『明治三年七月 、薩藩士横山安武 (後の文部大臣森有礼の実兄 )が 、時勢に慷慨して 、時弊十ヵ条を指摘した諫書を政府に提出して太政官正院の前で自殺したことがあったが 、後に安武の碑が立つ時 、西郷は身参議でありながら 、自ら筆を取って 、その激烈な慷慨の情に共鳴同感する意味の碑文を草している 。安武の不満は西郷の不満であったのである 。』
西郷隆盛は日本国家再統一の父である。イタリアの統一 . . . 本文を読む
『その頃 、幕府がいよいよ五月十六日に江戸を将軍が進発するという軍令を出したことが 、京都に伝わって来た 。歩兵を従え 、砲兵は馬に砲を曳かせ 、老中四人 、若年寄四人が供をし 、従う大名は総督紀州藩主徳川茂承以下 、親藩 ・譜代合して十六家ということであった 。この時のことを 、松平春嶽がその著 「逸事史補 」にこう書いている 。「後で聞くと 、長州再征については 、幕府は大いに明るい見通しを . . . 本文を読む