江戸時代に彦根藩の地場産業として栄えた「湖東焼」。
明治時代に生産が途切れ、「幻」とまで言われた彦根の文化を研究し、保存活動を続けるNPO法人「湖東焼を育てる会」が活動している。
「湖東焼」は、1829年に彦根城下の古着商「絹屋半兵衛」が伊万里焼の職人を招いたことが始まり。後に藩が窯を直営する形となり、藩主井伊直弼の時代に最盛期に。緻密で豪華な絵付けが特徴の高級品として名をはせた一方、多くの日用品も生産して販売した。
だが、桜田門外の変で直弼が暗殺されたことをきっかけに衰退。明治時代には生産が途切れたため、「幻の湖東焼」と呼ばれるようになった。
もともと滋賀県埋蔵文化財センターで働いていた湖東焼を育てる会理事長の谷口さんは、彦根城博物館の建設を受けて1985年に彦根市役所に移り、美術工芸担当の学芸員になった。当時は一般人が湖東焼に接する機会はほとんどなく、「誇れる地元の文化。多くの人にとって幻ではない存在にしたいという使命感があった」と振り返る。
井伊家所有の湖東焼を整理する一方、人から聞いた情報をたどって一般の所有者を探した。滋賀県外の博物館の館蔵品目録をめくって湖東焼に特徴的な名称の作品を探し、現地に赴きもした。いずれも写真に収め、寸法を記録。データを集め、博物館での展示などの形で市民に還元した。
窯跡の発掘調査にも携わった。職人が穴に捨てたり、山のように積み上げたりしたまま残っていた窯道具を整理することで、ある時期は伊万里焼の技術が多く、別の時期には瀬戸焼の技術が使われていた、といった技術の変遷を分析した。
「技術的に見ても全国で1級品。この素晴らしい文化を復活させたい」と考えていたところ、1986年に湖東焼の再興に挑む陶芸家が現れた。
信楽焼の窯元に生まれ、今も彦根市芹橋に窯を構える中川一志郎さんだった。「本当にうれしかった。全力でサポートしようと誓った」。育てる会の前身にあたる団体はこのときに発足した。
育てる会での谷口さんの活動は、彦根市役所を定年退職した2013年から本格的に始めた。湖東焼の普及に向け、自分でつくった茶わんで茶を飲む小学生向けのイベントを開催。3年前からは、各家庭にある湖東焼とみられる焼き物を見せてもらい、保存方法を助言する機会も設けてきた。
「湖東焼は偽物も多く、不安を感じている人も多い。これを機により関心をもってもらえるし、まだ見ぬ作品に出合うきっかけにもなる」
育てる会として、これまで調査してきた情報を本としてまとめるつもりだ。「学術的な内容にしても耐えられる活動をしてきた自信がある」。記録を残し、次世代に湖東焼の魅力を伝えるために奮闘を続ける。
NPO法人湖東焼を育てる会事務局
彦根市本町1丁目6番22号
電話/FAX:0749-24-6711
電話/FAX:0749-24-6711
【滋賀・近江の先人第128回】江戸末期、幻の湖東焼きの創業者・絹屋半兵衛(彦根市)
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/0c8beae18438865c77949ef2c0fec138
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<中日新聞より>