護を断られたくらいで相手を破滅させることはない、動機が弱い、意外に大塚弁護士(椎名桔平)悪い人じゃなかったし、と言ってた。
僕に言わせれば、動機が弱いというより、動機を説明する演出が弱かった。正夫とじゃれ合ったことや、イカリングなどの回想が随時挿入されたが、弟への愛情の説明としては足りなかった。あんまり言いたくないけど、堀北真希の淡白な演技に問題があるのかもしれん。
堀北真希は、だいたいどんなセリフもスラスラと流れるように読む。おそらく完璧に台本を読んできていて、キャラクターの性格もしっかり研究してきている。今回も公式サイトのインタビューでそれっぽいことを言っている。しかし、最愛の弟が獄中で死んだんだから、感情を爆発させるようなシーンでは、すらすらじゃなくてもいいんじゃなかろうか。もっと言葉に詰まりながらのほうが、桐子の感情に説得力を持たせられるのではないか。
今僕は再放送で「梅ちゃん先生」を見ているので、阿部(高橋克実)との絡みが可笑しかった。高橋克美は下村建造と同じような容姿で登場してるので、キャバレーで「梅子!こんなところで何をやっている!!」と怒鳴りそうだった。「イノセント・ラヴ」のお兄ちゃん(福士誠治)は、ちょっと絡んだだけで速攻で死んでしまって残念だった。
謎解き的な要素は効き手の問題だけで、特に難しい事件ではなかった。というか、あの事件調書から犯人は左利きだと分からない九州の地方検察局、最初の弁護士は無能としか言いようがない。
今ならググればいくらでも人権派弁護士を探すことができるが、原作が書かれた当時は、ごく一部のマスコミに登場した弁護士を頼るしかなかったのだろう。その、ごく一部の弁護士に弁護を断られて復讐する熱さというか一途さが共感を得られたのは原作が書かれた1960年代の話であって、今見せられてもうちの奥さんのように動機が弱いって言われちゃうんじゃないかと思った。
第二の事件と最初の事件の犯人が同じなのは出来過ぎで不自然だと最初は思った。が、弟の名誉を回復するためには大塚に協力して径子を救わねばならないというジレンマを桐子が抱えるわけで、そこが狙いかと読んだのだが、違った。桐子にとって弟が返ってこない以上名誉とかはどうでもよくて、ただ大塚に復讐したかっただけだった。その心理は、やはり1960年代的な悪女のもので、21世紀の我々が理解して感情移入するのは難しい。堀北真希もインタビューでこう言っている。
「この作品は、視聴者の方が桐子の気持ちになって楽しむというよりは、彼女のまわりの大塚弁護士とか、阿部さんと同じように桐子のことを怖いと思ったり、変化に驚いたりして楽しんでもらう感じかな、と思っています。視聴者の方が桐子の感情に最初からずっと乗っかって、というのは、ちょっと難しいのではないでしょうか」
桐子視点で見ると感情移入するのは難しいのだが、大塚弁護士の立場で見ると、普通に断っただけなのに、とんでもない地雷だったというホラーみたいなもので、それには十分感情移入できた。堀北真希の罠なら嵌ってみたいと思うし。「人生には恐ろしい落とし穴がある」というテーマだと考えれば、まあ面白い話だったのかもしれない。
それにしても「霧の旗」というタイトルにはどういう意味があるのだろう。霧には音がある、という話はあったが、旗は? 霧は桐子とかけているような気がするけど。原作には説明があるのだろうか。
最後に流れた井上陽水の「少年時代」は余計だった。物語のどの部分とも合ってない。あの選曲のセンスは疑問。