”スローライフ滋賀” 

「ウォーキング三昧」ブログの続編です。令和元年(2019年)5月1日に移行しています。

お多賀さんの名物「糸切り餅」(滋賀県多賀町)

2021-06-20 11:00:00 | 滋賀の名物・名産品
 「糸切り餅」の歴史は古く、なんと約700年前の鎌倉時代の「蒙古襲来」にまで遡る。 2度にわたる襲来に耐え忍んで戦い、蒙古軍は撤退。 取り戻した平和を祝福し、人々は神社仏閣へお供え物をした。 それが弓の弦で切られたものであったため「糸切餅」と呼ばれるようになった。

 

糸切餅」というと、滋賀県多賀町「多賀大社」参道の「糸切餅」を思い浮かべられる人も多い。
 お多賀さんの糸切餅は、あんこを包んだ長い棒状のお餅を糸で短く切ったもので、赤青3本の糸状の模様が入っている。
多賀大社参詣のおみやげとしては勿論、これを目当てに滋賀県外から来る人も多い、美味しい「名物」餅である。
 「糸切餅」は鎌倉時代、元寇(1281年)の戦勝記念に作られたお餅と言われている。でもほんとのところは江戸末期、子供の延命と幸せを祈り創られたお餅だとか。どちらにしたても由緒も正しく美味しくて、見た目にもきれいなお餅である。
 只、糸切餅賞味期限2日の生ものだけに多賀大社周辺地域で販売されており、遠隔地では通販以外入手は困難であろう。

お多賀さんの糸切り餅店


糸切餅総本家「多賀や」
住所:滋賀県犬上郡多賀町多賀601
電話:0749-48-1430
営業時間:8時~17時(1月は延長)
定休日:年中無休



糸切餅元祖「莚寿堂本舗」
住所:滋賀県犬上郡多賀町多賀599
電話:0749-48-0800
営業時間:9時~17時(売切れ次第閉店) 毎月1日は8:00〜
定休日:毎週水曜日(1月.2月.11月を除く)
https://itokirimochi.com/



糸切餅本家「ひしや」
住所:滋賀県犬上郡多賀町多賀711
電話:0749-48-0068
営業時間:8時~売り切れ次第閉店
定休日:不定休
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「芸能の聖地」大津・関蝉丸神社、大改修へクラウドファンディング募る

2021-06-20 10:00:00 | 滋賀TODAY
 小倉百人一首の歌で知られる平安時代の歌人蝉丸」を祭る「関蝉丸神社下社」(大津市逢坂)が、来年の鎮座1200年に向けた大改修工事の費用を、9月15日までクラウドファンディング(CF)で募っている。
建物が老朽化し、境内は荒廃しており、橋本匡弘宮司は「修復して次世代に引き継ぎたい」と願う。

蝉丸
『小倉百人一首』にその歌が収録されていることで知られているが、宇多天皇の皇子敦実親王の雑色、光孝天皇の皇子など諸伝があり、その人物像は不詳。盲であり琵琶の名手という伝承から、仁明天皇の第四宮人康親王と同一人物という説もある。
『平家物語』巻10「海道下り」では、醍醐天皇の第四宮として山科の四宮河原に住んだとあり、平家を語る琵琶法師・盲僧琵琶の職祖とされている。
後に皇室の御物となった琵琶の名器・無名を愛用していたと伝えられる。
 生没年は不詳であるが、旧暦5月24日およびグレゴリオ暦の6月24日(月遅れ)が「蝉丸忌」とされている。

『今昔物語』によれば逢坂の関に庵をむすび、往来の人を見て「これやこの 行くも帰るもわかれつつ 知るも知らぬも逢坂の関」の和歌を詠んだという(百人一首では“行くも帰るもわかれては”となっている)。このため、逢坂の関では関の明神として祭られる
和歌は上記のものが『後撰和歌集』に収録されている他、『新古今和歌集』『続古今和歌集』の3首を含め勅撰和歌集に計4首が採録されている。 


↑写真:朝日新聞より

関蝉丸神社・下社

大津市逢坂1-15-6
http://semimaru.ehoh.net/

 社伝によると、神社は弘仁13年(822年)の創建。琵琶の名手で「芸能の神」とされる「蝉丸」にちなみ、芸能関係者が多数訪れ、江戸時代には芸道に携わる人に関所も通れる免状を与えていた史料が残る。
50年ほ
ど前まではにぎわっていたが、常駐の宮司が2008年ごろに急逝し、荒廃が加速。2010年代の2度の台風で、本殿や社務所の屋根が壊れるなど、建物の老朽化も著しい。

 地元住民らに再三請われ、愛知県出身の橋本宮司が2012年、滋賀県神社庁(大津市)の仕事を兼務しながら宮司に就任。間もなく、神社の荒廃が進むのを忍びないと思う有志の市民らが集まり、伝統芸能やジャズ、吹奏楽などあらゆるジャンルの芸能を奉納する芸能祭を企画した。
 市民らは境内の掃除や木を切ったり、拝殿を改修したりし、2015年に芸能祭を実行。復興の機運が高まった。橋本宮司は「自分たちの氏神ではなくても、後世に文化を残さないといけないと思ってやってくれている。本当にありがたい」と話す。

 これまでに寄付や神社の資金などから計1200万円をかけ、半分以上が崩落していた社務所と、かつての宮司が住んでいた建物を解体。境内には京阪電車の線路が通っており、工事の重機を入れるための補強もした。
一方で、本殿の屋根は今も台風で壊れたまま。回廊の屋根には穴が空き、雨漏りを防ぐためにシートをかぶせている。境内全体の本格的な修復には、少なくとも1億円を見込む。
 まずは目標の3000万円をかけて、本殿と幣殿、回廊の修復を進める。橋本宮司は「やるからにはしっかり修復しないといけない。そのために宮司になったのかなという思いもある」と話す。
 
 返礼品として、蝉丸にちなんだ弦楽器の弦(3万円)や、もう一柱の祭神で水の神とされる豊玉姫命(とよたまひめのみこと)にちなんだ琵琶湖真珠(1万円以上)などを用意した。
CFサイト「A−Port」で検索。現金書留でも受け付ける。
https://a-port.asahi.com/projects/sekisemimarujinjya/

問い合わせ: 関蝉丸神社復興支援奉賛会事務局
080(5706)2331 

<朝日新聞より>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新型コロナウイルスワクチン集団接種に交通事業者が協力 (東近江市、日野町)

2021-06-20 09:00:00 | 東近江ライフ
  新型コロナウイルスワクチンの集団接種に交通事業者が協力する動きが、東近江地域でも広がっている接種会場への無料タクシーでの送迎やバス車両の待機スペースへの転用で自治体と連携し、コロナ禍で悪化する収益の強化にもつながっている。 

↑写真:中日新聞より

 東近江市の集団接種会場の1つになっている商業施設(アピア八日市店)では、立体駐車場の一角にタクシーがずらりと並び、乗客の接種が終わるのを待つ。
1回目の接種を済ませた東近江市永源寺高野町の横山喜美子さんは「免許は返納しているし、何分もバスを待つのは年寄りには大変。タクシーなら安心」と笑顔で帰路に就いた。

 東近江市は5月10日から、移動手段に困っている人に対し、自宅と会場を結ぶ往復無料のタクシーを運行している。
東近江市は1200万円の予算を計上し、5月31日までに104台の利用があった。特に、山あいの永源寺地区は会場とも距離があり、利用者が相次いでいる
 運行を担う地元の永源寺タクシーの担当者は「思ったより反響は大きい。足腰の悪い方、免許を返納された方などに利用いただいている」と話す。
同社は昨年、貸し切りバス事業の売り上げが前年比で9割以上減り、ビジネス客の減少でタクシー事業も苦戦が続く。それだけに「運賃は1人平均で1万円弱になる。売り上げにつながり、非常にありがたい」
 今後は高齢者の接種は一段落するが、副反応が心配で接種直後の運転に抵抗感がある人の利用も見込んでいる。「地域に根ざす会社として社会貢献していきたい」と意気込む。
 
 一方、滋賀県日野町では6月18日から、近江鉄道(彦根市)のバスを接種会場の外に止め、車内空間を接種前の待機場所として活用している。

↑写真:中日新聞より

 これまで会場にしていたホールが改修工事に入るため、役場近くの駐車場に会場を仮設したのに伴う措置。設備やスペースが限られる中、空調の効く車内で梅雨や暑さをしのいでもらおうと有償で手配した。
車内ではバスの利用を呼び掛けるボードも掲げ、利便性や乗り心地をPRしている。
 日野町の担当者は「テント内のスポットクーラーだけでは熱中症が心配だった。バス車内で涼んでもらい、利用のきっかけにもできれば」と語った。 

<中日新聞より>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【滋賀・近江の先人第190回】元滋賀県議、14期53年奉職・滋賀県政の生き字引・北川弥助(東近江市)

2021-06-20 06:00:00 | 滋賀・近江の先人

 北川 弥助(きたがわ やすけ、1911年(明治44年) - 2005年(平成17年)6月9日)94歳没は滋賀県の政治家、滋賀県議会議員。
旧五個荘町名誉町民。滋賀県議を連続14期・約53年間務め、大山広司(広島県)に更新されるまで全国の県議の在職期間の最長記録保持者だった。戦後の滋賀を語る「県政の生き字引」と呼ばれた。



 滋賀県神崎郡旭村伊野部(現東近江市五個荘伊野部町)出身。油の行商の傍ら青年団活動を行い、1950年の第1回統一地方選滋賀県議補選で民主自由党から立候補して初当選。その後、連続で14期・19440日間議員を務めた。1998年には都道府県議で初の在職50年表彰を受賞した。

 滋賀県議会議長を3回、自民党滋賀県連会長三回、全国農業共済協会副会長、滋賀県商工連合会長、滋賀県農業共済連合会長、滋賀県土地改良事業団体連合会長、愛知川沿岸土地改良区理事長など多くの役職を務めた。また、在任中までの歴代すべての公選知事とも相対している(服部岩吉、森幸太郎、谷口久次郎、野崎欣一郎、武村正義、稲葉稔、國松善次)。

 滋賀県議として琵琶湖総合開発、商工会法の実現、地元では旧五個荘町の排水完備・企業誘致や観光開発、愛知川沿岸土地改良区の農地改良や永源寺ダム建設などの業績を残した。


引退とその後
2003年1月31日に「高齢でもあり、待望の後継者が決まったことから、今朝、辞めることを決意した。残りの人生で次代の人を育てる」として引退を表明、同年4月の滋賀県議選には出馬しなかった。選挙区からは小杉武志を後継者に推して当選させた。2004年5月に永源寺ダム右岸公園で清水冨男が制作した北川のブロンズ像の除幕式が行われた。北川は「何度もお断りしたがその熱意に感謝します」と挨拶で述べた。

2005年1月に旧五個荘町で開かれた「旧五個荘町制施行50周年記念式典」で特別功労賞を受賞した。同年2月の、五個荘が東近江市に合併後の、初の東近江市長選では、中村功一を支援して当選に導いた。

2005年6月9日に急死。同年7月3日に自民党滋賀県連ら14団体の合同葬が行われ、約1000人が参加した。同年11月3日に東近江市より自治功労表彰状が贈られた。

人物
滋賀報知新聞によれば、「温和な人柄と筋を通す政治理念に人々から慕われた」人物であった。葬儀で当時の滋賀県知事國松善次は「53年の滋賀県議活動は137万県民の誇りであり、滋賀県議会の大黒柱でもありました。」と語った。

中村功一元東近江市長は「父の様であり、兄のような温かさがあった」、小杉武志滋賀県議は「師として仰ぐ偉大な人」、葬儀委員長も務めた衆議院議員岩永峯一は自身を国政に導いたのは北川であるとして「政治家の鏡として敬する偉大な御人」と評した。また、元衆議院議員の山下元利の側近中の側近として知られた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする